雨が降っている・・・冷たい雨。
空が見えないと言われているスラムなのに雨だけは降り注いでくる。
こんな日のスラムは一層陰気な空気に包まれているようにみえる。そうでなくとも何処か怪し気な雰囲気の漂うスラムだ。
こんな日は家で酒を飲むに限るという訳でも無いだろうが、外を歩く人影は殆ど見られない。
ミッドガルのスラムの駅はひっそりとしていた。
今はまだ午後を少し過ぎたばかり。列車が到着しても降りる人は殆どいない。
列車が何度も停車し、そして去っていく。
その少ない乗降客の誰もが駅の片隅にうずくまる一人の男の存在に気付いていた。
男はホームに背中を向け、うずくまったまま動こうとはしない。そして言葉とも呻き声ともつかぬ声で呟いている。
誰もがその様子が尋常で無い事は感じていたがそれでも誰一人声を掛けようとはしなかった。
気味が悪いというのもある。だが、それ以上に人々はこうした光景に無頓着になっていたのだ。
何しろ此処はスラム。行き倒れの者がいても決して不思議ではない。
こうした人間を何度と無く見てきた人々にとって、その男は「ああ、又か」というくらいの存在でしか無くなっていたのだ。
雨はいつまでも降り続いていた。
もう何時間も経っただろうか、男に傘を差し出す一人の娘がいた。
長い黒髪、そして大きく美しい紅い瞳・・・ティファだった。
「大丈夫ですか?」
ティファは優し気に、しかしハッキリとした口調で男に声を掛けた。
「う・・・うう・・・・」
だが、男はティファに気付いていないようにみえる。相変わらずその言葉とも呻き声ともつかぬ声で呟き続けている。
ティファが男の顔を覗き込むようにしても、男は微動だにせずうずくまったままだ。
男の顔は、固く組まれた腕とずぶ濡れになって垂れ下がってしまった髪に埋没していて窺い知る事も出来ない。
ティファはすこし間をおいてから再び声を掛けてみる。
「大丈夫ですか?」
男は呻きながらもようやくティファの存在に気付いたようでゆっくりと頭を上げてティファを見上げた。
「え!?」
ティファはそれ以上言葉が出なかった。その顔は信じられないものを見たかのような表情だった。
雨でずぶ濡れになってしまっているけれど、その髪の色、鼻の形、唇、声、どれもが彼女の記憶の中にある人と同じだった。
記憶というあやふやな映像では無い。いつも彼女の中にあって脳裏から離れない唯一人の少年の姿。
似ているのではない。ティファは一目でそれが本人だと確信していた。
「クラウド・・・クラウドなの?」
男はうつろな眼でティファの顔を見ていた。彼には彼女の顔がぼんやりとしか見えていなかった。
それでもその長い髪、大きく紅く輝く瞳、唇、声、それもまた彼の脳裏から決して離れない一人の少女のそれと同じだった。
だが、意識が混沌としていて彼女が誰なのか思い出せない。彼女の名前が出て来ない。
男は混乱する意識の中で必死に彼女の名前を思い出そうとしていた。彼女の顔がもっとハッキリ見えたら・・・男は彼女をじっと見つめる。
やがて男は彼女の耳に付けられたイヤリングの輝きに遠い記憶の中に刻みつけられた名前を蘇らせていた。
彼自身、その理由は分からなかった。だが、男の口からは自然にその名前がこぼれ落ちた。
「テ・・・ティ・・・ティファ・・・なのか?」
「そうよ、ティファよ。クラウドなのね!・・・本当にクラウドなのね!」
ティファは子供を抱くようにクラウドをその身で包み込む。クラウドの身体は冷え切っていた。
クラウドだった。あなたに会いたい・・・願いは叶った。
ティファは雨に濡れるのにも構わずにクラウドをしっかり包み込む。
暖めてあげたい・・・クラウド・・・やっと逢えたのね・・・。
ティファの暖かい腕が、その長い髪が、怯えた獣のようなクラウドの眼差しを次第に穏やかなものに変えていった。
クラウドは音にならない声で何度も呟いた。
俺は帰ってきたんだ・・・ティファ・・・君の許へ・・・。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
少女は柵にもたれて座っていた。
空は澄み渡っていて、日差しは少し強いくらいだが、少女はもう小一時間はここに座っている。
時折、側に咲く小さな花を摘んでは花びらで他愛もない占いをする。
そうして時折村の入り口の方に眼を向けてみる。誰かやって来るのを待っているかのように。
・・・誰も来ない。
少女は小さな溜息をつくと、再び花を摘んで占いを始めた。
時間の経過と共に少しずつ心臓の鼓動が速くなっていくのが自分でも分かる。
・・・ドキドキしているの?喉も少し渇いているみたい。
いつもと違う。
少女は待っていた。
今日、魔晄炉の調査に神羅のソルジャーがやって来る。その中に少女の待つ人がいる筈だった。
本当は誰がやって来るのか何も知らされてはいなかった。
それでも少女は確信していた。あの人は必ず来る、と。
だからどんな服を着ていこうか、少女は随分悩んだものだった。
本当はお気に入りの水色のワンピースを着たかった。
けれど自分はガイド、魔晄炉へは険しいニブルヘイム山を登らなくてはならないのだ。
結局、動き易い服を選ぶしかなかった。
それが少女には残念でならなかった。
やがて遠くから車のエンジン音が聞こえてくる。それは次第に大きくなっている。
やって来たんだ。
少女には確信があった。心臓の鼓動はより速くなってきた。
しばらくして村の入り口に神羅の魔晄炉調査隊が集まってきた。
少女はゆっくりとそちらの方を窺う。一人一人彼らの姿を顔を確認する。
歓喜の瞬間が訪れる筈だった。
(・・・嘘!どうして!?どうしてなの...)
