●腹黒こそが世界を救う?
腹黒?そうそう、わたしこそ腹黒王子!
キング・オブ腹黒!!
まさに腹黒の中の腹黒!!!
図書館で勉強をしていると、しゃべっている人がいる。
うるせんじゃいボケ!と思いつつも、
営業スマイルで、
「本当にすみません、もし宜しければ、
少し静かにしてもらえますか?」
その場その場で顔を使い分ける。これが私です。
え?大したことないですか?
おっほん!ひとつ聞いてもいいですか?
どうして腹黒がいけないの?
それでは、まず、腹黒の定義は?
ん〜、偽善者?本当は自分の為だけど、
他人のためのフリをして良い行いをすること?
それでは、その反対は?
無償の愛?
本当に自分の利益を考えないで、
ただ、ただ、他人のためにすること?
そんなこと、人にできる?
私にはまったくできないですよ。
何かをしてあげたら、
見返りを期待しちゃう。
感謝してほしい・・・。
少なくとも、人の行為を当然と思っている奴には
「あんたの為にやったのに!」と憤慨してしまう。
そう、良く言われているように、
人の為、人の為と書いて偽(いつわり)と読む・・・。
結局、私は自分の欲望を満たすために生きているのです。
食べ物を食べたい!勉強したい!ラクしたい!
そして、一番の関心事、
それは、他人を介して自分の存在価値を知ること。
この満足が得られないとかなりの苦痛が生まれる。
誰も私のことを認めてくれない・・・。
私って生きている価値があるの?
多くの人のなやみの行き着く先は、
ほとんどがこれのような気がします。
逆に、施しを受ける人だって、
それは、大きなお世話なのかもしれないし、
それが本当に彼のためになるのか何て
誰も分かりません。
例えば、子供に何でもしてあげていたら、
子供はいつまでたっても自立できない。
(自立できることが良いことなのかも分かりません。)
そこで、発想の転換。
腹の中で下を出しての行為でも、
それで相手が喜んでくれれば、
それで良いと思うのです。
名声のために恵まれない者に募金をした人がいるとして、
募金をしていない人がその人を腹黒と批判する場合がある。
この場合、どちらも腹黒かもしれないけど、
恵まれない者にとっては、
募金してくれた人の方がありがたい。
こういうこともあるのではないでしょうか。
これは、冗談としまして、
私なりの考えは、
人間、自分の欲望を満たすために生きている。
そして、他人は、何を必要とするのかは分からない。
だから、他人を介して欲望を満たすのを極力やめる。
「あんたのために、仕事をするの?
でも、これって本当にあんたのため?
あんたがやった方がいいんじゃないの?」
しかし、これは、ムリに近いものがあるから、
誰かに何かをしてあげた場合、
他人のためではなく、
自分の為にやっていると自覚をする。
つまり、他人の為になにかして、
その見返りを期待するのではなく、
他人にしてあげた行為自体に満足する。
「あんたのために、
私が仕事してあげているのに・・・、
いや、これも自分のため・・・。
どうせやるなら、楽しくやろう!」
そして、自分の欲望を満たして、
ついでに、ついでに、
隣にいる人の欲望も満たせていたら。
「あっ、それなら、ついでだから、やるよ。」
そして、その人がその隣の人に・・・。
これは、すごく素敵なことだと思う。
これを愛って呼んでもいいんじゃないでしょうか。
人を好きになるって、この逆になることだと思う。
他人の為にして、それを介して、自分の欲望が満たされる。
そんなことしたいと思える人が恋人なのではないのでしょうか。
「これは、他人のためにだ!」と確信的になるよりも、
「自分のためかもしれない」と少し腹黒になったほうが、
お互いが楽な気がします。
こういうのを腹黒って言わないって?
以上