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imbalance 【8】 |
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ずんずんと力強い足取りで、ロザリアはわき目も振らず庭園を通り抜けていた。ちょっと前までは爽やかな朝であったのに、とんでもない守護聖のとんでもない発言の所為で、その気分が台無しになってしまったのだ。
(お子様ですって? 怖いですって?)
聞きなれぬ言葉の数々が、ロザリアの頭の中を反芻していた。
上等である。こうなったらさっさと女王になって、その足元に跪いて忠誠を誓ってもらおうと。怖いと言うのなら、お望み通り怖い女王陛下になって見せようと。
ロザリアは当初の予定にはなかった妙な志を掲げて、ますます意気込んでいたのだった。
さて、その為には何をすべきなのか。
闇雲に前へ前へと出していた足が、ぴたりと止まる。がむしゃらに移動していたロザリアは、ここにきてようやく周囲に目を向けたのだった。
「あー、もう。わたくしは一体何をしようとしていたのかしら?」
気付けば目的地とはかけ離れたところに来てしまったようだ。目の前には湖まで見れるではないか。
「湖……?」
ロザリアは引き寄せられるように近づいていった。昨日は見つけなかった場所である。ただの森が広がっているだけで、湖なんてあると思っていなかったのだ。
しっとりとした空気がロザリアを優しく包んでいる。
風の訪れない空間。
水面は波打つこともなく、穏やかに佇んでいるかのようだった。
「まあ、何て綺麗なのでしょう」
鏡のように澄んだ湖面には、覗き込んでいるロザリアの顔までをも映し出していた。魚が跳ねて、小さな水飛沫がきらきらと散らばった。
ささくれ立っていた心が浄化されていく。気持ちが癒されると、冷静に己の中を見つめることが出来るようになっていた。
どんな時でも女王候補生らしく、毅然とした態度でいること。それが自分自身に課したことだった。
「おや〜、ロザリアじゃないですか?」
この場に相応しい、穏やかな声がした。ゆっくりと目を向けると、本を片手に歩み寄ってくる男の姿があった。
昨日と同様に、ターバンと言う少々変わった民族衣装の出で立ちをしている。緩慢とも思える動作でロザリアの前に現れたのは、地の守護聖ルヴァであった。
「おはようございます、地の守護聖さま」
丁寧で、そして優雅に会釈をする。すると、ルヴァもにこにこと笑顔を添えて、挨拶を返してくれるのだった。
「ええ、おはようございます。昨日はすみませんでしたね。慌ただしく、謁見の間を後にしてしまって……。あなたにもアンジェリークにも、悪いことをしたと思っていたのですよ」
「そんなことはございません。地の守護聖さまはお忙しいと窺いました。わたくしもあの子……アンジェリークも、そのくらいのことは理解しておりますので、どうぞお気になさらないで下さいませ」
正直アンジェリークが守護聖たちの置かれている立場を把握しているかどうかなんていうことは、ロザリアには判らない。しかし、あの娘なら理解とは別の次元で許してしまうだろうと思ったのだ。
(とても呑気そうでしたものね)
ルヴァの笑みが、より深いものとなる。
「そう言って頂けるとありがたいですね。今回の女王候補生たちも、よい子ばかりで安心しました」
「まあ」
ロザリアは口元を隠すように右手を当てて、それからくすくすと笑った。十六歳の、ましてや選ばれし女王候補生に対して『よい子』はないだろうと思ったのだが、この目の前の守護聖の少しのんびりとした話し方には何故かしっくりとくるのだった。
「あー、しかし私は、自己紹介も満足にしていなかったのですよね……」
そらきたとばかりに、ロザリアは今回も軽く手を上げて続くだろう発言を制した。
「それも問題ございませんわ、地の守護聖さま。皆様のことは存じ上げております」
毅然としたロザリアの物腰に、ルヴァは感心したように頷いていた。
「そんな堅苦しい呼び方をしないで下さい。ルヴァと名前で結構ですから」
あっ、とロザリアの口から小さな声が漏れる。指摘されるまで気づかないほど『何とかの守護聖さま』呼ばわりが、自然に出ていたのだ。
ルヴァに対して文句のつけどころはなく、それゆえロザリアは素早く言い直す。
「はい。それではルヴァさま」