待っていた人は其処にはいなかった。見知らぬソルジャーが二人と神羅兵がいるだけだった。
少女は打ちのめされたような気がした。少女は立ち上がると、走り出していた。振り返りもせずに。
何処に?何処でもいい。その場から逃げ出したかった。
少しだけ時間が欲しかった。涙があふれ出して止まらないから。
(どうしてあなたはいないの?2年も待っていたのよ。ずっと待っていたのよ・・・クラウド...)
二人のソルジャー、そして幾人かの神羅兵。その神羅兵の中にクラウドはいた。
彼はティファの走り去っていくのを呆然と見送っていた。
(ティファ...)
クラウドは心の中でそう呟いた。それでも心の動揺を誰にも悟られまいとしていた。
だが、親友でもあるザックスだけは彼の微妙な動揺を感じ取っていた。
「おい、クラウド、いいのか?」
「・・・何が?」
クラウドはドキッとした。それでも努めて平静さを装っていた。
「隠しても分かるよ。あの娘がクラウドがいつも話していた彼女だろう?」
「・・・」
「やはりな。可愛い娘じゃないか。お前が惚れるのも無理はないな。俺だって惚れてしまいそうだ」
「ザックス!」
「・・・すまん、冗談だよ。でも、彼女ショック受けてたみたいだ。きっとクラウドが来ると思って待っていたんだと思うぜ。
それなのにお前がそんな格好しているからあの娘には分からなかったんだ」
クラウドも同じようにティファがショックを受けていたように見えた。
ティファは俺の事を待っていてくれたんだ・・・そう思うと無性に嬉しかった。
それに引き替え俺は・・・あんなに大見栄切って村を出たのに結局只の神羅兵に成り下がっている。
こんな姿では彼女に会うことなんか出来はしない。
彼女の素振りはクラウドを喜ばせたが、その喜びの分だけ今の自分の惨めさに打ちのめされていた。
「・・・俺はティファとの約束を守れなかった。だから俺はこのまま任務を終えて帰るつもりだ」
「クラウド...」
ザックスはいたわるような眼でクラウドを見ていた。
彼には彼女に会いたいという想いと自分への悔しさに耐えるクラウドの姿が見えていた。
「いいじゃないか?今は神羅兵かもしれないが、お前なら近いうちにきっとソルジャーになれる筈なんだ。
お前の実力は俺が一番知っている。お前は俺よりも強いんだから」
「ありがとう・・・でも、やっぱり今は会いたくない。いや、会えない。俺のこんな姿を見られたくない」
「そうか・・・お前がそう言うなら、俺は何も言うまい」
「俺はいつの日か必ず帰ってくる。ソルジャーになって」
「ああ、お前なら大丈夫さ。俺が保証する」
「ありがとう、ザックス」
クラウドの言葉にザックスは小さく微笑みながら頷いた。
ニブルヘイムに到着した神羅の魔晄炉調査隊は村長やガイドを務めるティファと簡単な挨拶を済ませると村に一軒だけある宿屋に落ち着いた。
到着が予定外に遅くなったせいもあって、魔晄炉の調査は翌日に行う事になった。
クラウドはベッドの端に座り、窓の外から故郷の景色をぼうっと眺めていた。
窓からは自分の家が、そしてティファの家が見える。懐かしく、愛する人達はすぐ眼の前にいる。
けれどそれは今は遙かに遠い距離があるように感じられる。逢いたい。でも、逢えない。今の自分では。
(母さんは元気だろうか・・・ティファは今、何をしているのだろう・・・)
本当ならば胸を張って母とティファに会っていた筈だった。二人の笑顔に迎えられていた筈だった。
でも、現実は違った。俺はソルジャーではなく神羅兵。もちろんソルジャーへの夢は棄てていない。
だが、もうあの頃のような自信は無かった。
俺はもうソルジャーにはなれないのかもしれない。ソルジャーになる資格すら無いのかもしれない。
宝条博士の言葉が冷たく心に響く。『お前は失敗作だ』...。
ふっ、とクラウドは自嘲するように苦笑した。
そうなんだ。分かっているんだ。俺はソルジャーにはなれないって事。
ウータイを支配下に納め、既に神羅と戦おうとする勢力は無くなっている。敵といえばレジスタンスだけだが、神羅を脅かすような存在では無い。
既に神羅はソルジャーを必要としなくなっている。事実、神羅はソルジャーを採用しなくなって久しい。
ザックスだってソルジャーになってかなり経つにもかかわらずこれが最初の仕事らしい任務だ。
終わっているんだ。終わっていないのは俺の意地だけなんだ。
そんな自分を惨めだとは感じてはいても、それでもクラウドは今は夢を諦めるつもりは無かった。
それだけが今の自分を突き動かしているのもまた事実だと分かっているから。
今度村へ帰るのはいつになるだろう。もしかするとこれが最期になるかもしれない。
(ティファを見る事が出来るのもこれが最期になるのか・・・でも、母さんは・・・・)
クラウドの脳裏に母の面影が去来する。
