●悩みはいろいろ〜

 

最近、こういう話を良く聞きます。

悩みは人それぞれ。

その人にとっては重要問題。

悩みは比較するものではない。

確かにそのとおりでしょう。

でも、はたしてそれで片付けてよいのかと

私は最近思ってしまうのです。

 

ある精神科医の話によると、

最近の人は、相談の回答で

「他の人でも同じ悩みの人がいる。」というと

「この医者は私の気持ちが分かってくれない!」

と嘆くそうです。

 

最近、私の周りではこういう愚痴も聞きます。

普段、自信過剰でえらそうなことを言っているのに、

一旦失敗すると自分が世の中で1番不幸な人だと

嘆き、わめきはじめる人が多い。

そして、悩みきることはせずに

周りに助けてもらって、

またプライドを振りかざす・・・。

 

結局、私たちは、親や社会によって作ってもらった

プライドを自分が作り上げたものと勘違いして

普段、そのプライドを振りかざし、そんでもって

そんな親や社会に対しては批判するばかり。

しかし、そのプライドは自分で作ったものではないから、

もろく、すぐにこなごなに粉砕する。

それをまた他の人に作ってもらう。

 

例えて言うのなら、

NHKの「プロジェクトX」を観ていて思ったけど、

今、まったく知識がない状態で新幹線を作れ!

と言ったら

初期の新幹線のレベルを作り上げられる

日本人がいるのでしょうか?

戦後の優秀な人材が作ってくれた新幹線を基本として

我々はその改良しかしていないのではないですか?

それをさも自分が新幹線を作ったかのような顔をして、

いざ新幹線が止まると

「雪ぐらいで止まるな!」とどなるオヤジ達・・・。

じゃ〜おまえが新幹線を作ってみろよ!!

と思ってしまう。

関係ないか・・・。

 

プライドを粉々にされたとき、

問題なのは、何を悩むかではなくて、

どう悩み通すか?

そして、その後何をするか?

ではないのでしょうか?

悩んで悩んで負った傷をえぐりかえして

本当に死にたくなるほど悩んで。

そして、

そこから自分の力でプライドを築き上げていく。

そうすれば、以後の悩みは、

自分の底、最低限を知っているから何とかなる。

周りにだって優しくなれるはず。

 

そして、悩みは、生きることにおいて

必要条件かもしれませんが、

十分条件ではない。

 

世界偉人伝に

悩むだけで人生が終わってしまった人を

取り上げますか?

 

そういう意味で器の大きい人間こそが、

強い人間だと思うし、

今の時代必要とされているものだと思います。

私は、自分を磨くためにそういう方に

近づきたい。

「完璧にはなれないが完璧に近づきたい!」

目標がなければ向上はない。

比較がなければ具体的な目標はない。

前へ!前へ!時々悩んで、また前へ!

VOR!

 

スマップの唄(ある製作所のCMのパクリ?)

でどうのこうのっていうのがあるけど、

あれは一歩間違えれば

逃げるための体裁の良い口実に

利用されるだけじゃないですか?

スマップの唄には一定の評価はしますけど、

それは他人に対してであって、

自分の向上のためには、

もっと比較もしましょうよと

私は社会に言いたいのです。

「オンリーワン」も

「ナンバーワン」もどっちも大事!

 

ところで、旧約聖書には、

「知識が増えれば悩みも増える」

という言葉があるそうです。

最初この言葉を知ったとき

人生の悩みという意味で

その通りだと思いました。

でも、今は、ちょっと違う気がします。

しっかりとしたツリー上の

人生哲学があれば

何とか救われる思いに達せられるし、

悩みが自分の対立しているエゴにあり

それが対立利益の上にあると分かれば

その中で妥当なところに落とせばよい。

事実というのは因果の法則にのっとった

当然のものと考え、そこに甘えをせずに、

評価という主観的なところで

満足(感謝)を知れば

エゴから生じる悩みは少しは減るものだ。

今の時代、世界も日本も経済も公務員も中学生も

閉塞間でいっぱいだ。

それはどうしてか?

それは、物があふれ、人が満足(感謝)を忘れたから。

事実がシビアで甘えがきかないという覚悟が人にないから。

少なくともここ何年かの私はそうです。

 

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