とにかく今は、趣味の時代なんだそうだ。そんな大げさに、時代なんて言葉を持ち出さなくてもいいんじゃないかと僕は思うのだが、どうにもこうにもそのようであるらしい。いまどき無趣味ですなんて人に言うのは、恥を晒しているようなものだそうである。
 はなからこんなことを言うくらいだから、もちろん僕に趣味などない。気が向いた時にだけ音楽を聴いたり、たまに難しい顔で本を読んだりはするのだが、とても趣味と人に言えるものなど持ち合わせていないのだ。あらためて考えてみたところで、それらしいものには何ら思い当たらない。果たして僕には趣味と呼べるものがあるだろうか……。
 腹を揉む。家の猫が油断を見せるたびに揉んでやるのだが、これがなんとも言えず気持ちがいいのだ。しかし、それを趣味と言えるのかというとやはり人には言いづらい。まず匂いを嗅ぐ。どうしたものか、これまたついついやってしまうことなのだが、それが何ものなのかわからないと、つい鼻へと持っていってしまうのだ。これはよくよく考えると本能的な行動というだけでしかない。では他には何か……、いくつか浮かんでは来るのだが、どうもいまいちピンと来ないものばかりだ。タマネギのセンイを顕わにしたり、どこで寝るにも『北』を意識してみたり、やはり僕は趣味などと呼べるものは持ち合わせていないらしい。
 姉に言わせれば、その時点でアンタはウザいということだ。そんな姉の趣味にしたって、たかだか『読書』でしかない。趣味の決めゼリフみたいなものだ。試験の面接官にしてみれば、待ってましたというところか。姉の読書にしたって、やはり決めゼリフらしく誰彼の書いたものが好きというのではなく、本屋で平積みされているのが好きといった程度のものでしかないのである。そんな姉にウザいなどといわれてもどうという事はないのだが、いつしか趣味は無いよりあったほうが良いのではないかと考えるようになったのである。しかし、改めて趣味を探そうとなるとこれはまた難しい。体を動かすものから頭を使うものまでやたらと種類が多いのだ。
 こういう時は消去法なのだ。どうしてという理由はない。全くない。ただ、僕の信条として迷った時は消去法に限るのだ。
 それでは、何から消していこうか。まず体を動かすものはだめだ。それは動いたり、汗をかいたりするのが嫌いだからなのだが、嫌いというのは趣味を決めるにあたっては大きな問題であろう。趣味はストレスというのがあればまた別だが、それは医者通いが趣味なのとはわけが違う。厭々やる趣味などというのは聞いたことが無い。その嫌がりが趣味だという『嫌がりファン』的な考え方は無い事は無いかもしれないが、まあどっちにしろ僕には向いていない。とにかく、はやる気を押さえられないといった類のものでないことは確かなのだ。
 では、頭を使うものはどうだろう。頭を使う、といってもいろいろとある。将棋などどうだろう。ゆくゆくは榧の盤などを買い揃えて、縁側で一人詰め将棋。名盤が生む名勝負。なかなかおつな感じがするのは気のせいだろうか。しかし、結局一人ではできないというのはどうも性にあわない。コンピューターを相手にしたとしてもどうもだめだ。まず、コンピューターというのが僕にはくせものだ。いつだかのファジーブームはどこへいったのだろう。思えばあのブームが、僕とコンピューターとの架け橋を作りかけていたというのに。そもそも僕は、0か1しかないというのがだめなのだ。彼らは、あいまいな返事が出来ない。とぼけることすら出来やしない。これが出来るようにならない限り、僕はコンピューターなどには触れる気もしないのだ。例えば将棋にしてもズルが出来ない。ズルして勝った時に陥る自己嫌悪から道徳を学ぶ、なんてことが出来るようになれば少しは彼らのことも考えてやるのだが。
 そうだ。人が思いもつかなかったようなことを趣味にしたらどうだろうか。他の誰にも、それが趣味というのは秘密にしておく。真似されたらつまらなくなるからだ。あくまでも個人の楽しみとして、密かに営む。ほくそ笑む。なかなかいい考えだ。そう考えていくと、がぜん趣味探しが楽しく感じられてきた。漲るという感じだ。
 しかし、人が思いつかないものなどいまさらあるのだろうか。何かを集めるにしたって僕と同じような考えの奴らがもう先を越しているだろう。集めるのはやめよう。では何がいいだろう?落ち着いて身の回りをちょっと見まわしてみよう。そうそう、こういう時は一度、趣味の事を頭から離して……。
 僕は最近Rというバンドのある曲にひどく惹かれている。といってもそれはイントロの部分だけなのだが妙に耳に残るのである。しかし、Rというバンドはとにかく歌がへたくそなのだ。血管を浮かせて高い声などを出しているのだが、アンタやっちまったんじゃねえのかといった具合に、僕のように音楽に造詣の浅い人間でさえ見抜けてしまうのである。それから考えると、その下手さといったら相当なものなのだろう。それでも不思議とイントロの部分は惹かれてしまうのである。まさか歌をカバーするためではないのだろうが、少し長めのイントロで、僕なんかには何の楽器が鳴ってるかもわからないがカッコいいのである。Rというバンドは十代の女の子に人気のちょっと気取ったお兄さんバンドのような存在である。それを二十二にもなって惹かれるなんてと自分が嘆かわしいのだが、惹かれてしまうものは仕方のないことである。
