2016年12月25日(日)晴れ46,590   SHODAの部屋TOPへ

テニス忘年会

12/25(日)17:40 テニスの友人14名が駅前の居酒屋さんに集合!17:50乾杯




読書メモ

『回り灯篭』
〈吉村 昭〉著:ちくま文庫


自らが描き続けてきた歴史上の人物のように、潔く死と向き合い、
決然とした態度を貫いた作家。
死生観や取材の思い出などを綴った最後の連載随筆集。
同時代の作家城山三郎との滋味溢れる対談を併録。
(amazonHPより)
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このエッセイはもう何度も読み返した。
エッセイを読めば氏の人柄がよくわかる。
若い人にも薦めるが、作風が地味なのであまり受け入れてもらえないようだ。

2016年12月19日(日)晴れ46,570   SHODAの部屋TOPへ

読書メモ

『海の家族』
〈石原 慎太郎著:文芸春秋社〉


試合相手を殺めたキックボクサーの純真…「ワイルドライフ」。
度重なる海難から生還した兄弟のその後の生…「海の家族」。
老女のおぼろげな記憶に刻印された海の洞窟…「ある失踪」。
父帝に疎まれる運命を負った英雄の旅…「ヤマトタケル伝説」。
彼等は決して無駄に死んだのではない…「特攻隊巡礼」。
タフな状況を生き延びた者たちを描く、石原文学の新境地。
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『後ろ向き』
〈岸部 四郎著:幻冬舎〉


1949年京都府生まれ。
ザ・タイガースのバンドボーイをしていたが、後に加入。
GSブームの一翼を担う。
タイガース解散後、「ルックルックこんにちは」の司会や
ドラマ「西遊記」などで幅広く活躍。
しかし、98年、連帯保証等による借金で破産を申請。
それから8年、現在はバラエティ番組やドラマなどで、
独特のキャラクターが愛されている
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『あの画家に会いたい個人美術館』
〈大竹 昭子著:新潮社〉


あの画家の、あの絵に会いに出かけよう。
画家たちを育んだ日本各地の風土に触れつつ

代表作や知られざる小品を味わう旅。
全国の主要個人美術館17館に加え、
「ほかにもある各地の個人美術館」リストも収録。

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『どうせ生きるなら』
〈大橋 巨泉著:角川oneテーマ21〉


僕の「セミ・リタイア宣言」後の優雅な生活は、
予想に反して失敗だらけだった。
仕事、人間関係、病気、セックスに至るまで、文明の進歩、
日本人の意識の変化は僕の予定を遙かに超えてしまっていた。
時代が変われば考えも変わる。
ここで改めて「人生の選択」を少しばかり“修正”させていただきたい。

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『芸術がわからなくても美術館がすごく楽しくなる本』
〈藤田令伊著:秀和システム〉


「美術館の雰囲気は好き」
でも、十分に楽しめているかというと
ちょっと疑問に思ってしまう人のための本です。

本書を読めば、深い芸術の知識がなくても、
美術館を存分に楽しめるようになります。

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『日本発! 世界のヒット商品』
〈毎日新聞経済部 (編集) 〉

日本の“おもてなしの心"で大成功!
サリーを洗える全自動洗濯機(インド)、
聖地メッカの方角指し示す腕時計(中東)……
日本企業が世界の暮らしに合わせて開発した商品の数々。
柔軟な発想と“おもてなしの心"で、新たな市場を切り開いた成功例を満載!




土、日のテニス

長者ヶ原スポーツセンタースポーツセンターにて

土曜日は15時~17時 A、Bコート2面 男女に分かれてプレー。
男性は4人で、みんなそこそこの腕前。ほぼ休みなく2時間みっちりプレーした。
3セット→2勝1敗。最近はフォアハンドの凡ミスも減り、テニスをエンジョイできるようになった。

本日、日曜日は午前11時~午後1時 Cコートにて
サービスやボレー、スマッシュ、ストロークなど基本練習中心で汗を流した。



今井絵美子さんからのメール


闘病生活をしながら執筆活動を続けている福山出身の作家、今井さんからメールが届いた。
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今年もあと僅か……。
昨年の五月末に余命三年の宣告を受けて乳癌の手術を受け、一年半。はやくも半分の時が過ぎようとしています。
現在の心境は、なんとか生き延びてこられたという想いと、徐々に弱りつつある身体に、あと半分このまま元気に書き続けてけるだろうかという想いで一杯です。
けれども、まだまだ大丈夫です。百冊刊行を目標に、これからもせっせと書き続けていくつもりです。
さて、12月25日頃、角川文庫より「髪ゆい猫字屋繁盛記」の第七弾「紅い月」が刊行されますのでお知らせ致します。
今回は照降町自身番の書役をしていた喜三次が、いよいよ書役を辞して女房のおゆきの家業を継いで魚竹に入ることに……。
そして猫字屋のおたみを中心とした照降町の面々にもさまざまな展開が……。
今回も人情味に溢れた、ほのぼのとした物語になりました。どうかご期待下さいますようお願い致します。
2017年もこの調子で頑張りますので、どうか引き続きご声援下さいますようお願い致します。
どうか皆さま、元気でよいお年をお迎え下さいませ!!



