1.V.A. / O
Brother (Mercury 088 170-069 ) この類の音楽としては500万とも600万ともいわれる売り上げ枚数を示した「異例」のメガヒットとなった映画のサントラ盤。
僕自身も久しぶりに映画館に足を運ぶ事数度、これ又個人的ながら「異例」の出来事だった。「Hard Times」といわれる30年代の南部の風景、音楽好きとしては当時の録音事情のシ−ンなど興味をそそられる所もあった。
さて、アルバムだが、これほど多士済々の歌い手を集めた故ジョン・ハ−トフォ−ドの手腕は高く評価されるべきだろう。アルバム完成後ジョンは「このアルバムが発表されたらとんでもない事が起きるだろう」と予言したそうだが、果たせるかな空前の大ヒット。彼の予言は的中した事になる。
然し、である。メイン・テ−マ曲である「Man Of Constant Sorrow」から「Po Lazarus」「Down
In The Valley To Pray」「Lonesome Vally」等、誰一人として「フォ−ク」の人は参加していない事実は、ある意味ショックな出来事ではある。
60年代多く活躍したドック・ワトソン、スタンレ−・ブラザ−ス、ブラウニ−・マッギ−やミシシッピ・ジョンといった「本物の歌い手」に比べ、リバイバルを支えた多くのシンガ−は都会出身の学究や若者達であった、言ってみれば彼等本物から見れば「まがいもの」であったかもしれない多くのシンガ−でもトラディショナルソングの一つや二つは歌えたものである。
「コンテンポラリ−ソング」を歌い、自作自演の姿勢を推し奨めた今日の「フォ−ク」の「ツケ」がこんな形で現れた、と言ってしまえば言い過ぎか?
2.V.A./ Philadelphia
Folk Festival 40th Anniversary ( Slice Bread 74440 ) 63年に再開されるニュ−ポ−ト・フォ−ク・フェスの前年から開催されたフィリ−・フォ−ク・フェスの40周年を記念して制作されたアルバム4枚組の質、量ともに圧倒的なドキュメンタリ−。
とは言え、40年を4枚組で振り返るには少々物足りなさも感じるが、そこはそれニュ−ポ−トでは味わえない人選、この40年のフォ−クの変遷史も伺え興味はつきない。
「フルハウス時代」のフェアポ−ト・コンベンション、デビュ−間もないボニ−・レィット、73年のデイブ・ブロンバ−グ、復活したジャニス・イアンが歌うのはデビュ−作の「Society's
Child」で、つい2年前の録音である。
ところで、フィリ−・フォ−ク・フェスは過去62年(Prestige Folkrore)77年(Flying
Fish)と都合2回リリ−スされてきているが、無論その時の音源も再び収録されての貴重な音源の目白押しではある。
楽曲と収録された年を重ね合わせて聴けば、新たな感慨も浮かぶというもの。いわずもがなではあるが、ニュ−ポ−トだけがフォ−ク・フェスではない当たり前の事実が、このアルバムが無言のうちに伝えてくれている
3.Mark Spoelstra
/ Out of My Hands( Origin Jazz Library 2001 ) 60年代フォ−ク・リバイバルの時代はミシシッピ・ジョン、ブラウニ−・マッギ−等埋もれていた「人間国宝」が発見され最後の光を浴びた瞬間だったとも言える。彼らが動き、語り、演奏する姿を間近に見た最後の世代が、当時頭角を表してきたコンテンポラリ−な作品を多く書く若手のシンガ−達。
曖昧な記憶だが、ボブ・ディランもそのことを誇らしげに語っていたようだ。西海岸でフォ−ク・リバイバルの導火線になっていたバ−クレ−から東部のフォ−ク・シ−ンに辿り着いたマ−ク・スポ−ルストラもその一人。
流麗で繊細な12弦ギタ−によるピッキングは当時多くのフォロワ−に影響を与えてきた。
フォ−クウェイズ、エレクトラ、ブァ−ブ、コロンビアとレ−ベルを渡り歩き一時期はかのミッチ・グリ−ンヒルやメイン・スミスとカントリ−・ロック・バンドも結成していた事もある。そして、最後のメジャ−での作品がファンタジィ−での71年。
その後の足跡は「Somehow I Always Knew」( Aslan 1002 ) '76年、「Comin'
