万冶の石仏 |
春宮の近く、田んぼの中に鎮座する阿弥陀如来の石仏です。2mのおにぎり型の自然石の上に丸いお顔の石がちょこんと乗っていて何ともユニークです。岡本太郎画伯や作家の新田次郎が絶賛したことから広く知られるようになりました。
昔、近在の人たちは浮島の阿弥陀様と言いお参りしていたが、一般にはあまり 知られていなかった。これを世に出すきっかけをつっくた人は今は亡き岡本太
郎画伯。下諏訪の歴史的な情緒を愛し、しばしば訪れた画伯が、昭和四十九年 の諏訪大社柱祭に来た時、これを見て、「世界中歩いているがこんな面白いも
のは見たことがない」と絶賛、新聞や雑誌に書かれ、知名人が次々と訪れるよ うになり随筆や小説にも登場一躍有名になった。
おむすびのような自然石のテッペンにチョコンと首がはめこんであり、首と 胴が極端にちぐはぐで、またその表情がユ−モラスである。胸に袈裟となぞめ
いた絵が彫られている。太陽・月・雲などと見られる模様と逆さ卍(まんじ)。 手を組みその右に南無阿弥陀仏と大きく彫られ、万治三年(一六六○)の年号
と、ややわかりにくいが「願主明誉浄光・心誉廣春」とある。願主のこの二人 は像籍にも見当たらず記憶もない。
この石仏には不思議なことがいっぱいある。諏訪大社春宮の大鳥居建立に関 連しての伝説では、春宮に石の大鳥居を寄進しようとした時のこと、それを請
けた石工がここにあった大きな岩を刻んで鳥居にと、ノミを入れた途端その岩 から血が流れ出した。恐れをなした石工が仕事をやめたところ、その石工の夢
枕に諏訪明神が立たれ、神のお告げで良材を見つけることができ鳥居は完成し た。そのようなことから初めに鳥居にしようとした岩に阿弥陀如来を彫り祭っ
たというのがこの石仏で、背にそのノミの跡という傷が残っている。 |
みのもんた朝ズバッ放映
万冶の石仏の謎 |
「最近、万治の石仏の首が伸びてきている」などと新聞やテレビで報道されています。
「ここ数日で石仏様にご対面いただいたお客様は推定2.500人。日頃首を長くしてお客様をお待ちしていた石仏様もこの度は少々戸惑い気味に首を縮めたくなったのではないでしょか。」下諏訪観光案内所談。
下諏訪町は諏訪大社のお膝元。
科学的に解明できない不思議な出来事がたくさんありますが歴史のある町では特に不思議なことではないようです。
観光協会談
「みのもんたの朝ズバッ!」の番組は朝7:57〜8:10頃まで石仏のニュースでした。
観光協会の瀧澤協会長が「観光客の安全面を考えて修理を決めました」とコメント。
会議所の前田課長が、昨年GWでテレビに取上げられ観光客が増えた事をコメントし、案内所の大久保所長が石仏グッズの売上が大変伸びたという事と「石仏の首は直りましたが、観光客の皆さまが来てくれることを首をなが〜くしてお待ちしてます。」とコメント。(とてもかっこよく出演されてました♪)
観光案内所談
下諏訪遺跡 万治の石仏。
首が伸びた石仏様は元通りに直りました。
今まで通りに万治の石仏様は首を長くしてお客様とのご対面をお待ちしています。
昨年5月2日、TBSテレビ「朝ズバ」にて信州下諏訪温泉の石仏様の首が伸びたとの放映がありました。時あたかもGWの最中のこと、全国からどんな石仏様か、どんなに伸びたかと話題となり、普段静かな万治の石仏様に列をなし5日間にて約4.500名のお客さんに首の伸びっぱなしのままお参りをいただきました。
万治3年(1660年)に石仏様はこの地に建立されていますが、平成19年3月23日に地元の新聞に「下諏訪の石仏、首が伸びた」と比較写真を添えて報道されました。
345年も経った現在、万治の石仏様は何を待たれて首を長くしたものと地元でも話題仕切りでした。
平成20年3月4日、下諏訪町文化財遺跡の為に下諏訪町教育委員会に現状変更届けを提出、管理してきた観光協会が修復作業に当たった。
首が伸びた原因について「ほぞ穴はやや斜めに開いていた。冬期間の凍み上がりで支柱が上がり、解けて戻る際にほぞ穴の壁面に当たってそのままになった」と推測された。
石仏様も「首がすわって一安心、正面からは昔ながらの幾分小首をかしげた愛らしさが戻って来ました。
威厳と微笑みを取り戻した万治の石仏様、今後とも宜しくお見守りください。 |
本陣宿 聴泉閣かめや |
参勤交代の諸大名や皇女和宮が泊まった上段の間があります。中山道随一といわれた名園は上段の間から望むことができます。宿泊者は見学が無料、上段の間でのサービスもあります。 |
下諏訪宿本陣 岩波家 |
参勤交代の諸大名が泊まった奥座敷があります。京文化の影響を色濃く残したたたずまいや、中山道随一といわれた名園などに、往時の面影をしのぶことができます。見学可能です。 |
浪人塚 |
幕末の元冶元(1864)年、京を目指した水戸藩浪士天狗党の一団はこの地で、高島・松本両藩の迎撃に合い、激戦を交わしました。この戦いに倒れた浪士を供養する塚です。和田峠に続く旧山道にあります。 |
魁塚(相楽塚) |
JR下諏訪駅近く。明治維新の折、官軍の関忘として年貢半減などを掲げて江戸へ向かった赤報隊が裏切りにより斬殺されたのがこの地。相楽総三ら無念に倒れた大使を奉っています。 |