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日本文学と「喰ひ物」


古今東西、食べることについて書かれた文章は数あるけど、日本文学ほど微に入り細に入り「食べ物」について描くものはないのではないかしら。

欧米の小説でも勿論いろいろな料理が出てくるけれど、どんな色艶をして、どんな歯触り、口触りでどんな味がした、なんてあまり書いていないように思います。
日本文学の中では、読んだ人が「ううっ、喰ひたい」と皆思う、と言うので有名なのが、志賀直哉の「小僧の神様」。 話の主題は全然別のところにあるのですが、あのマグロの寿司の描写はたまらない…!(コラムニストの泉麻人は子供の頃にこの小説を読んで涎を垂らした、と言っていた)まぁ、白身の魚しかダメ、とかいう人はそうは思わないでしょうが。
大衆文学なら、池波正太郎の「鬼平」や「梅安」のシリーズが「涎モノ」ですね。池波さんは昔の人だから、「女」に対する考え方や描き方に「ちょっと」と抵抗があったりするのですが、料理については文句なく楽しい小説です。 「鬼平」と「梅安」の料理帖は、わたくしの愛読書でもあります。結構お役立ちのメニューも多いんですよ。
(2000/07/28 )




鰻と歌人

今日は土用の丑です。
「10日早い土用の丑」と称して「野田岩」に鰻重を食べに行ってはいたのですが、行事ごとの好きな我が家、今日は家で鰻の蒲焼を食べました。
「土用の丑に鰻を食べよう」というのは、平賀源内が鰻屋に頼まれて考え出した宣伝文句とのことだけど
栄養面から考えても真夏に鰻を食べるのは、夏バテ防止になり、理にかなったものだそうです。気持ちの面でも食べるとなんとなくピッとなる気がしますものね。

「鰻」で思い出すのが歌人の斎藤茂吉です。鰻好きで有名で、いろいろなエピソードがある。彼の日記には「今日は朝から頭が痛かったが、鰻を食べたら治った」なんていう記述があるらしい。
彼が詠んだ鰻についての歌、

吾(わ)がなかに こなれゆきたる鰻らを おもひて居れば 尊くもあるか

これまでに 吾に食はれし鰻らは 仏となりて かがよふらむか

この2首なんて、好きだなぁ。鰻たちに対して「ありがた〜い」気持ちになってしまいます。
茂吉は鰻だけでなく様々な料理に関する歌を沢山詠んでいます。粗食にも耐えられるけど、大の食いしん坊だったらしい。嵐山さんの「文人悪食」に紹介された歌は、そのどれもが歌人の心情や人生に促していて生き生きと美味しそう。ただの上っ面だけのグルメではなく、きちんとした舌を持っていたことが覗えます。
(2000/07/30)

「ベスト オブ 丼」文春文庫ビジュアル版 (茂吉の歌2首はこちらから)
「文人悪食」 嵐山光三郎 著 マガジンハウス





喰ふことは「退廃的」


わたくしが中学生の頃の時、現代国語の教師が授業の最中にいきなり、
「君たち、食べ物に執着することは世の中で一番退廃的なことなんだよ」
と言ったのです。この言葉は今でもものすごく印象に残っています。
地方都市のしがない国語教師の彼がどうしてそんなことを、猿に毛が生えたような中学生たちに向って語ったのか。未だに不思議なのですが、もしかしたら文学を志していて挫折したのかもしれない。「挽歌」という小説が生まれた街でもあったし、何もないようにみえて文化的な風土は結構あったところだから。全共闘世代よりちょっと上の人だったかな。

文化が爛熟すると人々は食べることに走る。ローマの貴族たちは食べては吐き、また食べるを繰り返し、中国の歴代の皇帝達は究極の食材を追い求め、江戸時代の後半には様々な料理が生み出された。料理に関する文化論に触れる時、彼の言葉が妙に懐かしく思い出されたりします。
(2000/07/27)





焼きおにぎりが、ぬか漬が美味しそう(じゅるっ)


おっと、あぶない。うっかり見そこなうところだった。「食は文学にあり 漱石と鴎外・文豪の食卓」(NHK) 「文人悪食」の著者・嵐山光三郎さんが案内人です。以前このシリーズは谷崎と荷風を取り上げていましたが、今回の方が楽しい。
前回は戦時中のエピソードだったし、どちらも「爛れた美」の大御所だったから、ちょっと重かった。今回は番組自体も作り方がこなれてきたようです。