Back To Town」( Inwood 1001 ) '79年が確認されているが詳細は不明。
だから、このアルバムを手がけたケアリ−・ジネルが「20数年ぶりのマ−クのファ−スト」というのも頷ける。リリ−スされた事自体驚いたアルバム。
アルバム・ジャケットは当時のマ−クを最もよく知る一人エリック・フォン・シュミットが手掛けているのも嬉しい。
4.V.A./ Fast
Folk a community of singer & songwriter ( Smithsonian
Folkways 40138 ) 82年春にスタ−トし、96年ボトム・ラインでのライブ音源を編集した音源で幕を閉じたFast
Folk Musical Magazine、その役割は何だったのだろう。
フィラデルフィア大学で学生新聞の編集をしていたジャック・ハ−ディ−の音頭取りで始まったレコ−ド付きフォ−ク誌は当時としては画期的な事だった。
80年代混迷していたフォ−ク・シ−ンにおいて、もう一度「フォ−ク音楽」を検証し 再構築するという視点がジャックにはあり、それに賛同する無名のシンガ−が協力をするという形が当初はとられていたはずで、事実この「Fast
Folk」のタイトルの前には「The COOP」と書かれていた。
毎号「Political Song」とか「Love Song」等テ−マを決め、フォ−ク深淵な世界に無名の若手が立ち入る姿が新鮮であった。故老に話を聴くように60年代のシンガ−にインタビュ−する記事が掲載されていたのもそうした視点によったものだった。
そんな中で、スザンヌ・ベガやショ−ン・コルビンといった駆け出しがNYを離れハリファックスに移住するエド・マッカ−ディ−と「平和の誓い」を歌う音源等その最もたるものだったはずだ。
やがて、彼女達の作り出す歌が注目を集め、フォ−ク・シ−ンが生み出した「スタ−」として脚光を浴びる頃になると「Fast
Folk」誌は別な意味で注目を集める ようになる。
それはこの雑誌がNYビレッジで創刊された事にも起因するだろうが、皮肉にも野心をもった多くの無名の歌う機会に恵まれないシンガ−の「作品の発表の場」になってしまった事だろう。早い話「新人紹介の登竜門」になってしまった訳である。
「Fast Folk」誌の14年に渡る歴史は一言で言えば多くの才能を持った新人を世に送りだした、それに尽きる。ジョン・ゴ−カを筆頭に彼らの多くが現在のフォ−ク・シ−ンの中核を担っている事実。
今回CD2枚に凝縮されたアルバムは、彼らの熱意が真空パックのように保存されているだろう。でも、設立の経緯から遠く離れて存在した「Fast
Folk」は「国の宝」としてスミソニアンが「保存」するしか道はない。
80年代のフォ−ク・シ−ンを語る時、「Fast Folk」は一つの「柱」だ。そして、もう一つの柱はキングストン・トリオのファンが作った「キングストン・コ−ナ−」(現在のフォ−ク・エラ)60年代モダン・フォ−クの人気の再燃だった事は間違いない。
5.V.A./Papa Nez
: A Loose Salute to The Work of Michael Nesmith ( Dren
015 )
西海岸フォ−ク・ロックからカントリ−・ロックに至る道を考えていると、それ以前の フォ−ク人脈が結構大事に思えてくる。
キングストン・トリオを柱にしたそのフォロワ−達、そして意外な所ではかのランディ−・スパ−クスの人脈である。マイケル・ネスミスやジョン・デンバ−といった人たちも例外なくのそ範疇に収まってしまう。
カントリ−・ロックがバ−ズ人脈で語られてしまうマイケルの影が今一つ薄いのもそうした所に起因しているのかもしれない。このアルバムはモンキ−ズ時代から「カントリ−・ロックのパイオニア」であったマイケルへのトリビュ−ト・アルバムである。モンキ−ズ時代続くファ−スト・ナショナル・バンド時代の作品が集中的に「ネオ・アコ−スティック」や「ル−ツ・ミュ−ジック」の音楽を標榜する若手がマイケルの作品に新しい解釈を施して歌っている。
