「 白井先生速報 2008.01.22. 」


 次男の友人であり、
私の「人生の師」の一人でもある、
白井君について、
次男伝いに続々と情報が伝わってきているので、
その詳細をここに記しておきたいと思う。

 次男や白井先生の所属する吹奏楽部は、
土曜日も弁当水筒持参で一日じゅう練習があるのだが、
とある土曜日の昼食時、
白井先生は、傍らで弁当を頬張る次男に対して、こう言った。

 「今日は、家族で○○遊園地に行くんだ」

 その日は、いつも通り部活が朝から夕方まであるため、
「ああ、シラ(白井先生のあだ名)以外の家族が行ったんだ。
シラは行けなくて残念だったね」
と、次男が言うと、
「俺も行くけど」
と、先生は言った。

 「え、だって、今日練習に来てるじゃん」
と、言うと、
「練習終わってから行くんだ」
と、先生は、答えた。

 「なんだ、練習終わるまでみんな家で待ってくれているのか」
と、言いながら、
次男が唐揚げを口に放り込むと、先生は、
「家族は、もう行ってる。俺は、練習終わったら行くんだ」
と、言い、えびグラタンを頬張った。

 次男が唐揚げをふき出し、
 「え! だって、○○遊園地って、物凄く遠いじゃん。ひとりで行くの?」
と、叫ぶと、
先生は、実にクールに、
「遠くねえよ、関東地方の中じゃねえか」
と言ったらしい。

 その後、次男が白井先生にいろいろ聞いたところ、
先生は、小学校低学年からひとりで電車に乗り、
好きなところへどんどん出かけていたらしい。

 先生は、いわゆる「テツ」で、
鉄道に乗ること自体が旅の主目的なので、
駅から出て観光地などを巡ることなどほとんどなく、
必ずどこかしらの駅構内か電車内、つまり、
鉄道会社の職員の管理下にいるわけだから、
そういう意味では、危険な目に遭うことは少ないのだろうが、
それにしても、すごい。

 私など、ひどい心配症なので、
中3の長男が友達と高校見学に行く時ですら、
「悪そうな人がいたら逃げなさいよ」
とか、
「迷ったら大人の人に聞きなさいよ」
とか、しつこく言い、過保護丸出しだ。
 だから、白井先生の親御さんの胆の据わり方には、
心の底から感服してしまう。

 たとえ子供が携帯電話を持っていて、
鉄道のことは何でも知っているとしても、
「さあ、どこへでも行きたいところへ行くがいい」
と、思いっきり子供を解き放つ勇気は、凄いと思う。

 聞けば、白井先生のもらったクリスマスプレゼントは、
「青春18キップ」だったというではないか。

 これさえあれば、一日じゅう電車に乗れてしまう。
 どこまでだって低料金で行けてしまうのだ。
 先生のことだから、日本の端まで行ってしまうかもしれない。 


 そういえば、夏休みに、
同じ吹奏楽部の仲間3人組(次男・白井先生・寺井君=通称テラ)で、
あちこち電車で出掛けていたっけ。
 
 あるときは、「一都六県大回りの旅」というのをやってきた。
 これは、鉄道ファンにとっては、非常にメジャーな旅らしいのだが、
何でも、改札から出なければ、
JRの最低料金で関東の一都六県を回れるらしい。

 まだ暗い朝4時過ぎに出かけ、
夜中の11時過ぎに、くたくたになって帰って来た次男は、
「疲れた・・・・・・テツの気が知れない・・・・・・バカァ・・・・・・」
と言って、ぶっ倒れるようにして玄関に入ってきた。

 「シラとテラは、テツだから楽しそうだったけど、
僕には、拷問でしかなかった・・・・・・」
と、次男は言い、
各駅停車でトコトコトコトコ一日じゅう東京近郊を
ただただ移動している旅に疲れ果てていた。

 しかし、先生は、この「一都六県大回り」を、
ひとりで何度も行っているのだという。
 そして、大宮に出来た鉄道博物館には、連日通い詰め、
休日は、必ずどこかしらの鉄道に乗っている。

 白井先生からの年賀状は、
豪雪の中を走る只見線の写真で、
後で聞いたら、案の定、
正月に同じくテツのお父さんと出掛けたらしい。


 白井先生が、ただの鉄道ファンなら、
彼は、単なる次男の友達で、
私だって師と仰ぐこともなかったのだろうが、
先生の凄いところは、
世の中を達観していることなのだ。

