「 マスクの母 」

 「子供の作文」で、次男のマスク騒動があったばかりなのに、
今度は、私がやらかしてしまった。

 いや、しかし、弁解するわけではないが、
これは、もう、私の能力を超えた部分での出来事で、
私の努力では、どうにもならなかったことかもしれない。

 ことのてん末とは、こうである。

 とある、新学期が始まったばかりの夕方のことだった。

 子供たち4人が、
いっせいに学校から帰ってきて、
私に、連絡帳と学校からのお手紙を、
それぞれ大量に渡してきた。

 テーブルの上には、
わら半紙や上質紙のプリントが山のように積み上げられ、
それを一枚一枚広げて読みながら、
子供といろいろなやり取りをしていた。

「お母さん、給食は、今年から申し込み書だすんだって」
「給食費を払わない親が多くて、校長先生が立て替えなくちゃいけなくて、大変だからね。
                                          その予防線張ることにしたんだろうね」
「お母さん、はんこ押すの忘れないでよ」
「わかったわかった、そこのシャチハタ取って」
「はい」
「お母さん、宿題の音読やるから、音読カードの保護者印も押して」
「はいよ」
「お母さん、業間体育の許可書も書いて。はんこもね」
「ああ、子供が万一運動中に死んじゃったときに,学校が親に訴えられないように、予防線張ってるやつね」
「また予防線?」
「おかーちゃんおかーちゃん、よぼうせんってなに?」
「『そっちがいいって言ったんだから、こっちには責任無いからね』って言うときの証拠を作ってるわけよ」
「なにそれ〜」
「ああ、お前にはまあ難しいか。つまり、契約書・・・・・・お約束してるわけ」
「ふ〜ん」
「みっつのねがいをきいてくれるという・・・・・・」
「は?何?」
「何でもないよ、音読してんだよ」
「あ、そっか」
「お母さん、明日給食あるんだっけ」
「たしかあるよ。ちゃんとナプキンと箸とオシボリ、自分で入れてよ」
「ぼくは?」
「ああ、一年生は、まだない」
「なんでよ〜!ぼくもきゅうしょくたべたいよ〜〜〜!!」
「泣かなくてもいいでしょ!」
「ああ、1年も慣らし給食でコーヒー牛乳だけ飲むからダイジョブだぞ」
「わ〜い」
「ねえ、市内陸上大会の申し込み用紙もあるけど、これ全員参加?」
「違うよ、でも、うちのクラスは、みんな出るみたい」
「ぼく絶対出ない! だって毎日暗くなるまですごくきびしい練習やるんだもん!」
「そうだよねえ、一回○○(長男)も貧血で倒れたんだよね」
「だからぼく、絶対出ない!!!」
「わかった、わかった、音読は?」
「あ、そうか・・・・・・みっつのねがいをかなえるコインに・・・・・・・」
「ぼくでようかな・・・・・・」
「ああ〜〜〜!! ギョウ虫検査のテープ、学校に忘れた〜!」
「ええ〜! どうすんのよ!学校行って取ってきなよ!」
「ええ〜! これから井田くんとコアラ公園で遊ぶ約束してるのに〜!」
「じゃあ、明日、必ず持って来るんだよ!」
「わかったよう・・・・・・」
「おかあさん、こーひーぎゅうにゅうって、あまいの?さとうちゃんとはいってる?」