鴎外はドイツだけではなくイギリスにも留学していたから、火鉢でカリカリトーストを焼いて食べていた。そして、勤務先に持っていくお弁当は母が作った焼きおにぎり。見た目はシンプルですが、おにぎりの芯には炒り卵や小魚の佃煮が入った手の込んだもので、同僚が目を見張ったそうです。映像で再現したものは、うわ〜美味しそう。鴎外は潔癖症だったから、ナマモノは食べなかった。野菜も果物も必ず火を通したもの。お客にふるまったというりんごのコンポートの実写版は涎ものでした。
親族が書き残した文章からみると鴎外は、謹厳だが粋でハイカラなところもある人。人をもてなす時は洋食を用意させたけど、自身は和食を好んだらしい。鴎外と言えば「饅頭茶漬」が有名。普通の人間は「げ」と思うけど、彼にとっては繊細で滋味に溢れた究極の味だったのかも。

一方の漱石は、イギリス留学の時は神経衰弱になっていたから日本食が恋しいなどと言っていたけれど、本当は脂っこいものが大好き。すき焼きや鳥鍋などこってりしたものを好んだ。和食はあまり好きではなかったけれど、夫人が実家から持ってきたぬか床で漬けたぬか漬は大好物だった。江戸時代から平成へとなんと100年以上!も経っているそのぬか床を孫娘にあたる方が大事に守っています。あ〜、夏目家のぬか漬美味しそうっ、食べたいっ。
ところで、漱石は胃弱のクセにものすごく食い意地が張っていた。おまけに彼が好むものは胃に負担がかかるものばかり。甘いものも大好きで、ビスケットやピーナッツなど食べすぎるので、夫人は菓子類を何処ぞに隠していたとか。でも漱石は娘の協力で探し出してぼりぼりやっていたそう。夏目家にはアイスクリーム製造器もあったそうで、夫人が作っている最中に書斎から出てきて浮かれていたらしい。
彼の死も胃弱のくせに旺盛すぎる食欲が原因で、死の床で昏睡状態から意識が戻った時に発した言葉が「何か食ひたい」…すごい、徹底している。
(2000/08/16)




食べることは楽しくて切ない。

漱石は自分の病んだ心のリハビリの為に小説を書き始めたそうだけど、「食べること」でも心の安定を図ろうとしていたのかもしれない。でも、胃弱だったから一生満たされることが無かったのでしょうね。その時「旨いっ」とガツガツ食べると、すぐにしっぺ返しがくる。「またやってしまった」とおちこんだだろうなぁ。おまけに食べすぎないように絶えず夫人から監視されてもいる。リハビリ目的の小説も大作家の名声を得ると、「産みの苦しみ」を味わうものに変わっていたかもしれない。
精神的なものと肉体的なものが合わさって、更に胃に負担がかかるという悪循環を起こしていたことも考えられますね。
「何か食ひたい」と言った漱石は、一さじのぶどう酒をすすって「うまい」と言って亡くなった。自分の欲望を満たし、全てから解放された安らかな臨終だったのではないかしら。

鴎外と漱石の小説に出てくる「食べ物」の描写は、どれも素晴らしい。自身は和食を好まなかった漱石も、和食が持つ美しさは惜しげもなく賛辞した。「草枕」での椀や羊羹の描写は、それだけの為にこの小説を読みたくなる。
鴎外の「雁」に出てくる茶漬、何ということはない素朴なものだけど、ご馳走にみえてくる。邪な読み方ではあるけれど、こういうところから名作に親しむというのもありですよね。

番組では鴎外と漱石の宴会料理を嵐山さんがゲストと共に実際に食していて、涎ものでした。夜中に放送するなんて罪だわ。
(2000/08/16)




料理と翻訳

ケジャリーのレシピをアップするのに、参考資料を漁っていて思わず読みふけってしまったのが「探偵たちの食卓」。80年代後半にフード・ライターの前島純子さんがハヤカワ・ミステリ・マガジンに連載していたものをまとめた本です。
ミステリに出てくる「ご当地名物」料理がどういうものかがこれを読めば一発で判る!というスグレモノ。もちろんポピュラーな料理についてもツボを心得た記述です。既に読んだ作品だったら、その料理が出てきた場面を思い浮かべて「なるほどぉ」と納得したり、「うんうん、そうなのよね」と思わず共感したり。読んでいないものについては、足を本屋や図書館に向けさせる格好のガイド・ブックにもなっています。

