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その日は金曜日 【7】 |
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電車こそ動いてはいるものの、まだ早朝とも呼べるこの時間帯では、大抵の飲食店は営業時間外である。乾とは二十四時間営業のファミリーレストランで待ち合わせた。最寄り駅は、お互いの家からちょうど等距離辺りに位置する。そしてそこは、不二の家からもそう遠くはないところだった。
店内に客はほとんどなく、従業員の数も日中より遥かに少ない。話がしやすいようにと手塚たちは奥まった席を希望した。席に着くなり手持ち無沙汰なウエイターが、オーダーを取りに来る。形だけの注文であるコーヒーが運ばれてきた後で、ようやく腰を落ち着けて本題に入ることになった。
「不二を見たという情報があった」
あの後も、乾は常識的に時間が許す限り、連絡網を駆使して不二の足取りを追っていたのだ。普段はやりにくいとさえ感じる彼の行動力が、今はとても有難く、また非常に頼もしかった。
ノートを片手に、乾は続ける。
「十組の井上からなんだが、昨日塾の帰りに……」
「それはいいから、要点のみを話してくれ」
延々と続きそうな情報を聞いている場合ではない。有益になりそうな部分だけ取り上げた方が、時間の短縮にも繋がるのだ。
「ああ、そうだな」
乾自身も今のような説明では要領が悪いと思ったのだろう。手塚に指摘を受けた通り、今度は手短に語る。
「昨日渋谷にいたそうだ」
簡潔すぎる言葉に、思わず手塚は僅かに瞠目する。告げられた情報は、手塚にとって何ら新鮮ではなかったのだ。
「それは当然だ。言っただろう、俺が不二の買い物に付き合わされたと」
実際には、不二は何も購入しなかった。ただ冷やかしで、店を覗いていただけである。俗に言うウィンドウショッピングであろうが、手塚の辞書からはそういった言葉がすかさず出てこない。
「何時頃、着いたんだ?」
乾が入手した情報を聞くはずだった手塚が、何故か話す側に廻っていた。
「あの日は部活もなかったからな。四時前にはもう着いていたと思う」
思い出しながら、手塚は語る。
「それで何時に別れたんだ?」
「はっきりとは覚えていないが、六時は過ぎていたはずだ」
家に着いたのが夜の六時半ちょうどだったのだ。逆算すると、そのくらいの時間には電車に乗っていたことになる。
「どこまで一緒だった?」
「ホームまでだ」
不二の後姿は、今も手塚の目に焼きついている。あれ以来、あのまま不二が自分の手の届かないところに行ってしまったような錯覚に苛まれている。
「やはり変だな」
乾は断言するが、手塚にはそれが不可解でならなかった。
「何が?」
一拍の呼吸を置いて、乾がはっきりとした口調で答えた。
「そいつは六時半頃に、渋谷で不二を見かけたと言うんだ」
「嘘だ」
手塚も負けじと断言する。ありえないと手塚は思っていたのだ。
失踪前の不二と最後に接触していたのは、おそらく自分であろう。昨日は散々渋谷の街を見て回ったのだ。そして一緒に電車に乗り込み、渋谷から離れた駅まで移動している。その時刻は十八時を回っていた。不二が目撃されたと言われている時間はそれから三十分近くも後である。移動することは可能だが、渋谷に更なる用事ができたとは思えない。
「嘘じゃない。第一、そんな嘘をついたって仕方ないだろう」
もっともなことを乾は言う。しかし手塚にはやはり得心が行かなかった。
「渋谷からはとっくに離れていた時間だぞ?」
「だからおかしいんじゃないか。第一、井上は不二が一人で歩いていたと証言している」
客観性に徹した乾の言葉を聞き、手塚は頭を抱えたくなった。遠くを見るような視線を、組んだ両手に注いでいる。
お手上げ状態なのは乾も同様だった。重い溜息をついて右の肘を机の上に乗せると、その手でこめかみを押さえていた。昨晩から色々考えすぎて、頭痛すら覚えたのだ。
「八方塞がりだな。手も足も出ない」
昨日からこれで何度目になるか分からない溜息を、乾は肺の底から吐き出した。
それでも手塚は乾がこの場にいることに感謝していた。周りから冷静だの沈着だのと言われることの多い手塚だが、今はその片鱗すら見られない。抑制が効かないほど感情が強く動き、大局を眺めることができていないのだ。自分でもそれが分かっているのに、向かうべき方向性を見失っている。
