Angelique
**parody**

imbalance 【12】
 

 最低、最低、最低、最低。
 それ以外は思いつかない。ロザリアは何度も同じ言葉を、頭の中で繰り返していた。
 先日見た光景が、鮮やかに思い起こされる。そこに今しがた聞いた声が被さって、ロザリアの脳裏に、また同じ言葉が浮かぶのだった。
(最っ低――――)
 泣くのは弱さの現れような気がして、大嫌いだった。でも少女の瞳を潤ませていた涙は、とても綺麗なものとして映った。
 それに、これは認めてしまうのはロザリアとしては甚だ不本意であるが、目を奪われてしまうほどに美しかったのだ。立ち尽くして動けなくなってはいたが、目を覆いたくなるようなものではなかった。むしろ芝居の一場面を見ていたかのような余韻が残ったくらいだ。それもどろどろとした愛憎劇でなく、儚い悲劇のような美がそこにあった。
 それはきっと、あの女性が二人で共有していた時間を、心底大事にしていたからであろう。第三者であるロザリアの瞳にも、分かる程に大切に慈しんでいたのだろう。
 それをいとも容易く踏み躙ったあの男は、一体何様なのだろうか。
 一瞬でも可哀想だと思った自分が馬鹿みたいだ。
「もう、騙されませんわよ……」
 育成の予定も大幅に変更である。あんなろくでもない男の力なんて、穢れないフィリシアには向いていないだろう。いっそ対極に位置するリュミエールの力を借りようと、彼の執務室に足を運ぶ。
 そこで心痛な面持ちのリュミエールと、神妙な表情のジュリアスに出会って、ロザリアの変更が誤りではなかったことを再確認させられるのであった。



◆◇◆




 ぽかぽかと暖かい春の陽射しが、飛空都市にも惜しみなく注がれている。
 そんな陽気の中で、小さなお茶会が催されていた。
 主催はマルセルとランディの若い守護聖である。そこに招待されたアンジェリークと、無理矢理参加させられたゼフェルの四人は、聖殿を離れたテラスで、お茶とお菓子を広げていた。
「そうだ! あのね、聞いて聞いて」
 まるで大事件が起こったのだとばかりに、マルセルが切り出した。
「僕の花壇のお花がね、虫に食べられていたんだ」
 マルセルにとっては一大事でも、ゼフェルには瑣末な出来事に過ぎない。つまらなそうにゼフェルが言葉を返す。
「んなの、殺虫剤でもまけばいいじゃねーか」
「ダメだよ、そんなの! 自然が一番いいんだから」
「でも、それでおめーの花がやられちまったら、世話ねえだろ」
 ゼフェルにしては当然の見解をしたまでである。しかし、マルセルの苦悩した顔が、横に振られることはなかった。
「うーん…………でもね、やっぱりダメだよ。花があって虫がいて……それが当たり前なんだから」
「何を言いたいんだか、分っかんねぇよ」
「ゼフェルの意地悪!」
「おめーの説明が下手なんだろうが!」
 口論となりかけた二人の間に、ランディがやんわりと割り込んだ。
「まあまあ、二人とも……。せっかくのお茶会なんだし、アンジェだって困ってるよ」
「いえ、そんなことは……」
 口篭もっているアンジェリークの様子から、困っているのがありありと分かる。苦い笑いを微かに浮かべて、ランディはアンジェリークに別の話題を提供した。
「育成は上手くいってる?」
「えーと、まあまあかなって感じです」
 残念ながら、こちらもあまり気の利いた話題ではなかったようだ。困ったような微笑みが、そうランディに告げている。
 しかしゼフェルとマルセルの口争いが止んだことは二人にとって喜ばしく、そういう意味では有効な話題であったのである。彼らに分からぬようにランディとアンジェリークは顔を見合わせて、ほっと一息ついたのだった。
「今日、ロザリアは?」
「一応誘ってみたんですが……用事があるからって断られちゃいました」
 残念そうにアンジェリークは言う。
「ロザリアはしっかりしているからね。年下だとは思えないくらいだよ」
 小さくゼフェルは笑ったが、その意地の悪そうな笑いに気づいた者はいなかった。
 しかし、その後で発せられた呟きは、しっかりと皆の耳に届いてしまうのだ。
「オレだって、おめーが年上だとは思えねーよ」
「何だって!?」
 思わず立ち上がったランディに向かって、ゼフェルは呆れたように眉を上げる。
「耳だけは遠くなっちまったのか? 難儀な奴だな」
「言わせておけば……」
 今度はランディとゼフェルの間で、小競り合いが勃発してしまいそうである。マルセルの時といい、今回といい、ゼフェルはどこまでもトラブルメーカーであるのだった。
「ランディさま! ゼフェルさま!」
