奥利根自然・文化発信基地
           利根川源流の里 藤原
ロ ッ ヂ 雪 割 草
  
      ◆  文 化 ・ 歴 史 へ の い ざ な い  ◆
藤 原 の 文 化
藤 原 の 四 季
伝説の村・藤原
武尊山との関わり
里 山 散 策
野   仏
史跡・文化財
民   話

 伝説の村 藤原

 藤原の歴史は、古代にまでさかのぼることができます。村中の日当たりが良く近くに水のあるような
 ところからは、縄文時代の土器や石器が発見されています。この時代にはすでに集落があったと
 思われます。そんな大昔になぜこんな山奥に住んでいたのか? きっと山菜や木の実や動物が
 豊富で豊かな場所だったのではないでしょうか
 藤原にはいくつかの伝説がありますが、そのひとつとして奥州の藤原氏にまつわる伝説で1889年
 に源頼朝に滅ぼされた奥州藤原氏の残党が、落ち延びてきてこの地に住みつき藤原と名付けた
 という説。この伝説にまつわる数多く謎があります。現在も残っている地名や古墳や神社等
 また砦跡、供養塔などから単なる作り話でなく隠された真実があることを信じてやみません。
 
 藤原と上州武尊山の関わり
 長い信仰登山の歴史がある武尊山ですが、山の北麓にある藤原では武尊神社への参詣を除いて
 武尊山への信仰登山に関する資料や遺物は表向きには何一つ残されておりません
 しかし、原地区には吉野$ゥがあり、この地区で祀られている不動尊と修験との関係、さらには
 藤原から武尊神社への表口として原地区に一ノ鳥居があったこと、などを考え合わせると相当古
 くから山との関わりがあったものと推測するのも不自然ではないと思います
 信仰登山の歴史を伝える直接の資料は皆無ですが、残された遺産的事実から歴史のロマンを
 追い求めてみるのはいかがでしょうか
 
 藤原の里山散策
 昔の藤原はそれはそれは辺ぴな山里で、長い間利根川下流の人々にその存在を気づかれなか
 った、というほど俗に言う 「かくれ里」 だったのです
 12月から4月まで1年の半分近くを雪におおわれる土地で村人たちはどんな生活をしていたの
 でしょうか?。雪深い地方に伝わる笑い話で、深い雪の中を町から旅人が村を探して歩いてき
 ましたが、いくら捜しても村は見つかりません。ちょうど村人らしい人が来たので村の場所を
 訪ねてみました。その人は笑いながら「村はあんたが今立っている、雪の下だよ」と言ったと
 いう話がありますが、藤原もこのような豪雪地帯です

 スキー場の賑わいをよそに、現在でも冬は雪に閉ざされて、除雪におわれ本来の生活もまま

 ならない日が続きますがその分だけ春の雪解けが待ち遠しいのです
 4月になり村を覆い続けた雪が解けはじまると藤原に春がやってきます。明るい日差しとともに
 人々は田畑に出て自然の恵みに感謝するのです
 里山とは、「人里近くにあって人々の生活と結びついた山、森林」のことと記してあります。藤原には
 茅葺き屋根の民家が少なくなったものの現在も残っており、その屋根材料確保のためや牛馬飼料
 や田畑の肥料を得るための採草地、かつての入会地であった、カヤ場(すすき草原)の復元作業が
 地元と東京の市民団体《 森林塾 青水 》との協力により進められています
 
