●不思議の国にしたのすけ
その1 したのすけ史
今は昔、したのすけがいたかもしれない。
ただ、暗くて狭くて怖かった。
3才の時に、したのすけは、
トップブリーダーに推奨される。
したのすけは子供の頃からエースで4番。
12才でガラスの十代を満喫。
まさに、青春ど真ん中!ストラーイク!!
15才のとき
この時のしたのすけのお値段は
1万円を切りました!9980円!
なお、送料、消費税はこれに含まれません。
20才になり、したのすけ
『夜の連続公務員試験(事件)
ー試験監督は見たー』
を出版するが、すぐに絶版。
この時の涙が、
後のカチカチクラッカーを生んだことは
言うまでもない。
しかし、したのすけはくじけなかった。
走る!走る!走る!時速250キロー!!!
28才のとき、ゴム手袋を持参。
33才のとき、したのすけは、
ジェネレーター出力が2.020kwとなる。
38才になり、くるまだんきちが
ドライブスルーを通れるかの研究を始める。
42才で、トリカブトをカブトムシと間違える。
カールの口癖は、「美しい美しすぎる、
どうしよう、どうもできない。」
44才で小結昇進。
48才のとき東江戸川3丁目に移住。
55才のとき、「宙組」と書いて「そらぐみ」と読ませる。
当時、したのすけは、よく奥菜恵に似ていると言われた。
61才のとき、はらたいらに3000点賭ける。
しかし、篠沢教授には一度も賭けることはなかった。
69才で首が据わる。
70才のとき、こんぴらふ〜ねふ〜ね保存委員会委員長就任。
72才で、東京には空がないことを確認。
84才のとき、永久就職。
まずーい!もう一杯!!
90才のとき、大きくなれよー、
♪まーるーだーいーハーンバーグ!♪
と言い終えると同時に息を引き取る。
やぁー!クラさんだよ!は、
したのすけの左手の法則として今も語り継がれている
こんなんでましたけどー。
阪急ベリーマッチ。