the Prince of Tennis
**parody**

それはとても晴れた日で 【4】
 

 入学をしてから一ヶ月が経った。新入生たちが授業にもクラスにも、そして通学にも慣れてくる頃合である。
 慌ただしい全力疾走で幕を開けた手塚国光の中学校生活は、その怒涛な入学式とは打って変わり、極めて平凡なものだった。
 今までと変わらぬ時間に起床をして、少しだけ遠くなった通学路を通う。授業のレベルもスピードも上がったが、日頃から予習復習を欠かさない習慣が身に付いている為、充分に理解していける。仮入部を経て、正式にテニス部に入部もした。青学テニス部の練習は厳しいと聞いていたが、こちらも日々の体力トレーニングが功を奏してか、ついていける範囲である。
 ある意味において単調な毎日は、手塚にとってなんら苦難ではなかった。
 ゴールデンウィークも明けて、手塚に限らず他の生徒の間でも、この辺りから学園生活においての余裕が生まれ始めてくる。またすっかり沈着した春の気配も乗じて、精神的にも肉体的にも穏やかな時季であった。
 五月病なる病が蔓延するのもこの辺からだが、テニス部の面々はのんびりと病にかかっている暇もなく、日々テニスに没頭しているのだった。



◆◇◆




 体育の授業は、二クラスが合同で行われる。中学生から徐々に男女間に運動能力の差が現れ始めるようになる。そのため男女別で体育の授業を行うようになるからだ。それなりに人数が揃わないと出来ない種目もあるので、実質で一クラス分に相当させる為だった。
 毎年、五月の頭にはスポーツテストが実施される。それもあって先月はほとんどが基礎体力作りで終わってしまった。
 飛んだり走ったりするばかりで、生徒にとってはあまり面白くない授業である。しかしそれも先週で終わりを告げ、ようやく待ち侘びていた球技に取って代わるのだった。
 体育委員が倉庫から使い古されたラケットを引っ張り出してくる。事前に連絡されていたように、今月からはテニスに入る。
 授業での最初の球技である。ラケットという道具が出てきたことで、生徒たちの関心は、ほぼそちらに集中する。準備体操代わりの柔軟を行っている間も、ちらちらと視界の端に捕らえながら、手にする瞬間を待っているのだった。
「各自ラケットを持て」
 個人で所有するテニスラケットを振りながら、体育教師がそう告げた。指示を受けた生徒たちは、一斉にラケットに群がる。
 しかし、中には取りに行かずに佇んでいる生徒もいた。手塚もその一人である。己のラケットを持参しているので、必要がないのだ。
 学校の備品は個人でラケットを所持していない者の為にあるだけで、必ずしもそれを使わなくてはいけないという規則はない。私立といえども湯水のように資金が使えるはずもなく、ましてや数多くの器具を頻繁に交換することなど不可能である。
 それゆえ先週の終わりに次からはテニスに入ると連絡しておいて、自分のラケットを使いたい生徒に関しては、あらかじめ用意させておいたのだ。
「まずは素振りの練習からだ。テニス部員は来てくれないか」
 渋々ながら、テニス部員たちは前へ出た。すると、皆とは向かい合って立つように言われる。
「彼らをよく見ながらやるんだ。では、始め!」
 教師の合図と共に、全員でラケットを振る。そして、その動作を繰り返している。
 テニス部員たちは手本となるべく、前に呼ばれたのだった。
 青春学園はテニスが強いことでも知られている。関東大会で上位に入ることはざらで、その先の全国でも優秀な成績を収めていたのだ。
 部の発展は、学園としても喜ばしいことである。青春学園は私営である以上、受験希望者が集まらなければ経営は成り立たない。その為にも進学率を上げることや、部活動での上位入賞というものが、もっとも関心を惹きやすい宣伝として必要不可欠なのだ。
 必然と学園側も協力的になり、今回のように活躍しているクラブの種目は授業で取り上げられることも多い。こうして青学は、学園全体としてもテニスが盛んになっていったのだ。