Mさんのエッセイ

年末なので、パソコン(ドライブの中)の大掃除をしていたら、古くからの知り合いである、Mさんのエッセイを発見。読み返してみたらとても心温まる内容だったので、彼女の許可を得て、HPに掲載させていただきました。
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『Sさんのこと』
 
                                   
 休日当番の某日朝のこと、救急車からの連絡でやや酪町状態で軽症の40代の男性を受け付けた。彼はなんとか自分で歩いて救急車から降り立ち、目立った外傷もなくてふつうに予診票を書いてくれた。救急受付の書類を交わした後、救急隊員の人がちょっと首をひねりながら帰って行ったのが気にかかったものの、私もカルテ作成に取りかかった。

 この辺ではあまり聞いたことがないようなSという苗字に続き、住所を転記していて驚いた。北海道S市・・「今住んでいる所はどこなんですか?」と改めてたずねると、「福山市S町」と市内の町名を正しく言われたので、とにかく市内に在住はしているのだろうと一応安心し、診察室に案内した。

 その頃勤めていた、その病院での休日の自費診療の取り扱いは、本人様に五千円を当日入金していただき、後日保険の種類がはっきりしてから過不足を清算するということになっていた。処置を終えて受付に戻ってきたSさんの、着くたびれて汚れた作業服と日に焼けすぎたようなお顔を見比べながらおそるおそる切りだすと、お金なら少しあると言い、ポケットから千円札を三枚取り出して見せた。五千円には足りないけれども、三千円ポッキリしかない所持金を全部入金してもらうのも気の毒に思われたので、そのうちの二千円をもらうことにした。

 支払いを済ませると、来た時よりは気分もしっかりしてきたようで、にこやかに「どうもありがとうございました。」と述べられ、[お大事に。」と送り出した。

 それにしても軽症とはいえ、酔いはいくらか醒めたとはいえ、そこから数キロはあろうかと思われる現住所地のS町までどうやって帰るのだろう、とふと気になって玄関先まで出てみると、救急車で搬入されたはずのSさんが自転車置き場から1台の自転車を引き出している最中!

 一瞬血の気が引き、駆けつけながらなるべく気を落ち着けようと焦った。努めて穏やかに「Sさん。この自転車、名前がちがいますよね(さいわい自転車に名前が書いてあった)。」と言うと、人懐っこい感じの照れ笑いを浮かべて自転車を元に戻し、今度はタクシーを呼んでくれと言う。

 再度事務所に戻りタクシーを手配し、車が来るまでは目を離さず客席まで送り込んだ。ようやく一息ついているところへ、先ほどの運転手さんが単身戻ってきて小声で問う。「おねえさん。あの男は金をもっとるんかいな?」今なら個人情報の漏洩とされるかもしれないが、ポケットには最低千円所持している事をひそひそ伝えると、ホッとして車に帰っていった。ほどなくタクシーは玄関前の道を走り去って行った。

 そのあと、北海道S市の区役所の電話番号を調べ、電話をし、自己申告どおりの住所地にSという人が自己申告どおり国民保険に加入しているかどうか確認してもらった。結果を備考欄に書き入れたらその日の当番の仕事は終わりだった。

 そんなことも忘れたある日、「某日の休日当番は記録によるとあなただったよね。その日の受付当番さんにって電話がかかってるから出てみて。遠距離みたいだから急いで。」上司に促されて受話器を取ってみると、相手はSさんという年配の女性。“S”という名前を聞いたとたんに休日当番の記憶がよみがえった。

  「そちらの病院で某日受診した人は、捜素願を出して捜し続けている息子じゃないかと思う。どんな特徴の人だったでしょうか。」あまりのことに驚いて「身長は150センチくらい、日に焼けてて、人懐こく笑う方で・・。」詰まり詰まり私の印象をお話しすると、多くを言わないうちに「やっぱりうちの息子に間違いありません。ここの住所を書いたんですね・・・・。」としまいは涙声であった。

 その後どのような手続きが取られたのかは知らないが、数週間後、今度は二人の客人が来院した。忘れもしないSさんとそれに随行した役人らしい人だった。「職員さんの協力のおかげで身元が確認でき、これからSさんを北海道S市の自宅まで送り届けるところです。その前にご挨拶に寄らせていただきました。」満面笑顔で話される付添い人の隣で、さっぱりと身なりを整えたSさんの意外に迷惑気な表情と、お座なりな挨拶が忘れられない。もしかしてSさんは放浪を中断されて不機嫌だったのかもしれない。酔っぱらってつい本籍地の住所を書いてしまった事を、後悔していたのかもしれないとあとから思った。

 それから二十年近くがたも、子どもを持つようになってみて、やっぱり私は少なくともあのお母さんにとってはいい事をしてあげたのだと確信するようになった。Sさんのお母さんは、息子が行方知れずになってからも国民保険の保険料を払い続けていたのだろう。いくつになっても母親は子どものことを思うもの。
 青葉の頃、思い出すのはSさんのことである。

 <スタッフ一人一人に忘れられない患者さんとの思い出があり、時には小説より奇なる事実に遭遇していると思う。個人情報保護の壁に阻まれて詳しくは聞けないけれど。>