ロザリアの素直な態度に、ルヴァの表情が綻んだ。やはり名前は大事だと、ロザリアは改めて思う。こうして肩書きや敬称でなく互いに名前で呼んだだけで、急に親しくなったように感じられるのだから。
「今日から試験ですね。色々と大変だとは思いますが、頑張って下さいね。私たちも出来る限りの協力は惜しみませんから」
ルヴァの声音からも彼の気持ちが汲み取れた。それは父がロザリアに向けていたものと、よく似ている気がしたのだ。
「はい、ありがとうございます。早速なのですが、ルヴァさまは守護聖さまの中で一番読書家だとお聞き致しまして、それでお願いがあって参りました」
「あー、一応はそう言われておりますが……お願いとは何ですか?」
守護聖一の読書家とのいわれに、少し照れたような遠慮しているような素振りを見せるが、それでも控えめに肯定する。謙虚な方なのだと、ロザリアは思った。
「もし宜しかったら、ご本をお借りできないかと思ったのです。わたくしも幾らか探して持ってきたのですが、これからの育成にはもっと資料が欲しいんですの」
「ええ、勿論構いませんよ。私の、いや飛空都市にあるものでしたら、幾らでもお使い下さい」
快諾にロザリアの笑顔が零れる。
「ありがとうございます」
「それでは、取り敢えず私の執務室に来ますか? 全てではないといえ、それなりに揃っているとは思いますよ」
「でも、まだお時間では……」
ちらりと時計を見遣ると、ロザリアの危惧した通り、出仕にはまだ少し早いであろうという時刻であった。
「私はいつもこのくらいの時間には向かっているんですよ。折角ですから、ロザリアも行きますか?」
本当に日課なのであろう。気を使われているのかと、ロザリアは注意深くルヴァの表情を読み取っていたが、どうやら嘘偽りではなさそうである。それならば好意に甘えよう。
「ええ、是非ご一緒させて下さい」
ルヴァのすぐ後を追う形で、ロザリアも歩みを進めていた。歩きながらも、ルヴァは所有している書物の種類など、色々なことをロザリアに語り聞かせてくれるのだった。
「それでも足りなかったら私邸にもまだありますので、お休みの日にでもいらして下さい」
「はい、ありがとうございます。これから色々お世話になると思いますが、どうぞ宜しくお願い致します」
これから遭遇するであろう本の山を思い、ロザリアの気分はますます高揚していくのだった。
◆◇◆
守護聖と女王補佐官の執務室が連なるところを聖殿と呼ぶ。一人一人に個室が与えられていて、日中彼らに用事がある時は、大抵ここを訪れれば面会することができるのだった。
そのもっとも西側の端に、光の守護聖ジュリアスの執務室がある。現在、ロザリアが目的としている部屋であった。
ドアを叩くと、中から入室を促す声が聞こえてきた。
「失礼致します」
急ぎの書類があるのか、視線は下を向いたままである。さらさらと羽で作られたペンが紙をなぞっていく音が、部屋の中に響いていた。
「それで私に何の用だ?」
ジュリアスは声だけでロザリアと判っているらしく、単刀直入に用件だけを訊ねるのだった。ロザリアもそれを察して、簡単に要求のみを告げる。
「フェリシアに光のサクリアを送って頂けないでしょうか」
「どのくらい必要なのだ?」
「少しで構いません」
まだ手探り状態なのだ。少しずつ色々な力を送って、それぞれがどう影響するのかを見極めることから始めなくてはならない。
「判った。覚えておこう」
ここでジュリアスはようやく手を止めて、顔を上げる。青い瞳がロザリアを捉えるなり、生真面目な表情が僅かに引きつるのだった。
「…………すごい荷物の量だな」
正面から対峙しているにも関わらず、ロザリアの顔が見えないではないか。
ロザリアは山のように積み上げられた書物を、身体全体で支えるように持っていたのだ。椅子に座ったままの状態だと下から見上げる形になり、結果その大荷物に遮られてしまうのだった。
会話をするには不便とあって、ジュリアスは立ち上がった。上から見下ろすと、頂上には満足げなロザリアの顔があった。
「ルヴァさまに本をお借り致しましたの。必要なものが多々あって……気づけばこんな冊数になってしまいましたわ」
嬉々としたロザリアの声音に、ジュリアスは感心するのを通り越して呆れそうになってしまう。
しかし、彼女の気持ちは分からなくもないのだ。その姿はさながら、初めて聖地を訪れた時の自分のようであった。かつての自分も、大きな使命を与えられたことに胸が高鳴り、それに応えるべく本や資料を読み漁り、貪欲に何かを得ようとしていたのだ。
