| ERIC"Slowhand"CLAPTON 1980年5月15日イギリス・ハマースミス・オデオンでのエリック・クラプトンバンドです。 それまでのアメリカのメンバーと違ってアルバート・リーやクリス・ステイントンらのイギリス勢でバンドを組んで、レイドバック色を一掃し土くさい音やエリック本来のブルーズ路線に戻ってきました。またそれが成功し緊張感あふれるサウンドになりました。このバンドで来日もし、武道館での2枚組LPを発表しています。カントリーギターの達人、アルバート・リーに刺激されエリックもギンギンに弾きまくっていますね。オーティス・ラッシュの渋いマイナー曲の「ダブル・トラブル」なんて良かったな。「ブルース・パワー」でのワウワウ使用なんてこのころのエリックくらいなもんです。不思議なことにこの2枚組ライブに例の名曲「レイラ」は含まれておりません。やたらと安売りしないのかな〜。 アルバート・リーはクラプトンを凌ぐといっても良いほどのギターの名手で、リード、リズム、バッキングなど完璧なギターリストで、「カントリーボーイ」という曲でのスーパープレイは素晴らしかったです。ただブルース・フィーリングという点においては、やはりエリックの深いプレイが際立っていてブルースギターリストにしか出せない味というものがあります。泣きのチョーキングいっぱつね!! 写真はストラトのブラッキーと、レスポール・サンバーストと2種類ありますが、レスポール姿もいいよね。渋い髭をたくわえて落ち着いた風格がある。 「なんかブルーズ聞かせてよ、エリック !!」 サキツミベイビー 2001.11.26 |
| ERIC"Slowhand"CLAPTON ギターの神様といわれ、ロックの歴史のなかに確実にその足跡を残したエリック・クラプトンです。 上4段が1978 - 1979年のイギリス・ツアー、下段が90年代のロイヤル・アルバートホールのおしゃれクラプトンです。ギターマンであんまり動かない人だから、変化に乏しいですがお好きな人には堪らないショットでしょう。特にあの有名なギター、黒いストラトのブラッキーがジックリみれますからね。クリーム時代のギブソン+マーシャル路線か、ソロのフェンダー+ミュージックマンの音かは好みが分かれますがこのブラッキーのハーフトーンの枯れた音色は堪らなく魅力的です。 70年初頭のアメリカンツアーでナシュビルを訪れたクラプトンは「ショーバッド」という楽器店で、5 - 6本の1950年代のヴィンテイジのストラトキャスターを購入しました。この当時はだれもビンテイジ・ギターなんかに目をつけていなかったので、1本$100位だったそうです。今じゃ信じられない$5,000 - $15,000くらいまで跳ね上がっています。 イギリスに帰ったクラプトンはこれらのギターを、1本はジョージ・ハリソンに、もう1本はステ−ヴィ−・ウィンウッドにプレゼントし、残りの3本のパーツを組み合わせてブラッキーを作り上げました。このギターもその後リタイアして、昨年麻薬治療センター建設のチャリティオークションに出品され、最終的に1,000万円以上の値がついたそうです。 確かにジミヘンのストラトか、エリックのブラッキーかというくらいの逸品でしょうね。よく手放したな〜。 ブラッキーのヘッドにタバコの焼け焦げがありますが、あれはブルースマン、バディ・ガイのマネですね(笑)タバコをはさんでリラックスして渋いブルーズを弾くんです。クゥィ−−−ン。 サキツミベイビー 2001.11.19 |
| 2001年夏フジ・ロックフェスに来日し、まだまだ健在振りを強力にアピールしたニール・ヤングです。 写真は1979年の「RUST NEVER SLEEP TOUR」の物と、80年代の多分ロンドン・ウェンブリ−の「ネルソン・マンデラコンサート」の物と思われます。 ニールのステージは基本的にはシンプルなアコーステック・セットと、爆音グランジのエレクトリックセットに分かれます。 こう見ると色々なギターを贅沢に使い分けていますね。56年レスポール・カスタム、グレッチ・ホワイトファルコン、生・ギブソンJ200、マーティンD28&45などハーモニカも同時に吹いて「HEART OF GOLD」でしょう!ネルソン・マンデラ師にささげて「R&R FREE WORLD」をプレイしました。 79年のエレキセットでは、ステージ上にフェンダーの大きなギターアンプをオブジェとして築き上げていました。80年代にニールの来日ライブを渋谷のNHKホールでみています。この時は新クレージーホースを率いて素晴らしいステージを見せてくれました。途中で外人のファンがニールに、ドラッグでオーバードウス死した旧メンバーのダニー・ウィッテンについてしつこくヤジリました。「Where is DANEY?」と。これに切れたヤングは「ヤツは死んだぜ!! 逝っちまったんだ!!」 と叫んで、狂気モードの「My My Hey Hey」や「Down By The Riverside」になだれ込みました。狂気と怒りに燃えたニール・ヤングのギターは凄まじかった。あの一言が火をつけてしまった。 死んだダニ−はクレイジーホースを首になった時、最後にニールから貰った50ドルでヤクを買ったそうだ。(合掌) 60年代のバッファロウ・スプリングフィールド時代からニールヤングのことは好きでした。学生時代に渋谷のBYGやブラックホークで良く聞いたアルバム「After the Gold Rush」や「HEART OF GOLD」「4way Street」などが強烈に思い出されます。当時、道玄坂を登ってゆくと、よくカルメン・マキさんと出会いました。神秘的で綺麗な人でした。 サキツミベイビー 2001.11.12 |
| カラーの上2段は、70年代なかば頃のイギリスのアールス・コート会場だと思われます。下2段はロンドンのロイヤルアルバートホールじゃないでしょうか。J・ペイジがヒゲを生やしていますから、多分1972年か? ZEPはライブでは最初エレキで1時間くらい突っ走って、途中アコースティック・セットを間にはさみ、ボンゾのドラムソロや、R&Rメドレーで爆発すると言うながれでした。 ステージの前面にイスにすわって3人が「Going to California」などをプレイします。ジョンジーのペダルスティールとかマンドリン、アコギなど多才です。ボンゾもその後フットドラムで参加します。71年武道館でもこの時に、プラントが人差し指で聴衆を指差していました。指された人はドキッとしただろうなぁ〜。とにかくカッコよかったです。 ボンゾのドラムソロはとにかく凄い!一音聞いただけでぶっ飛びます(笑)ドッカーン、ドッカーンっていうかんじで雷が落ちたような迫力がありました。ドラムソロでも素手でたたき出してパワフルなサウンドでした。 ペイジのアコギもブリティッシュ・フォークに通じる奥深さがありました。ペンタングルのバート・ヤンシュやデービー・グラハムらの影響やパクリもあるとされていますが、それらをすべてまとめて世界にいち早く差し出したのがジミ−・ペイジで、それがなければあんなには広がらなかったと思います。 ブリティッシュの田園風景、山や丘、湖上、亡霊の出そうな古い城、崩れ落ちそうだった最後の栄光・・・・こんなものを初期のツェッペリンには感じます。 サキツミベイビー 2001.11.5 |