村を棄てる事は出来るかもしれない。ティファの事だって時が忘れさせてくれるかもしれない。
でも、母は・・・棄てる事など出来ない。誰よりも自分を愛し、理解し、見守ってくれている母を。
(母さん・・・母さんだけには会いに行こうか・・・)
村人の誰にも自分の身を明かさずにおこうと決めていたが、母だけには会おうかとクラウドは思った。
家出のような形で村を出ていった自分。それ以来手紙さえほんの数通送っていただけだった。
心配しているかもしれない。だから母にだけは安心させてあげたかった。少なくとも元気な姿を見せてあげたい。
母にだけは真実を知られても良いと思った。きっと母は笑顔で迎えてくれるに違いない。
と、その時、勢い良くドアを開けて部屋に入ってくる者がいた。ザックスだった。
「おお、いたか」
「あ、ああ、ザックスか」
「なあ、こうして宿にいるのも退屈だ。まだ陽も高いが少し飲まないか?」
そう言ってザックスは懐から酒瓶を取り出した。
「悪いが止めとくよ。・・・これから母に会いに行こうと思うんだ。村の誰とも会うつもりは無かったけど、母にだけは顔を見せてやりたくて」
「そうか・・・それがいい。誰よりもお前の事を心配している筈だからな。早く行ってやれよ。時間は長いようでこういう時は短いものだからな」
ザックスの表情は少しホッとした穏やかな表情だった。
「ああ、そうさせてもらうよ」
クラウドは立ち上がり、身支度を整え始めた。神羅服に身を包み、ヘルメットを被ろうとしていた。
「おい、その格好で行くのか?」
「ああ。これなら誰にも俺がクラウドだと悟られないからな」
「そうか...」
ザックスは小さく溜息をついた。
「じゃあ、俺は酒場へでも行くとするか。またな、クラウド」
ザックスはクルリと向きを変えて部屋のドアノブに手を掛けた。
「ザックス」
「おう」
「・・・ありがとう」
「友達だろ?気を遣うな。ゆっくりしてこいよ」
ザックスは振り向きもせずそう言って部屋を出ていった。その顔に優し気な笑顔を浮かべながら。
閉じられたドアを見つめながら、クラウドは再び『ありがとう』と心の中で呟いた。
ザックスの優しさが身に染みた。
ザックスはいつもそうだ。俺の事をさり気なく気遣っていてくれる。
俺がソルジャーになれなくともあいつの俺への友情は何の変わりも無い。
決して同情ではない。あいつは自分と同じ目線で俺と接してくれる。それが時にプレッシャーになる事もあるが、俺は正直に嬉しかった。
ニブルヘイムでもミッドガルでも俺の中では疑いもなく友と言えるのはあいつだけだ。
あいつの言葉があるからこそ俺はまだソルジャーになれると信じられる。あいつの言葉に嘘はないのだから...。
「コンコン...」
ドアをノックする音でクラウドの母はドアを開ける。平和な村だ。彼女には何の警戒心も無かった。
「はあい」
ドアを開けると、そこには一人の神羅兵が立っていた。まだ彼女には何の不安も無かった。穏やかな表情で彼女は訊いた。
「何でしょうか?」
「・・・」
彼女の問いかけにも答えず、無言のまま神羅兵は家の中に入り、そしてドアを閉める。そして居間の中央までずかずかと入り込んで立ち止まる。
「あの・・・」
ここに至って彼女の心は不安に襲われた。不可解な訪問者。そして不可解な行動。不安そうに再び彼女は問いかける。
「・・・」
神羅兵はヘルメットをゆっくり脱ぐと、ゆっくり彼女の方に振り向いた。
彼女は理解するより先に言葉が口を衝いていた。
どんな状況にあろうとも、どんな時にでも決して脳裏から離れた事の無いその顔がそこにあった。
「クラウド!?」
「母さん・・・ただいま」
「クラウドなのね!」
母親の顔は不安な表情からみるみるうちに歓喜の表情に変わっていった。彼女は息子を抱きしめ、そしてキスをする。
「か、母さん・・・恥ずかしいよ」
「あら、ごめんなさい。あんまり嬉しかったものだから。そうよねえ、クラウドはもう子供じゃないものね」
母親はクラウドを離し、それから両肩を両手で掴み、しげしげと息子の姿を眺めた。
「お帰り・・・随分見ないうちに逞しくなったねえ。さあ、其処に座りなさい。食事はまだなんでしょう?」
「うん...」
クラウドは嬉しかった。母は自分がソルジャーであろうが神羅兵であろうが関係が無かった。
きっと母さんにとっては息子は息子。大統領になろうと悪人になろうときっと同じように迎えてくれると思った。
ただ息子が帰ってきた。それだけで充分だったようだった。
5年振りの母の手料理。それは決してミッドガルでは味わえない暖かくて心のこもった料理だった。
ほとんど全ての子供がそうであるように、料理の味の基準は母親の手料理だ。
だからどんな高級な料理に満足しても、最後には母親の手料理が無性に食べたくなるものだ。
それをクラウドは5年も我慢してきたのだ。母の手料理は涙が出るくらい食べたかったものだった。
