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言論の自由と民主主義を守る掲示板


おっちゃんBBS

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松浦淳のブログより 投稿者:波方鵜晏 投稿日:2009/03/29(Sun) 20:17 No.133 home   



http://plaza.rakuten.co.jp/atsushimatsuura/diary/ より。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
週刊新潮 2005年10月13日号 高山正之のコラムより
少し前に鬼籍に入った家永三郎という人がいた。肩書きは東京教育大学名誉教授だった。

東京市立一中、後の都立九段の卒業だから我が大先輩になるが、この人はとても悪い人だった。

戦前は「ペンをもって皇国の盾とならん」とか巻頭の辞に書いていたのに、その皇国が一敗地にまみれると、この歴史学者はころり転向した。

GHQが日本は侵略国家だといえば「ハイ仰せの通りです」。南京で日本軍は大虐殺をやったと言えば「お説の通り」と、検証もしないで歴史書を書き換えた。

激変した世をうまく泳ぎきるためには彼はどんな嘘でも厭わなかった。

そこまででやめていれば単なる変節漢だが、彼はその身過ぎのための嘘をぬけぬけと教科書に載せた。

それが東京五輪の直前で、まだそのころまともだった文部省は、この嘘まみれのうえに誤字脱字だらけの教科書を不合格とした。

彼はそれが不満で国を訴え、あの不毛の教科書裁判が三十年余年も続く。忠実など糞くらえ、時流に乗れればそれでいいという曲学阿世(世間の人に気に入られるような説を唱えること)の見本だった。

彼が死んだとき、朝日新聞は一面から社会面まで使って彼を称えその死を悼んだ。それでも物足りなくて翌日の天声人語では「大勢に逆行ばかりして行く私のおろかな性質」という変節漢の言い訳をさも真実のように引用していた。

彼の嘘は朝日の自虐史観に合致する。功労者だったわけで、それで亡者記事ではそのお礼に「まともな学者」風に死に化粧をしてやったということらしい。

先日、後藤田正晴が死んだ。彼は警察庁長官から田中角栄に抜擢されて政界入りし、法相もやれば副総理もやった。

角栄の「懐刀」という二つ名ももつ。

そのどれもが朝日が目の仇にしてきたものなのに亡者記事の構成は家永三郎とそっくり同じだった。
一面で本記、社会面で受けて今回は天声人語ではなく、夕刊の編集委員のコラムでよいしょをしていた。

構成だけでなく記事も似ている。「『カミソリ』と恐れられる一方、憲法改正や自衛隊の海外派遣に慎重なハト派保守政治家」と。

「カミソリ」と「ハト派」と「保守」がどうすれば同居できるのか。変節漢に「大勢に逆行ばかりする私」と書いてやるのと同じ嘘っぽさが滲む。

他紙を見ると、朝日ほど哀悼と親しみを見せる記事はなく、産経新聞などは、一面コラムで警察官僚出身のくせに最初の選挙戦はまあタクシー券は配るはビールはただ飲みさせるわ。

世間を舐め切った金権選挙だったと朝日新聞は書かない別の一面を書く。

ただ表沙汰になった忌まわしい過去はこれぐらい。彼が実力者だったこと、カミソリというあだ名が伊達ではなかったことなどで、何となし影のある素性はあまり語られていない。

彼は終戦後、復員すると内務省に戻って、すぐに職員組合委員長に就任する。内務省が解体されて今の警察庁になると彼は警察官の労組を立ち上げようとしてこれは潰されている。

