2010年4月30日(金曜日)晴れ28,102   SHODAの部屋TOPへ

●読書

『下流の宴(うたげ)』〈林 真理子著:毎日新聞社〉

本日お昼休みに読み終えた。
噂には聞いていたが・・・こんなに面白い本とは思っていなかった。

現代の若者事情、親子問題はもちろんのこと、主人公が医者を目指す
ということで医学部受験状況や上流家庭、下流?家庭など
彼らを取り巻く様々な事件や出来事がどれも痛快であり、また、
考えさせられる内容だ。

ミーハーな印象を持っていたが、この本を読んで、林 真理子さんへのイメージが変った。


2010年4月29日(木曜日)晴れ28,077

●畑作り

午前中、久しぶりにグリーンストーンヒルズテニスクラブに行く。
晴天だが風が強く吹き、テニスにはあまり良いコンディションとはいえなかった。
インドアで2セットだけプレー。2敗(3-6、2-6)

帰りに自宅近くにある農園で野菜の苗や肥料、
芝生の中の雑草取り、土壌改良剤などを購入。

庭の草取りや芝刈り、畑を耕して土壌改良剤や肥料を遣り、
野菜の苗(きゅうり、トマト、ナス、オクラ)を植えた。




2010年4月27日(火曜日)雨28,028

氷ノ山山歩きアップ

noraさんから熱い声援をいただき、頑張って氷ノ山山歩きの写真をアップした(^.^)

とりあえず今日は写真だけ。

WAKWAKのホームページの容量がいっぱいになったので、新たにmega eggの
サーバーにアップロード。

容量がたくさんあるので、大きめ写真をたくさん掲載できました!



●読書

「葬式はいらない」葬式・戒名に金をかけられない時代の葬式事情。
〈島田裕巳著:幻冬舎〉

日本の葬儀費用は平均231万円。
対して世界はアメリカ44万円、イギリス12万円、ドイツ20万円、韓国37万円。・・等など

最近は結婚式で仲人を立てないことが当たり前になっているのと同じように
葬儀の中身も大きく変わってきているようだ。

葬儀にお金をかけるかけないは別にして、読んでおく価値のある本である。
2010年4月25日(日曜日)晴れ28,006

●氷ノ山山歩き

ZIZIBABA登山隊K隊長駐車場を午前4時55分出発~~~午後8時50分無事帰宅。

晴天で絶好の山歩き日和だった。午前9時登山開始し、午後3時前に下山。
まだ残雪の残る美しい山を堪能してきた。
詳しい内容は後日アップしようと思う。






●読書日記


「もう一人の本田宗一郎」本気で怒り、本気で泣いた男
〈原田一男著:ごま書房〉著者の原田氏は元本田家執事。

私の一番感動した内容はこの本の前半にある本田氏の行動について書かれている部分。

本田さんはHONDA創業25年の時に実にあざやかに社長を退任したことはあまりにも有名。

社長退任時に「頑張ってくれた従業員一人ひとりにお礼を言いたい」と言ったことを
周りの人は儀礼的な言葉と捉えていたが、本田宗一郎氏はそれを実現した。

それも、日本全国に散らばっているサービス工場や従業員2~3人の小さな販売店まで
ホンダの看板をあげているところはすべてまわると言い出した・・・・。
そしてその旅は昭和49年の1月28日早朝からはじまりました・・・・。

実際に九州鹿児島から始めたお礼行脚は日本全国にとどまらず、アメリカ、カナダ、
ブラジル、ヨーロッパと世界のホンダ工場すべてを回りきった・・・。

この部分は何度読んでも感動する。

本田氏が社長の座を息子に譲ることなくきれいに引退し、その後も会社もますます
発展しているのはまさに本田宗一郎氏のDNAが受け継がれているからなのだろう。

2010年4月12日(火曜日)曇り27,893

●読書日記

◎「私の好きな悪い癖」〈吉村 昭著:講談社〉

平成12年の作品。
この本も図書館で借りて一気に読んだ。

吉村さんのエッセイ本はこれでほとんど制覇したのではないだろうか。

遅咲きの氏は、何度も芥川賞候補になるが、1966年 39歳の時に
やっと『星への旅』で太宰治賞を受賞してから脚光を浴びることになった。
(ちなみに前年の1965年に妻である津村節子さんが芥川賞を受賞)

若い頃から結核を患うなど肉体的にも精神的にも苦労されたことが後の作家生活に
大変役立ったとのこと。人生何が幸せなのかはわからないものである。


◎「静かに 健やかに 遠くまで」〈城山三郎著:海竜者〉

平成13年12月初版で城山氏のエッセイ本。

本書の終わりの解説にある一文から・・・

“本書のタイトルにした『静かに 健やかに 遠くまで』は、私の最も
好きな次の言葉を縮めたものである。
「静かに行く者は 健やかに行く 健やかに行く者は 遠くまで行く』
いまとなっては、その書名も著者名も思い出せないが、高名の経済学者の
業績と人物を紹介した本の中に出てきた言葉で、学生時代の終わりか大学教師に
なって間もない私が読み、すっかり、その虜になった本の中に出てきた言葉である。”
・・・とある。

レベルの低い自分には何度読み返しても今ひとつ文脈の意味がわからないのが
情けないが、こうやって読書を続けていればいつか理解できる日が来るのだろうか?