食事も済み、クラウドは居間のソファーに寝転がっていた。
家の中は5年前とほとんど変わっていない。ソファーは幼い頃からクラウドのお気に入りの場所だった。
母がお茶を出してくれる。クラウドはそれをゆっくりと、しかし一気に飲み干した。
やっぱりニブルヘイムのお茶が俺には一番合うとクラウドは思った。
母は向かいのソファーに腰掛け、クラウドに話しかける。
「彼女は出来たのかい?」
「そんなのいないよ」
「でも、女の子には興味はあるんだろう?」
「人並みにはね」
「母さんはね、お前にはグイグイ引っ張ってくれるようなタイプの子が合うと思っているんだよ」
「そうかなあ...」
他愛もない会話。でも、母は自分の想っている事が分かっているかのようだった。
彼女の次の問をクラウドは何となく予感していた。
「クラウド、ティファちゃんには会ったのかい?」
やっぱり・・・クラウドは母には何も隠していられないものなのだと思った。
「・・・会っていないよ。この村の誰も俺が帰って来た事を知らない」
「そうかい・・・」
「俺、ティファと約束したんだ。『ソルジャーになって帰ってくる』って。それが今はただの神羅兵。会えやしないよ。
ティファだけじゃなく、今のままじゃ村の誰にも会いたくない」
「でも、ティファちゃん、お前が帰ってくるって楽しみにしてたんだよ。
今日だってあの子、村の入り口でずっとお前が来るんじゃないかとずっと待っていたんだよ。一目くらい会ってあげればいいのに」
「ティファが...」
クラウドは内心嬉しかった。やっぱりティファは俺を待っていたんだ。間違いない。勘違いなんかじゃない。
でも、今はまだ素直に喜びを表現できなかった。部屋で、ベッドの中でその喜びを噛みしめようと思った。
きっとその後には悔しさが襲ってくるのだから。
「ティファちゃんね、お前が村を出て行ってから私の所に来てくれるようになってねえ。
料理とか家の修理とかいろいろ手伝ってくれていたんだよ。きっと私の事を心配してくれてたんだね。
ティファちゃん、お前のもっと幼い頃の事とか、どんな料理が好きなのかと訊きたがっていたよ。
本当にいい子だねえ。お前には勿体ないくらいだよ」
「お、俺は別に彼女の事なんか...」
「隠しても母さんにはお見通しだよ。お前がソルジャーになると言ったのは私とティファちゃんだけなんだからね」
「・・・」
「図星だね」
「・・・うん。でも、彼女はソルジャーになった俺に会いたかったんだ。だから・・・今は会えない。
でも、母さん、俺は近いうちにきっとソルジャーになる。ソルジャーになって堂々と帰ってくるよ」
母は小さく溜息をつく。息子の不器用さに自分の教育の仕方が悪かったのかと少し後悔した。
「本当にお前は不器用だねえ・・・でも、あの子はそんなお前が気に入ったのかもしれないね。
必ずソルジャーになるんだよ。そして必ず帰ってくるんだよ」
「うん」
「それから手紙を書いてよこしなさい。あの子にお前の事を伝えてあげるから。分かったかい?」
「・・・ああ、必ず書くよ」
母は立ち上がり、台所へ歩いていった。そして食器を洗い始めた。
クラウドはソファーに寝転がりながら、帰ってきて良かったとしみじみ思った。
母を安心させる事が出来た。それ以上に惨めな想いに包まれていた自分を慰める事が出来た。
どんなに外見は変わっていようとも、変わらずに自分を認めてくれる人がいる。
例えそれがたった一人であろうとも、自分はそれを心の支えに生きていける。
ティファはどんなのだろう?・・・ソルジャーではない自分を優しく迎えてくれるだろうか?
きっとティファなら暖かく迎えてくれるだろう。
でも、ソルジャーでない自分は彼女の想いを自分だけに向けさせる事が出来るのだろうか?
彼女が自分を待っていてくれたという事実があっても、自分の中にある想いと同じものなのだろうか?
・・・分からない。何の確信も自信も無い。俺はソルジャーじゃない。
だから今は会いたくない。違う、会いたい。でも、会えない。
だから・・・きっと俺はソルジャーになる。そして彼女に会いたい...。
時間はあっという間に過ぎていった。こんなに平和な気持ちになれたのは何時以来だろうか。
「今夜は泊まっていくんでしょ?」
料理の後片付けをしながら、母は尋ねた。
「ごめん、明日は早いんだ。だから宿に帰るよ」
「そうかい・・・仕方ないね、仕事なら」
母の声はひどく落胆したように聞こえた。
「でも、明日の仕事が終わったら必ず立ち寄るよ」
「かならず寄っておくれよ。それから、身体に気をつけるんだよ」
「うん、分かっているよ。じゃ、俺そろそろ帰るよ」
クラウドは少しばかりの心残りを引きずりながらソファから立ち上がり、そして家を出た。
夜は星空に支配されていて、給水塔を見るとあの夜を思い出させる。
(・・・俺は約束したんだよな...)