「知識には限界というものはない。そなたには育成もあるし大変だとは思うが、勉学も存分に励むように」
少々行き過ぎたところがあるにせよ、正しい行いには変わりない。激励の言葉をかけると、ロザリアからも頼もしい言葉で返ってきた。
「はい、重々心得ております」
「期待しておるぞ」
「ありがとうございます」
ここでいつものロザリアなら優雅にお辞儀をして見せるのだが、さすがに今回は僅かな会釈程度にとどまっていた。深く会釈でもしようものなら、誇張抜きで、書物による雪崩れがおきてしまいそうな危うい状態なのである。
幸い、あと数分もしないで昼休みである。
寮まで送っていこうか、そこまでしないとしてもドアくらい開けてやろうかとジュリアスが思案しているまさにそんな時、ノックの音と共に扉が開くのだった。
「失礼します、ジュリアス様」
「オスカーか。ちょうどいいところに来た」
何がちょうどいいのか分からず、オスカーはぎこちなく会釈をした。
「それでは、わたくしはこれで失礼させて頂きます」
オスカーと入れ違いに、珍妙な人影がふらふらと扉へ向かっていく。沢山の本を抱えた少女であるが、荷物を気にしてか俯いているので、誰であるかとは判別しかねた。
その足取りの覚束なさに、思わずオスカーは手を差し伸べた。積まれた本の上数冊を取り上げると、その人影から「きゃっ」という小さな悲鳴が漏れる。
「……おっと。誰かと思ったら、お嬢ちゃんか」
蒼い双眸がきつくオスカーを見据えた。やはりこの呼称が気に食わないらしい。
(随分と気の強いお嬢様だな)
そんなことを思いながら、文字通り荷物の塊であるところの上に、先程取り上げた本をバランスよく乗せ直すのだった。
「ロザリアよ。すぐにすむゆえ、少々そこで待機していてくれぬか」
ジュリアスに呼び止められて、ロザリアは足を止める。「何故ですか?」とロザリアが訊き返す暇もなく、二人の間では書類や言葉が行き来していた。部外者のようで何となく居心地悪かったが、そこにいろと言われた手前、ロザリアは大人しく話が終わるのを待っていた。
「ロザリア、待たせてすまなかったな」
再び名前を呼ばれ、ロザリアは顔を上げる。
「いいえ、構いませんわ。それで、どういったご用件がございますのでしょうか?」
「そなた一人で、それだけの荷物は辛かろう。オスカーに手伝ってもらえ」
オスカー本人も今初めて聞いたらしく、片眉を上げてジュリアスとロザリアを交互に見比べていた。
「いえ、結構ですわ。ここまでだってこうして持って来られたのですから……」
「遠慮せずともよい。これから昼の休憩に入るところだし、オスカーも時間はあるのだろう?」
ジュリアスの問いに、オスカーは「勿論です」と快く承諾するのだった。
「女王候補殿の為ならばこのオスカー、どんな約束が入っていようとも最優先致しますよ」
ロザリアは完全に話題に取り残されていた。あれよあれよと決まっていき、気付けば身軽な状態になっている。そうしてオスカーに促されるままに、ジュリアスの執務室を退室していたのだった。
ドアの閉まる音で、ようやく己の現状を把握した。
一度ならず二度までも、荷物を運んでもらうとは。それも、このやたらと慇懃無礼な男に。その上、彼はまがりなりにも守護聖の一員である。
冗談じゃない。
「嬉しくて声も出ないのは判るが、ぼけっとしていないでさっさと行こうぜ、お嬢ちゃん」
激しい誤解であるが、ここで怒ったりしては大人気ない。ここはやんわりと断わるのが得策である。
そう考えたロザリアは、にっこりと笑顔を携えて、オスカーを見上げるのだった。
「…………そう露骨に嫌な表情をされると、さすがに俺だって大変傷付くのだが」
「わたくしはこういう顔なのです。申し訳ございません」
本当にそうとしか言い様がなかった。まったくもって不穏当な言い草である。
改めて異議を申し立てる前に、オスカーは歩き出しているではないか。ロザリアは慌てて、小走りに近い状態で、彼を追いかける。
「『地質工学の創造』、『人類生態学』に『全宇宙の民俗学』……勉強家だな、お嬢ちゃん」
数冊ずつ取り上げて、それを心持ち上の方に掲げながら、オスカーは本のタイトルを一つ一つ読み上げていく。
「もうここまでで結構ですから、返して下さいませ」
オスカーの腕から本を取り返そうと試みているのだが、如何せん身長差がありすぎて、精一杯背伸びをしてみるが掠りもしないのである。
