the Prince of Tennis
**parody**

それはとても晴れた日で 【2】
 

 プラットホームの中に失速した電車が滑り込んでいく。やがて完全に速度を失い、完全に停止したところで降車口が開かれた。
 乗降客でホームは一気に溢れた。人の流れが錯綜する。順番を待ってから、手塚も下車した。
 本格的なラッシュに突入する前なのだが、ターミナル駅は相変わらずの混雑ぶりだった。周囲の人たちと同じ速度で、手塚も連絡通路を歩いていく。改札を抜け、違う路線のホームへと向かう。
 再び改札をくぐり、階段の手前まで来たところで、けたたましいチャイムが鳴り響いた。見上げると、青春台へ向かう電車がホームに待機している。
 反射的に手塚は走り出していた。階段を駆け上り、その勢いで電車に身を滑り込ませる。
 次の瞬間には、扉が閉まっていた。間一髪で飛び込んだ手塚を乗せて、列車は徐々にプラットホームから離れていく。
 駅はあっという間に見えなくなった。次第に速度を増して電車が進んでいく。その振動で、あまり新しくない車体が音を立てた。
 一息をついた後で、手塚は車内に目を向けた。車内は比較的空いていた。通学や通勤の時間としても、まだ早い時間帯なのだ。
 足元に大きなバッグを下ろして、手近に場所を確保する。両手を軽く組み合わせた姿勢でドアの脇に立つと、駆け抜けていく景色が手塚の視界に入ってきた。
 青春台駅までは、もう乗り換える必要もない。予定の電車に乗り込めて、ようやく落ち着いたところだった。これで約束の時間には余裕を持って到着できるだろう。気持ちにゆとりができたところで、手塚は一日のスケジュールを思い描いていた。
 宣誓の言葉はあらかじめファックスを用いて教師陣と打ち合わせをしていたので、今日になってがらりと変わることもありえない。暗記をしろとは言われなかったが、自分で作った文面くらいは頭の中にも入っている。
 式が終わったらテニス部も見学したい。そのつもりで荷物も用意してきたのだ。
 差し当たって問題はないと思った矢先に、窓越しの景色が貼りついたように動かなくなった。
 がくんと車両が揺れる。身体が進行方角へ引っ張られると感じた同時に、車体が止まった。
 強い横揺れだった。なまじ空いていたのがあだとなって、バランスを取られた乗客たちから短い悲鳴が上がる。派手に転倒した者もいた。
 反射神経のよい手塚は、咄嗟に手すりを掴んでいたことで揺れをやり過ごす。僅かにずれた眼鏡をかけ直しながら、周囲を見回した。
 外に見えるのは反対側の線路とフェンス越しの住宅街だ。よくある車窓の風景で、まだ駅ではない。
 こんな半端な場所での停車など、今まで遭遇したことがなかった。手塚は様子を探るように周囲を見回す。予期せぬ事態に対して、乗客がぶつぶつと声を上げ始めていた。
 ざわついた車内に、車掌のものと思われるアナウンスが流れる。
「現在、停止信号がついております。お急ぎのところご迷惑をおかけ致しますが、今しばらくお待ちください」
 放送はそれだけで途絶えた。しかし乗客たちは納得しているようである。何事もなかったような顔つきで、動き出すのを待っているようだ。
 普段あまり電車を使わない手塚には初めての体験だったが、実はこのような事態はたびたび起こっていることだった。ただ少しだけ揺れが激しかっただけのことである。
 車内は日常に戻っていた。携帯式の音楽機器から漏れる独特の音が、手塚の耳に届く。
 当たり前のことのように皆が受け取っているのを見て、手塚も肩の力を抜いた。すぐに運転が再開するのなら問題はない。腕を組み直して、電車の扉に身体をもたせかけた。
 けれども初日早々ついていない。出端を挫かれたようで、手塚の口から思わず溜息が漏れた。
 このような出来事が頻繁に起こるようなら、今後の登校時間も再検討しなくてはいけなくなる。すると、むしろ早いうちにアクシデントに遭遇したことは、幸運だったのかもしれない。
 そんなことを考えている間にも、時間は無情に過ぎていく。ずいぶん長いものだと手塚は思っていた。
 乗客たちも、いつもとは違う空気を感じ始めた。いつまでも動き出そうとしない電車に、苛立ちが募ってゆく。
 その時、再び車掌のアナウンスが入る。しつこく謝罪の文句を繰り返しながら伝えられた情報は、信号機の故障で停車を余儀なくされているという内容だった。
 車内がにわかに騒がしくなった。危なっかしい運転や立ち往生してしまったことへの不平不満が、あちこちで飛び交っている。連絡扉の向こうの車両でも、乗客たちは同じように不安げな表情を浮かべて様子を窺っているのが見える。
 手塚も焦りを感じた。早くに家を出ただけあって、今ならまだ時間に余裕がある。しかし、この状態がいつまで続くのかは分からない。あまり長いこと拘束されるようでは、打ち合わせどころか式の本番にも間に合わない。
 青春台駅から乗るバスの時間も変更せざるを得ないだろう。前もって入手しておいた時刻表を取り出そうとして、手塚の手が止まった。バスでの道のりはあまり長くないので、最悪でも走れば何とかなると思ったのだ。
 いっそ、ここから走ってしまえれば、確実に到着するだろうに。
 不意に手塚の胸にそんな考えが過ぎる。自分ではどうしようもない事態というのは、じれったくて仕方がない。
 手塚はぐるりと車内を見渡した。空いているとはいえ、さすがに座席はおおかた埋まっている。
 会社員らしき人間が多い中、向かい側に座っている同世代くらいであろう少年と目が合った。ばっちりと視線が交差したことに驚いていたが、それも一瞬で、はにかむような表情に置き換えて笑いかけてくる。