クラウドは振り返ってティファの家を見る。ティファの部屋はまだ明かりが灯っている。
彼女はすぐそこにいる。でも、今はすごく遠くに感じる。
5年振りに見たティファはとても綺麗になっていた。眩しいくらいに。
会いたい。今までの事、将来の夢を話したい。
でも...。
(ティファ、俺は必ずソルジャーになる。もう少し待っていてくれ)
クラウドは宿へ向かって歩き出した。決して振り向くまいと思った。振り返れば会いたくなってしまうから。
ティファは部屋で日記を書いていた。いつの頃からだろうか、彼女は日記を書くようになっていた。
窓は少し開けてある。夜風が部屋の中を優しく流れ、彼女の長い髪を微かに揺らめかせている。
ティファはこのひとときが好きだった。星空の放つ光、夜風、そういったものがあの夜の事を想い出させてくれる。
ティファの日記、いつも締めくくりは決まっていた。『おやすみ、クラウド』と。
(クラウド!?)
その時、ティファには何かが感じ取れた。クラウドがすぐそこにいるような感じがした。
筆を止め、窓から外を窺う。静かな夜。こんな時間に外に人がいる筈も無い。
(あ、クラウド!)
ティファは外に人影を見つけ、即座に思った。
窓を開け、ティファは大きく身を乗り出す。星の光の下を歩くその人をもっと確かめようとした。
その人はティファの気配に気付いたのか、足を止めて、こちらを振り返った。
それは・・・神羅兵だった。
神羅兵はティファの姿を認めると、怪訝そうに首を傾げ、そして再び宿に向かって歩き出した。
(クラウドじゃない...)
ティファはひどくガッカリすると、窓を閉めてベッドに寝転がった。もう日記を書く気力が無くなっていた。
涙が自然にポロポロこぼれてくる。こんな悲しくて寂しい思いは母の死以来だった。
分かってる。自分で勝手にクラウドが来ると思い込んでいたって事。
身勝手な思い込みだけど、確信があった。不思議にそう信じて疑わなかった。
だから悲しかった。会いたい、会いたいのに・・・クラウド。
神羅兵は宿に入ると、真っ直ぐに自分の部屋に戻った。
ヘルメットを脱ぎ、軍服を脱ぐと、ベッドに腰を下ろす。枕元に置いた酒を口にすると、小さな声で呟いた。
(ティファ...)
ティファの見た神羅兵。それはやはりクラウドだった。
思わぬ彼女との再会。だが、クラウドは見知らぬ神羅兵の振りを通した。
知られたくなかった。見られたくなかった。自分のこの姿を。彼女にだけは見られたくなかった。
ティファは・・・とても美しく見えた。星の光で見たティファは神々しささえ感じさせた。
あの時、彼女の口はこう言っていたように思えて仕方がなかった。
『クラウド』・・・と。
クラウドはグラスに酒を注ぐと、一気に飲み干した。
ベッドに横たわり、天井の板をぼうっと見つめる。見えているのは灯りに照らし出された木目だけなのに違うものが見えてくる。
見えるのはあの夜の、そして今夜見た幼馴染みの顔...。
打ち消そうと思ってもそれは消えはしない。悔しさと悲しさと入り交じったような感覚が襲ってくる。
こんな感覚、ミッドガルでは感じなかった。ソルジャーになれず神羅兵に落ちぶれたとしても、あそこでは屈辱感はこんなに感じなかった。
誰も自分の事を期待しているわけでもない。ソルジャーになれたとしても自慢するつもりもない。
悔しさや挫折感はあってもそれは自分の想いの中の事。神羅兵であっても誰に引け目を感じる必要は無かった。
故郷のこの村でもそれは変わらない筈だった。ソルジャーといってもこの村では必ずしも尊敬の念を抱かれる存在とはいえない。
幼い頃は分からなかったが、ミッドガル以外ではソルジャーは必ずしも英雄ではなかった。
英雄という称号はミッドガルが宣伝として広めただけのもの。何も知らぬ子供達だけが尊敬する存在だったのだ。
・・・ティファはソルジャーに英雄という響きを持っているのだろうか?
でも、俺は約束したんだ。ソルジャーになると。ピンチの時に助ける英雄になると。
どんなに自分の気持ちをを誤魔化してみても、約束を守れなかったのは事実なんだ。
クラウドはそれだけがただただ悔しくて悲しかった。
クラウドは懐から小さな宝石箱を取り出し、そっと開いてみる。中には銀色に輝く小さなイヤリング。
ニブルヘイムへ来る途中、コスタ・デルソルでティファにと買った物。ザックスと一緒に買った贈り物。互いに想う人にプレゼントしようと約束して。
渡す事など出来る筈も無いのに、それでも買ってしまった贈り物。
(・・・何で買ってしまったんだろう。でも、あの時だけは渡せる気がしていたんだよな...)
クラウドは酒を呷りながら複雑な想いでそれを見つめていた。
と、急に酔いが廻ってきた。そのままクラウドは眠り込んでしまった...。
ティファ、今君の心の中には誰がいる?君は俺の贈り物を受け取ってくれるだろうか...。
しばらくしてザックスが宿屋の階段を上り、クラウドの部屋をノックする。
返事は無い。
ノブを回す。鍵は掛かっていない。ザックスはゆっくりとドアを開ける。
暗くなった部屋のベッドの上にクラウドは眠っていた。
「・・・寝ちまったか...」
ザックスは何も掛けていないクラウドに毛布を掛け、開けたままの酒瓶に蓋をする。
そしてテーブルの上に置かれた宝石箱を見つけた。
(こいつは...)