 さすがのアンジェリークも、悲壮な声を出して二人を止めに入った。マルセルを相手にしている時とはわけが違う。ランディとゼフェルの喧嘩では、どちらか、あるいは双方が怪我をしてしまうおそれもあるのだ。
「もう、やめてよ二人とも〜。今はロザリアの話をしてたんでしょ」
 互いに掴みかかる前に、マルセルが二人を引き離した。意外な力を発揮したマルセルに対して両者は目を見張り、それからばつが悪そうに己の椅子に再度腰かける。
 アンジェリークとマルセルは、たちまち話題を元に戻した。口早に捲くし立てているのは、この場の雰囲気をも早く戻したい為であろう。
 二人が話しているのを、ランディは少しだけ申し訳なさそうに、ゼフェルはまったく興味がないといった様子で聞いているのだった。
「ロザリアはしっかり者なんですよ。フェリシアを見ていると、それがすっごくよく分かるんです」
 アンジェリークはエリューシオンに降り立つ際に、欠かさずロザリアの大陸であるフェリシアも見て回っているのだ。フェリシアは彼女同様に美しく、揺るがない自信を持って存在している。そのあり方がエリューシオンの発展の参考にもなると思っていたのだった。
「ロザリア、かぁ……。なんかボクはちょっとだけ怖いって思っちゃうな…………近寄りがたいよね」
「そんなことありませんよ!」
 思わず、アンジェリークは声を荒げた。身体――今回の場合は口が、自然に訴えていたのだ。マルセルの発言はそのくらい間違った認識であるのだ。
 ロザリアは優しい。けれど、その優しさが見えにくい。
 これが、アンジェリークが数日かけて導き出したロザリアに対する評価であった。
 フェリシアを見学していることがロザリアに露見した時もそうだった。フェリシアの神官に「敵情視察ですか?」と尋ねられたアンジェリークは、何とも答えることができなかった。確かにそう言われることはしているが、やましい気持ちはない。そう告げたいのであるが、冷たい視線が探るようにアンジェリークを見据えているので、恐ろしくて言葉にならなかったのだ。
 アンジェリークとロザリアは、ライバルという関係にある。そして、そのことは神官も十二分に理解しているのだ。フェリシアの神官は、ロザリアを『天使様』と呼んで敬愛している。それは、エリューシオンの神官も同じだ。だからライバルであるアンジェリークにあからさまな敵意をぶつけるのも、仕方ないのであろう。
 しかし、ロザリアはそんな神官を窘めたのだ。
「そういう目で他人を見るものではありませんよ。それにアンジェリークは、そんなに気の利いた子でなくっよ。あなたの統治する大陸が素晴らしいから、つい見惚れてしまうのでしょう」
 まるでエリューシオンがつまらない大陸であるかのような言い回しである。反論しようとロザリアを見つめ返したら、ロザリアの申し訳なさそうな瞳と交差してしまい、思わず口から出かけた言葉を引っ込めるのであった。
 ロザリアの方が、傷ついているのは何故だろう。
 その答えとなる鍵は、上機嫌の神官が持っていたのだった。先程とは打って変わった笑顔で、アンジェリークを歓迎しているではないか。「そういうことでしたら、幾らでも見ていって下さい」――――と。
 それ以来、フェリシアの神官に邪険に扱われることはなくなった。そう、あのロザリアの発言は、アンジェリークの為のものだったのだ。
 この一件に対して、ロザリアは何の見返りも求めなかった。せめてお礼の言葉だけでも伝えようとしたが、「何のことだか、分かりませんわ」と言って、頑として受け取ってもらえないのである。
 しかし、彼女のすました横顔がほんのり色付いているのを、アンジェリークは見逃さなかった。
 分かり難い上に、照れ屋なのだ。
 そう思ったら、アンジェリークは可笑しくて堪らなくなったのだ。いきなり笑い転げるライバルを気味悪げに見て、ロザリアは「変な子ね」と一言残して去っていくのだった。
 蒼い髪が揺れながら遠ざかっていくのを、アンジェリークは笑いながら見つめていた。ロザリアの姿がすっかり消えてしまったところで、ようやく笑いから解放される。
 アンジェリークの認識を本人に伝えたら、きっと顔を真っ赤にして怒るだろう。その様子を想像して、また笑いが零れる。
 大概にして器用なくせに、肝心なところで不器用な少女のことが、アンジェリークはますます好きになったのだった。
 そんなロザリアのことだから、守護聖たちにも誤った認識を持たれているかもしれないと、アンジェリークは危惧していたのだ。そして、それを早々に目の当たりにすることになった。だからこそアンジェリークの熱弁に力が篭る。
「ロザリアって本当はすっごく優しいんです」
