2日目(10月1日)カイロには、現地時間で朝6時45分(この日からエジプトの夏時間終わり)ようやく到着。空港から出るとちょうど夜明けでした。そうなんです。この日はこのまま休憩もなく、一番楽しみとしているピラミッド見学があるのです。ピラミッドのあるギザまで、バスで向かいました。途中の街並みは、人口一千三百万人もあるとは思えない、崩れそうなレンガ作りの家ばかりが目立ちます。遠くにピラミッドの姿が、うっすらと見えてきたときが、最初の感激でした。この日宿泊予定のホテルに着き、約30分で、着替えとシャワーを。関空発の人たち(14名)は、日本から12時間ぐらいで着き、昨日からこのホテルでぐっすりと眠っていたのです(この差がくやしい)。私たち成田組は、休む間もなく、いっしょに計26名で出発です。3大ピラミッドの中で、一番大きいクフ王の墓と言われているピラミッドは、保護のために午前中150名、午後150名しか中に入れないそうで、その切符を手に入れるために、朝8時前には出発するのだそうです。ピラミッドに着いたときには、もう何台もバスが来ていて、私たちが切符を買えたのは、ほとんど最後の方でした。現在の高さ137m 底辺の長さ220m 230万個(一説によると300万個)の石を積み上げて作られたピラミッド。大きい。まずその一言です。ガイドさん(20代後半?のエジプト人女性で、日本に来たことないというのに日本語がうまい)の話でも、このピラミッドは、紀元前2500年前に、20年間で約10万人が、1年の中で8月から10月までのナイル川の洪水の時期、仕事がないときに、働いて作ったと説明(これは、どの本にも書いてあるのですが)。でもグラハム・ハンコックによれば、もし職人たちが1年間365日1日10時間働いたとしても、20年間で、230万個の石(平均約1.5トン)を積み上げるには、1時間に31個据え付けなければならない計算になると。もし3ヶ月しか働かなかったら、1分間に4個、1時間で240個も据え付けなかればならない計算になると。しかも精密に(高さと周辺の長さの比が、2πなど、数字のパズルもたくさんあり)。ついそんなことを考えてしまいました。早速、盗賊マムーンが作った入り口からピラミッドに入りました。(カメラ持ち込み料、10エジプトポンド、約400円、フラッシュはだめ)。すぐに本当の登り通路に。高さ1.19m26度の斜度(ピラミッドの斜面の角度52度のちょうど半分、偶然?。ちなみにピラミッドの斜度は52度でないと、2πにならないと)。中腰で進む間、天井に頭をゴツン!と一回。約49m登ると大回廊に。大回廊の壁は、本当に隙間なく石があわさされ(この接合部の目地は0.5mm以下とか)、表面はすべすべ。高さ8.53mの天井はアーチ型となり、重力を拡散させるように作ってあるとか。これが4500年前の建物か!日頃の運動不足からで、大回廊を息も絶え絶え46m(46mで直線のずれは0.5mm以下とか)登ってようやく王の間に。この入り口は1.06mしかなく、また頭をぶつけるところでした。王の間には、入り口より大きい、花崗岩を削ってつくった石棺がありました。この石棺も現在の技術でも作るのが難しいものとか。有名な通気口も確認し、感激。記念写真を何枚か撮りました。大回廊を登らず、水平に進んだところに女王の間がありました。ここにあるニッチ(階段状に凹んでいる壁)に水燃料電池があったのか(アラン・アルフォードの「神々の遺伝子」での説、ピラミッドはエネルギー発生装置だったと)と見とれる(いろいろな本に毒されている私(^_^;))。この南壁にある通気孔の奥(64m)に、金属の取っ手のついた扉があるとか。ますます夢は膨らみます。中は蒸し暑く、何か不気味で、長くはいられませんでした。地下室の間は、遠くから奧の方が覗けるだけで、入れません。外に出たときは、中腰が続いたためか、下肢がガクガクになっていました(この筋肉痛、3日間続きました)。まだ旅行は始まったばかりなのに、クフ王のピラミッドの中に入れただけで、もう満足。外の写真もばっちりと撮りました。ここでバスに乗って、3大ピラミッドが見える、パノラマと呼ばれる高台に行きました。そこに雑誌の写真でみる風景がありました。エジプトをあらためて実感しました。さらにバスで大ピラミッドに隣接した(約500m離れています)、スフィンクスに向かいます。バスを降りて、河岸神殿に。河岸神殿も不思議のひとつです。200トン以上の巨大な石灰岩で、主要建造物の隅々まで造られており、しかもジグソーパズルのように隙間なく、組み合わされています。現在のクレーンでも200トンの重さを持ち上げのがやっと、とのことで、どうやって造ったのでしょうか。河岸神殿は第二ピラミッド(この神殿の中の穴に、逆さまに入っていた像にカフラー王の名があったために、カフラー王のピラミッドと言われている)と、参道で結ばれていて、その参道の脇にスフィンクスがあります。ライオンの身体に人間の顔。何度も写真でみたことのあるあの像です。1つの岩から作られ、高さ20m、長さ73m、頭の幅は4m以上とか。実物は、やはり大きい。「神々の指紋」に書いてあった、水による浸食の跡はあれか!と確認。これがスフィンクス、ピラミッドが、実は紀元前1万1000年(この土地に最後に大量に雨が降った年)頃に造られたという根拠か!(またまた毒されている(^。^))。午前中の観光はここまで。いろいろな感激のため、暑さと飛行機から降りたばかりの疲れも忘れていましたが、この頃になると、だんだん疲れを感じてきました。昼食は、カイロ市内のレストランでの、エジプト名物料理でした(タヒーナ「薄い生地のパンの中に焼きナス、トマト、ゴマのペーストをいれ食べるもの」、ケバブ「肉の串焼き」など)。 午後はカイロのエジプト考古学博物館の見学です。入り口には、機関銃を持った警察がたくさんいました。飛行機に乗る時と同じように、金属探知器、荷物のX線検査を受けて中に。ここでの圧巻は、河岸神殿にあったカフラー王の像や、高さ7cmのクフ王の像ではありません。なんと言ってもツタンカーメンの発掘品の数々です。あの黄金のマスク、110kgもあるという黄金製のお棺・・スゴイ!ピラミッド、スフィンクスとは違った感激です。別料金のミイラ室には、ラムセス2世などのミイラがありました。名高いロゼッタ・ストーンがレプリカなのに(本物は大英博物館)、ガラスの中に入っているのが、何かむなしい感じでした。約2時間ぐらいの見学が、あっと言うまでした。この日最後の見学は、カイロ・最大のイスラム教のモスク、モハメッド・アリでした(ボクサーのアリとは何の関係もないとのこと)。ここに来て、疲れもピークとなり早くホテルで眠りたい!のみでした。この後、連れて行かれたパピルスの店では、買う気力もなくぼんやりとしていました。ギザにあるホテルに着いたときは、ほっとしました。

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