the Prince of Tennis
**parody**

手塚ごっこ
 

 ほんの数ヶ月前を思い出したかのように、強い日差しがグラウンドを照りつける。コンクリートで反射した光は、下からも熱を伝えてくるのだった。
 ましてや激しく動き回っていれば、暑さもひとしおである。野外で活動する者にとってはいささか過酷な状況下において、本日も青春学園中等部のグラウンドでは様々な部活動が練習に励んでいたのだった。
 三年生が引退した今は、どこの部活も一、二年生だけで構成されていた。
 そしてその二年生も、今日はいない。修学旅行の事前研究発表会とやらに出席しているのである。
 テニス部も例外ではなく、およそ半年前に入学および入部したばかりの部員たちが、自分たちで練習を仕切っていた。いつもと勝手が違うために戸惑う反面、上級生がいない部活動というのは実にのびのびと羽を伸ばせるものであったのだ。
 ほどなくしたところで、顧問である竜崎スミレがやってきた。一年生だけしかいないし、普段より少し早く切り上げてよいと告げて、彼女はまた慌しく去っていったのだ。三年生が修学旅行という中学校生活最大のイベントを控えている現在、教師陣も何かと急がしそうである。
 逆に、何も行事が控えていない一年生たちは、のんびりとした生活を送っていた。
 予定していた練習まで終えたところで、本日の部活が終了を告げる。いつもより人数が少ないだけあって回転もよく、意図しなくても早く終わってしまったのだ。
 コートを綺麗に片付けて、各々が部室へと戻ってゆく。
「ふー。あちぃ……」
 ぱたぱたと手をうちわのようにして扇ぎながら、菊丸英二がうんざりと言った声を出した。
 空は随分高くなってきているのに、そこに鎮座する太陽は相変わらずで、容赦のない光と熱を惜しみなく注いでいる。
「いいよなぁ、手塚は……。きっとクーラーの中で、快適に話し合いとかしているんだぜ〜」
 優雅に談笑をしている様子なぞを思い描いてしまった菊丸が、心底から羨ましそうに呻いた。
「手塚は委員会だって?」
 すれ違いでやってきた大石秀一郎は、詳細までは聞いていない。
「緊急会議とかで、いきなり呼び出されていたからな」
 着替えも済ませていざ部活動だというところで、急に手塚を呼びに来た生徒がいたとのことなのだ。
「まったく……委員長も楽じゃないな」
 まだ一年生時であるがゆえ、互いの性格や能力などあまり知られていない。ましてや青春学園は私立の学校であるので、小学校からの顔馴染み同士というのも極めて少ない。
 そんな中、同クラスに学年主席がいたとあれば、必然的に委員長へと推されるのは自明の理である。
 そういった経緯で手塚国光という男は、現在一年一組の委員長と男子テニス部副部長という二束のわらじをはくといった学校生活を余儀なくされているのだ。
「終わり次第、部活に戻るって言ってたよ」
 河村隆も、その場に居合わせた一人だった。慌しく出て行った手塚の様子を、間近で捉えていたのだ。
「そうか……間に合わなかったな」
 残念そうに大石が呟く。
「せめて下校時刻には、間に合うといいんだけどね」
 それすらも無理だという見解を滲ませて、不二が嘆息する。手塚が出て行ったのは、かれこれ一時間半も前のことになる。しかし一向に戻ってくる気配はなかったのだ。
「相変わらず多忙な奴だ」
 そう言ったのは乾貞治である。
「昨日も委員会、一昨日は部活動報告会議だったな」
 乾はここ一週間における手塚の行動記録を、逐一把握していた。更に今後のスケジュールまで挙げ連ねているではないか。まるで手塚の敏腕マネージャー、もしくは有能秘書のような働きっぷりである。
「手塚ってさ、面白いくらい何でも引き受けるよな」
 到底考えられないといった様子で、菊丸は首を振る。
「俺だったら絶対に断るぜ。部活があるんで無理です――って言ってさ」
 そう言って大石に同意を求めると、彼は曖昧に笑って頷いていた。実際のところは大石も、かなり手塚に近い人種なのである。