 意を決して、手塚はバッグを持ち上げた。その足で少年の元に向かうと、彼は今度こそはっきりと瞠目して手塚の行いを見つめていた。
 少年の前で立ち止まり、手塚は気持ち屈んで願い出る。
「申し訳ないが、少しの間、そこをどいてはもらえないだろうか」
「いいけど……何をするの?」
 言いながらも、彼は席を立つ。荷物を足元からどけながら、訝しげに手塚を見ていた。
 手塚は大きく窓を開けて、そこから半身を乗り出した。
「ちょっと! どうするつもりなのさ!?」
 上擦った声が上がる。少年の手は、手塚の服を掴んでいた。
「外に出るだけだ」
 身体を戻して、手塚は言った。
「外って……ここは線路だよ?」
 一般的な常識を持ち合わせていたら、当然の反応であろう。手塚自身も本来は非常識とは無縁な部類の人物であったのだが、背に腹はかえられない。
「踏切がそこに見えるだろう。大した距離はない。すぐに歩道に戻るさ」
 緩いカーブの先に踏切らしきものが、確かにあった。
 この在来線は東京近郊のベッドタウンに向かって伸びているもので、もちろん複線ではあるが幅はそんなに広くない。これが山手線のようなものであったら、さすがに考えもしなかっただろう。第一、最近の新しい車体には、窓がついていないことも多い。
 たまたま要素が揃ってしまったのだ。ここまできたら実行するしかない。
 やはり行くと手塚が告げると、少年はしばらく逡巡して、その後できっぱりと言い放った。
「でも、やっぱり危ないよ」
「信号が壊れて、当分は電車が動かないのであろう? ならば、問題ないと思うが」
 必要に迫られると、人間器用になるものである。立て板に水とばかりに、すらすらと納得させうる反駁が出てくることに、手塚自身が驚いていた。
 いささか力ずくの論理であったが、そこは勢いと気概だけでカバーする。
 床に置かれている手塚のテニスバッグに視線を落としていた少年が、ややあってゆっくり顔を上げた。
「君も青春学園の生徒でしょ?」
 急転換した話題に、手塚は驚いて相手の顔を見た。
 青春学園の制服はこれといって特徴もなく、巷にありふれた学生服である。ゆえに一見して青学の生徒だと見定めることは容易ではない。学生鞄も学校指定のものはなく、手塚も市販のものを使用している。どこにも判断すべき材料はないはずだ。
 手塚は『MIZUNO』とロゴの入った愛用のバッグを見やり、それからもう一度少年に視線をやった。
「……ああ、そうだが」
 訝しげに答える手塚に、少年は着ていたコートの襟をめくった。そして己のカラーについている校章を指差す。手塚のカラーに着いている校章と寸分変わらぬものが、そこにあるではないか。
「なんだ、同じ学校だったのか」
 ようやく腑に落ちた手塚は、独白めいた呟きを漏らした。素性が分かったことで、警戒心も途端に薄れていく。
「ここから青学までは、まだかなりあるよ。無理しないで、待っていた方がいいんじゃないかな」
 諭すように少年は告げる。本気で手塚の心配をしているようだ。
 しかし手塚は独立独歩な性格であったのだ。
「たかが数キロだ。足には自信がある」
 きっぱりとそう言い放つ。これは自惚れでなく、事実だった。
 少年が呆気に取られている隙を見計らって、手塚は外に向かって荷物を放り出していた。
「それに遅れる訳にはいかない。悪いが、失礼させてもらう」
 言うなり、窓枠に手をかけた。シートを土足で踏まないように、手の力を巧く利用して外に出る。
 長躯が驚くほど軽やかに、ぎりぎりの隙間を抜けていく。敏捷な身のこなしだった。窓から上半身を乗り出したかと思ったら、次の瞬間には地面に着地していたのだ。その動きからは優美さすら感じられた。
 地面に降り立った手塚は、ひとつだけ溜息のような息を吐いた。大粒の石がごろごろしている上を歩く感触は、馴染みの薄いものである。あまり歩き心地がいいものではないのだと実感していたところに、背後から声をかけられた。
「ねえ」
 先程の少年の声である。何事かと振り向くと、学生鞄を掲げた少年の姿が目に飛び込んできた。
「ちょっと、これ持っててくれる」
 返事を待たずして、少年は手塚に向かって己の鞄を投げつけた。
 鞄は難なく受け止められたが、いきなりの行動には驚きを隠せない。
「おい、いったい何を……」
 手塚が言い終わる前に、彼も同じように電車から飛び出したのだ。
 止める間もなかった。
 小柄な少年からしてみればそれなりの高さがあるはずなのに、躊躇いなど欠片も見せなかった。ふわりといった副詞がとても似合うほど、体重を感じさせない動作だった。
 我に返った時にはもう遅く、少年も手塚と同じ砂利の上に立っているのだった。
「僕だって遅れる訳にはいかないんだよ」
 唖然としている手塚に、にっこりと笑って付け加えた。
「それに、少しは足に自信があるしね」
 ありがとうと言うなり、手塚に投げつけた鞄を奪う。その上彼は、呆気に取られている手塚に、「さあ、行こうか」などと言い出す始末である。
 天を仰ぐと、全開になった車窓が見えた。相変わらず、列車は動き出す気配すらない。溜息交じりに視線を落とすと、足元には鈍い光を発する二本のレールがまっすぐに伸びていた。
 『旅は道連れ、世は情け』とは、よく言ったものである。諦めたように頷いて、手塚はその少年と共に青春学園へ向かって走り出すのだった。


to be continued.....

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update 9,Nov,2003

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