――2002.8/5〜8/7――
あかじそファミリー《また!》海に行く


A「海へ」



 心の大黒柱(ばばじそ)欠席のまま出発した元気のない一行は、
すなわち、羅針盤を持たずに海に乗り出した船乗りみたいなもので、
優柔不断の集まりだった。
 すべてをバッサバッサと独断と偏見で仕切っていくばばじその決断力のおかげで、
その周りの者は皆、恐ろしく優柔不断な人間に成り下がっていたのだ。

 いつもは踏ん反り返って威張っているじじじそも、
「俺のガム、無くなってきちゃったなあ、お姉ちゃ〜ん」
と、えらく弱気だ。
 61歳児のだだっこは、当たってもびくともしない横綱のような
ばばじそ相手だからこそ、全力でワガママを言い放ってくるのだ。
 私のような小結程度が相手じゃ、繰り出すワガママも遠慮がちである。

「こっちの道で行ってみる〜? お姉ちゃ〜ん」
「店に寄りたくなったら、言ってよ〜」
と、えらく腰も低い。
(あとでばばじそに聞いたら、「お姉ちゃんと喧嘩するなよ」
とばばじそに釘を刺されていたらしい)

「俺が咳払いしただけで、『ウルセエ、頭痛い、向こう行け』
って言って、ばあさん俺に怒るんだよ〜」
と、朝から半べそでクヨクヨしている。

 何だか湿っぽいドライブになってきた。
 2歳半の四男は、いまだに私の乳に一日中吸い付いて
オシャブリ代わりにしているので、チャイルドシートには1度も座らず、
結局乗車中は、ずっと乳をくわえていた。

 半べそのじじじそと、車に酔ってモウロウとしている長男が前列。
 常に授乳体制の2列目。
 殴る蹴る、ツネル、泣く、引っかくムシル、を
ひっきりなしに展開している次男と三男が3列目。

 何が楽しいのだろうか、この集団。

 結局出発してから2時間後、市原インターに到着し、
我々は、車から降りて、朝食を摂るべく、食堂へと向かった。

「僕カレー」
「僕ラーメン」

 朝からみんな大好物にありついていた。
 相席のテーブルで、
「はい、ラーメンの人誰〜?」
「カレー、今取り分けてやるから待ってて」
「箸持ってきて、箸5膳! あとスプーン1個〜っ!」
「お母さ〜ん、ちっちゃいお椀も要るよね〜!」
「水汲んで来て〜」
「うわ〜、台拭き台拭きっ!」
と、いつもの自宅での食事風景同様のことになっていると、
向かいに座っている家族があんぐりとしていた。

 弟一家がインターに着いて、大騒ぎになっているテーブルを見ると、
それは案の定、うちだったらしい。
「ああ、あの一員に加わるの、つらいわ〜」 
と思いつつ我々に声を掛けてくると、挨拶もそこそこに、いきなり、
「ほら、ぼんやりしてないで注文してきなさいよ」
「お椀要るか? お椀」
「おつゆこぼすこぼす、ウエットティッシュだよ、ほらほら」
と、一瞬で大家族の輪に吸収されてしまっていた。

 食事はそれぞれ適当に食べていつの間にか終了し、
小さい者はガチャガチャだお菓子だ、と四方八方に散っていった。
 中でも2歳半の四男は、ガチャガチャの前でひっくり返って号泣し、
外に連れ出すと靴を脱いで駐車場へと突進し、追いかけて連れ戻すと
今度は土産物屋に突撃し、バカ高いオモチャを手に持って
「買え」とひっくり返って泣く。
 また店の外に連れ出すと、またなぜか靴を脱いで
車の激しく行き交う駐車場へと突進する。
 追いかけて連れ戻すと私を殴りまくり、
一瞬ひるんだ隙にまた土産物屋に突進し、
さっきのオモチャを手に持って、
外に連れ出されないように足を踏ん張っている。

 もう、インターチェンジじゅう、四男の絶叫で満ち満ちていた。

 汗だくで追い掛け回す私の耳に、
「買ってやりゃあいいのに」
「親のしつけが・・・・・・」
「みっともないねえ」
「今の子は・・・・・・」
という言葉の断片が聞こえてくるが、
そんなことをいちいち気にしていられない状況なのだった。

 片っ端から気に入った物を手に持ち、買わないと言うとひっくり返って号泣し、
車に突進していく、というのを繰り返す四男は、
買ってやったところで一瞬ですぐそれを放り出して、
次のターゲットへと走る。
 全部買ってやっていたら、うちは破産だし、
我慢できない子に育ってしまうだけだ。
 
