みかんさん 20000番 キリ番特典
テーマ:お嬢様


「お嬢様、おはよう」

 初めての子を妊娠し、あとひと月で出産という日、
珍しく夫の弟から電話があった。
「体調は、どうですか?」
 などと、挨拶をしているが、何だか様子がおかしい。
「お兄ちゃんの会社の電話番号、教えてください」
と、ついでのような口調で言う。

 (私に知られたくないことだな)

と、直感し、すぐに夫の連絡先を教えて、電話を切った。

 嫌な胸騒ぎがして、どうにも心配になった私は、
一時間ほどしてから、夫の勤め先に電話をしてみた。

「別に何もないよ」

と、言う夫は、いつもに増してうろたえていた。
 口止めされているのだろう。
 
 しかし、しばらくすると、思い直したように、
「5万円ほど、すぐ用意できるかなあ」
と聞いてきた。

「金沢に帰るんだね」
 私が言うと、
「ああ」
と言う。

「お金は、すぐ銀行でおろしてくるけど、理由言ってよ。気になるから」
 私が食い下がると、夫は、仕方なくぽつりぽつりと話した。

「妹のヤヤが、意識不明の重体なんだ」

「なんで!」
 私が大きな声で聞き返すと、
「もうすぐお産の人に、ショック与えちゃまずいから、言うなって言われてるんだ」
と、夫は、理由を言いたがらない。
「教えてよ! 私は全然大丈夫だから!」

 聞くと、ヤヤちゃんは、勤め先の男から、交際をしつこく迫られ、
断ると、力いっぱい頭を殴られて、意識不明になってしまったと言う。
 ストーカーという言葉が、まだ一般的でなかったときの話だ。

 夫は、一時間ほどして帰ってきた。
 私は、すでに二人分の荷物をまとめ終わっており、
夫と共に、空港に向けて出発した。

 羽田に向かうモノレールの中で、夫は、
流れていく水辺の景色を見るともなしに眺めながら、
「やっぱり一緒に来てもらってよかった。助かった」
と、言った。
 自分ひとりだったら、呆然としてしまって、
動けなかっただろう、と言った。

 私は、子供の頃から、緊急事態のとき、急に冷静になるところがあった。
 今度も、話を聞いた途端に、心がシンと音を立てて冴えてきたのを感じた。
 とにかく行くしかないと思った。

 臨月間際の腹をトレンチコートで隠して飛行機に乗り込もうとしたが、
当然の如く受付の女性に止められ、
「医師の診断書がないと搭乗できません」
と、言われた。

「今すぐ、金沢の妹に、【アールエッチマイナスAB】の私の血液が必要なんです!」
と、演劇部で鍛えた馬鹿でかい声で叫び、迫力で搭乗に成功した。
 勿論、そんなのは嘘ッパチだ。
 子供の頃にドキドキしながら見た、山口百恵の「赤いシリーズ」が、
こんなところで生かされるとは、夢にも思わなかった。

 私は、ショックで思考力が働かなくなっている夫の手を引いて、
大きな腹を激しく上下に揺らしながら、飛行機に飛び乗った。
 私たちが乗ると、飛行機のドアは、すぐに閉められ、すぐに飛んだ。


 教えられた救急病院に着くと、集中治療室の前の、
待合室へと通された。
 そこには、ソファーの隅にひとり、
ぐったりと崩れ落ちるように座っている年老いた女の人がいた。
 やはり、集中治療室の前には、こういう人がいるのだなあ、
と少しへこみながら、廊下を歩く看護婦に
「ヤヤの家族ですが、ヤヤは、どこに居ますか」
と、聞いた。
 すると、その女性が、ガバッ、と顔を上げた。
 夫の母だった。

 ショックで打ちのめされ、年寄りのように小さく縮んで崩れていたので、
義母だとは全然気が付かなかった。

「ああっ! リー、見たらいかん、ヤヤの姿、見たらいかん!」
と、義母は、その場で両手をこちらに伸ばして、震えた。
 夫と私は、すぐにきびすを返し、
見るに耐えないほど打ちのめされた義母のもとに走り、
彼女を挟むように両側に座った。

 義母の体は、ぶるぶると震え、怖いくらいに興奮していた。
まるでだだをこねる幼児のようだった。
「ああ! ああ! あの子が死ぬなんて・・・・・・嫌や嫌や嫌やあ!」
 夫は、義母の背をさすり、私は、手を握った。
 義母の手は、ひどく震え、冷たくなってきた。
「手が痺れる・・・・・・、痺れる・・・・・・」
 義母の呼吸は、恐ろしく激しくなり、
「気持ちが悪くなってきた」と、ソファーに横になってしまった。
 私は、忙しく立ち働く看護婦に、その旨を伝えると、
「過呼吸やろ、寝てたら治るわ」
と、ケンモホロロで、相手にされなかった。
 義母は、
「助けて・・・・・・助けて・・・・・・」
と、震える両方の手のひらを、自分の顔の前に並べ、
「ヒ―――――――――――ッ」
と、叫び、ヒステリー状態になってしまっている。

 私がしつこく看護婦に食い下がると、
「もう! 本当は外来行って欲しいんやけど!」
と、カンカンに怒りながら医師を呼び、義母を狭い空き室に運んだ。
 医師が鎮静剤の注射を打ち、義母は、ひとりで少し休むことになった。

 義母が休んでいる間、夫と私は、集中治療室に面会に入るため、
感染症予防のグリーンの滅菌スモッグを着せ合っていた。
 
「名前、何度も呼びかけてみよう。目覚ますかもしれないから」
と、私が言うと、夫は、生唾を飲み込みながら頷いた。

「名前を呼んで、あの世に行かないように、引き戻そうよ」
とは、さすがに言えなかった。
 夫が大学入学で上京したときは、
歳の離れた妹は、まだ10歳の少女だったのだ。 
 あの、10歳だった妹が、今、死にかけているよ、なんて、
はっきり口に出したら、もうこの人は壊れてしまうと思ったのだ。