この本の中で前島さんは「料理」に関する翻訳に対して苦言を呈しているけど、全くその通り!と思ってしまう。一番典型的なのが、あの悪名高い(誤解を招きやすいってことで)「ステーキ&キドニー・パイ」ですね。料理法さえ判っていれば「牛肉と腎臓の煮込みのパイ包み焼き」という「正しい料理」が出てくるはずなんだけど。
昔は男性の翻訳者が多かった(今でもだけど)から、料理をする人は少なかったでしょうね。そういう人達はミステリに限らず、海外小説の中の料理や食材がどういうものか知らないまま訳していることが多いみたい。「知らない」と言ったら語弊があるかも。たぶん調べてはいるんでしょうけど、頭の中でその像が浮かばないんでしょう。食べたことがあるにしても、「どういうものか」判って食べているのかなぁ。何が入っていて、どんな調理法なのか、どういう時に食べられるのか、とか。もしかしたら「料理名」を覚えてなかったりして。
海外でも日本でもマーケットやデパ地下を覗く、ということもしないんでしょうね。日本では20年ぐらい前まではアボカド(ワニ梨!)もバジル(メボウキ!)も一般的ではなかったけど、青山にある某高級スーパーには絶対あったはず。翻訳者はほとんど東京かその近郊に住んでたでしょうから、実際に自分の目で「なんという名前」で売られているのかを確かめるぐらいのことをしなきゃね。

料理と翻訳。前島純子さんについて

わたくしは、L.サンダースの小説の中でキュートなジョシュア・ビッグ君が食べた「発芽した種のいっぱい入ったサラダ」に「ひぇ〜」と思ったことがあります。これってたぶん「もやし」か「アルファルファ」よねぇ。(この作品が映画化されるならジョシュア・ビッグ役はマイケル・J・フォックス!と勝手に決めてたけど、今じゃほとんど無理だなぁ、残念)
とにかく翻訳者の料理の知識は地を這っていた。今はどうなっているのかなぁ。この頃新しい本は「ハンニバル」ぐらいしか読んでいないからねぇ、少しはマシになったんでしょうか。
(トマス・ハリスの「ブラック・サンデー」に「乳おさえ」という言葉が出てきて仰け反った覚えもある…あのぉ、戦前じゃないんですけどぉ。ファッションに関する翻訳もひどいものがありますよね)

前島さんは肩書きが示すとおり名うての食いしん坊。そしてミステリと猫(犬もだけど)と少女マンガが好き。アンアンが今の状態からは信じられないほど時代を引っ張っていた頃、「食いしん坊」というフード・コラムを連載していました。
20年ぐらい前までは日本で食べることが出来る「本場モンの」外国料理はフレンチと中華ぐらいだった。あ、当時はイタリアンなんて皆無に近かったです。なんせスパゲティ・ミートソースやナポリタン(これは日本独自の麺料理。ナポリには無い)の世界でピッツアだってようやく(それもシェーキーズ)という時代でしたものね。もちろん、オイスターソースもハーブもご近所じゃ目にすることが無かったので、このコラムのおかげで料理の視野が広がりました。膨大な量のコラムから抜粋したムック本も出版されましたが、当時の切り抜きはわたくしの宝物。今でも大事にとっています。
(2000/08/15)

「探偵たちの食卓」(早川書房)
「食いしん坊」(マガジンハウス) たぶんどちらも絶版になっていると思います。




オトコの甘党

昨日からアンコを作っておいたので、今日はおはぎ作り。秋のお彼岸は萩の花に因んでいるから小ぶりの方がいいのでしょうが、ウチのはたっぷりと大きめ。秋でも「牡丹餅」です。横尾忠則さんのエピソードを思い出しながらむしゃむしゃ。

以前、よそのBBSに書いたのだけど、横尾さんは子どもの頃お弁当の中身は毎日お母さん手作りの「ぼたもち」というすごい甘党でアンコ好き。弁当箱の蓋の裏側についたアンコを舐めるのが無上の喜びだったそう。
横尾さんよりもっと上を行っていたのがそのお父さん。お茶漬けに砂糖を何杯もかけながら食する、という「荒技」で、さすがの横尾さんも太刀打ちできなかったらしい。このお父さん、倒れてもうお終いや、という時に苦しい息の下で「ぼ、ぼたもちが食いたい」とつぶやいて最後の望みだからと少しずつ食べさせたら、なんと6個も平らげて生き返ってしまったそうです(さすがに、今は鬼籍に入ってらっしゃる)

昔の男の人ってけっこう甘党が多くて、有名人では漱石、鴎外、内村鑑三。内村鑑三なんて夫人がアンコを練る時、横に張り付いて味見をしたそうです。夫人は内村が「よし」というまで砂糖を入れ続けたのだとか。謹厳なキリスト者の別の顔が覗いて微笑ましいエピソード。でも家族は相当オニ甘いアンコを食べさせられたのでしょうね。家族自体が「恐怖の甘い物一家」だったかもしれないけど。
有名人ではありませんが、今は亡きわたくしの母方の祖父もご飯に砂糖かけて食べていたらしい。祖父の好物の栗饅頭や松露饅頭でを食べる時、お土産によく持って行った時の嬉しそうな顔を懐かしく思い出します。
(2000/09/23)