「そうなの?」
 あまり信じていなさそうな声が、マルセルから上がる。確かに、言葉だけでは説得し難い事柄であるのだ。
「ええ! だからそれは誤解です! あー、もう。やっぱり今日引きずってでも連れてくるんだった〜」
 悔しそうにアンジェリークは右手の親指の爪を噛んだ。だからこそ、ロザリアとは執務とは離れたところで交流を持って欲しかった。お茶会の誘いを受けた時には格好の機会だと思ったのだが、いかんせん肝心のロザリアに拒否されてしまったのだ。
 しかし、三名の守護聖たちには、彼女が何でそんなに悔しいのかは分かるよしもない。
 各々がそれぞれ別の思案に暮れかけたちょうどそんな時、遠くに蒼い影が見えた。噂の張本人、ロザリア・デ・カタルヘナである。
 過ぎ去っていく人影を大声で呼び止めてから、アンジェリークは席を立って彼女の元へ駆け出すのだった。
「ロザリアー! ちょっと待って〜」
 有言実行とばかりに、アンジェリークはつい今しがた己の発した言葉通り、ロザリアを引きずってつれてくるのであった。
 嫌々――半ば拉致に近い状態で連れてこられたロザリアは、彼らを見るなり呆れたように柳眉を下げる。
「あなたたちってば、平日の真昼間から一体何をなさっているの?」
 批難めいた物言いに、ランディは苦笑し、ゼフェルは嫌なものでも見るように一瞥し、マルセルは叱られた子供のように小さくなった。どれも皆、歓迎には程遠い態度である。
 しかし、アンジェリークだけは臆することもなく、にこにこと嬉しそうに笑っていた。
「さっき話したお茶会よ。ロザリアもどう?」
「あのねぇ……。わたくしたちは遊びに来ているんじゃないのよ。ただでさえ忙しいっていうのに、主星では衝突が起こるっていうし……」
「衝突? 何だ、それ?」
 これまで話題に無関心だったゼフェルが、身を乗り出して訊ねる。花とか菓子の話題やつまらぬ噂話は興味の欠片も示さないが、こういう類いの世間話は食指が動くのだった。
「先程、ジュリアスさまにお聞きしたのですわ。反女王派を名乗るテロリストの組織が、主星にある放送局を一時占拠したそうです。人質をとって立てこもっていたとか……。随分と膠着状態にあったようですが、結局犯人全員の射殺命令が出て、今しがた鎮圧されたとのことですの」
「それでそれで。人質になった人は、大丈夫だったの?」
「保護されているところよ」
「よかった〜。無事だったのね」
 ほうっと胸を撫で下ろしたアンジェリークを、ロザリアが見つめている。その蒼い瞳が翳りを帯びていることが、マルセルに妙な印象を残した。
「ええ、犯人以外はね」
 はあっ、とロザリアは重い溜息をついた。
「世の中には身勝手な大人が多くて、困ってしまいますわ」
「まったくだぜ」
 軽く舌打ちをして、ゼフェルは忌々しげに呟く。
「人の送ってやった力を、無駄なことに使ってるんじゃねーよな」
 珍しくゼフェルは守護聖の立場でものを考えていたのだ。ゼフェルの司る鋼のサクリアは、人々に器用さをもたらすものである。人間は生活を向上していく為に、考えることを止めようとはしない。工夫に工夫を重ねて、新しい機械を生み出していく。鋼のサクリアは、その手助けをするものなのだ。
 ゼフェルは守護聖としての仕事に、価値も誇りもまったく置いていない。この茶会と同じで、無理矢理に連れて来られたようものなのだ。普通の生活から切り離されて、聖地で常人には及ばない長い年月を過ごすことに、何ら喜びを感じ得ない。その上、やりたくもない執務まで強要されるのだ。
 彼はとことん反発した。その度に叱られ、時には子供みたいな仕置きを課せられることもあった。数年経ってそれが無駄な努力であることを悟った今は、言われたままの仕事だけはこなすようになっていた。そうすれば誰も文句は言わない。その代わり、他のことには口を出させやしない。そうして、ゼフェルは聖地での生活を保っていったのだ。
 守護聖の自覚に欠けるゼフェルでさえも、この事件は憤慨すべきものであった。よりよい暮らしを保つ為なら嫌々でも助力しようが、人殺しの為に力を送ったつもりはないのだ。これでは、ますます仕事をする気が失せてしまう。
 彼の怒りはもっともであろう。だが彼の悲しみまで計り知れることはできない。
 そんな同僚の気持ちを慮って、ランディは別のことを口にするのだった。
「でもさ、何でテレビ局なんて狙ったんだろうな?」
 ロザリアの報告を聞いている最中から、素朴な疑問であったのだ。ランディには、テロリストの考えは読めなかった。女王に不満があるなんて豪語する輩の考えなど分かる筈もないのであるが、それにしても疑問だらけであったのだ。何故、まず女王府に行かなかったのか。ランディからして見れば、それが一番近道に思えたのだ。