 ウチの子は、みんなこうだった。

 泣き喚く。
 走り回る。
 ひっくり返る。
 
 どこも同じようなものだと聞くが、それにしてもウチのは特に激しい。

 15分以上、売り場と駐車場とを号泣して往復する幼児の後を追いかけていると、
じじじそが大きな声で
「買ってやる買ってやる」
と言った。
 ピタッ、と四男は泣き止み、じじじその片足に抱きついて
頬に涙を伝わせながら、もうイヒイヒ笑っている。

「あ〜〜〜っ! ひとりだけずるいずるい」
と、三男がヒーヒー声を上げ、
また新たなトラプルが発生しそうになったところで、みんな急いで車に戻った。

 と、長男・次男が、当然のように弟一家の車に乗り込もうとしている。
 三男がまた「ずるいずるい」と叫び始めた。
「なんでそっちに乗るの」
と長男・次男に聞くと、
「だって『インターからはおじちゃんの車に乗りな』って僕たちバーバに言われてるの」
と言う。

「遠隔操作か!」
 恐るべし、ばばじそ。

 ――シャリオは、喧嘩盛りの6人では、ちと狭い。
 弟と合流してからは、小学生ふたりをそっちの車に移動!――

 ばばじそは、要所要所でそれぞれに指示を与えていたのだった。

 キーキー騒ぐ三男をこっちの車に引きずり入れて、インターを出発。
「あとで交代させるから」
とは言ったものの、時々車が止まっても、長男・次男は絶対に交代しなかった。
 ついに三男は強引に弟の車に乗り込み、小4・小2・幼稚園年長の3人は、
弟一家の車で移動となった。

 果たして、シャリオは、じじじそと私と四男の3人になり、
静かに移動、ということに相成った。
 愛する妻がいない淋しさで泣きそうな父。
 常に母の乳に吸い付いている四男。
 何時間も腹の上に10キロ以上の幼児を乗せていて気持ち悪くなっている私。
 
 「シー―――――ン」だった。

 一方、アカンボを囲んでほのぼのトラベルだったはずの弟の車は、
突如、嵐のようなバッシング&バイオレンス3人組に乗っ取られ、
可愛い姪っ子【カナ10】こと【カナミ生後10ヶ月】は、
恐怖におののいていた。

 さて、いよいよ海に着き、子供たちとじじじそ、弟が水着に着替えて、
海へとどんどん入っていった。

 弟は、10代の頃からサーファーで、今でも現役サーファーなので、
子供の付き添いというよりも自分から勇んで海に飛び込み、
「ヒャッホ――――ウ!」
という心底はしゃいだ声が子供を差し置いて何度も聞こえた。

 私と四男、弟の奥さんと【カナ10】で、浜のパラソルの下で
「しょうがねえなあ」
と、その光景を眺めていると、去年までは決して海に入らなかった
長男や三男までが、結構深い方まで行っている。

 弟のハイテンションが、うちのインドア派兄弟を変えた。
 結局、思う存分「海水浴」をちゃんと楽しんだ男連中は、
砂が海パンの中にざらざらと入ったまま、車へと戻った。

 もう昼だ。

 磯のお食事処に大勢でぞろぞろ入り、メニューを見て、
「さあ、何食べる?」
と聞くと、またもや、

「僕カレー」
「僕ラーメン」

と言う。

 また?!

「さっき、同じの食べたじゃん」
と言いつつも、私とて、さっきも今も、
「ラーメンでいいや」と思っている。

 一番安心なのだ。
 カレーとか、ラーメンとかの方が。
 多分、我が家のようにギャ―ギャ―うるさい割に
優柔不断で、保守的な血筋の人々には。

 ホントは、サザエの何とかカンとか、だの、磯の何とかオツクリ、とかの、
海っぽくて豪華なものが食べたいくせに、
「ゲッ」というものが出てきたらどうしよう、と心の中で葛藤した挙句、
結局、「カレー」とか「ラーメン」なのだった。

 と―――。

 ここで突然チャレンジャーが現れた。
 私たちの血よりも、夫の血が濃く流れる、夫似の長男だ。

「僕、特製海鮮あわびラーメンね!」

 彼は、普段は物静かに構えているが、ここぞというときは、大胆不敵である。

 大勢で何かを食べに行き、「みんな同じ物でいいよね」という流れのときでも、
「いえ、わたしは、伊勢エビのフレンチタルタルワイン蒸しと、
子羊のサワーステーキ・ゴーダチーズ&レタス添えを! あ、レア―で!」
などとシャアシャアと言う夫にそっくりなのだった。


                    (Bに続く)
2002.08.08 作 あかじそ