例のとこから - 波方鵜晏 2008/12/15(Mon) 00:31 No.64
例のとこから 投稿者:波方鵜晏 投稿日:2008/12/15(Mon) 00:31 No.64
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/16618/bbs_plain?base=48026&range=1
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48026 返信 Re:暗殺者を賛美する日本の教科書 URL 三鷹 2008/12/14 19:56
> (次回へ続く)
というわけで続きです。
当時の死亡率などについての資料を探したら、次の論文に行き当たりました。
千葉経済論叢 第29号「朝鮮半島の人口転換とその変動要因の分析 : 李朝時代から現在(韓国・北朝鮮)まで(経済政策 : 人口)」三浦洋子
http://nels.nii.ac.jp/els/110004624524.pdf?id=ART0007335075&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1228036986&cp=
この論文によりますと、
”こうした「多産多死」から「多産少死」への移行は、通常は国内の経済発展に伴って移行していく現象であるが、当時の朝鮮では朝鮮総督府という外部からの移植によって実現した。まず農村振興であり、その結果としてしての食料不足の解消である。「朝鮮米増殖計画」によって米を日本へ輸出し、その代価で低廉な満州産の粟や外米を購入し、飢饉の頻発によって大量の餓死者が出ていた李朝時代に比べれば、農民たちの食生活は量的に改善されていった。
当時作成された「食料需給表」によれば、1927年の1人1日当たりの供給熱量は2,700キロカロリーで、90%がでんぷん質食料で占められていた。ちなみに、日本の同年の供給熱量は2,300キロカロリーであった。こうした現象は、「イギリスの所有に帰しながら、アイルランドの人口が馬鈴薯によって増加したごとし」との指摘もあった。(永井1930)さらに、公衆衛生の改善と医療制度の確立、特にコレラ、天然痘、ペストなどの伝染病予防や、ハンセン氏病患者の収容施設設立などが朝鮮総督府によって行われ、死亡率低下に大きく貢献したのである。”
ということです。
また、同論文中に「金哲『韓国の人口と経済』」からの引用として植民地時代の乳幼児死亡率の表が掲載されています。それによりますと、年度別の死亡率(‰)は次のとおりです。
1925年度 172‰
1930年度 151‰
1935年度 145‰
1940年度 135‰
1944年度 125‰
乳幼児死亡率の低下傾向は明らかと言えます。
この論文は植民地時代に朝鮮人の栄養状態・衛生状態は李氏朝鮮時代より改善され、それが人口増につながったと主張しているわけです。
乳幼児死亡率の低下は総督府治世の功績として評価して差し支えないものと思います。
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李朝時代末期の半島の一般大衆は
腐敗した王族・両班によって
搾取され、塗炭の苦しみに苛まれていたわけだ。
ある意味では、併合により、それは一般大衆の
啓蒙・解放の道を拓いたものでしょう。
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