いや、努力や年齢を重ねるからわかるのではなくて生まれ持った感性の問題かな・・・。



2010年4月12日(月曜日)雨27,880

●読書日記

最近読んだのは・・・・以下の3冊。

◎「ひとり旅」〈吉村 昭著:文春文庫〉・・・通夜の晩に読んだ。

◎「わたしの流儀」〈吉村 昭著:新潮社〉

◎「福知山線5418M 一両目の真実」〈吉田恭一著:エクスナレッジ〉

吉村さんの本はブックオフで見つけて思わず購入した。
最近特に吉村さんの本にハマっている私。
エッセイ本から人柄が偲ばれるし、自分自身の生き方の
手本になるような方である。

「福知山線・・・・」は、たまたま図書館で目に留まり、借りて読んだ。
事故にあった一両目に乗っていてまさに「九死に一生を得た」状況を
生々しく綴られている。実話だけに迫力があり、身震いしながら読んだ。

読書は本当に楽しい。

もっと早く読書に目覚めていたら小説家になるのも
夢ではなかったかもしれないなぁ。

2010年4月11日(日曜日)曇り後雨27,862

●母逝く

4月1日午後、長い間療養生活を送っていた母が亡くなった。

4月4日(日曜日)に無事葬儀を終え少し落ち着いたところ。

大往生だったし、生きている間はできるだけのことをしてきたつもりなので悔いはあまりない。
が、いくら高齢であってもやはり私を生んでくれた大事な親なので、今でも心には
ぽっかりと穴が開いたような複雑な気分だ。

そして、喪主というものを初めて経験した。(父は私が20歳の時に亡くなったので・・)
今まで数々の葬儀に参列してきていつかは自分もそういう立場になるんだろうな・・・などと
漠然と考えていたが、実際に訪れてしまったわけである。

4月1日(木曜日)午後に亡くなり、3日の(土曜日)が友引だったので、
土曜日が通夜、日曜日に葬儀という運びになった。

母は高齢であり、転倒が元で脳疾患を患い11年くらい前から車椅子生活で
ここ数年は寝たきり状態だったので、いざという時にはできるだけ周りの皆さんに
迷惑をかけないように地味な葬儀にしようと兄弟で話し合っていたが、
たまたま土日と重なったことや、生前の元気な頃の母は人の面倒見が
良かったこともあったのか?親族も驚くくらいの大勢の人に見送られ天国に旅立った。

遺族代表挨拶でも述べたが・・・・
「明るくて、とても手先が器用で働き者だった母は5人の子供と大勢の孫やひ孫に
囲まれて本当に幸せな人生だった」と思っている。




●虫の知らせ

入所していた施設から「母の容態が急変した」との連絡があったのは花見の翌日の
3月29日(月曜日)午前8時頃(出勤途中)だった。

前日の日曜日(3月28日)はテニス仲間と福山城裏のテニスコートでテニス&花見が
催され参加したばかり。

3月27日(土曜日)は通常なら仕事帰りにほとんどかかさずに母の入所している施設に
寄るのだが、その日はたまたま夕方から福山で仕事の関係の講演会出席しなければ
ならなかったので、いつもなら午後3時から始まる長者ヶ原でのテニスの開始時間を
1時間早めて2時から行うことにしてもらい、私は職場からテニスコートに直行。
プレーを楽しんだ後、そのまま講演会の会場へ。

翌日は朝からテニス&花見&飲み会で存分に楽しんで帰宅は夜になった。

・・・・・ということでほとんど欠かしたことのない母の入所している施設への訪問を
この週だけはパスしたのである。

日曜日はテニスの後、福山城で咲きかけの桜を見ながら宴会→場所をI邸に移して2次会。
そしてとどめは駅の下にある焼き鳥屋さんで3次会。
午後8時過ぎの電車で自宅近くの駅までたどり着き、駅に乗ってきていたミニサイクルに
またがり(大きなテニスバッグを袈裟懸けにして肩に担いでいた)自宅を目指して
ふらふらと運転していたら前輪が路地左側にある小さな溝にはまり、アスファルトの
道路に転倒。

その時は気づかなかったが、自宅に帰って明るいところでみると、左手2ヶ所から血が、
そして右目下が少し腫れて赤くなっているではないか。

かなり激しく転倒したのにこれだけの怪我で済んだのは母が助けてくれたおかげ
なのかなぁ・・・?
そして、親をないがしろにして遊びばかりに熱中しているからしゃべれない母が
テレパシーで「こらぁ!」と怒っていたずらしたのかなぁ・・・。

・・などと今になって考えているところである。