思っていた以上に打ちのめされていた。己の中での不二の存在の大きさを、改めて知らされる。その事実に気づいて、手塚は愕然とした。
不意に、携帯電話が鳴った。
乾が慌てて、己の持ち物を探る。取り出した携帯電話の液晶画面を確認して、乾は小さく一つ息をついていた。
「大石からだ」
手塚に断りを入れた後、乾は電話を耳に当てる。
「もしもし。どうしたんだ?」
話を聞く傍らで、乾は話の内容をそれとなく手塚に告げていた。
「ああ、手塚も一緒だ。え? 今はどこだって?」
昨日の時点で同学年の部活仲間には、ほぼ全員に連絡が回ってしまった。気遣いの大石とも言われている彼が、気になっていない訳がないのだ。
「近くまで来ているらしい。すぐに来るそうだ」
電話を切った乾が、手塚にそう伝えた。どうやら大石もすでに動き出していたようだ。手塚たちの居場所を聞いて、駆けつけると言っていたらしい。
その言葉の通り、大石はそれから十分も経たない間に姿を現した。レストランの入り口できょろきょろしている大石に、乾が手を振って彼を呼ぶ。
大石が席に着くと同時に、メニューを持ったウエイターがやってきた。メニューを大石に手渡すと、ウエイターは一旦テーブルから去ってゆく。
「大丈夫だったのか、こんな早くに?」
乾が訊ねると、大石は軽く手を横に振った。
「それより、遅くなって悪かったな」
大石は手塚の向かいにある椅子を手前に引いて、そこに身体を滑り込ませた。口調こそ普段と変わらないが、顔色が冴えない。
「いや、俺たちも今着いたばかりだ」
手塚も大石と軽く挨拶を交わす。下から見た上げたときは気づかなかったが、こうして視線を同じ高さに合わせると、大石の目の下にくっきりと陰影が浮かび上がっているのが分かる。
話し込んでいる間に、先程のウエイターが注文を訊きに来た。
「ご注文はお決まりですか?」
大石は慌てた素振りでテーブルの上を見回した。そこには、ほとんど湯気の立っていないコーヒーが二つ置いてある。
「ええっと……じゃあ、アイスコーヒーをお願いします」
手塚たちがホットのコーヒー飲んでいたことに少々戸惑ったようだが、結局大石はアイスを注文する。
太陽は、もう充分高い位置に昇っていた。空調が効いている店内にいたので分からなかったのだが、おそらく外の気温も上がっているのだろう。
それだけ時間が経っていることにもなる。そして、それだけ不二の身にも危険が及ぶ可能性が高くなるのだ。
こうしている時間も惜しいが、だからといって相談なしにはどう動いていいかも分からない。
錯綜する思いに押しつぶされそうになりながらも、手塚は懸命にどう動くべきかを考えた。しかし一向に方策はでてこない。
ここへきて、手塚はようやく自らが注文したコーヒーに手をつけた。冷め切ってしまった液体を、一気に喉へと流し込む。活発的でなかった脳に、カフェインが少し効いたような気がした。
大石がアイスコーヒーを飲み終わる頃、菊丸も到着した。それに合わせて、三人は一度店を出る。
菊丸は駐車場のタイヤ止めに腰を下ろして、皆を待っていた。三人を見つけるなり、大きな動作で手招きをする。朝の駐車場はがらんとしていて、そんな様子までよく見えた。
合流したはいいが、事態は逼迫したままだった。
効率よく、無駄もなく要点を絞って調査するにはどうしたらいいだろうか。そんな話し合いがなされていた時に、今度は大石の携帯電話が鳴った。
「もしもし? タカさんか。ああ、うん。みんなここにいるよ」
家の都合で出てこられなかった河村は、そのことをしきりに謝っている様子である。
「仕方ないよ。土日は忙しいって、前から言ってたじゃないか」
大石が電話口で、努めて明るい声を出している。
「あ……うん、分かった。それじゃあ、何か分かったらすぐに連絡するからさ」
気にするなと告げた後に、大石は河村との通話を終わらせた。
「そういう訳だそうだ」
大石は事情が皆にも伝わるように、河村からの通話内容をたびたび鸚鵡返しで繰り返していたのだ。
「タカさんは仕方ないよな。俺たちだけで何とかしよう」
河村に反発を覚える者も、乾の言葉に反論する者もいなかった。本当は河村だって出てきて不二の捜索に加わりたいと思っているだろうことが、痛いほど理解できるからである。