二人で買った互いの愛する人への贈り物。けれどザックスには分かっていた。クラウドがそれを今は渡せないだろうという事を。
クラウドは自分を気遣って一緒に買ったんだという事を。
自分としてはこれをキッカケにこだわりを棄ててくれればいいのだが・・・そう思って買った贈り物。
(クラウド...)
密かに願っていた。友が愛する人にこれを贈る事を。だが、それは果たされないのだろう...。
ザックスは部屋を出て自分の部屋に帰る。そしてクラウドと同じ宝石箱をバッグから取り出す。
(・・・)
クラウドには彼女を紹介していなかったが、帰ったら紹介するつもりだった。
でも、あいつがこれを渡せるまでは俺もあの娘にこれを贈る事など出来ないと思った。
今、この贈り物が必要なのはクラウドなんだ・・・そしてそれは正に今なんだ。
(・・・まだこの時刻なら大丈夫だな)
ザックスは部屋を出て行った。懐にはクラウドと同じ宝石箱を忍ばせて。
給水塔の前を横切り、ザックスは一軒の家の前に立ち止まる。
見上げると家の二階には灯りが灯っていた。
ザックスは小さな小石を拾い上げると、二階の窓に向かってそれを投げつけた。
小石は窓ガラスを叩いて落ちた。
(さて・・・何が出てくるか・・・)
確信があった訳ではない。だからその明かりの灯る部屋に彼女がいるのだという気がしただけだ。
だが、クラウドが時折送る視線、その先はいつもこの家の2階を指していた。
これは賭かもしれないが、当たる確率はかなり高いと思えた。
やがて窓に人影が見えた。星明かりにおぼろげながらも長い黒髪にそれがクラウドの『その人』に違いないと確信した。
ザックスは大きく手を振ってその人影に合図した。
窓が開き、彼女はベランダに出てきた。怪訝そうにこちらを見ている。
「あなたは・・・昼間来たソルジャーの・・・」
「ザックスだ。ねえ、君、確か昼間ティファと名乗ってたよね?」
「はい」
「クラウドという男を知っているね?」
「クラウド!?」
「クラウドは俺の親友だ。実はあいつに頼まれたんだ。今の君を知りたいってね」
「クラウドが、私の事を...」
「悪いけど少しだけ、いいかな?」
「はい!」
「じゃあ、俺はそこの給水塔の上で待っているから」
ザックスは給水塔に向かって歩き出した。
突然の訪問者にティファは警戒心を抱かなかった訳ではなかったが、『クラウド』という言葉はそんな警戒心を忘れさせてしまっていた。
知りたい。クラウドの今が。何処にいるの?何をしているの?...。
クラウドが私の事を知りたがっている・・・それが本当の事なのかどうか分からない。でも、信じたい。
ティファは少し胸が高鳴るのを感じながら、こっそりと階段を下り、外に出た。
ザックスは給水塔の上に座ってティファを待っていた。
(・・・考えてみれば、もっと警戒してもいいよなあ)
確かにそうだ。見も知らぬ男。ましてやそれがソルジャーだとしたらもっと警戒してもいい筈だ。
ミッドガルではともかく、他の村々ではソルジャーといっても決して尊敬されるべき存在という訳ではない。
彼女だってそれは知っている筈なのにもかかわらず二つ返事でここに来るという。
(・・・待っていたんだな。クラウドを...)
ザックスは懐から宝石箱を取り出す。クラウドの持っているのと同じ銀色に輝くイヤリング。
(お節介だよな・・・俺の悪い癖だ。
でもよ、俺はどうしてもこいつを彼女に渡さなければいけないと思えて仕方がないんだ。
俺のやろうとしている事は嘘だけど・・・いや、嘘じゃないよな。お前はこいつを渡すつもりだったんだよな)
やがてティファが給水塔にやって来た。
「こんばんわ」
「あ、ああ、こんばんわ」
昼間に一度顔を追わせたにせよ、殆ど初対面に近い自分に屈託のない笑顔を見せるティファにザックスは少々戸惑いを覚えた。
だが、ザックスはそんな彼女が誰かに似ているとすぐに感じた。
髪の色、瞳の色、みんな違うのだけど何処か似ている。そう、自分が愛する娘。エアリスという名の娘に似ている。
ザックスは初めてエアリスに出会った頃の印象を想い出していた。
「どうしたの?」
「い、いや・・・何でもない」
「隣、座ってもいい?」
「あ、ああ」
ティファはザックスの横に座った。ザックスはチラッと横目でティファの横顔を見た。つぶらな瞳が星の光に輝いて見えた。
長い黒髪はその光を吸収したかのように優しく艶を照らし出している。
ザックスはほうっと溜息をついて思った。『あいつが惚れるのも無理ないよな』と。
「今、クラウドはどうしているんですか?」
「あいつも俺と同じようにソルジャーとして活躍している。本当は今回の調査はあいつが来る事になっていたんだ。
だが、運悪く今関わっている仕事がなかなか終わらなくてね。それで俺が代わりに派遣されたんだ。