 姉はそんなRを毛嫌いしていた。お兄さんたちのスカシ具合が気に入らないのかテレビに出てくるたびにどこがいいの?などと息巻いていた。僕が女子高生あたりにはたまらないんじゃないの?など言おうものなら、いつのまにか僕が眼の敵になってしまったかのような言葉を浴びせてくるのである。どうせあたしは……からはじまって、だからあんたは……まで延々と鼠の嫁入り式に話しが繋がっていくのである。それでもこの曲のイントロは気に入っているらしく、ここまではいいんだけどねえと全く僕と同じ事を口にしたりもするのである。
 僕はこの辺に何かヒントがあるような気がした。Rというバンド。そこだけが好きになってしまうイントロ。そして何よりもふだんから何だかんだと自分に辛くあたる、姉。
そして僕はある事を閃いた。

 僕は、一本のカセットテープを作った。名前はこうだ。その繰り返しが美しい。名前の通り、延々とあの曲のイントロだけが繰り返されるテープだ。それを姉に渡したところで、もちろん喜びはしないだろう。だから作ったのだ。このテープを無理に姉に聞かせる。そう考えただけで僕は、胸のすく思いがするのだ。
 問題はどうやって聞かせるかなのだ。それにしたって、そう難しい事じゃない。姉は、毎日通勤に電車を使っている。姉はそこで、たいていウオークマンを聞いて過ごしているのだ。ラッシュの中でテープを代えたりなどそう出来たものではないだろう。それよりも姉が、替えのテープなどを持ち歩いたりするなんて考えられない。
 僕はじっと、姉が風呂に入るのを待った。その時がチャンスなのだ。それを逃せば気付かれずにテープを替えることは出来ない。僕が替えた後に、姉がテープを替えてしまう怖れもあったがそうなってはどうすることも出来ない。そうならないことを祈るのみだ。夜中に姉の部屋に入るという手も考えられたが、とてもじゃないが出来なかった。姉はけっこう敏感なのだ。夜中に僕が忍び込んだのがばれたら大変な事になる。兄弟なのに何考えているの、と確実に言うだろう。おいおいあるわけないっしょ、などという弁解はまず通じない。しまいには目で犯された、と言うに違いないのだ。
 姉は風呂に入り、もう用意は整った。僕は予定通りに姉の部屋へこっそりと忍び込み、テープを替える作業に移った。姉の部屋に入るのはどれくらいぶりだったろうか。僕が中学生の時に、一度だけこっそりと入った事があった。姉は高校生で、今よりもかわいい小物がたくさんあったのを思い出す。その時の僕は、それこそ兄弟なのに何考えているのというようなことを考えてそこに立っていた。
 その時は、当然ドキドキしていた。見つかったらどうしよう、と言う思いからドキドキしていたのかもしれない。別に姉を特別な目で見ていたわけではなかった。ただ一番近くにいた、異性というだけだった。それでもドキドキには変わりなかった。その時僕は、結局何もせずに部屋から出ていた。ドキドキしただけで満足だったんだろうと思う。なんとなく僕は、その時の気持ちを思い出していた。今はぜんぜん何とも思ったりはしていなかったが、その時ドキドキした事をおぼろげに思い出していた。
 思えば、あの頃から姉は僕にはキツかった。
 僕はそそくさと姉の部屋を後にした。こんな所でノスタルジックな思いに浸っている場合ではないのだ。姉は風呂から上がり、部屋へと入っていった。姉の部屋の戸が閉まると、僕は妙に緊張し始めた。それと同時に、僕は趣味探しの事を思い出してもいた。今更そんな事を考えた所でどうなるというわけでもないことはわかっていた。ちょっと失礼。などと言って姉の所に乗りこむ度胸も持ち合わせていないのだ。そんな事をすれば、なんだかんだわけのわかんないこと言って入ってきて、あいつちょっとおかしいこと考えてんのよ、と母に告げてしまうだろう。もう取り戻す事は出来ないのだ。明日になれば、姉はあのテープを聞くことになるのだ。もうどうすることも出来ない。
 翌朝姉は、いつも通りに会社へと向かった。いつもと変わることなく、僕も会社へと向かった。一日は、あっという間に過ぎていった。問題はこれからだ。僕は、遅く帰ることにしようか迷った。飲んで、姉が寝た頃に帰れば顔を合わせることもない。でもそれでは、問題は先に延ばされるばかりだ。せっかくの企ても、結末を見届けなくては面白みに欠ける。それは、結末がどのようであったとしてもだ。僕は考えた末、早く帰る事にした。
 姉は帰ってきた。いつもと何ら変わりはない。ただいま、姉は僕を見てそう言った。おかえり、僕は姉をじっと観察しながらそう答えた。姉は、僕を見ながら口元に笑みを浮かべていた。もしかしたら姉の奴、あのテープを気に入ったのかもしれない。しかし、そうではないことをすぐに僕は悟った。
 姉のこぶしは固く握り締められていて、僕の前を通りかかるときれいに一発僕に見舞ったのだ。

                               (完)