 アンジェリークもすぐさま彼の話に乗る。少しだけ緊張の和らいだ声が、ランディの言葉に同意した。
「そうですよね。テレビに映っちゃったら、犯人だってバレちゃうのに」
 机を叩きつける音と共に、ゼフェルが怒鳴るような声を上げた。
「てめーら、阿呆か!? テロが放送局襲うなんてーのは、定石もいいとこだろうが!!」
 そうは言われても、ランディとアンジェリーク――加えてマルセルには、いまいちピンとこなかった。もっと詳しく聞きたかったのであるが、肝心のゼフェルは大袈裟に頭を抱えてテーブルに額をつけている。「頭痛ぇ……」とぼやいているところを見ると、それ以上の説明は望めなさそうであった。
 困惑した視線を彷徨わせている三人を察してか、ゼフェルに代わってロザリアが補足とばかりに言葉を繋ぐ。
「自分たちの主張を広く伝えたいのですわ。彼らは正しい行いをしているつもりなのですもの。顔を隠す必要なんてありませんしね」
 なるほど、と方々から納得の声が漏れる。ロザリアの説明で、ようやく彼らも腑に落ちたのだ。ゼフェルから反論も飛ばないところから、彼の思惑も違わなかったのであろう。
 ゼフェルとロザリア。どうして二人はそんな考えにまで至るのだろうかと、マルセルは心密かに感心していた。同じだけの情報が与えられているのに、どうしてこうも行きつく先が違うのかと。
 否が応にも年齢差を見せつけられたようで、マルセルは己の不甲斐なさに少しだけ悲しくなった。早く彼ら追いつきたい。そんな気持ちが湧いてくるのだった。
 マルセルと似たようなことを、年上のランディや同い年のアンジェリークでさえも感じたのであろう。あれだけ騒いでいたのに、いつのまにか静かになってしまった。色々と思うところのあるような面持ちで、一同は我知らず小さく息を吐いていた。
 黙ってしまった彼らを気にする訳でもなく、ゼフェルは思ったままを口に乗せる。
「それにしてもよー。テロ側もテロ側だけど、政府もサイテーだな。皆殺しで一件落着なんて、悪趣味にも程があるぜ」
 溜息がもう一つ加えられる。
「――――そういうことに、なってしまいますわよね」
 それは、ロザリアの発したものであった。
 ロザリアの浮かない表情の原因が、ようやくマルセルにも解ったような気がした。彼女は犯人側に対しても心を痛めているのだ。安易な殺人に憂いていたのだと、今まで気づかない方がどうかしていた。
 観点が自分たちとはまったく異なっていた。もっと大きな視野で世間を見つめていると、マルセルは思った。そして、きっとゼフェルも同じことを悔やんでいたのだと、今ならそこまで導き出すことができる。
「ったく、人間を虫けら同然に扱ってんじゃねーよ」
 しかし、次に発せられたゼフェルの言葉は、マルセルの心に小さな傷を付けた。はっきりとした痛みが、そこを走っていく。マルセルは大きく首を横に振っていた。
「待って、ゼフェル……」
 しかし、その後の言葉が続かなかった。言いたいことはあるのだが、それが上手く言葉にならないのだ。
 すると、消えかけたマルセルの声に被さるように、ロザリアが柔らかく、しかしはっきりと言葉を紡ぐのであった。
「お言葉ですが、ゼフェルさま。その『虫けら』にだって命はございますわ」
「はっ? 何言ってんだよ?」
 予期せぬ方向からの批難に、ゼフェルは心底理解できないといった表情を浮かべていた。
「人間だから殺してはいけない。虫だから殺しても構わないなんて仰るのも、身勝手で傲慢な意見ですことよ」
 厳しく咎める口調に、発言者以外の人間は目を白黒させていた。
「そ、そうだよゼフェル! 僕はロザリアの言う通りだと思うな」
 先程ゼフェルに説明したかったのは、今のロザリアの発言そのままなのだ。マルセルはこういう風に言いたかったのである。
「人だって虫だって花だって、みんなみんな大切なんだよ。命の重さって平等なんじゃないかな。そうだよね、ロザリア?」
 後はすらすら言葉になった。勢い余って捲くし立ててしまった所為か、少しだけ息が切れた。しかし、妙に心地よい高揚感が、マルセルの中にあった。
「うふふ、そうですわ。マルセルさまの仰る通りだと、わたくしも思いましてよ」
 笑われたのは、馬鹿にされているわけではない。マルセルにも明確にそれが分かるほど、ロザリアの笑顔は眩しかった。
 その目映さに、マルセルは思わず目を伏せる。嬉しいような照れ臭いような気持ちが満ちてくるのだった。
 アンジェリークがそっと耳打ちしてきた。
(ねっ、ロザリアは優しいでしょう?)