 一方で張り切って辞退の台詞を考えている菊丸の元には、そういった依頼が舞い込んでこない。適材適所とはよく言ったもので、頼む側の人間も相手を充分に理解しているのである。
「趣味なんじゃないか? いや、特技かもしれないな」
 ぱらぱらとノートを捲って、何かを書き込む振りをする。
 本気で書き込みかねない乾に対して、不二はすげなく告げる。
「あれは要領が悪いだけだよ」
 一刀両断に畳み込まれて、さしもの乾も苦笑しざるを得なかった。
 稀代なる能力と資質を与えられ、齢十二ながらすでに多くの人間から将来を有望視されている手塚国光であっても、天才不二周助の前にはまったく通用しないのだった。
 乾は己の所有するマル秘ノートにおける手塚と不二の項目に、『東西両横綱』と付け加えていた。どちらが東の横綱になるのかは、乾にもまだ判断できていない。今後の展開次第といったところだろう。
「うわっ! 蒸し暑っ!」
 部室に一歩足を踏み入れるなり不快そうな声を上げるのは、やはり菊丸である。内外の温度差に怯み、入室するのを躊躇っていた。
 菊丸の脇を通り抜けて、大石が部室へ足を踏み入れる。
「まるでサウナだな」
 言いながらも、大石は唯一の窓を大きく開ける。換気をすることで、蒸しあがった部室の温度を下げようと試みたのだ。
 暦の上では秋になったとはいえ、まだ暑さの残る昨今である。
 男子テニス部がどんなに優遇されているといえども、部室にクーラーなどという贅沢な文明の利器は存在しない。このあたりは一介の生徒と同様に、窓を全開にしてやり過ごすという原始的な手法を用いるより他なかった。
 しかし、蒸し暑さはなかなか逃げていかない。むしろ生暖かい微風が入り込んできて、半端に気持ちの悪い思いをしていた。
 その上、風に乗って招かれざる客までやってくる。その小さな来訪者は、テニス部の部室に入るなり、忙しなく飛び回るのだった。
「あー、もう! ぷんぷんうるさいなー」
 鬱陶しいと言わんばかりに菊丸がぼやいた。耳障りな音に嫌気が差しているのか、しきりに頭を軽く振っている。
 小さな客とは、ハエであった。その身体は豆粒大であっても、発する羽音は凄まじい。
 ハエは己を邪険にする菊丸を嘲笑うかのように、彼の間近を嫌がらせと思うほど繰り返し旋回する。
「ここにハエ叩きがあったらなぁ……」
 菊丸の不快感も、とうとう臨界点を超えた。きょろきょろと辺りを見回して、ハエと戦うべき武器を探す。
 その時、手頃な物体を見つけて、菊丸はにんまりと微笑む。
「この部屋に入ってきたのが運のつき……」
 小さな声で呟きながら、獲物へとにじり寄っていった。狙いを定め、右手で握った武器であるラケットを振りかぶる。
 思わず、一同は息を呑んだ。
「残念無念、まった来週〜!」
 振り下ろされた菊丸のラケットが、見事にハエに命中する。機嫌よく空中遊泳していたハエは、無情にも叩き落されてしまった。
「ハエ叩きで、俺の右に出る者はいないのだー!」
 左手で拳を作ると、それを高い位置に掲げて菊丸は勝利宣言をしたのだった。皆も思わず手を打ちかけた。
 しかしどう考えても穴だらけのラケットが、ハエ叩きになるはずもない。一瞬は大人しくなったハエだが、小さな身体を揺すってガットの隙間から這い出すと、またぶーんと音を立てて飛んでいった。
 再び不快な音が、我が物顔で部屋を占拠する。
 ラケットがハエ叩きの代わりにならないなど、よくよく考えなくても当たり前のことであった。徒労に終わるとしか思えない行為に少しでも期待を持ってしまった自分たちに呆れつつ、一同はえもいわれぬ虚しさに襲われた。
「やっぱり、これじゃあ代わりにはならないもんなぁ〜」
 ぶらりとラケットを下ろした菊丸が、肩を落として項垂れる。床に視線を落としつつ、重い溜息を一つ吐いた。
「やめろ、菊丸」
「んにゃ?」
 菊丸が振り向くと、そこには乾が険しい顔で立っていた。彼は菊丸からラケットを取り上げて、なおも鋭い目つきで睨めつけていたのだ。
「お前は何年テニスをやっているんだ?」