「いいからいいから。で、これは何だ? 『白亜紀に夜がくる』? …………『深海魚の住む海』??」
小首を傾げながら、本を摘み上げる。「これが何の役に立つのだろう」と、オスカーの表情が語っていた。
「わたくし一人で持って帰れますから、どうぞご自分の任務にお戻りになって下さい」
「おいおい、今は昼休みだぜ」
トントンとオスカーの長い人差し指が、ロザリアの腕にはめている時計の文字盤を叩いて見せる。確かに時刻は昼の休憩を廻っていた。
「それに荷物運びは男の仕事だって言っただろう? 女王候補の手助けも任務のうちさ」
「お言葉ですが、わたくしは男性だとか女性だとかで区別をするのは嫌いです。それにわたくしは女王候補なのですよ。この程度の荷物くらい運べなくて、どうやってあの広大な宇宙を支えていくことが出来るのでしょうか?」
支離滅裂に近いことは、ロザリア自身もよく判っていた。だからこそ余計に悔しい。
唇を噛んで睨みつけてくるロザリアを見て、オスカーはふーっと大仰に溜息をついた。
「馬鹿だな、お嬢ちゃん」
「今度は馬鹿ですって!?」
言うに事欠いたとしても、何て台詞であろうか。
子供扱いされたことも忘れて真っ赤になって怒鳴りつけようとするが、対称的な落ち着き払ったオスカーの微笑に、その勢いが飲まれてしまった。
「お嬢ちゃんは忙しいんだろう? こなさなくてはならないことも多いし、時間は幾らあっても足りない筈だ」
「ええ、その通りです」
「だったら、こういう機会は是非とも活用すべきだ。至極建設的だと思うが、如何かな? お嬢ちゃん」
「でも……」
確かにロザリアの言い分は破壊的この上ない。しかしロザリアにとっては聞き捨てにならない言葉もあったのだ。全肯定してしまうのは、納得がいかなかった。
「お嬢ちゃんの言うことも分からなくもないさ。男尊女卑に聞こえたのかもしれないが、それとはまったく違うことだ」
「何がどう違うんですの?」
オスカーはロザリアが引っ掛かった点を、適確に拾い上げた。
「知識なら幾らでも追いつけるだろう。しかし力となったら、そうもいかない。大体、男とレディでは、体つきが違うんだからな」
「それは、仕方のないことだと思います」
「ああ、そうだ。仕方のないことなんだよ。だから男には男の、女には女の役割があるんだ。どんなに努力したとしても、俺たちに子供は産めないのさ」
「…………それも、仕方のないことだと思います」
何て喩えを出すのだろうと思ったのが、表情に出てしまったようだ。
ロザリアが渋面を作ったことに、オスカーは笑っていた。それが何となく小馬鹿にされたようで、またロザリアの気に障った。
「どっちが尊いなんて無いだろう? いや、むしろ尊いのはレディの方じゃないのか。現にこの宇宙を統べるのは女王陛下ときている。俺たち男は、あくまでその補佐に過ぎないんだ」
言われてみればその通りだ。何百代と治世が続いているが、世襲でもないのに女王のみであるのだ。そして女王を支える守護聖たちも、これまた例外なく男性のみなのであった。
「だからレディは男を最大限に利用する権利があるんだ。それを卑下に思うこともない。むしろ堂々と権利を行使しろよ」
「それは……あまりに図々しすぎますわ」
勝手な振舞いは、ロザリアの美学に反する。我が侭な女は可愛いどころか、むしろ醜いものだと思う。
「なに、男なんてそれはそれは単純な生物だから、お嬢ちゃんみたいな美人に頼られると嬉しいんだぜ」
そういうものなのだろうか。女性であるロザリアには、やはり理解できそうもなかった。
「第一、男なんか平気で使えるようにならないと、いつまで経っても『お嬢ちゃん』のままだぜ」
薄氷色の瞳が揶揄するように細められた。「どうする?」とロザリアに問うている。彼の言うところの半人前か一人前かの選択を、この期に及んでロザリアに委ねたのだ。
もう、ロザリアに反論する意見はひとつも残されていなかった。
完敗である。
「それでは……お言葉に甘えさせて頂きますわ」
本当に、本当に悔しそうに、ロザリアは振り絞るような声を上げるのだった。
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to be continued..... |
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