労働者の権利が大好きな割りには彼は警察が大嫌いだった。

警察庁長官時代の最後にあの浅間山山荘事件が起きるが、ライフル銃をばんばん撃ってくる連合赤軍に対して機動隊員は丸腰で立ち向かわされた。

政界に入ってからの彼は一貫して警官の増員を拒否し続けた。銃を持った中国人強盗にやっと警官が銃を抜けるようになったのは後藤田が引退し、その影響力が失せてからだ。

彼はロシアから攻撃ヘリを買い込み、化学兵器を用意し多くの人を殺したオウムに破防法を適用することを断固拒否した。

外交にも彼は口を出す。イラン・イラク戦争終結後、海上自衛隊がペルシャ湾の機雷掃海作業に初めて出ようとしたのを彼は阻止した。

憲法改正も反対なら、日本を侵略国に仕立てた東京裁判も「正しい」という。

彼の最後の肩書きは日中友好会館の名誉会長。その言動は北京の、あるいはその代理人・朝日新聞とぴたり重なることが多かった。

本当は真っ赤だった後藤田サンにたてまつった「ハト派保守政治家」の評は朝日が感謝をこめて施し死に化粧だったということだ。(終)
▲:この後藤田正晴の弟子が(利権を継いだのが?)、佐々淳行である。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  後藤田の金権選挙は地元で有名だったなぁ。
 親分がCIAにさされたから、怖い米軍などに
 楯突くことは、一切回避していたのでしょう。
 マッカーサー憲法万歳か?!
 情けない。
 一番に情けないのは邦字マスコミだなぁ。

北を制裁 投稿者:波方鵜晏 投稿日:2009/03/29(Sun) 08:47 No.132 home   


  経済制裁などいっているが、軍事制裁せよ。
 はっきり言って、先制攻撃を選択肢にいれるべき
 である。これが米軍なら、果敢に先制攻撃し、
 かつ、拉致被害者の奪還の二面作戦を同時に
 進行させるであろう。

  まぁ、今回の北のミサイル迎撃の決断は
 従来の政府の弱腰姿勢から、やっと脱却できた
 ようで、評価したい。

  私見としては、パパアメリカ、米軍が何故に
 主体的に行動しないかだ。日本を従属下におく
 ことしか念頭にない、ミットもない安保条約など
 はやく破棄してもらいたいものだ。

  中国空母が西太平洋を遊弋する前に
 海軍の立て直し、まぁ新たな、21世紀の
 空軍、海軍を創成し、本邦の海の財産を
 守る必要がある。

  米軍の庇護は無い、その幻想は捨てるべきで
 あろう。
  

狂気のマスコミによる麻生叩き 投稿者:波方鵜晏 投稿日:2009/03/27(Fri) 19:50 No.131   


アジアの眼から

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~http://koramu2.blog59.fc2.com/
海外メディアから見た日本のマスコミの麻生叩きの異常性、マスコミの情報操作・偏向報道                           

麻生首相はメディアの攻撃の犠牲者となった  2009年2月20日 ストレーツ・タイムズ(マレーシア紙) Kwan Weng Kin
(和訳)

 日本の総理大臣、麻生太郎氏は、漢字を正しく読めない、ただのマンガ愛好家なのだろうか。それとも英語を話すことができ、経済の知識がある数少ない政治家の一人なのだろうか。もし、多くの日本人が、麻生氏についての知識をすべてテレビから得ているとしたら、自分たちの総理大臣をかなり低く評価していることだろう。

 麻生首相は明らかに、4つある日本の民放TVネットワークの犠牲になっている。これらの民放は政治の話題を、何か別な形態の番組と区別せずに扱っているように見える。つまりテーマが面白おかしくなければならないような種類の番組と、そうではない番組ということである。日本にある唯一の公共放送であるNHKは注目すべき例外である。NHKの政治ニュースはいつも、時には退屈なほど注意深く客観的に報じられる。

 しかし、4つの民放にとっては、麻生首相のマンガ依存症を攻撃することから始まり、5つ星ホテルの会員制バーで息抜きをする日課をあざ笑うことまで、すべてが格好の攻撃対象である。このようなレポートは、単調になりがちな政治ニュースを盛り上げるために添え物として時々報じられる分には、多分それほどの害はない。しかし、一人の政治家を過小評価することを目論んで、一日中際限なく、早朝5時半から深夜かなり遅くまで終わることなくこのようなレポートをニュースショーで取り上げたとしたら、政治家は破滅させられる。

 人気のあるニュースショーの司会者たちが、報道のプロではないという点も注目される。ニュースショーである「報道ステーション」の司会者である古舘伊知郎氏はプロレスの実況アナとしてキャリアを積んできた。彼は今日の政治の話題に関して論じる際、頻繁に無知を露呈する。また、3時間にわたる朝のニュースショーの司会である、みのもんた氏は、一週間に22時間15分もテレビ番組の司会(多くは生放送である)をしており、そのギネス記録を保持している。だが、そのほとんどはバラエティ番組だ。

