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妹・肇子の縁談をよろこぶべき兄が死んだ。俺が死ぬようなことがあったらワープロでフルネームを打ってくれ、と言い遺して。涙の渇くまもなく、今度は母が殺された。ワープロに残されていたのは新潟の一地方、月潟村の風土誌。浅見光彦は肇子とともに、謎をひもとくために母の生地、月潟村を訪れるが…。

 

講談社文庫(本のカバーから引用)

漂泊の楽人
 内田先生は、「人間性善説」をとっていると思っていたのですが、この作品はちょっと趣が違いますね。つまり、「獅子の浜田の子」が生まれついてかどうかは判然としませんが、冷酷で欲深な人物として描かれています。そして、その息子もです。

地方銀行とはいえ、その銀行の重役として何不自由のない生活をしている人物。社会的に成功した人物なのに際限なく欲の塊として描かれているのですから、ちょっとした驚きです。

 およそ犯罪を構成するものに、動機があります。もちろん、作中の動機はそれなりに納得するのではありますが、その前の巨悪の首謀者が「獅子の浜田の子」というのは、なにかしら納得できないのです。

「浅見光彦のミステリー紀行第2集」で先生はこう書いています。

「それから40年経って、その思いでの駿河湾で殺人事件を起こすのだから、僕の正義感も信用できないが、それはともかくとして、沼津で起きた事件が、やがて越後獅子に結びついてゆく−−−という発想の豊かさ、ストーリー展開の妙には、われながら感心する。」

確かに、内田先生の発想には感心します。けれどもこの作品の発想の飛躍は余り感心できたものではありません。

あくまでも「獅子の浜田の子」の描き方が気に入らないだけなんです。40年前に父と一緒になって狡猾な事件を引き起こしているのですが、その性質がそのまま40年たっても同じというのは困りものです。

戦後の食うだけで精一杯のときと今とはまったく状況が異なるのに、そのままということはあり得ません。

むしろ、「獅子の浜田の子」が一時は成功したが、その後没落し、もう一度一旗あげるために犯罪を画策するというストーリーなら、なんとなく納得できるのですが、いかがでしょうか?

この本はそれなりに面白かったのですが、先生らしくないと思うのは、果たして私だけでしょうか?

1998.10.25記