 私たちは、こわごわ、ヤヤちゃんの横たわるベッドに進んだ。
ベッドサイドまで行き、そして直後、ふたり揃って、二歩三歩下がった。
 思っていたより、悲惨な姿だったのだ。
 鼻と耳に差し込まれたチューブには、血が流れていた。
あれは、脳から出血したものなのか。
 チューブで鼻と口に酸素が送られ、殴られた跡なのか、
あごが横にひん曲がり、頭部を切開した縫い傷が、
坊主頭の中に、長く長く、血の色に描かれていた。

 何より耐えられなかったのは、ハタチのうら若き体が、
あられもなく裸にされて横たわり、紙オムツをし、
はだけた胸には、ふたつの小さな乳房を無視するように、
たくさんの管がスパゲティーのように這いまわっていたことだ。
 
 女の私だってドキッとしたのだ。
夫は、実の妹の裸を、こんな形で明るい蛍光灯の下で見せられて、
どんな気持ちだっただろう。
 私は、夫の顔も見られなかった。

「手、握ってあげよう」
 私は、自分の体で押すように、夫をベッドサイドまで運んだ。
「あっ、ああ、うん!」
 夫は、びっくりした声を上げて、ロボットのようにカチコチと歩いて、
ヤヤちゃんのそばまで歩いた。

「ヤヤちゃん、ヤヤちゃん」
 怖かった。
 私は、何が怖かったのか。
 死がすぐ近くにある、特有の忌まわしさがあった。

「ヤヤ・・・・・・」
 夫は、かすれた声で、ひと声かけるのが精一杯だった。

 飛行機に乗っている間、ふたりで、
「目開けてごらん」 
とか、
「起きて」
とか、
「お兄ちゃん来たよ」
とか、声を掛けるセリフを考えていたのに、
実際は、名前を小声で呼ぶのがやっとだった。
   
 そのとき、おなかの中の子が、ぐいいっ、と、
今までになく激しく私の腹を蹴った。

(ここに今、どんどん生命を育んでいる命がある!)

 私は、ハッとした。

(赤ちゃん、ヤヤちゃんに少し、その元気を分けてあげて)

 私は、おなかの子に頼んでみた。
おなかは、もう一度強く蹴られた。

 金沢から家に戻り、私はすぐに千羽鶴を折り始めた。
朝から晩まで、寝る間も惜しんで、ずっと鶴を折っていた。
 そして、2週間後、予定日の2週間前の朝、破水した。
 すぐに入院し、その翌日に、長男が生まれた。

 入院中、母子同室で寝る間もなかったが、
その合い間合い間で、鶴を折った。
 退院して、実家の母が手伝いに来てくれている間も、
横になりながら、ずっと折っていた。
 本当は、出産までに折り終わる予定が、随分遅れてしまった分、
早く取り戻したかったのだ。
 母は、心配して、
「代わりに折ってあげるから寝なさい」
と、言ってくれたが、自分で全部折らないと
願をかけたことにならないような気がして、ひとりで必死に折った。
 やっと最後の一羽を折り終えると、
もう、全身に震えがきてしまうくらい疲れ果てていた。
 
 母が、
「もういいから、寝なさい」
と言い、その千羽の鶴を糸で繋いでくれた。
 ひとまとまりに紡がれた鶴を、ダンボール箱に丁寧に詰め、
宅配便ですぐに金沢に送った。

 翌日、私が眠っている間に、金沢からお礼の電話があったらしく、
母が、そのことを伝えてくれた。
 宅配で届いた大きな荷物を開けた夫の弟が、
突然現れた千羽鶴を掲げ持ち、
無心で駆け出して病院までそれを運んでくれたと言う。
 
 突然の大怪我からひと月、まだ意識の戻らないヤヤちゃんに、
連日付き添っている義母も疲れ果てていた。
 その義母が、ベッドの横の椅子に座り、ベッドにもたれてうたた寝してい
て、
ある不思議な夢を見た。

 昨年亡くなった、自分の父親が、浴衣姿で病室のドアを開けて入ってきて、
小さな白い箱をサイドテーブルにそっと置き、
「ヤヤは、もう大丈夫や」
と、言って出て行った、というのだ。

 それから間もなく、ヤヤチャンは意識を取り戻し、
長い入院生活とリハビリの末、日常生活に復帰するまでに回復した。
 頭をひどく打ったため、さすがに元の体には戻れず、
障害者になってしまったが、今では、保険会社の障害者枠で働いている。


 今となっては笑い話だが、入院中、ヤヤちゃんが看護婦に、
「アイス食べたい」
と、何度も言い、看護婦が、自分のポケットマネーでアイスキャンディーを
買って渡すと、
「ハーゲンダッツじゃなきゃ嫌や!」
と、アイスキャンディーを手の甲で振り払った、ということがあった。
 そういうことが度重なって、看護婦の間では、
「あの子は、お嬢様や!」
と、皮肉たっぷりで噂されるようになったと言う。
 義母も、
「娘さん、お嬢様やね」
と、嫌味を言われたが、生還してくれた娘は、
義母にとっては、殿でも姫でもかまわないのだった。
 
「うちの子は、お嬢様や!」

と、看護婦に誇り高く言い返したらしい。


                      (了)



※さて、このヤヤちゃんがその後、どうなったのか?

 「炸裂! 31歳児」と、「対決! 31歳児 対 60歳児」をご参照ください。


しその草いきれ) 2002.04.25 作 あかじそ