「なっ、何だよ、急に……」
 いつになく真摯な乾の眼差しに、菊丸は狼狽える。訳が分からないといった様子で、仲間に助けを求めていた。
 落ち着いた口調ではあるが、どこか突き放しているようにも聞こえてならない。
「なあ、乾。いったいどうしたんだって?」
 問いかけると、乾は厳しい顔で菊丸を見据える。無意識に菊丸はテーブルの上に置いてあったボールを握り締めた。思わず何かに縋りたい衝動に駆られるほど、自分を見遣る乾の視線が痛かったのだ。
 左右に首を振りながら、乾は大袈裟に嘆息してみせる。僅かに動いたことで、乾の眼鏡が光を反射する。
「ラケットはハエを叩く為にあるんじゃない」
 深刻な面持ちとは激しく無縁の発言内容である。
 しかし、どこかで聞いたことがあるような言い回しに、菊丸が噴出した。表情も一転して明るくなる。きつく握り締めていたボールは取り落として、その手で自らの腹を抱えた。
 菊丸と真逆な反応を示したのが大石である。不二の傍らにいた大石は、青い顔をして立ち尽くしていた。今にも逃げ出したそうな表情をしているのは、不二の気の所為ではなさそうである。
 次の瞬間、乾は立ち上がって眼鏡をかけ直した。
「そんなことも分からないような部活なら、俺は辞めるぞ」
「乾ってばさいこー!! ひぃ〜〜〜、腹痛ぇ!」
 剣呑な空気はどこへやら、部内は瞬く間にいつもの雰囲気を取り戻していった。
 しかし、それに乗り切れない者も存在する。不二はまさにその代表例で、珍しく唖然とした表情で一連の流れを眺めていた。
「……いったい何の真似?」
「手塚の真似だよ」
 ようやく言葉を取り戻して不二の問いかけに対して、さらりと乾は告げる。
「ここで大石が入るんだよな〜」
「な、何を言い出すんだ、英二!?」
 すかさず不二に睨まれて、大石は激しく狼狽した。
「あれやってよ。ほら、大石の仁王立ち」
「そんなことをした覚えは……」
 菊丸にせがまれるが、大石は視線を彷徨わせた。血の気が引いた表情のまま、逃げ腰になっている。
「あれー。大石ってば、しらばっくれる気なんだ?」
 揶揄するような口調で、菊丸が大石に詰め寄る。そんなつもりはないとでも示すように、大石は首を横に振った。
「んじゃ……ほい、タカさん」
 言うなり、菊丸は自分のラケットを取って、河村に向かって放り投げた。
「ん?」
 ラケットを受け取るや否や、河村の顔つきに変化が見られた。
「うおりゃー! 燃えるぜ、バーニング!」
 普段は温厚な河村だが、ラケットを手にすると、そういった印象は一切消失する。まるで人格が入れ替わったかのように、ひとたび過激な性格に変貌してしまうということは、周知の事実であった。
 弁慶の仁王立ちよろしく、河村は乾の目の前で両手を広げる。
「ウェイト・ア・ミニット! こんな程度のことで諦めてどうするつもりだ!?」
 振り上げたラケットを、今度は乾と菊丸の方へ突きつけて、厳しく一喝した。
「お前らが辞めるんだったら、俺も辞めてやるぞ」
 河村の発した言葉を捉えた不二が、即座に目を瞠る。見開かれた双眸には、険悪な光が生じていた。
「俺は本気だぜぇ!」
「ぷはーっ! タカさんまで最高!」
 見事に大石の代理を務め上げた河村の演技を見て、菊丸は本格的に笑い転げてしまった。汚い部室の床に背中をつけ、手足をばたばたさせている。
 発起人であった乾も、満足げに口元を歪めた。
 誇張や脚色は多大にある。しかし、その内容に偽りはまったくない。半年前に起こった出来事を、三人は事細かに再現したのだった。
「…………」
 経緯をまったくと言ってよいほど知らなかった不二は、見事なまでに絶句をしている。知られざる事実に、驚きと衝撃を受けているのは明らかだった。
 しばらくして我に返った不二は、無言で大石を見た。
 不二の視線に気づいた大石は、慌ててその目を逸らした。見られていると言うより、
ほとんど睨みつけられていたからだ。
「ねえ」
「な、何だい、不二? そんな物騒な声を出して……」
