Diary 2004. 5
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5月1日 (土)  羽田空港侵入事件

日本の危機管理体制の甘さは、残念ながら、想像通りというか想像以上であった。

今回の羽田空港内に覚せい剤を使用していた男が奪った車で侵入した事件は、空港と警視庁の連携のまずさがすっかり露呈された。

空港の警備は、警視庁と空港の取り決めで、警視庁がターミナルなどを担当し、それ以外は空港側が受け持っているというのだが、制限区域内は空港の担当で、フェンスの中には空港職員の先導がなければ警察は入れない取り決めになっていた。
そのためにパトロールカーが制限区域内に入る許可がでるまでに時間がかかった。

空港の保安担当者が当初単純な交通事故と勘違いしたり、制限区域内を警備する国土交通省東京空港事務所は、警視庁からも、空港ガードマンからも何の連絡もなく、この間、侵入の事実に全く気づかなかった。

3台の車を強奪して乗り換えながら滑走路に侵入した犯人は、空港東側のC滑走路を15秒間で横断したことが、GPS(全地球測位システム)を使った運行管理システムを解析したところ判明したのだが、この前後1、2分の間にJAL1410便が着陸していたということになる。
ひとつ間違えば大惨事というところであった。

同空港は米国同時テロ以降、最高レベルの警戒体制を敷いていたのだが、テロリストでも何でもない、特別な準備もしていない覚せい剤使用の男の侵入をいとも簡単に許してしまうほど軟弱な警備体制は、国家転覆を狙う本物のテロリストに対し格好な材料提供になってしまった。日本のガードはやはり甘いとすっかり見抜かれてしまったと危惧される。

自衛隊イラク派遣どころか、まず、国民を真剣にしっかり守れる強固な警備能力の強化、体制作りの見直しを求めたい。日本の警備体制の軟弱さを世界に露呈させてしまった政府の責任は重いし、国土交通省や警視庁にとっては警備体制の大幅な見直しが早急の課題であろう。いつもながら、またもやという感は否めない。


5月23日 (日)  日朝首脳会談

何とも歯がゆい、としか言いようのない小泉首相北朝鮮平壌2回目訪問であった。

勿論根回し済みの予定行動であったにせよ、たった1時間半の短い交渉時間というのは、通訳時間を考えると半分の時間45分もないのではないか。国家の首相としての強い主帳のない会談は何とも残念な結果に終わった。

蓮池さん、地村さん両ご家族の帰国は当然ながらとても嬉しい。長い拉致生活のうえ、帰国後更に1年7ヶ月という長い間子供たちとの再会を待つことになったということは、精神的な重圧は想像を絶するものだとつくづく思う。本当にお疲れさまでしたと言いたい。

今回の北朝鮮訪問は、年金問題などの矛先をはぐらかす為、そして次期参議院選挙を考慮した急きょ設定された小泉政権特有のやり方であるとは思ってはいたが、出発時の意気込んだ独特の雰囲気作りにまんまと騙され、ひょっとしたらと過剰な期待を持たされてしまった気がする。

家族との再会が先送りされた曽我ひとみさんの件に関しても、米軍から脱走したとされるジェンキンス氏は、訪日した場合に、米国に身柄を引き渡されて処罰されることを強く懸念し「どうしても今の時点で日本に行くことはできない」と答えたという。
米国との事前協議によって、ジェンキンス氏を不問に期すなり、あるいは別の処遇なりはっきりとした結論が出されないままの小泉首相のジェンキンス氏説得に問題と無理があった。

また、拉致被害者のうち北朝鮮側によって死亡・行方不明とされた十人らの安否をめぐっては、小泉首相が首脳会談で本格的な再調査を要求、金総書記も白紙の状態で再調査したいと述べたというが、家族会の不満が爆発したように再調査の期限や具体的な方法は決まっておらず、何一つ明確な約束はなく不透明感は残ったままだ。 年齢的な事を考慮しても日本で待つそれぞれの家族にはまさに時間がないのである。いつまでも待てないのである。

明確な情報を何も得ないまま、この時点で小泉首相は人道支援と称して、食糧25万トン及び1000万ドル相当の医薬品などの支援を早々に約束してきた。
それだけの支援を表明しておきながら、先に退場した失礼なとしか言いようのない金正日総書記を10数秒間見送る小泉首相の姿は見るに堪えない情けない構図であった。
弱腰外交、外交下手が相変わらずここでも露呈されたように思える。
誘拐犯の要求どおりに身代金を渡したような感じすらするのである。
正常な国交成立などははるかに遠い、というのは誠に残念である。


5月27日 (木)  日朝首脳会談2

「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会)が、訪朝後の小泉首相と面会した際の発言に、批判が出ているという。