 小学生の頃から、
いや、もしかしたら、生まれたときから、
先生は、この世を、この時代を、
達観していたのかもしれない。

 些細な生活の中の悩みどころか、
人生の大きな障壁や挫折でさえ、
彼の前では、南国の雪のごとく瞬時に溶けて無くなってしまう。

 彼には、一生とけない魔法がかかっているのだ。
 そして、一生醒めない夢を見ているのだ。

 鉄道というロマンが、彼の心を包み、
世の中のほとんどの人が目くらましを食らっている
「私利私欲」とか「競争原理」とかいうものなどに
まったく惑わされないで生きている。

 将来楽に暮らせるように、良い仕事に就かねばならない、
そのために良い学校に進まねばならない、
そのために良い成績を取らねばならない、
そのために塾へ通わなければならない、
そのために好きなことも我慢しなければならない、
なんていう、みんなが通るコースなど通らない。

 電車に乗りたい。
 そのために、電車に携わる仕事に就きたい。
 そして、その収入で電車に乗りたい。
 そして、電車に乗る。
 楽しい! 
 楽しい!
 ああ、楽しい!
 ・・・・・・ということなのである。

 これほどシンプルで、
迷いが無く、
楽しそうな人生があるだろうか。


 アホで単純で、いつもぼんやりしている私は、
この複雑で速くて自己中心的で拝金主義の世の中で、
あせったり迷ったり不安になったり怯えたり疑ったりしてばかりで、
「生きるのがつらい」と嘆いてばかりいた。

 日々、迷いの中で前後不覚になって
怒ったり泣いたりして、平常心をなくしてばかりいた。

 しかし、白井先生の生き方は、
こういうくだらない悩みとは無縁だ。

 好きなことをする。
 好きなことをするために、
好きな仕事をする。
 そしてまた、好きなことをする。

 それだけ。

 百八つの煩悩も生じない。

 ある意味、悟りを開いている。
 先生どころか、高僧だ。


 「白井先生のように生きたい」

 常日頃そう言っている私に、
しかし、次男は、釘を刺す。

 「お母さん、そうは言うけど、シラって、ひでえよ」

 聞けば、
鉄道マナーには厳しいくせに、
日常生活では、かなりマイペースらしい。


 部活帰りに食べ残した弁当を食べながら歩く。
 しかも、なぜかいつも手づかみで食べ、
道にご飯が落ちても全然気にせず、もちろん拾いもしない。
 鳥や虫へのおすそ分けらしい。

 次男は、意外とまじめなので、
そういうことが許せない。
 そばでいつもシラの行為を注意し、
「口うるさい小姑」みたいな役回りになっていて、「疲れる」そうだ。


 三者面談で白井先生は、
部活の顧問でもある担任の教諭(ヒステリックな女性教師)に、
「休日は何をしていますか」
と聞かれ、
「時刻表を読んでいます」
と答えた。
 「時刻表は調べるものであって、読むものではないでしょう」
と、とがめられると、
「先生、時刻表は、一部の人間にとっては、立派な読み物です。
勝手な決め付けは良くありません」
と、とがめ返し、誰にもできなかった
【あの高慢ちきな教師にギャフンと言わせる】
という快挙をやってのけたのだ。


 白井先生は高僧なので、里の暮らしには非常に疎い。
 常識に、まったくとらわれない。

 しかし、不思議なことに、
彼は、決して集団の中で浮かないのだ。
 ヒンシュクも買わない。
 かといって、影が薄いわけでもなく、そこそこ目立っていて、
そして、みんなにしっかりと受け入れられている。

 特に要領が良いというわけでもないし、
意識してみんなとうまくやっていこうなんて計算もない。

 たまには、叱られることもあるけれど、
その「叱る基準」など知ったこっちゃないので、
痛くも痒くもない。
 白井先生は、みんなとは違う基準の中で、
きちんときまりを守って生きているのだ。

 この時代の、この場所の、
この集団の「あたりまえ」など、
まるで彼を縛ることができないのである。
 
 彼は、生きながらにして、
「千の風」になって、
この大きな空を吹き渡っちゃっているのである。

 あ〜あ、
 先生、いいなあ〜!
 私も先生みたいになりたいです〜ぅ!


  (了)

(しその草いきれ)2008.1.22.あかじそ作