広島城の外堀のうち、東白島の電車終点付近から−中の棚橋近くまで、南北にわたってあった堀を”八丁堀”といった。また、矢倉下商工会議所からこの八丁堀へつながった堀もまた八丁位いあった。そこで、この東西南北外濠の頂点を”八丁堀”といった。もちろんこれはむかしから名付けられた正式な町名ではなく、自然に生れた町名である。 これらの外濠は明治42−3年に埋立てられて電車通りとなった。大正元年(1912)十一月広島駅から比治山下を通り御幸橋に至る電車が開通。一方、白島、牛田方面に居住する人々の便を考え工事中であった八丁堀−白島線も翌12月」開通した。今の福屋百貨店の位置に映画館の帝国館ができ、その東にローラースケート場があり、その跡へ映画館日本館が出来てのち東洋座と名乗り、その東電車通りの南側に太陽館という映画館がならび、その向い側電車通り北側に歌舞伎座ができたのが昭和2年で、そのころ八丁堀は広島の盛り場の中心地でした。 |
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広島城八丁堀外濠跡(2002/3/24)
現在のUFJ銀行前にあります。(旧第一勧銀)
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広島市街の中心八丁堀は、江戸時代は武家屋敷地で、北に八丁堀御門、中間に京口御門、南は胡町でした。
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大正中期の八丁堀千日前。中央が帝国館。福屋は右電車の後ろあたり。
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昭和4年創業の福屋
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被爆直後の八丁堀(右が福屋)
その他参考:新修広島城下町p48
写真で見る広島あのころp98-
広島県史跡名勝写真帖p22-