モンキ−ズというショ−・ビジネスの世界が生み出したグル−プが、実は結構懐の深いグル−プだったりした事もこのアルバムを耳にされた人は気づくに違いない。前面に出ていたデイビ−・ジョ−ンズやミッキ−・ドレンツより少し退いていたピ−タ−・ト−クやマイケル・ネスミスといったフォ−ク畑出身の音楽性に。
だからという訳でもないが、モンキ−ズを脱退してゆく順番は「彼等から」である。
6.V.A./ Vigil
NY Songs since 9/11 ( Conscious 001 ) 2本の蝋燭がともるだけのシンプルなジャケから、これが昨年のNYの世界貿易センタ−ビル爆破事件の追悼アルバムと理解するには時間がかかるかもしれない。
フォ−クの世界でこの事件に反応したのはキティ−・ドナヒュ−。自作の「There Are No Words」はすぐさまノエル・ポ−ル・ストゥキ−が歌っていた。
お膝元のしかも世界を震撼させた事件である。NY在住のシンガ−達にとってこの事件に対する「鎮魂とメッセ−ジ」は形になって現れたのがこのアルバムである。
スザンヌ・ベガの呼びかけに弟をこの事件で亡くしたジャック・ハ−ディ−、クリスティ−ヌ・レビン、ウエンディ−・ベッカ−マン等かってのFast
Folk Singer達がこのプロジェクトに参加している。
悲しみを押し殺すように抑えたト−ンで歌うジャックの歌声が耳について離れない。旧友のブライアン・ロ−ズ、クリスティ−ヌ・レビンもNYの復活を信じている。
かって、世界に夢を与え続けたNYの街を本当に愛していた人々が、事件を憎みその犠牲を悼む。フォ−ク・シンガ−だからこそ出来たプロジェクトではないだろうか。
7. Dave Van Ronk
/ Sweet & Lowdown ( Justin Time 166 ) デイブが亡くなった2月10日の当日は、「京都フォ−ク」の育ての親である川村 輝男氏の還暦パ−ティ−に参加していた。
昨年末、神戸でデイブを師と仰ぐ友部 正人氏に会った時は、彼との話題は殆どこのデイブとフランク・クリスチャンの話に終始した。「結腸癌」に犯されたデイブはついぞ「帰らぬ人」になってしまった。
生前から、自分はフォ−ク・シンガ−ではなく、強いて挙げれば「トラディショナルなジャズ・シンガ−」だと広言して憚らなかったその言葉通り、その遺作となったこのアルバムは小粋なジャズ・スタンダ−ド集である。
思い起こせば彼が日本の土を踏んだのは89年。もう10年以上経ってしまった。
殆ど、誰一人として知らなかった彼のライブに出くわす事が出来たのも偶然とは言え「幸運」としか言いようがない。
斯うしてアルバムを聴いているとデイブの「優しいダミ声」ももう聴く事はない。そう思うと、あの時でっかい手で力強く握手した感触を思い出さずにはいられない。持参したアルバムの彼のサインが消える事はないと信じている。
8.Michael Johnson
/ Live At The Bluebird Cafe ( American Originals 4001
) ナッシュビルでのソングライタ−の草分けになってしまったマイケルの「ソングライタ−のメッカ」として知られる「ブル−バ−ド・カフェ」でのライブアルバム。
バックポ−チ・マジョリティ−を振り出しに後期ミッチェル・トリオのメンバ−であった事も思い返すと、この人のキャリアも随分なものになる。
アトコ、ミネソタのインディ−ズであるサンスクリットから良質のアルバムをリリ−スし、オ−バ−・グラウンドへのデビュ−では「ソフト・アンド・メロウの貴公子」として紹介され、この人のアルバムから遠ざかる原因になった。
カントリ−・チャ−トでの成功を機にナッシュビルではソングライタ−として知られ今回のアルバムは本来の彼の姿、ギタ−弾き語りに少量のバックが粉をかける程度についている。
弾き語りとはいえ、ギタ−・プレイヤ−としてもその腕前は広く知れわたって いるマイケル、半端な演奏は聴かせない。よく計算され、尚かつドライブのかかったアップテンポの演奏では「ギタリストのアルバム」と誤解されるかも
しれない。
しかし、一転落ち着いたト−ン・ダウンしてゆくメロディ−に女性シンガ−の歌声が絡むと、これは魔法の世界そのもの。ライブ故、その拍手で我に帰る。この人の良さが端的に現れた時だ。