 マルセルは小さく頷いて顔を上げると、気づかれないように目配せをしてくるアンジェリークの姿を捉えることが出来たのだった。
「ねえ、ロザリア。やっぱりちょっとだけでもお茶飲んでいかない? アンジェの作ってくれたクッキーもあるんだよ」
「…………マルセルさまがそう仰るのなら……」
 こう見えて、ロザリアは子供に弱い。袖を引かれるように招かれると、そう無下にはあしらえず、一瞬後には同じテーブルに向かって腰を下ろしているのであった。
 戸惑いを隠せないロザリアの前に、あれよあれよと茶器が置かれた。マルセルの手によって、淹れられたものである。中では琥珀色をした液体が、小刻みに波打っていた。
 丁寧に礼を述べてから、ロザリアはそれに口をつける。白い喉元が僅かに動き、音も立てずにゆっくりと嚥下していくのだった。
「美味しいですわ」
 もてなしを受けた綻んだロザリアよりも、格段に嬉しそうな表情でマルセルは口元は綻んでいった。
「よかった! クッキーも食べてね。これは、アンジェが作ってくれたんだよ」
「あんたは……またこんなもの作って……」
 ロザリアの瞳が「そんな時間あって?」と責めている。アンジェリークは上目遣いで、小さく舌を出していた。
「えへへ……。でも、今度は上手く出来たでしょ?」
 小さなクッキーを摘み上げて全体を見まわした後、ロザリアはそれを一口食べた。
「そうね。これなら合格だわ」
 味も見かけも、前回を大幅に上回っていた。及第点以上の出来であろう。
「ロザリアの教え方がよかったのよ」
「当然でしょう」
 得意げにロザリアは頷いた。文句を言っていた割には、満更でもなさそうな態度である。
「へえ、ロザリアもクッキーとか作るんだ」
 ランディが驚きも露わな声を出した。それに釣られるように、ゼフェルとマルセルも意外そうな視線をロザリアに向ける。
 得意げな表情は消え、代わりに『しまった』と大きく書いてあった。それに気づかないアンジェリークは、我が事のように胸を張る。
「クッキーだけじゃないんですよ。ロザリアはケーキだって何だって作っちゃうの!」
「ちょっと、アンジェリーク……っ!?」
 止めようとしても、もう遅かった。アンジェリークの口は、油でも塗ってあるかのようにすらすらと滑っていく。
 逸早く反応を見せたのはマルセルであった。羨ましそうにアンジェリークの語る『幻の菓子』に思いを馳せている。
「それもすっごーーーく、美味しいんですよ〜」
 これが決定打となった。マルセルはロザリアを見上げて、懇願するような声を上げる。
「えー、いいなあ……今度作って欲しいなあ」
「あのね、マルセルさまはチェリーパイがお好きなのよ」
 この二人は最強タッグのような気がする――――と、ロザリアは軽い眩暈を覚えた。
 適確にロザリアの弱点を突いてくるのだ。しかも、無意識にやってのけるのだから性質が悪い。アンジェリークとマルセルにこうも期待に満ちた瞳を向けられては、降参するより他にロザリアに道はなかった。
「…………分かりましたわ。今度お持ち致します」
「やったー!」
 ロザリアとしても、菓子作りは好きなのだ。しかし、ここに来てからは何かと忙しくて、そんなことをしている場合ではなかった。先日たまたまアンジェリークが、寮のオーブンを使ってクッキーを作っていたのがいけないのだろうか。いや、アンジェリークがクッキーを焦がしさえしなければ、ロザリアが手を貸してやる何てことはなかっただろう。いやいや、ばあやが調理器具なんて持参しなければ、こんなことにはならなかっただろうに。
 考えても詮のないことを、ロザリアは延々と心に列ねてしまう。
 それを打開したのは、アンジェリークの陽気な声だった。
「その次は、わたしに苺ショートをお願いね」
「んもう。調子に乗らないの」