あいつ、とても残念そうだったよ。『やっと約束が果たせる』って言っていたんだ」
「約束...」
「君に約束したんだろ?『ソルジャーになって帰ってくる』って。いつもは無口な奴なのに、君との事だけはいつも聞かされていたからね」
「クラウドが私の事を...」
見えない筈なのにザックスはティファの頬が紅くなったのを感じ取っていた。
「君も待っていたんだよね。クラウドの事を」
「・・・はい」
「良かった・・・あいつ、いつも心配していたんだ。君が自分を待っていてくれるかどうかをね」
「クラウド、私の事、覚えていてくれたんだ...」
ティファは答えるが、何故かザックスはじっとティファを見つめている。その眼差しは自分の心の中も見通すような真摯な眼差しだった。
「・・・どうしたの?」
「いや、やっとあいつの言葉の意味が分かったような気がしてね。
俺とあいつは同じ時期にソルジャーになるために訓練を受けてきたが、あいつのソルジャーになるという執念は尋常じゃなかった。
『約束したんだ』とあいつは言っていたが、俺にはどうにも理解出来なかった。
でも、今やっと分かったよ。あいつの心の中にはいつもこんな美しい子がいたんだなって」
「・・・そんな、美しいだなんて...」
ティファは顔を紅く染めた。ザックスの言葉なのにクラウドにそう言われているような気がした。
ザックスの言葉は全て真実という訳では無いかもしれない。でも、クラウドが自分との約束を忘れていなかったという事だけは信じられた。
何故か分からない。それでもティファはクラウドが約束を果たそうと辛い訓練に耐えてきたのだと信じられた。
「あ、そうそう」
ザックスは懐から小さな宝石箱を取り出し、ティファの前に差し出した。
「これを、私に?」
「ああ。これを渡そうと思っていたんだ。クラウドから頼まれたんだ。君に渡してくれとね」
「クラウドが、これを...」
ティファは宝石箱を受け取ると、静かに開く。中には銀のイヤリングが眩しく光っていた。
「・・・」
ティファは宝石箱を胸に強く押し当てた。宝石箱から心地よく暖かいものが胸から全身を満たしてくれるような感覚を覚えていた。
涙が出る程ティファの中に喜びが広がっていく。
「クラウド・・・ありがとう」
「余計なお節介かもしれないが、クラウドを待っていてくれるね?」
「はい!ずっとずっと待っています!」
クラウドは私の事忘れていなかった。今でも私の事を、私との約束を覚えていてくれていた。
ついさっきまでどうしても気持ちが落ち込んでいて何も考えられなかった。でも、今心に光が差してくるような感じがする。
見えなかったクラウドとの糸が見えてくるような気がする。
「良かった。あいつもきっと喜ぶよ」
ザックスは頷きながらこころの底から嬉しかった。彼女なら大丈夫。きっとクラウドを・・・例えソルジャーになれなくても・・・暖かく迎えてくれるだろう。
ザックスは確信に満ちた笑顔を隠す事が出来なかった。
(クラウド、彼女の笑顔を見せてやりたいよ。彼女はソルジャーに会いたいんじゃないんだ。お前に会いたいんだ)
ザックスはこの事をクラウドに告げるつもりは無かった。告げる必要も無いと思った。
自分の嘘はいづれバレるだろう。あいつは怒るかもしれない。無理もない。俺の行動は余計なお節介だ。
でも、俺は後悔していない。俺はこれから確信を持って言えるから。
『彼女はお前を待っている』と...。
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ニブルヘイムの村はずれの小さな丘の上。クラウドとティファは草の上に座って軽い昼食を取っている。
昼の穏やかな日差しと優しく頬をなぞる風。雲雀が歌い止まないのどかなひととき。
こんな時間が二人は大好きだった。
「もうすぐティファの誕生日だね。何かプレゼントしようと思うけど、何がいいかな?」
「クラウド、プレゼントって、『何かしら?』っていうのがいいのよ」
「そりゃあ、そうかもしれないけど、去年のプレゼント、ティファはあんまり喜んで無かったじゃないか。俺ってどうもセンス無いみたいだし...」
「だって、ああいうドレス、この村じゃ着る機会が無いんだもの。喜んでいない訳じゃないよ」
去年、クラウドはティファにドレスを贈った。旅先の町で見つけたドレスだった。
クラウドはきっとティファに似合うと思って買ったのだが・・・確かにそのドレスはティファによく似合った。
だが、それはは町の社交場では似つかわしいかもしれないが、ニブルヘイムではおよそ不似合いなドレスだった。
結局ティファがそのドレスを着たのは旅行でゴールドソーサーへ行った時だけだった。
「だから今度はティファが欲しいと思う物を買ってあげたいんだよ」
「うん・・・でも、私今欲しい物なんて特に無いし・・・!