「入ってるよ!嫌ってほど入ってるから大丈夫だよ」
「ああ、そうだ、ぼくもぎょうちゅうのテープもらった」
「そうだよそうだよ、お前もやるんだよ〜」
「・・・・・・これだよね」
「そうそう。忘れないようにトイレのカレンダーのところに貼っておこう」
「これどうやってやるの」
「ケツにぺったんぺったんだよ」
「え〜〜〜!!! やだ〜〜〜!!!」
「いいの! お子チャマだから恥ずかしくないの!」
「○○(次男)は?」
「ぼくはもらわなかった」
「え、何でよ? 『君は虫居なそうだね』って?」
「あ、お母さん、これ1年から4年までだって」
「あ、そっか」
「お母さん、これもはんこ・・・・・・」
「え? なになに? お前も業間体育の申し込み書か。
        あれ、ちょっと待ってよ、全部3枚づつ書くのか? え〜!これ何種類申し込み書あるんだよ〜!」
「あ、お母さん、悪いけど、この中学の懇談会の出欠申請書も書いて」
「そうそう、ぼくも懇談会の出欠の紙もらった」
「ぼくもぼくも」
「え? なにそれ? ぼくもほしい〜!」
「もらうって、違うよ、お菓子とかじゃないの!」
「全員各クラスに出すらしいよ」
「ああ、役員選びの資料ね・・・・・・前に一回役員やったから今年は免除、とか、
                         『欠席するから選ばれても文句言いません』とかいう委任状付けてさ」
「いにんじょってなあに?」
「ああだから、『私行けないから、みんなで決めていいよ』っていう紙だよ」
「お母さん、はんこ・・・・・・」
「え、あ、ちょっと待って」
「ゴールデンウイークは、部活、3連休くれるって」
「あ、そうなの?」
「顧問の先生が家族旅行行くみたい」
「ああ、先生もひとりのお母さんだからねえ」
「うちもどっか行きたいよ〜、お母さん!」
「ええ〜、またそういうこと言う〜」
「どこでもいいから〜!」
「じゃあ、また張子屋さんでいい?」
「いいよ〜!」
「ええ〜〜〜!」
「レストラン行きたい!」
「アホか! どこにそんなお金あるのよ?」
「じゃあ、おにぎり作ってピクニック!」
「あ〜〜〜(だるいなあ)」
「お母さん、ディズニー行きたい」
「赤ちゃんがもっと大きくなってからね」
「お母さん、○○ちゃん(長女)が起きた」
「わ〜い、○○〜」
「○○〜、あ、また寝返りした〜」
「ああ、危ないからタオルとかどかして!」
「あ、○○、シーツにウプウプして息できなくなってる」
「見てないで上向きにしてよ!」
「あ、指しゃぶって横向いたから大丈夫だ」
「あぶねえ〜!」
「今、一番目が離せないのよ」
「○○〜」
「○○〜」
「○○ちゃ〜ん」
「おっく〜ん」
「おっくんちゃ〜ん」
「お母さん、○○、お腹空いてるみたいよ」
「どれ、こっち連れてきて」
「○○〜、おっぱいだってよ〜」
「わあ、笑った!」
「ぼくのかおみてわらったよ!」
「違う!僕だよ!」
「どっちでもいい! アカンボ抱いたまま喧嘩すんな! 毒浴びせるな」
「はい、お母さん、○○」
「よ〜ちよちよち、パイパイ飲むか? ん?飲むの? あいよ〜」
「おう! すっげ吸引力!」
「お腹空いてたみたいよ」
「ああ、6時間くらい昼寝しちゃったからね」
「お母さん、はんこ・・・・・・」
「わあ〜ったわあ〜った、今手が離せないからちょっと自分で押して」
「うん」
「あ、雨降ってきたじゃん! ちょっとあんた、洗濯物取り込んで」
「え〜僕?」
「みんなで一緒にやって」
「は〜い」
「何だよ、今日は降水確率0%って言ってたのに〜」
「こうすい? いいにおいなの?」
「違うよ、雨が降るか降らないか、天気予報で言ってたでしょ? あれ、はずれたの」

「ああ、そうか!」
「ぼくもせんたくものとりこんでくる」
「引きずって返って汚さないでよ〜」
「わかってる!」
「ああ、まだ書く書類いっぱいあるのかあ・・・・・・あ! 米もまだ研いでない!」

「僕やるよ」
「悪いね、頼むよ」
「ああ〜、お母さんは、なんか疲れたよ・・・・・・」


 さて、その翌日の午後4時。

 一本の電話があった。

「ジロー(次男)さんの担任の堀井です」
「あ、いつもお世話になっております〜」
「実は、今日理科の実験中に、ジローさんがマッチを縦に持ってしまって、指をやけどしてしまったんです」
「あら〜、マッチ擦ったことないものですから」
「保健の先生は、ひりひりするだろうけど大丈夫だ、と言っておりましたが、いかがでしょうか?」
「あ、まだ帰ってきてませんが」
「あ、ジローさんは、市内陸上大会の練習に出ているんでしたっけ?」

 (え・・・・・どうだったっけ?)

 私の頭の中で、急いで昨日の書類の内容を思い起こしてみたが、
まったく思い出せない。
 あ、そうだ、そう言えば、誰かが
「僕絶対出ない」って言ってたぞ・・・・・・
 はんこ押した覚えもないし・・・・・・

「あ、練習出ていないと思いますけど」 
「え? そうなると一時間前に帰っていないとおかしいんですけど」

 先生も、声の調子が変わった。
 
 (あ。もしかして、実家の方に寄っているのかも・・・・・・)

「先生、おばあちゃんの家に寄っているかもしれないので、確認してみます」
「あ、そうですか。それでは、失礼いたします。おだいじに」

 私はすぐに、実家に電話したが、母が電話に出て、
「来てないわよ!」
と大きな声を出した。

 私も心配症だが、
私の両親も、私の10倍くらい心配症だ。
 電話の向こうで父と母が
「ジローが大変だ!」
と、大騒ぎしているのが聞こえる。

「私、通学路逆にたどって探してくるから、もし帰ってきたら携帯に電話してくれる?」


 そう言って、私は、熟睡しているアカンボをおんぶし、
疲れてゴロゴロしている四男をたたき起こして、
走って家を出た。

 早歩きで歩きながら、
途中、深い用水路や路地裏を覗き込んだりしたが、
次男は、どこにもいなかった。

 最近、学校の近くで不審者もいっぱい出ているし、
万一何かあったら・・・・・・・

 私は、背中と片手に幼な子をくっつけて、
必死で次男の名前を呼びながら歩いた。

 学校に着くと、思ったより多くの子供たちが、
体操服で校庭のトラックを走りこんでいた。
 体育主任の
「おい! チンタラ走ってんじゃねえ〜〜〜!」
という高い声が響き、
子供たちは、みんな必死で走っていた。

