早春の山歩き “飯野山(讃岐富士)と屋島” SHODAの部屋へ
平成21年2月15日(日曜日)快晴で絶好の山歩き日和。ZIZIBABA登山隊S.K隊長に誘われ、香川県の飯野山と屋島の山歩きを楽しんできました。
午前8時過ぎに福山駅北口で待ち合わせ。隊長の車に昭和の美男美女7名(平均年齢60歳くらい?で私が一番若かった)が乗り込み、出発。
山陽道福山東インターに乗り、途中瀬戸大橋にある与島で休憩&朝食・・・・坂出インターで降り、飯野山登山口へ到着。
飯野山は、標高421.9m。丸亀市・坂出市にまたがる山で、それぞれに登山口があります。丸亀市からの登山道は、健脚の方になると30分ほどで
頂上に至るそうですが、初心者や家族連れは1時間ほどを予定し休憩しながら登るのがおすすめです。丸亀市のシンボルとして、讃岐平野の
美山の象徴として愛されている飯野山(いいのやま)は、讃岐富士と呼ばれ、円錐形の見事な姿を誇っています。
(丸亀市の観光案内より一部抜粋)
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〈登山道入り口にある駐車場にて〉 右に920先生、オレンジのヤッケを着た女性がnoraばばさん |
〈S先生とM岡さんが地図を見ながらなにやら相談を・・・〉 同じ道を歩くのは面白みがないので下山は違うルートを通って 降りようということになり、車をどこに移動するか?思案中 |
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〈丸亀城〉 登山開始して15分くらいか? 少し霞がかかっているが、遠くに丸亀城が見える。 |
〈やっと三合目〉 この日は朝から気温が高く、この時点で着ていたトレーナーを 脱ぎ、半そでポロシャツ一枚で登る。 |
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〈頂上にある昭和天皇歌碑〉 「暁に駒をとどめて見渡せば讃岐の富士に雲ぞかかれる」 昭和天皇は摂政官だった大正11(1922)年、陸軍大演習で 香川を訪れました。(丸亀市観光情報より) |
〈三角点〉 421.9Mで初心者向けの登山コース 左の石碑にもあるが、飯野山(讃岐富士)は新日本百名山の ひとつで最近とても人気のある山らしい。 |
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おじょもの足跡、大天狗とよばれる巨石や巨岩が磐座(炎岩)を 取り囲むストーンサークルのように、古代の謎を秘めて 点在しています。(丸亀市観光情報より) |
下山地点から撮影(こちらから見るとあまり美しい形ではないか・・・) | |
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屋島へ 屋島は瀬戸内海国立公園にある海抜293メートルの半島形溶岩台地である。頂上部が平坦で、その形状が屋根に似ている所から 屋島と名づけられたという。四季を通じてその展望は瀬戸内海随一といわれ、南国の陽光は、備讃瀬戸の島々に惜しみなくふりそそぎ、 山上の各所にある展望台からは、ゆきかう大小の船舶、讃岐平野が一望でき、眼下には檀ノ浦の古戦場が広がる。 観光と史跡のロマンにあふれた屋島は、各種交通機関を利用でき、高松市内から至便の地にあり、 山頂は舗装された周遊道路が完備している。(屋島HPより抜粋) |
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屋島登山開始 | 〈男の哀愁〉 920先生が黙々と登っていく |
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〈四国四十八番札所の屋島寺〉 | 〈狸と狐の石像をバックに兄弟仲良く記念写真を〉 | |
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〈魚見台からの眺め〉 ながめの良いこの大地は、魚見台跡です。この高台から海を見下ろして、魚影をさがし沖の漁師にその位置を知らせた場所と 伝えられる所で、もっと昔は、瀬戸内海を行き来する船尾を監視する見張り場でもあったようです。 この屋島北領には、東西に2箇所づつの計4箇所の魚見台跡が残っています。ここの標高は、約280mです。(看板の解説) |
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〈遊鶴亭から長崎の鼻越しに瀬戸の海と島を望む〉 この場所から北領登山口まで一気に下山 |
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北領登山口からこの場所までは車で移動した。 長崎の鼻から振り返ると先ほどまで歩いていた屋島が見える |
〈長崎の鼻砲台跡地〉 屋島最北端に位置するこの場所は1863年幕府の命を受けた 高松城主が高松の港を守るため、ここに砲台を築いたとのこと |
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この後、近くにある温泉付きレジャー施設でお風呂に浸かり、ビールで乾杯。帰宅したのは午後8時を過ぎていた。 山歩きを計画し、いろいろと気配りいただいたS先生に心から感謝します。そして帰りは男性軍がビールを飲んだので、副隊長さんに 最後まで運転をしてもらい本当にありがとうございました。同行させていただいたZIZIBABAの皆様にもお世話になりました。 |