偏愛的諸々
最強の3M!(ネタバレ注意報発令中)
毛皮のマリー 作:寺山修司 演・出:美輪明宏 出:及川光博、麿赤兒ほか 3月24日 於:パルコ劇場
う〜、ディープで濃かったぁ。美輪さん、麿さん、ミッチ−、「同じ穴のムジナ」が互角に渡り合っている舞台。究極のナルシズムが丁丁発止とチャンバラやっている〜(笑)
わたくしは、遥か昔にマリーさんの戯曲は読んだことがあるが、芝居自体を見たのは今回が初めてだ。
見た直後の印象は前衛ではなく親切で判りやすいきちんとした台詞劇。あっけないほど正攻法で冒険をしていないのだが、実はそれが曲者。後からじわじわ効いてくるのだ。初演から33年経って初めて原作のヴィジョンの忠実な具現化を目指したマリーさん、これは姿形も含めた役者の力量が問われる。わたくしは見る前から「最強の3M」と面白がって言ってたけど、本当にそうだったわ〜。
美輪さんは<毛皮のマリー>を今回初めて演出した。本人も言っているが決定版といってよいだろう。台詞の解釈も音楽も衣装も美術もその他全て、美輪さんが練りに練ったものをスタッフが無条件に受け入れて作り上げた。
美輪さんは去年ミッチーと対談して、これなら<オリジナル>でいける、と思ったのじゃないだろうか。今を逃したら決して実現できない夢のような競演だ。
はっきり言って美輪さんは醜かった。勿論そこいらのオバちゃん達に比べりゃ雲泥の差、充分美しいといえるが、それでもその衰え方は隠しようもない。ここ数年かなり太ってしまい、しかも弛んでいる。
そして美輪さんは敢えて老醜を曝してみせるのだ。それも最初の有名な入浴シーンから最後まで。ワダエミがデザンしたドレスはなんと残酷なのだろう。しかし崩れた肉体から発せられる台詞は見事に生きている。溢れんばかりの愛情と悪意で我が子を押しつぶしてしまう母性の塊そのままの姿だ。キレイなお化けからホンモノの怪物になった美輪さんがようやく演じることが出来る「マリー」だ。
美輪さんの老醜とは逆に、麿さんの肉体は舞踏で鍛えぬかれているだけあって見事だ。
麿さんが演じる下男〜醜女のマリーの最大の見せ場は<毛皮のマリー>ごっこの女装!どう逆立ちしたって男そのものでグロテスクなのに、ミエをきる所作の優美さには目を奪われる。麿さんは大仰には演じない。あくまでも淡々とかちりと役をこなしてゆく。それが却って小ずるくて滑稽で哀しいマリーを浮き上がらせる。そう、醜女のマリーは美輪さんの毛皮のマリーとイコール、彼女のネガの部分というのがよくわかる演出をしている。麿さんは今回は下男というより蝶ネクタイを締めて執事のようなスタイル。それがすごく似合ってよいんだなぁ。頭のテッペンから足の爪先までいとおしい。麿さんは日本の演劇界の宝です〜。
そしてミッチーこと及川光博。彼のライブ・パフォーマンスは定評があるし、TVドラマでも達者な演技を見せるからある程度の水準の演技をするだろうと思っていたけどちょっと不安もあった。何しろ相手は美輪さんと麿さん、これが若い子だったら大目に見られるけど、30歳なのよ、ミッチーは。喰い尽くされて骨も残らないんじゃないかと心配だったの。でも杞憂でございました。
今までの「美少年 欣也」は、どう演じられてきたのかしら。役者本人はごく「普通の男の子」だったろうから、あの中じゃ一人だけ異種で浮いた存在だったろうなあ。たぶん今までの演出はそれを狙っていたんでしょうね。ある意味若手俳優の登竜門的扱いされる芝居だから、浮いていようがヘタクソだろうが「フレッシュ」でよい、という評価でそれが通例になっていたのかも。たぶん「普通」の観客は「浮いた」欣也を見て安心するというか、ある意味毒消しまたはあちらとこちらの橋渡し的役割を果たしていたと思う。
今回の欣也は「フレッシュ」ではない。及川光博は歴代の欣也の中で一番年齢が上だと思う。でもミッチーは、33年目にして初めて欣也をオリジナルに戻してしまった。寺山が作った世界にパズルのピースのようにぴったりと嵌め込まれている。
欣也というキャラはむずかしい。「オカマを母だと思いこんでいる純粋培養の少年」というだけではダメなのだ。彼は18歳という設定だが、これは母であるマリーの理想の息子の上限の年齢なのだろう。世の母親は自分の息子をいつまでも小さな子供として扱いたがる。外見は充分オヤジでも彼女達の目に映る息子は永遠の10代なのだ。欣也は母の真綿で首を絞めるような愛から逃れたいと思う反面、その庇護の下で安穏とした夢をみていたい究極の「おとなこども」、純粋な表面の下にずるさと胡散臭さとグロテスクさ、そしてひ弱さが見えないといけない。
だから寺山の世界観を理解できる、ある程度年齢がいった役者が演じるのがよいのだが、そうなると外観に無理がくる。なんせあくまでも「美少年」(アバタもエクボの母の視点の具現化及びナルシズムの極地!)じゃないといけないのだもの。
その点ミッチ−はすごいのだ。楽々クリアしてるもんね。お肌ツルツルでレース襟+半ズボン+ハイソックスが似合う30歳…(笑)。そして台詞の上滑りがない。実にきちんと話す。プロとしてこの芝居が初舞台なのだそうだが、昔からそこにいるみたい。ホントかよと思うぐらい安定した演技。ピシッとした後姿がキレイだ〜。ライブの賜物ね♪