 背をいっぱいに反らせながら、大石は両手を広げて宥めるような仕草をした。
「君もあんな馬鹿なこと言ったの?」
「いやぁ……?」
 意図したつもりはないにしろ、大石は日本人特有の『笑って誤魔化そう作戦』を決行していたのだ。無心さが引き起こした、一種の防衛本能であろう。
 しかし、とぼけるような笑みを浮かべる大石に、不二はものすごい形相で詰め寄った。
「言ったかどうかって訊いているんだよ」
「ハイ……その通りです」
 言葉の隙すら見逃さないといった不二の視線に負けた大石は、呆気なく事実を吐露することになる。
「で、でもあんな風に言ったのではなくて……」
「内容なんてどうでもいいんだよ」
 言い訳がましくなおも言葉を紡ぐが、不二によってぴしゃりと切り捨てられる。大石は首を竦めて沈黙した。凄味を増した不二に逆らおうとするのが、そもそもの間違いであるのだ。
「本来断固として阻止するべき立場にあった大石まで、手塚の馬鹿げた言動に付き合ったかどうかが問題なの」
 それに関して言えば、否はない。大石は再び小さな声で、すみませんと謝った。心当たりがありすぎる身の上ゆえ、弁解の余地はもう残されていなかったのだ。
「信じられない……まったく……」
 言質を取られてしまった大石は、可哀想なほど竦みあがっていた。不二の逆鱗というものは、もしかしたら手塚のそれ以上に恐ろしいものかもしれないと身をもって感じたのだ。
「何の騒ぎだ?」
 突如として発せられた低い声に、一同は驚いて視線を向けた。
 いつのまにやら戸口には、この一件の張本人でもある男が立っているのである。あの騒動を起こしたルーキーも、今は青学テニス部副部長の肩書きを持つ身分を享受されたのだ。周囲の期待を裏切らず、手塚は前以上に厳格な体制を貫きつつ、部内を治める人物になっていた。
 手塚は眉間やら額やらに幾つもの皺を刻みながら、部室内を見渡していた。背中でドアを押さえながら、腕を組んで同級生でもある部員たちの意見を待っている。
 日頃から手塚には「小学生ではないのだから、不必要に騒ぐな」と注意され続けていた面々である。手塚の表情から、彼がこの喧しい状況をよく思っていないことが容易に窺えた。
 しかし、まさか自分の話をされていたとは露ほどにも思っていないだろう。
「手塚!」
 鋭く叫ぶと同時に、不二は手塚のすぐ近くまで歩み寄った。
「――何だ?」
 腕を組み、まっすぐに相手を見据える眼差しなどには、普段と何ら変わった様子はない。しかし、正直なところ手塚は不二の剣幕に少なからず慄いていた。
「規律を乱す者は許さないよ。罰としてグラウンド二十周!」
「は?」
 不二の口から飛び出した台詞に、手塚は呆気に取られる。それはむしろ手塚自身の専売特許であったはずではないだろうか。
「ほら、とっとと走ってくる」
 仁王立ちをして腰に手を当てる。険しい表情を、不二は決して緩めようとしない。
「何故、俺が……」
 いわれのない罰則に、手塚は怪訝な顔をする。第一、部室に入るなりこの仕打ちは何であろうか。
 日頃から自分の処遇については、訴えたいことばかりある手塚である。今日こそはと思って対峙するのだが、その手塚の背後からそっと耳打ちをする者がいた。
「今の不二には、逆らわない方がいいと思うよ」
 後ろを向かずとも、声の主は分かっている。このように飄々とした言い回しをするのは、乾しかいないのだ。
「ごめん、不二にバラしちゃったよ〜。手塚の退部未遂事件」
 不二の背後から――すなわち手塚の正面から、菊丸も口を挟んでくる。両手を合わせて謝罪のポーズを見せてはいるが、明らかに楽しんでいる表情であった。
「身に覚えがあるでしょう?」
「……ああ、多分にな」
 主導権は完全に不二の手によって握られている。
 不穏なものを感じた手塚は、諦めたように嘆息すると、踵を返して不二に言われた通りにグラウンドへと向かうのだった。
「うわっ……手塚ってば、本当に走りに行っちゃったんだ」
 あれだけ煽っていた菊丸が、ここにきて気の毒そうな声を漏らす。菊丸は際限なく調子には乗るが、間違っても意地の悪い性格の主ではないのだ。