そうだわ、何かアクセサリーがいいな。いつも身に付けられるような小さいアクセサリーがいい」
「アクセサりーねえ...」
クラウドはティファの姿をじっくり眺めながらどんなアクセサリーがいいか考えてみた。
指輪、ブレスレット、ネックレス、イヤリング・・・派手でなく、さり気なくティファの美しさを引き立たせてくれるものがいい。
「イヤリングなんかどうだ?そのイヤリングも随分長い事しているだろう?新しいのを買ってあげるよ」
「え・・・これは駄目!忘れたの?これはクラウドが初めてくれたプレゼントなんだよ」
ティファは少し悲しげな眼をした。
「ティファ...」
「クラウドのプレゼントはみんな大切な宝。でも、このイヤリングはその中でも特別なの。
だって、クラウドに出会う前、このイヤリングがクラウドと私を結ぶものだと思っていたから。
あの頃の私にとってこのイヤリングがクラウドと私を結ぶ確かな記憶の証しだったんだもの。
だからこのイヤリングだけは外したくないの...」
「そうか・・・そうだったよな」
クラウドはそのイヤリングが自分ではなく、本当はザックスがエアリスに贈る筈の物だったと知っている。
自分が買ったそれはあの故郷を焼き尽くす炎の中で失われてしまった。
もっとも、それを知ったのはライフストリームで自分を取り戻してからだったが。
それまで、それは自分が贈った物だと思っていた。
あの再会の時、イヤリングを見てティファだと感じたのは、ザックスと二人して同じ贈り物を買ったからだったのかもしれない。
ソルジャーになったら贈ろうと思っていたイヤリング。それを身に付けた彼女の姿を想像していたから。
嘘かもしれない。あれはザックスの物だ。でも、その嘘に甘えようと思う。
自分の想いに嘘はなかった。ソルジャーにはなれなかったけれど、ティファ、君への想いは嘘じゃなかった。
「あの時、本当はまだ意識が混沌としていてティファの顔がよく見えなかった。でも、イヤリングを見て俺の口は君の名を呼んでいた」
「私、不安だったのよ。だって、クラウドがイヤリングの事を忘れる筈無いのに何も言ってくれないから」
「すまない。・・・考えてみると、あの頃の俺は大事な事ばかり忘れてしまっていたような気がするよ。
給水塔の前でティファと出会っていた事、イヤリングをザックスに託した事、どれか一つでも覚えていれば良かったんだ。
そうすればティファをあんなに不安に、苦しめずに済んだ筈だったのに」
「クラウド...」
「もしかしたら、俺は無意識の裡に自分にとって辛い思い出を記憶の奥に遠ざけていたのかもしれないな。
本当に情けなく弱い男だった。今もそれは変わらないのかもしれないけど」
「クラウド・・・誰だって自分の中に弱さを持っているものよ。
クラウド、自分の弱さを知っている。本当の強さって自分の弱さを知っている事だと思うの。
だって、クラウド今は全て受け入れているわ。弱さを強さで隠そうとしていないもの。それの方が本当に強いと思うわ」
「ティファ...」
「それに・・・そんな弱い所があるクラウドが好きだから・・・私は今のクラウドが好き」
ティファは言ってしまってから急に恥ずかしくなったのか、少し頬を赤らめた。
クラウドはそんなティファの仕草がとても愛おしく感じられるのだった。
「俺だってそんなティファが・・・」
クラウドはボソッと呟いた。
「え?何?クラウド」
「いや・・・何でもない。そう、プレゼント・・・俺なりに考えて見るよ。
そのイヤリングには勝てないかもしれないけど、本当にティファが喜ぶような物を探してみるよ」
「勝てるって、変な言い方だけど・・・うん、期待しちゃうね!」
「ああ、期待してくれ」
クラウドは給水塔のある方角を見ながら心の中で呟いた。
(ザックス・・・お前には借りばかり作ってしまったな。お前が贈ってくれたイヤリング以上の贈り物はそう簡単にはティファに贈れそうもないよ。
でも、俺はそれでもいいと思ってる。お前はいつまでも俺の憧れでありライバルだから。
だから今度のプレゼントは君の愛する彼女にも贈ろうと思っているんだ。
もちろん、これで貸しを返そうなんて思ってはいないよ。これは俺からのほんのささやかなお礼だ・・・)
クラウドの脳裏にはザックスとエアリスの姿が映し出されていた。
きっと今は一緒にいる筈だよな・・・そう思うとクラウドは穏やかな笑みを遠い空の彼方へ向けていた...。
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【あとがき】
やっと完成しました。この小説はイメージは最初からあったのですが、ザックスがイヤリングを渡す場面で散々迷ってしまって完成が遅れてしまいました。
ザックスがティファにイヤリングを渡す・・・それは最初から考えていたのですが。、その理由が二転三転していました。
最初は本当にクラウドがザックスに指輪を渡すように頼むとしていましたが、クラウドの性格からして不自然かなと思い書き直し。
次にザックスがクラウドの持っていたイヤリングを渡すと考えましたが、これはすぐにバレる筈なのでやっぱり書き直し。
結局今回のストーリーになりました。う〜ん、現実性にこだわりすぎたかも・・・。
そういえば、僕の書くクラウドって、いつも自分を卑下する癖があるような感じがする。
これって、酒を飲むと「俺って駄目な奴なんだよな〜」っていう男に近い印象を持つかもしれませんね。
それってお前の事じゃないのか?・・・僕も自分はそういう奴かと思えるんですが、実際僕は酒を飲むと陽気になるみたいです。
でも、心の中では「こんな風に慰められたい」思っているのかも(笑)
それはともかく、今回はティファのイヤリングが小説のモチーフです。あの、イヤリング、どうしたんでしょうね?
いろいろ説があるようです。母の形見だとか、単に彼女が買った物だとか、再会後クラウドが贈った物とか・・・
僕は小説のような解釈をしましたが、みんなはどう考えていましたか?
出来れば聞かせて欲しいなあ。