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広島の橋 >> 本川橋(ほんかわばし) 中区
本川(旧太田川)の平和公園(中島本町)と堺町(堺本町)の間にかかる橋、本川橋は、昔は猫屋橋ともいわれていました。
この橋は、猫屋町の地名の由来となった、猫屋九郎左衛門が自力で架けたといわれます。(知新集)むかしは、平和公園側に元柳町があり、柳の大木があったが、橋の近くには現在も柳の木が多くある。
本通りから土橋へ歩いて行く人が多く見られます。橋のたもとにあった韓国人原爆慰霊ノ碑は、平岡前市長の最後に平和公園内に移された。春には花見の人が多く訪れます。
明治20年9月9日作成の広島市街明細地図(図説広島市史付図)には猫屋橋とあるが、明治27年の広島市街地図(新修広島市史付図)には本川橋となっている。 |
現在の本川橋・堺町から平和公園を望む(2001/12/08)
現在の本川橋・平和公園から堺町方面を望む(2001/12/08)
昔は、西国街道として賑わっていたが、主要幹線橋が相生橋となっていった。
明治26/9/29の本川橋(図説広島市史よりp128)
堺町1丁目にある鉄橋堂の本川まんじゅう(2001/12/16)
(創業明治30年11月3日とある)
現在は「
もみじ庵」です。(2010/12/9)
さくら
GoogleEarth座標
34°23'37.33"N 132°27'2.16"E
その他参考:続々がんす横丁p18-,169-
新修広島城下町p219