 みの氏や、似たような他局の司会者たちは、自分たちも嫌味な論評や思い付きの批判をするし、スタジオのゲストがそうするように仕向けることにも忙しいのだ。しかし、意見のバランスという観点からは、司会者もしくはゲストの誰かがショーの中で同時に、麻生氏を支持する立場の用意されたコメントを、うやうやしくもサッサと片付けるというのが普通だろう。しかしそうではなく、すべての民放ネットワークを通じてテレビのスクリーンから見えるのは、首相に対して同時に行われる集中攻撃だ。

 日本経済を救うための麻生首相の景気刺激策も歪曲して報道され、今まで、表面的な少しのことしかしていないように見せている。 麻生首相がまとめた政策は、A4サイズの用紙1枚に列挙できないくらいに数が多く、時間の限られた多くのテレビ番組の中では詳細を議論することさえもできない。そこで、民放ネットワークはそれらの中から、たったひとつの政策に焦点を合わせた。全ての国民に合計2兆円を現金で給付するという、議論を招く法案である。

 民放は野党の意見に立って、概して、これは来るべき総選挙に勝利するための選挙対策のバラマキとして立案されたものであると説明してきている。民放はまた、給付金は所得税の還付に到底及ばないと言っているが、それは何百万人もの低所得者、年金生活者はそのような税金を払ってはいないという事実を都合よく無視している。そのような層にとっては、一人当たり1万2千円の給付金はまさに天の恵みであるのだが。

 また最近は、麻生首相にとって具合の悪いニュースが伝えられた直後に、民放ネットワークが急いで世論調査を行うという、憂慮すべき傾向がある。 最近の調査対象には、小泉純一郎元首相が先週、麻生首相への非難を公言した郵政民営化に関すること、および今週、中川昭一財務大臣の国際記者会見での見苦しいふるまいが含まれている。このような状況下では、調査対象となった人々は悪いニュースばかりを思い出しやすいため、麻生首相の人気が上がることはほとんど期待できない。下がるばかりだ。

 民放ネットワークに秘密の協定などなく、すべての偏向報道が純粋に視聴率アップを目論むテレビ制作者の身勝手な行為の結果だと考えるのは、もちろん純朴に過ぎる。実際のところ、民放キー局は日刊の全国紙を持つメディア会社が所有している。その政治的な視点は右から左まで実にさまざまである。つまり、民放ネットワークの政治的視点は、それぞれのオーナーや編集者の政治的なイデオロギーを反映している。 時には、小泉政権の時のように、民放ネットワークはニュースショーですべての批判を実質的に禁止することによって、首相のための応援団になることもできるだろう。

 だが麻生政権に関しては、民放ネットワークは「疑わしきは罰せず」の原理を首相には与えるつもりはなく、あらゆる機会を使って首相批判を続ける反麻生の野党と手を携えているように見える。ここのところ放送されている反麻生のうねりの陰には、政治的野心を持つメディアの権力者と、舞台裏で糸を引く勢力が存在すると信じる理由があるのだ。

 しかし、政治家を風刺する時でさえ、日本のニュースネットワークは礼儀正しいレベルを保つことができる。隣接する台湾や韓国の勝手なメディアではそうではない。そこでは事態はより乱暴になるだろう。たとえば、台湾で人気がある「パーティ」という政治風刺テレビ番組では、台湾の馬英九総統はその生真面目で清廉なイメージのために手加減して扱われるが、失脚した陳水扁元総統のこととなると、笑わせるために遠慮なく言い囃される。

 日本では、麻生首相に関して偏向報道を行うメディアに対して、多くのブロガーが非難の声を上げている。彼らは、メディアが野党の弱点に対して沈黙を守っている一方で、首相が力量を示す点については軽んじていると述べている。昨年12月の産経新聞の記事で、アメリカ人エコノミストのリチャード・クー氏が、国家の経済における問題を理解し、その政策が外国の指導者によって研究されている数少ない日本の総理大臣であるとして麻生首相を支持していた。野村総研に勤めるクー氏は、従って、日本のメディアが漢字を読み違えるような些細な欠点に関して麻生首相を抹殺しようとしているのは「全くの狂気」 であると言う。