中心の3人はいたってマジメに演技している。きっちり演じれば演じるほどグロテスクさが増幅して「怪演」そのもの。無理に笑いをとろうとしていない。いわゆるお耽美モノの世界(Juneとか)で遊んだことが無い人、ゲイというよりオカマを単に「笑かしてくれるモノ」と捉えている人は戸惑うかもしれない。そこで美輪さんは『普通』の観客の為に今回の<美少女紋白>を用意した。
だが<美少女 紋白>の造形は非常に不満が残る。演じるのは若松武史。紋白はガングロ・厚底ブーツのおとなしめのヤマンバ・ギャルとして騒々しく登場する。BGMは「モーニング娘。」
ううう、美輪さ〜ん。もうヤマンバは流行らないの〜。イマドキの女の子の厚かましさ、下品さを表現するにはこのスタイルが一番判りやすいけど、ただのゲテモノにしか見えないわ。浮きまくってはいるけど、どう見たってマリーと欣也の世界に乱入する異物じゃないの。だって食指が動かない外見なんだもの。また紋白のオーバーな言動は無駄な笑いをとりすぎる。彼女によってもたらされる笑いは客席全部から「どっ」と起こるのなら納得なのだけど、わりと何でも笑っちゃうような人の笑い声しか聞こえなくて(つまりあまりウケてない)、寒々しい空気が流れる。今までの紋白を見ていないから、勝手な発言なのだがどうもイヤな印象しか残らないの。
考えてみたらこの役は欣也と並んで、いや一番難しいかもしれない。母と子の絆を引き裂こうとする闖入者のようだが、実際はマリーの一面なのだ。紋白は下品と書いたが、マリーさんだって相当下品。でも、マリーが「上等」の下品で紋白はそうじゃない下品てとこかな。淀川長治さんが「世の中の下品には2種類あるんです」とメエ・ウェストについて以前仰ってたのを思い出してしまった。マリーさんにはそんなテイストがある。
同じ食指が動かないキャラだったら、ヤマンバじゃなく浜崎あゆみあたりなら実に「今」ですごかったのに、と思うのは無理な話かしらねぇ。若松さんは達者ではあるけれど、ちょっと損をしているようだ。
逆に<名もない水夫>役の菊地隆則は美味しい役どころ。下品で素朴で純で優しい、すごくよい造形に仕上がっている。美輪さんは菊地さんに赤木圭一朗の面影をみているのかも。そんな感じ。
<毛皮のマリー>は寺山修司が美輪明宏(当時は丸山明宏)を媒体として母と息子、虚と実を描いた物語だ。寺山は自分を含めた時代の旗手や当時の風潮を揶揄して、美輪さんに重ね合わせた。
マリーが書かれた60年代は学生運動と高度成長の波に揉まれていたけれど、親子関係はまだ牧歌的なものを残していた。濃密な親子の情愛は賞賛されるべきものだったのである。だが、寺山はその裏の修羅を剥き出しにした。
そのくせ寺山は肝心のラストを書き込んでいないのだ。マリーは寺山自身と母の物語でもある。美輪さんは「書き急いだので」と言っているが、当時寺山と母との葛藤は継続していたはずだし、本当は書けなかったのだと思う。
逆に虚と実に関しては書かれた当時から実に容赦ない。美輪さん自体を身包み剥がしてしまっている。いくら美貌をもてはやされようとも、デカダンを気取ってみても、所詮絵空事、メッキが剥がれりゃ顔がでかくて手足の短い日本人でしかないか。土俗的な匂いがぷんぷんするじゃないか。
美輪さんは「強い」人だ。「メケメケ」で頂点を極めた後、奈落に突き落とされても「ヨイトマケの歌」で復活するような人だ。
それに比べて寺山はあまりにも弱い。母の濃密な愛をうっとおしく思いながらも、その庇護の下から出ていきたくはないのだ。だから<毛皮のマリー>は負け犬の遠吠えのような作品だ。ところがこの負け犬は「お好きにどうぞ。それで結構です」で逃げてしまったのだ。おまけに天才なものだからいちいち言うことがドンピシャなんで始末に悪い。美輪さんは戯曲が出来た時点で寺山の真意を理解しただろう。しかし、最後をどうするか。美輪さんは着地する場所を求めて33年間彷徨っていたのではないだろうか。
そして今回ようやくそれを見出したように思える。
虚飾にまみれたマリーが発する真実の言葉「去っていくものはみんな嘘」「明日くるオニだけがホント」にふさわしい終わり方。マリーという欧米ではポピュラーな名前が持つ真の意味を象徴するような幕引き。この着地は正しいと思う。
美輪さんは今回のマリーが「年齢からいってこれが最後かも」と言っている。このヴァージョンが決定版だということはもろ手を挙げて歓迎!といきたいところなのだが、やはり紋白のところだけは何とかして欲しい。ここは一つ老骨に鞭打ってもうちょっと頑張っていただきたいのだった。
ところで、美輪さんとミッチーはカーテン・コールまで、マリーさんと欣也になりきってます。でも、一番最後のお手々振りはちゃんとミッチ〜!って声かけたくなっちゃう(しなかったけど)いつものミッチー。ファンは多かっただろうに皆さん大人しかったです。
<2001・4・04>