「さてっと。俺たちはどうする?」
菊丸が大仰な素振りで立ち上がった。わざと深刻にならないようにしているのだろう。充血した菊丸の目が、彼も昨夜はよく眠れなかったのだということを物語っていた。
「とりあえず手分けをするか」
電車の路線図を広げながら、乾が取り仕切る。大まかに区間を分けて、それぞれに配置する場所を与えられた。手塚の担当は当然のことながら渋谷界隈となっている。
手塚は最初に昨日言った道筋を辿ってみようと思っていた。
「連絡は頻繁に取り合うこと。危険を感じたら、決して一人では乗り込まないこと」
不二の捜索に向けてのルールを、先程決めたばかりなのだ。箇条書きされているメモを見ながら、大石が注意事項を再確認する。
「これだけは絶対に守ってくれよ。更に行方不明者が増えるのは勘弁願いたいからな」
皆が分かっていると言わんばかりに頷いた。
「ああ。ミイラ取りがミイラになる、何てのはごめんだ」
乾があまり洒落にならない軽口を叩いた。しかし乾の気持ちもまた、よく分かるのだ。何か言っていないと落ち着かなくて仕方がない。
各自の胸の中に、焦燥感だけが募ってゆく。ともすれば取り乱してしまいそうになる気持ちを、必死で押さえていたのだ。
今一番辛いのは、不二であって自分たちではない。感情を置き換えて、無意識に逃げ込んでしまいそうになる己を叱咤する。
不安の闇へと沈んでしまいそうになることは、テニスの試合の際にもたびたびあった。そんな心を励まして引き上げてくれたのは、いつも不二だったのだ。
その不二が、今はいない。今度は自分たちが不二に腕を差し伸べる番である。
にわかに気力が沸いてきた。やるべきことを見出した彼らの胸の奥底から、熱い英気が漲ってきたのだ。
きっと不二は自らが窮地に陥ったとしても、困っている自分たちを励ましてくれるのだろう。今だって不二が大丈夫だと言い聞かせる声が、どこからともなく聞こえてくるような気がするのだ。
「では午前中は別行動で。正午になったら、一度落ち合おう」
手塚の言葉に頷くと、皆は方々へと散ってゆく。これからきっかり二時間は、各自で捜索を始めるのだ。
手塚は最初に駅へと戻っていった。定期券を片手に、自動改札をくぐる。電車を待っている間、反対側のプラットホームをじっと眺めていた。
ここは、昨日不二と別れた場所である。彼はここから消えていったのだ。いつもと変わらぬ笑顔と、遠ざかってゆく背中の残像だけを残して。
振り返ってみても、そこには誰もいない。今にして思えば、これまで不二は当たり前のように手塚の傍にいたのだ。
永遠に続く平穏などありえないに決まっている。しかし目の前でいきなり取り上げられてしまって冷静でいられるほど、まだ大人でもないのだ。
喪失感が胸を締めつける。欠けた空間を代わりに埋めるものは、どう足掻いても見つかりそうもない。
不二が必要なのだ。不二でなくては駄目なのだ。
それは誰にとってだろうか。テニス部にとってだろうか。それとも自分自身にとってなのだろか。
自問自答を繰り返していた手塚だが、やがて考えをすべて放棄した。頭も心も、すでに許容をオーバーしている。
それに、今はそんな場合ではない。くだらない理屈をこねているより、動き出さなくてはならないのだ。不二を捜し出すことを圧倒的に先決すべきなのだから。
不二は今、どこでどうしているのだろうか。苦境な状況下に置かれているのかもしれない。自由を奪われて、身動きが取れないのかもしれない。
それならば、そこから不二を救出するまでだ。
たとえどんなに苦行であろうとも、彼が困っているのなら手を貸してやらなくてはならなかった。それが自分の役目なのだと、手塚は胸の中で繰り返す。
◆◇◆
しかし捜索は困難を極めた。
約束通り正午に一度合流するが、有力な情報は誰一人得られなかった。皆で軽く昼食を取り、再び単独での捜査に向かう。手塚も再度、賑やかな街へと足を運んだ。
しかし陽が落ちるまで歩き回っても、成果を上げることは出来なかったのだ。
依然として不二の行方は分からぬまま、また一日が経過するのだった。
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to be continued..... |
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