 厳しさが増す状況だが、麻生首相にとって明るい兆しになりそうなニュースもある。昨日発表された調査では、今年の総選挙に向けて、麻生首相は自民党のほとんどの党支部の支持を取り付けたということだ。朝日新聞の調査によれば、47の自民党県連のうち30は麻生首相の支持を表明している。いくつかは嫌々ながらの支持であると報じられてはいるが。2001年に世論の支持を失った森喜朗元首相を失脚させるのに、地方組織がその手段となったことを思い起こすことには意味があるだろう。
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 こういう報道を知ってこそ、日本の社会や政治に対する
判断のバランス感覚を維持できる。

 大手邦字マスコミには気にくわないことでしょうが。

◆ブランド激安市場◆Bag-off◆ 投稿者:鈴木 晴子 投稿日:2009/03/26(Thu) 10:26 No.130 home   

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スパイ天国か 投稿者:波方鵜晏 投稿日:2009/03/23(Mon) 23:53 No.129   


http://plaza.rakuten.co.jp/atsushimatsuura/diary/200903230005/

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『ドキュメント 秘匿捜査』(竹内明)からの引用 その2

(P218以下) かつて日本では軍によって、ヒューミント(人的諜報)中心のインテリジェンス活勣が行われてきた。日露戦争では大本営が特務機関員をシベリアに派遣して諜報活勣を行わせ、情報工作訓練学校である「中野学校」が数多くの優秀な特務機関員を生み出した。カウンターエスピオナージを担当する「憲兵隊」「特高」も敵国にとっての脅威となった。
 しかし、GHQの占領政策の中で、これらの情報機関は解体され、日本は情報収巣能力を奪われてしまった。だが、非人間的な言論、思想弾圧を行った「憲兵」「特高」のネガティブなイメージだけはくっきりと残った。「スパイ」という言葉にしても、武士道の国である日本国民の心の中には、「陰湿なもの」として存在し続けた。
 同時に占頷下で取り除かれた国家意識を日本人が二度と取且戻すことはなかった。日本は非武装中立を掲げる国家となり、日本人は勝手に「戦後」という時代のカテゴリーを作ってしまった。そして「平和」と同義語にすらなってしまった「戦後」という時代のおかげで、国際社会のスタンダードから置き去りにされているのだ。
 「俺たちの頭が『冷戦構造』なのではない。この国の指導者たちが『危機意識の欠落』を『平和』という言葉に無理やり置き換えているだけだ。インテリジェンスの欠如が国家としての判断能力を喪失させているのだ。プーチンが送り込んできた『あの男』のときもそうではないか。かつてこの国に対する工作で成功を収めたKGBのスパイを、日本は何の疑問も持たずに再び受け入れてしまったではないか」
 矢島たちが思い浮かべたのは、スパイハンターたちの追尾を政治圧力でつぶし、SVR東京駐在部長として、堂々とこの大都市を徘徊しているボリス・スミルノフのことだった。
「私は大使の指示で勣いてはいない。プーチン大統領の指示で動いている」
 と公言して憚らないスミルノフに、日本政府の外交査証が発給された経緯も異例のものだった。