 全ての原因である少女の額を、ロザリアは軽く小突いた。しかし、ロザリアの言葉にきつさは感じられない。
 少女二人がじゃれあうのを見て、ランディとマルセルは声を出して笑うのであった。
「ちぇー。ロザリアのけち〜」
「何てこと言うのよ、あんたは」
 聞いているだけで胸焼けしそうな言葉の羅列に、ゼフェルは嫌気が差した。マルセルや女王候補生の二人と正反対に、ゼフェルは甘いものが大嫌いであるのだ。だから彼の目の前には紅茶しか置かれていない。もっとも、紅茶もあまりゼフェルが好むものでもないのであるが。
 楽しそうに談笑している四人に対して、ゼフェルの中にむかむかした気持ちがこみ上げてくる。おそらくこれは、彼らの目の前に置かれているあの甘ったるい菓子の所為であろう。そう判断したゼフェルは、紅茶に口をつけているマルセルに向かって意地悪い言葉を投げかけた。
「随分とお偉いご高説かましてくれたけどよぉ、お前が飲んでいる茶だって、その大事な命なんじゃねーのかよ?」
 案の定、答えに詰まるマルセルに、ゼフェルはほくそえむ。先程はマルセルの発言に大きく頷いていたランディやアンジェリークでさえも、何とも言えない表情でゼフェルとマルセルを見比べていた。
 一応の溜飲はそれで下がる筈だった。そう、ロザリアという助け舟さえ出なければ、ゼフェルは満足する筈だったのだ。
「ええ、そうですわ。大事な命を分けて頂いたのですから、大切に飲みましょうね、ゼフェルさま」
 紅茶が残っているゼフェルのカップを指差して、ロザリアは悠然と微笑んだ。まさか自分に返ってくるとは思わなかったゼフェルは、咄嗟に対応できる言葉を見出せずにうろたえる。
 対するロザリアは、動じることなく微笑んだままなのだ。彼女の声に、指先に、蒼い巻き毛の一本一本までにも、余裕が満ちているようである。
「そういや、ゼフェルはいつも飲み残しているよな」
「そうだよ! ゼフェルってば、いっつも残すんだから〜」
 異口同音に責め立てられ、ゼフェルには勝ち目も逃げ場もなかった。
「ったく……俺は味のついた飲み物っーのは、あんま好きじゃねーっつーの」
 ぶつぶつと文句を言いながらも、冷めたお茶を一気に飲み干す。香りはとうに失われていて、味なんて分からなかった。
「うふふっ。ゼフェルさまの感謝のお気持ちが、しっかり見えましてよ」
 楽しげな声を上げて、ロザリアが微笑んだ。上品に口元を隠してはいるが、くすくすといった笑い声は隠し切れない様子である。
 三人の少年たちは、思わず目を疑った。
 もう一人の女王候補は、こんなに柔らかく笑う女性であったのだろうか。
 三人の少年たちは、思わず目を疑った。
 こんなに柔らかく笑う女性であったのだろうか。
 最初から親しみ易かったアンジェリークと異なり、ロザリアは誰も受け入れない頑なな女王候補生に見えたのだ。
 はっきりとした物言い。凛とした態度。前だけを見据える眼差しに、真っ直ぐに伸びた背筋さえも、冷たい感じを放っていたのだ。全てが正しいことであるからこそ、ロザリアに反論できる筈もなく、それゆえ余計に近寄りがたい人物となっていた。
 しかし、いつもきつい印象しか残さないこの蒼い瞳が、今は別人のもののようである。
 優しく微笑むロザリアに、少年守護聖たちは再び驚かされるのだった。自分たちはこの少女を誤って見ていたのかもしれない。そう思い始めてきた。
 そして、それは彼らにとって嬉しい誤算であったのだった。


to be continued.....

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お子様ズ。


update 28,Arr,2002

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