 そうはいっても、新入生の中にはラケットすら握ったことのない生徒だって当然存在する。ゆえに最初は定番の素振りから、練習させるのだった。
 ともあれ、テニス経験者が多いのも、また事実である。青学にはテニス目的で入学してくる生徒も少なくないからだ。
 経験者が多ければ多いほど、おのずと教師の負担も減る。そういった余得も少なからず計算の内に入っているのだろう。
 このようにいささか狡い事情などもあるが、慣れた手つきでラケットを振っている手塚には思いつきもしなかった。
 むしろ手塚は、まったく別のことを考えていた。
 こうして素振りを見ているだけで、技術が一目瞭然だったりする。普段あまり部員以外の素振りを見る機会なんてないだけに、それは手塚にとって新鮮で面白かった。
 ふと、重そうなラケットを軽々と振っている少年が目に入った。
 柔和な顔立ちと表情。そして日に透ける茶色い髪。あの生徒には見覚えがある。入学式早々猛ダッシュを繰り広げた、まさにあの相手なのだ。
 あれ以来、彼とは特に話をしていない。クラスも異なれば、部活も異なっているのだ。隣のクラスだったことすら、手塚は知りもしなかったのである。
「君たちは、もういいよ」
 教師の声で、手塚は我に返った。無意識に振っていた腕も下ろす。
「みんなのフォームを見てあげてくれないか。歩き回っても構わないから、変だったりしたら直してあげてくれ」
「はい」
 模範的な返事をして、テニス部員たちは方々へ散っていった。手塚も言われた通りに見て回る。
 しかし、やはり彼のところで視線が止まる。
 どこからどう見ても、ずば抜けて巧いのだ。スイングだけでそう判断できるくらい、彼の動きは完成されていた。
「まるで教科書から抜け出してきたようなフォームだね」
 投げかけられた声に、手塚は振り返る。そこに立っていたのは、見知った部活仲間だった。
「乾か」
 クラスメイトでもある乾貞治だが、話す機会はそれほど多くない。今回のように、話しかけてくるのはいつも乾の方からだった。
「なあ、手塚もそう思わないかい?」
「ああ」
 ただ巧いだけではない。妙な違和感があって、不思議と目が離せない。しかし、どんなに凝視しても、その原因が何であるのかを見極められなかった。
 視線を外して、周囲に目を向ける。不意に今まで引っかかっていた違和感が、すっと消えていった。
 やはり、何かが違う。
 今度は彼とその他の生徒を比べてみる。他の生徒にはなくて、あの少年にあるもの。彼にだけ備わっているものの正体を見極めようと、手塚は躍起になっていた。
 目線だけを何度も動かし、ようやく思い当たった原因に愕然とする。あの少年には、まったくと言っていいほど癖がなかったのだ。
 上手いなり下手なり、誰しも癖というものが残ってしまうものである。上手く活かせば長所になるし、また取り込めなければ弱点にもなる。
 しかし、彼にはそれがない。最初に乾が指摘していたように、まさに『教科書通りのフォーム』なのである。
 もしかすると前でラケットを振っていたどのテニス部員よりも、手本に適している人物かもしれない。
 俄然として興味が湧いてきた。
「乾の知り合いか?」
「いや、違うよ」
 意味ありげに、乾が眼鏡の縁を持ち上げる。フレームの部分が、きらりと光を反射した。
「彼が気になる、手塚?」
「そうだな」
 極めてはっきりとした物言いに、乾はひっそりと嘆息した。
「不二周助。二組の生徒だよ」
 お互い名乗ってすらいなかったことを、手塚は今更ながらに思い出す。否、あの時は慌しくて、そんなことは忘れていたのだ。
「いいねえ。是非とも、我が部に勧誘したいくらいだ」
 ふざけた口調で乾が呟くが、同意したい気持ちは充分にあった。あの時の脚力だけとってみても、彼には充分に素質がある。
 生徒の間を回って個別に指導をしていた教師が、再び前へ戻ってくる。
「よし。では経験者は一人一個ボールを持って右のコートに。未経験者はこちらに集まるように」
 すぐさま生徒たちが動き出した。充分な数があるにもかかわらず、奪い合うようにボールを掴んでいる。ほとぼりの冷めた頃合を見計らってボールを取りに行こうとした手塚だが、そこを教師に止められる。