PNG
 過去に日本国内で身分を偽装して諜報活動を行ってきた情報機関員がなぜ、正規の外交査証の発給を受け、外交官として入国することが許可されたのだろうか。
 ある外務省職員は当時のことをよく記億している。
「スミルノフヘの査証発給前、外務省頷事移住部(現・領事局)外国人課の一部で激論があった」
 ロシア外務省が在モスクワ日本大使館に外交査証を申請すると、その書類は東京の外務省本省に「査証経伺」という形で上がってくる。申請書類には氏名、生年月目、勤務先や入国日などが記載される。
 頷事移往部外国人課で問題ないと判断されれば、期開が限定されない「デュアリングミツション(外交活動を行う期間内)」という形式で査証が発行される。このときに、外国人課内部で意見の対立があったというのだ。
 スミルノフの「査証経伺」のための審査書類を受け取った外国人課の事務官は、半ば呆れ顔で語る。
「外国人課に降りてきた最初から入国が前提だった。添付書類には『PNG(ペルソナノングラータ・好ましからざる人物)であっても日露友好のために受け入れる。これは官邸の意向でもある』という趣旨のことが書かれていたと記億している」
 当時の官邸のメンバーは総理大臣が小渕恵三、官房長官が野中広務、そして政務担当の宣房副長官に鈴木宗男と上杉光弘、事務担当が古川貞二郎だった。
 外国人課には四十人の職員がいた。外務省キャリアの課長、首席事務官の下に、「A班」と「B班」の二つの班があった。「A班」は資本主義国の査証審査担当。「B班」が担当したのが旧共産圈の国々である。
 B班には十八人が所屑、班長は公安調査庁から出向してきていた若手キャリアだった。この班長の下で実務を取り仕切ったのが、警視庁公安部外事一課と外事二課から派遣されていた三十代後半の警部補たちで、それぞれがロシア、中国を担当していた。彼らは警察庁からの出向中の外務事務官という身分ではあったが、カウンターインテリジェンスの視点で、「好ましい人物」か「好ましからざる人物」か、を判断することが任務だった。
 警察庁出向組の彼らは、外務省がスミルノフに対し、さも当然のように外交査証を発行しようとする勣きを見て、強い不満を表明した。
「これはおかしいのではないか。官邸が動いているのが理由なのか? 論外である」
 しかし、出向中の外務事務官という身分では「大きな力」に抗うことはできなかった。上司の判断は「査証政策の一環である」という一言だった。外務省の査証政策と言われれば、部外者はどんな大義があっても振りかざしようもないのだ。
 情報機関員と見られる人物が査証申請してくると、外務省は治安機関に照会書面を送付するのが慣例だ。当時の外国人課では申請書類のコピーを四部作成することになっていた。警察庁、公安調査庁、警視庁、千葉県警に送付し、「問題の有無」を照会するためだ。
 外務省外国人課からの送付を受けると警察と公安調査庁は、世界中の情報機関から提供された「機関通報リスト」と呼ばれるブラックリストと照合し、「好ましくない」「間題ない」といった意見を外務省側に回答することになっている。
 申請書類のコピーを受け取った当時の治安機関側の担当者は、
「スミルノフの査証申請のときにはある書類が添付されていた」
 と異例の扱いを明かす。
「添付書類」とは在ロシア日本大使館からの公信だった。この書類にはあることが記述されていたという。
「スミルノフはプリマコフの命を受けて、日本に赴任し、目本の情報機関と連絡を取りたいとしている」
 この公信に登場する「プリマコフ」とは、当時のロシア外務大臣で、KGB解休後は初代のSVR長官を務めていたエフゲニー・プリマコフのことだ。アラビア語に堪能な中東の専門家で、情報公開など民主的な姿勢でSVRのイメージ向上に一役買った人物でもある。
 プリマコフはSVR長宮を務めたあと、一九九六年に外相に就任、スミルノフが日本に入国した一九九八年九月、セルゲイ・キリエンコ首相解任後の首相に抜擢されている。
 つまりスミルノフは、当時のSVR長官ヴァチェスラフ・トルブュコフではなく、外務大臣の命令で、あくまでも「外交官」として赴任してくることを強調し、諜報目的ではないことをアピールしたのだ。そしてSVRというロシアの巨大情報機関の首脳部のひとりとして、「公然たる情報外交」を申し出てきたのである。
 ソ達が崩壊したあと、米露の情報機関同士ではある合意があったという。SVRはワシントン駐在部のレジデント(駐在部長)の名前をアメリカ国務省に知らせ、反対にCIA側はモスクワ支局長の名をロシア外務省に通知することになったというのだ。いわば双方が「公式代表」を置いて、国際テロ対策を中心に「情報外交」を進展させることになったのだ。こうした手法は情報先進国の間では常識になりつつある。
 オウム真理教事件で明らかになったように、日露間でも「情報外交」を発展させる必要性が高まっているのは確かだろう。国際テロリズムだけでなく、日本人拉致に関わる北朝鮮情報を、SVRとの駆け引きの中から引き出すことも可能かもしれない。
 しかし、残念ながらSVRのカウンター‐パートになる対外情報機関は日本には存在しない。警察はあくまでも法執行機関という位置づけだし、内閣情報調査室は海外に展開する実勤部隊を持たないのだから、「ギブ・アンド・テイク」は成立しないのだ。
 そんな状況下で、過去にジャーナリストに偽装してスパイ活勣をしたことが明らかになっている機関員を受け入れてしまえば、日本は正真正銘の「スパイ天国」というレッテルを国際社会から貼られることになる。このため警察庁、公安調査庁ともに、「好ましくない」という強い反対意見を外務省に送った。
「警察や公安調査庁が公式にロシア大使館参事官に接触しようとしたら、外務省は『外交の一元化をおかしている』と目くじらをたてるだろう。しかしスミルノフのときだけは違った。外務省ロシア課は最初から入国前提に起案していた。かつて偽装してスパイ括勤を行った情報機関員と情報外交しましょうと歓迎したら、世界中の情報機関のもの笑いの種にされるだけだ。これは日本の面子の問題だった」
 と公安調査庁の国際部門に在籍していた幹部も不快そうに言う。
 査証政策の鍛終訣定権は当然外務省にある。「スミルノフはPNGであるべきだ」という警察、公安調査庁の意向はまったく無視されたのである。
(以下略)