 藤原の野仏
 藤原には、山と緑に恵まれた自然の中に道祖神をはじめ青面金剛などの庚申塔、頭の上に馬を
 乗せた馬頭観音など数百体をこえる野仏が各部落の入口や橋の袂、また山道の峠などに点在
 しています
  ・道祖神は部落から部落の村境、峠、辻や橋の袂などに在って疫病や悪霊などが村へ侵入する
   のを防ぐ塞の神として災害から村人を守り、幸福を与えるものとして造立されました
  ・馬頭観音は山道や狭い崖地などの道際に私達の安全を見守るように慈しみをもった姿でひっ
   そりと立っているのをしばしば見かけます。観世音菩薩が合掌し、その頭の上に馬面を乗せて
   崖地際や山道の入口に造立され馬や牛の守護、安全などまた山道で死亡した人たちの供養
   などに祀ったものと思われます
  ・野仏の中には可憐な顔で手をつないでいるものや大きなワラジがつるしてあるもの、三匹の猿
   が刻まれているもの、みなその一つ一つに深い意味があり、人々の願いや想いが込められて
   いるのです
 かつて山国の寒村であったため、私達の先人は厳しい自然の中にあって知恵と工夫とによって、
 その風土の中に逞しく生き抜いてきました。その厳しい生活の中にひとときの憩いを見出した
 素朴な信仰、山ノ神・馬頭観音などの山の仕事に結びついた野仏、また道祖神や庚申塔
 (青面金剛)日待・月待(如意輪観音)などの祭りや講は信仰を通じて村人の唯一の話合いや
 慰安娯楽の場であったようです。  これらの民俗信仰の野仏が多くみられるのです
    ※ ロッヂ雪割草のすぐ近くに双体道祖神と猿田彦命と2つの石仏があります
 
 藤原の史跡・文化財
 史跡・文化財めぐりは、観光として見ていただくのはもちろんですが、目に見えるものだけでなく
 その史跡に秘められた人々の想いや生きざま、また時代背景に想いをめぐらせることこそが
 最大の楽しみではないでしょうか  
 史跡とは昔からその土地にゆかりのある場所や施設の跡≠ニ考えています
 藤原地区でも建物や建物跡の礎石、戦いの跡、神社やお寺などご覧いただきたいと思っている
 ものはたくさんあります。しかし施設が立派に整い観光地化された場所と違い、知らなければ
 通り過ごしてしまうような目立たない場所にあるものがほとんどです
 ここ藤原には全国的に有名・著名な歴史遺物はありませんが、藤原の郷で伝えられてきた
 伝説にまつわるもの、古文書などに残された戦いの跡、そして人々の生活や信仰を物語る
 史跡を見て歩き、先人たちの想いにふれていただきたいと思います  
 また、「地名とはどんなところからどんな風にしてつけられたのでしょうか?
 どんな訳かはわからないけれど古くからずっと言い伝えられてきた地名。それは先人たちの
 共通の思いや出来事を地名と言う言葉に変えて私たちに伝えてくれているものだと思っていま
 す。地名から過去の出来事や歴史を訪ねてみる・・・なんとロマンあふれることでしょう
 そのような理由から地名とは大切な歴史遺産≠ノなるものだと考えています
 
 藤原の民話
 昔、囲炉裏端で“じいちゃん”や“ばあちゃん”から聞かせてもらい、眼を輝かせながら聞いた民話。
 藤原の郷には数多くの民話が伝えられています。しかし今は伝承をしていくのが困難になってい
 ます。祖先たちのさまざまな思いを受け継ぎ、語り手たちのそれぞれの思いを表現したのが民話
 だと思います。藤原郷の自然の中に生まれ、育ち、生活をする者となって働き、生産活動と信仰
 とを通してしみこんだその生きざまこそが、民話を生み育てているエネルギーになっているのでは
 ないでしょうか世代が移り変りせっかくの宝物がなくなってしまうのはとても残念なことだと思って
 います。民話の中にもいくつかの内容や題材により種類があり(学問上の分類ではありませんが)
 それには昔話、伝説、世間話などに大きく分けられています
 有名な話の中で、伝説の類には「応永寺の縛られ竜」 「ごまを作らなくなったわけ」など、昔話の
 類に「カラスとキツツキ」 「しっぽのつり」 「さるむこ」 「へっぴり嫁ご」などまだまだ沢山あり、
 世間話の類では狐・狸やむじな・天狗・化け猫・化けもの・神様・を題材にした話や身近な話・経験
 した話などがあります
 ロッヂ雪割草では、“藤原の民話”を伝承していくことの重要性を痛感しています
 
 
藤原にもたくさんの民話が残されています
ぜひ、のんびりと語りを聞きに来てください
《  藤原を知ってもらいたい、ロッヂ雪割草のこだわりのページです  》
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