 今回の件についてもそうだった。ほとんど冗談のつもりでからかっていたのに、実現したことに驚いたくらいである。
「当然でしょ」
 同情の欠片もなく、不二はそう言ってのけた。
「――俺、不二だけは怒らせないようにしよ」
 菊丸は固く、そう心に決めた。
「相変わらず馬鹿みたいに真面目だな、手塚は」
 窓から外の様子を窺っていた乾が、半分呆れたような声を漏らす。
「誰が見張っていなくても、きっちり二十周してくるぞ」
 感心感心と口にしながら、乾は頷いてみせる。
「手塚ってばさー、今日はランニングだけで終わっちゃうんじゃねえ?」
 菊丸が笑いながらも実に非情な見解を述べる。まだ部活動の時間が残っているとはいえ、ほんの十数分にしか過ぎない。それを分かっていながらも、手塚は律儀に走りに行ったのである。
「そうだな……」
 乾が相槌を打ちながら、おもむろに腕をまくる。彼の左腕には、黒い皮ベルトの時計が巻かれていた。
「この時間では、本校における持久走の記録保持者であっても、さすがに無理だろうな」
 腕時計に目を落としながら、乾はそういった判断を下した。
「でも、せっかく部活時間に間に合ったのに、ランニングだけじゃつまらないよな……」
 慈悲深い言葉をかけるのは、決まって河村である。そんな河村も今回ばかりは事件再現に一役買ってしまっていたので、手塚に対して更に申し訳ない気持ちを抱いていたのだ。
 テニス部の活動は一応終了しているが、今ならまだ活動可能な時間であるので個人練習くらいはできたのだ。けれども、このままだと手塚にラケットを振る時間はもたらされないだろう。
「なあ、不二。この辺で許してやったらどうだ?」
 代理人よろしく、大石が譲歩を求める交渉に出た。大石は先程から、言い出すタイミングを見計らっていたのだ。
 しかし不二は彼を一瞥することもなく、厳しい表情で罰を科せられた副部長のロッカーを睨みつけている。
「手塚は本当に馬鹿だよね」
 不二は温情の欠片も示さなかった。不機嫌な顔と口調で、感情のすべてを表現している。
 情け容赦のない言葉を前に、大石は口を噤んで、すごすごと引き下がるしかなかった。触らぬ神に祟りなしといわんばかりに、さり気なく不二と距離を保っている。
 他の連中も、遠巻きに不二の背中を眺めていた。
 ふと、不二は表情を曇らせていた。見ているだけで切なくなるような瞳を、ただ一点に注いでいるのだ。
 しかし不二は皆へ背中を向けているために、彼がどんな表情をしているのかは誰も目にしていない。
「馬鹿だよね」
 酷く辛口な評価を、再び口にする。しかしそれは先程までの刺々しい態度が嘘のように消失した、労わりに満ちた口調だった。
 時間さえあれば、手塚はラケットを持ってコートに向かったであろう。不二には彼の行動が手に取るように分かるのだ。
 不二は唇を噛んで、僅かに俯く。
「……今でもまだ、たまに痛むくせにさ」
 誰にも聞き取れないような声で、不二はぽつりと呟いた。
 何度も見ていたのだ。部活の最中や、会話が途切れた時などに、ふと見せる何気ない仕草を。
 他の誰も指摘をしなかったし、手塚自身も何も言わなかった。そのことが余計に不二の心を締め付けた。
 それは他愛のない動作に過ぎない。しかし、明らかにその回数が増えていれば、尋常でない何かを感じざるを得ないのだ。
 おもむろに不二は目を伏せた。手塚と同じように、身体の正面で腕を組む。
 そうすることで、右手が逆側の肘にそっと触れた。


to be continued.....

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自分はれっきとした手塚ファンです。
神聖視していたエピソードをこんな風に使ってしまってよかったのかはなはだ疑問です。


update 10,Jan,2005

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