「ああ、君たちもここで待機していてくれ」
 それだけ言うなり、経験者の集まるコートに駆けて行ってしまった。なにやら指示を出して、向こうの生徒が動き出す。どうやら二人一組になってネットを挟まないで立ち、ボールを落とさずに打ち合っている。いわゆるボレーボレーの練習をしているようだった。
 こちらの戻ってくる教師の手には、大量のテニスボールが入った籠がある。
「テニス部以外の生徒は、ここに一列に並べ」
 普段はBコートと呼んでいるところのベースライン上に立って、教師が手招きをしていた。何もすることのないテニス部員たちは、顔を見合わせたり、肩を竦めたりしている。
「向こうからボールを出すから、一人二球ずつ打ち返すんだ。最初は向こうのコートに返そうなんて思わなくていい。とにかく当てるんだ」
 皆が頷いていた。
 次に教師はテニス部員たちを反対のコートに連れていった。一、二組はもっともテニス部員が多く、その数はおよそクラスの三割を占める。
「申し訳ないが、テニス部は球を出す係になってくれ。順番で一人が球出し、残りの者はボール拾い兼コーチをしてやってくれるか」
 ここで何故テニス部が残されていたのか合点がいった。未経験者に対しては、それなりにコントロールのいい者に球出しをさせたいのであろう。
 しかし当のテニス部員たちは不満顔だった。日頃部活で辛酸を舐めていることもあって、授業でのテニスは自分たちの活躍の場であると大いに期待していたのだ。けれども蓋を開けてみれば玉拾いである。これでは部活中となんら変わりはしない。
 一同はがっくりと肩を落とした。
 コーチなどといえば聞こえはいいが、つまるところ雑用係に他ならない。一部から不満のような悲鳴が上がるが、体育教師は笑ってそれを聞き流した。
「みんなが早く上達すれば、それだけ早く試合形式に入れるだろう? 来月からは水泳も入るし、できれば今学期中にある程度形にしたいよな」
 確かに今のレベルでは、試合どころかラリーにすらならないであろう。テニス部員たちも一応の納得をして、声を上げるのをやめた。
「すべてフォアハンドで返せるように頼むな。変な打球が返ってきても、無理に打ち返さなくていいから」
 要は、打ち返しやすい球を出すことだけに集中しろということである。
 教師は説明を終えると、また向こうのコートに行ってしまった。短い時間であれこれ指導しなければならないのだ。教師も大変だなと、忙しなく動いている様子を見て手塚は思う。
「最初は誰がやる?」
 乾がその場を仕切り始めた。常に無駄なく物事を進める性格の乾は、こういう役には非常に適している。
「はーい! 俺、俺! 俺がやりたい」
 真っ先に手を上げたのは菊丸英二だった。今まであまり動けなかった分、身体を動かしたくてうずうずとしているようである。
 菊丸は二組の生徒だ。クラス内でも部活内でも、持ち前の明るい性格でムードメーカー的存在になっている。技術的には他の一年生と大差ないが、誰よりも激しく動き回り、どんなボールでも追いかけていくのが特徴的だ。時折みせる集中力は半端でなく、尋常じゃない反応をする。
 あとは気分にムラなところさえなければねえ――とは、部活顧問である竜崎スミレの言である。
「なるほど。お前にはうってつけかもしれないな」
 乾は他人をよく見ている。観察している、といった方が相応しいかもしれない。
 気づけば何かを書きとめているといった様子は、部活中にもたびたび目撃されていた。彼からの指摘を受けた者も少なくないだろう。それはリカバーがいつもより三秒半遅れたというテニスに関することから、無くしたと思ったシャープペンシルの行方を的確に示すという日常に関することまで、限りなく幅広い分野に及んでいるのだった。
 そんな乾が言うのだからと、誰からも異存の声は上がらなかった。
 球出しを菊丸に任せて、他の面々は玉拾いに励んだ。何しろ相手は素人である。どこにボールが飛んでいくかなど、あの乾にだって精確には予測不可能なのだ。
 これでもかと間隔を取って、それぞれが持ち場につく。広範囲でもカバーできるようにという、乾の提案であった。