「ねえねえ、お母さん、目が悪いから、ジローいないか、見てくれない?」
 四男に言った。
「わかった!」
「お願いね!」
「あ、ジローいた!」
「え、どれどれ!」

 四男の指差す方向には、
巨漢の男の子が、どすどす走っていた。

「おいおい、いくら何でもジローは、あそこまで太ってないと思うぞ」
「じゃ、あれ!」

 また見ると、今度は、おっぱいの膨らんだ早熟女児だった。

「お〜い! ジローは、おっぱいないから!」
「あ、ちょっか・・・・・・」
「ちょっか、じゃないよ、もう赤ちゃんことば使わないようにしな」
「は〜い。『そうか』」
「言えるんじゃ〜ん」

 そのとき、背後から
「おい!」
という、柄の悪い声がした。

 自転車にまたがった父だった。

「まさかジローは、いねえだろ? あの運動音痴が陸上大会に出ようと思うわけな・・・・・・」
「いた!!!」

 そこには、俊足の男児たちに混じって、
ひどく鈍足な我が子の姿があった。
 その姿は、例えて言うなら、
「ものすごく前傾姿勢のキョンシー」だった。

「何だ、あのフォームは!」

 きっと、アイツの自己イメージでは、
ものすごく先を走っているつもりなのだろうが、
いかんせん、足がまったくついてきていないものと思われる。

 だから、上半身が前へ前へとつんのめり、
足が、後からひーひー引きずられる形になっているのだろう。

「あ〜あ、だ〜めだこりゃあ!」

 父は、鼻で笑って引き返して行った。

「ジロ〜! がんばれ〜〜〜!」 

 四男が叫んだ。
 四男の声は、実によく通る。
 広い校庭じゅうに、その声は響き渡った。
 体育会系の厳しい教師の目が、こちらに向けられた。

 (ひっ)

 私は、思わず、野球のネットの裏に身を隠した。
 その際、激しく砂埃を立ててしまい、
くしゃみがとまらなくなってしまったので、
私は、急いで花粉症のため普段からバッグに入れてあるマスクを取り出し、
急いで顔に装着した。

 「あ、マスクの母ちゃんだ!」

 どこかの子が、そう言ったのが聞こえた。

 この間の、
「次男マスクしたまま持久走走る事件」で、
すっかり「マスク」というニックネームが知れ渡った次男。
   
 その母が、走る我が子=「マスク」を、
「マスクをしながら」応援している!!!

 何十、何百という目が、私に注がれた。

「マスクの母だ!」

 遠くからかすかに聞こえた。

 「ウルトラの母」ならぬ、「マスクの母」・・・・・・

 はう〜〜〜〜〜〜ん・・・・・・

 肩を落として帰り道、四男に言った。 
   
「でもジローが無事でよかったね」
「そうだね!」

 はう〜〜〜〜〜〜ん・・・・・・・

 無事でよかった!
と、思うにつけ、明るく顔を上げるが、
次の瞬間、
「マスクの母」として公然と認知された事実に、
再び、みたび、肩を落とした。

 それにしても、アイツ、なんで練習に出ていたんだ?
 出ないって言ってたのに・・・・・・・
 いや、ちょっと待てよ。
 「出ない」って言ってたのは、三男だ。

 私は、目を閉じて、
昨夜の子供たちとのやり取りを
記憶のテープを巻きもどし、思い返してみた。

 山のようなプリント。

 飛び交うシャチハタ。

 音読。

 予防線。

 ギョウ虫。

 関係ない記憶が、行ったり来たりして、
なかなか出てこない。肝心なところが。

 ああ、こんなとき、私の記憶が、
テープでなくて、DVDで記録されていたら、
一発選択できるのに!

 業間体育。

 懇談会出欠書。

 申し込み用紙。

 はんこ。

「お母さん、はんこ・・・・・・」

 (あ! ここだ!)

「ぼくでようかな・・・・・・」

 (あ・・・・・・)

「わあ〜ったわあ〜った、今手が離せないからちょっと自分で押して」
「うん」

 これだ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!

 申し込んでた〜〜〜!!!
 知らんうち、申し込んでた〜〜〜!!!

 ああ〜〜〜、そうだった〜〜〜!!!

 どれもこれも全部一所懸命やろうと思って、
結局、どれもこれも全部中途半端な私!

 あたしゃ、ホントに、ダメ母だ〜!
 はう〜〜〜〜〜ん・・・・・・・


 そんな時、心の奥で、
おおぜいの子供たちの高い声が聞こえた。

「がんばれ、マスク〜!」
「ファイトだ、マスク〜!」

 脳裏に浮かぶ、その光景。

 校庭を、マスクをして走っている次男。
 上級生の応援を体全体で受け止めながら、
ビリから二番目でイキイキと走りきった。

 マスクの下では、ぐっと歯を食いしばって。

 よし、がんばるよ。
 マスクの母もがんばります。
 ダメダメでも、不器用でも、
負けずにがんばっていきますからね!

 マ〜スクマ〜〜〜ン! と〜う!

     (了)

(子だくさん)2006.4.19.あかじそ作