(P281以下) 新たな任務
 森島とボガチョンコフを一年がかりで追ったウラのスパイハンターたちは、再び大都会の雑踏に溶け込んでいた。
 五人のスパイハンターたちは霞が関の外務省前で、煙草を吸うために出てきた弛緩した役人を演じながら、「対象」が出てくるのを粘り強く待っていた。外務省正門から死角になる東京地方裁判所脇、街路樹の陰に停められた作朧車両内に一人が待機し、外務省通用門周辺に二人、外務省正門の桜田通りを挟んだ反対側の歩道に二人が配置されていた。対象を待ちうける四人の徒歩行確員はゆっくりと歩道を往復し続ける「流し張り」を行っていた。
 狙いはある外務省職員と、SVR(ロシア対外諜報庁)東京駐在部長ボリス・スミルノフの接触である。
「俺たちはオモテの強制追尾の中止を命令されただけだ。ウラの秘匿追尾は問題にはならない」
 鈴木宗男の圧力でオモテの強制追尾を中止するよう命じられた外事一課第四係は、ウラに課長特命班を設置し、秘匿追尾を開始したのだ。
 スパイハンターのひとりの携帯電話が鳴った。男は目を細めて電話を切ると、ジャケットの胸元のマイクに向かってこう言った。
「今連絡が入った。森島は実刑だそうだ」
 まもなく、視線の先には、秘匿追尾対象の外務省職員が出てくるだろう。外務省の建物から巨体を左右に揺らしながら出てくる男の姿は得体の知れぬ迫力がある。この男が歩くと、外務省を出入りする霞が関の住人たちが、ごく自然に道を譲る。ある者は恐れおののいたかのように、ある者は珍しいものを見るかのように、その巨体を見つめるのである。
 スミルノフと最も接触頻度の高いこの外務省職員がタクシーに乗れば、セダンタイプの作戦車両が追尾を開姶し、徒歩ならば五人のスパイハンターが伝統の秘匿追尾技術で周囲に影のように張り付くことになる。
 彼が誰と接触していようと、スパイハンターたちは直近に位置して、秘撮用デジタルビデオカメラと高指向性ガンマイクで、その一部始終を記録する。接触相手は徹底的に調べ尽くされ、会話内容や行勤形態は視察報告フアイルに綴られるだろう。
 森島祐一の判決の翌日、スパイハンターたちは、スミルノフと鈴木宗男、そしてこの巨体の外務省職員が、港区内の高級しゃぶしゃぶ料理店に入っていくのを確認した。
(終わり)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  昔、KGBの出身という、ロシア人と話をする
 機会があったが、舌を巻くほどに、堪能な日本語を
 喋っていた。

P.S.

中国の訳ありの漁船が、ロシアの国境警備隊に
 撃沈された由。一見友好国家の誼を通じている
 ようでも、いざとなれば平気でこういう事件を
 起こしてしまう。
  国家間の駆け引きとはこんなものでしょう?
 平和惚けの日本人には、理解できないわな。
  

 

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