 中にはとんでもないところにまで配置された者もいるが、いざ始まってみるとそんな場所にもボールが飛んでくるのだから不思議である。無軌道な打球の行方を追っていくのは、思っていたよりも楽しかった。それは球を出している菊丸や、初めてラケットでテニスボールを打つという生徒たちが楽しげにプレイしているからであろう。部活にはない和やかさを感じながら、効率よくボールを集めていくのだった。
 一方、部活以上に困難を極めたのがコーチ業である。テニスの未経験者に対して『ストロークの時はもっとステップインするんだ』などと言っても、すんなりとは通じないからだ。なまじ専門用語を使い慣れている為に、代用すべき言葉が咄嗟には出てこない。中には『こうして、こう』などと、身振りや感覚だけの下手な説明になってしまう者もいた。
「手塚〜、そっち行ったぞー!」
 名前を叫ばれて緩慢に顔を上げると、すぐ目の前まで黄色い打球が迫っていた。咄嗟に出した左手が、顔面に衝突する直前にそれを掴む。
 いささかメルトンが毛羽立っているが、ボールの感触は普段使用しているものと大差ない――が、どうして前に打った打球が、真後ろに飛んでくるのだろうか。技術的にも物理的にも考えがたい現象である。
 不可解だと思って顔を上げると、その球を打った張本人がこちらに向かって頭を下げていた。問題ないことを示すように手塚が軽く手を上げると、ほっとしたような顔で再び列の後ろにつく。
 理解不能だが面白い。手塚は率直にそう思った。
 何気なく列に視線を流していると、今の魔球以上に不可解なものが目に飛び込んできたのだった。
 未経験者の列の中に、あの色素の薄い髪の主が並んでいるではないか。手塚は立ち尽くしてしまった。
 何故、あの不二が、こちら側にいるのだ。
 どう見ても未経験者でないだろうと思っていた人物がちゃっかりそこに並んでいるのだから、さしもの手塚であっても驚いてしかるべきである。
 むしろ今し方の超変則打球を不二が打ったというのなら、まだ一応の納得はできたかもしれない。
 当然それは不二でなく、彼は後ろに並んでいる生徒と楽しげに話しながら自分の順番を待っていた。
 実は本当に素人で、たまたま素振りだけが様になっていたのかもしれない。
 ちょうどその頃、不二の番が回ってきた。センターマークのきっちり上に立って、腰を落としてラケットを構えている。
 その姿も、かなり慣れたものだった。
 スライスをストレートに打っている。菊丸は持っていたボールはそのままに、不二の元から戻ってきた打球を打ち返した。
 またしても、目が釘付けになる。単調な動きで、それもごく基礎的なことをしているだけなのに、高度な技術を見せられているかのようだった。
 魅せられている――と、言った方が正しいのかもしれない。
 不二から放たれた打球は綺麗な弧を描き、菊丸の脇においてあった籠にちょこんと納まるのだった。
 一部の人間を除くほとんどの者が、今のは偶然がなした作用だと片付けた。
「不二ってば、巧いじゃん〜」
 同じクラスだけあって、菊丸とは顔見知りのようだ。すごいすごいとラケットを振っている菊丸に、不二の方も持っていたそれを軽く掲げる。
 何年前のモデルか分からない年代物ともいえるラケットは、ガットも緩んでいればフレームにもがたつきがきている。本来なら、これだけでも充分にハンデとなりうるだろう。
 しかし不二は、涼しい顔でラケットを振るっていた。
「ありがとう」
 賞賛を浴びせた菊丸にそれだけ言って、皆と同じように列の最後尾に並び直している。
 一連の流れを見て、手塚は疑念を抱いた。もしかしたら不二は、教師の指示を聞き違えて反対側に来てしまったのではないか。そう思った手塚は、彼に向かって歩き出していた。


to be continued.....

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update 15,Nov,2003

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