家族会は、日朝首脳会談があった22日夕の記者会見で、「予想した中で最悪の結果」と訪朝を評した。その日深夜には、首相と面会した家族会メンバーが、首相を厳しくただす場面が、テレビで放送された。
直後から家族会への反響が殺到し、支援団体「救う会」の事務所に続々と届いている。26日までに電話は数百件、電子メールは1200件に達したという。
当初は家族会への批判が中心だったが、それが報じられると、今度は支援の声が寄せられるようになったが、それでも全体の3分の2は批判的な内容だという。
「拉致被害者の家族5人の帰国を喜ばないのか」「首相に感謝の言葉がない」などと批判する声だという。
家族会は「5人の帰国への祝福や、首相へのねぎらいも申し上げた。テレビでは批判している場面しか印象に残らなかったのが残念」と説明する。
批判のメールなどが届きはじめて後、改めて編集された各局の映像を検証すると、確かに横田さん始め家族会の方々は22日深夜、小泉首相帰国後の会見席上での発言の冒頭にはっきりと感謝の気持ちを述べた後に不満を述べているのである。

当然のことながら、編集され実際放送される映像によって、見る側の印象が大きく変わってしまうのだと、今更ながら映像の持つ怖さを再確認している。報道素材の送り手はあくまでも視聴者にとって公平な判断を可能にする映像、内容の送り手でなければならない。その責任は大変大きく重い。

小泉首相再訪朝の出発時の空港でのインタビューの様子から、今回は少し大きく進展するかもしれないと騙され、期待させられたものの結果は5人の家族だけの帰国となった。
家族会は「拉致問題の全面解決」のため、被害者5人の家族8人の即時帰国、「死亡・未入国」とされた10人の生存確認や救出、真相解明、その他拉致の疑いが指摘された人の真相解明――などを求めてきた。
だが、家族5人の帰国以外に前回首脳会談以上の進展が何もないまま、小泉首相が、「死亡・不明とされた10人の」未帰還者の真相解明を強く迫らず、「制裁発動なし、人道支援」という不満足な結果に対し、事実上の幕引きにされるのではないかと疑い、強い怒りを感じたというのが家族会の本音なのだと考えられるし、強い口調での不満発言となったという事だ。

一回目首脳会談以後1年7ヶ月という長時間が経過し、「新たな真相」「新たな生存情報提供への期待」が膨らんだ分だけ、結果を知った後の失望が深かったともいえる。
家族会の方々は子供が連れ去られた悲しみ、苦しみに二十数年間耐えてきた上にということだ。
拉致の問題はもともと「北朝鮮拉致問題」など存在しないというところからはじまっている。疑いがありながら、拉致の存在を認めない、真剣に動かない、捜査をしてこなかった日本政府の20数年間の怠慢が、今日まで関係者を苦しめているのだ。
そのことを忘れているのではと思わせる世論の反応に、悲しみと情けなさを感じてしまうのは私だけのことであろうか。家族会に対して批判的な意見を持つ世代は20才代、60才以降が多いということなのだが理解に苦しむ。

小泉首相再訪朝の結果と、それを受けての日本社会の反応に、家族会から戸惑いの声が上がっているそうだ。批判の殺到と首相訪朝を受けた新聞各紙の首相訪朝を全体的に「評価する」との回答が6割を超えたことにも、メンバーには「意外」だった。「自分たちの訴えは国民に理解されているのだろうか」。横田滋代表は「(首相が行ったのに、これくらいしかできなかったのか)と、もう少し評価は低いと思っていた」と驚いた。増元さんも「我々の怒りが共有されていないのか」「われわれの運動が上滑りだったかもしれない。だがどうしたらいいのか」と衝撃を受け悩んでいるという。

批判の電話、電子メールを受けて以降、帰国者家族、家族会の方々のニュース番組でのインタビューの冒頭は、小泉首相への感謝の言葉、ねぎらいの言葉からはじまっている。何やらさみしく悲しいものを感じてしまうのだが、気のせいか。やっと数十年ぶりに息子、娘、孫たちに再会できた、年老いた親にこんな神経使わせるなよと心から同情する。

曽我ひとみさんのご家族の件、その他拉致の疑いが指摘された人の真相解明などなど一刻も早い進展を望みたい。ご家族には80歳を過ぎた方たちもいるわけだが、とにかく時間がないのだ。


5月30日 (日)  拉致問題5月30日

朝日新聞(5/29 23:28) によると・・・・・麻生太郎・総務大臣は29日、札幌市内での講演で、北朝鮮による拉致被害者、曽我ひとみさんの夫ジェンキンス氏を米国が軍から逃亡した罪で訴追しようとしていることに触れ、「(訴追の免除を)アメリカに頼むべきだと言う人がいるが、『交通違反をし、反省して幸せな生活を送っているから違反をもみ消しくれ』と代議士に頼むのと、どこが違う」と批判した。 麻生大臣は「感情論としてはわかるが、それを受け入れれば、敵前逃亡兵が全部、日本に来る。国際社会では通用しない」と話した。 「帰りたくないと(ジェンキンス氏)本人が言っている。連れてくれば、拉致でしょう」とも述べた。・・・・・

というのだが、本日30日、杉浦正健官房副長官と中山恭子内閣官房参与が新潟県佐渡市内の曽我ひとみさんを訪ね、面会場所の選定をする予定で、政府側からは10カ所程度の候補地を示したうえで最終的な選定は政府に一任してもらうよう要請する見通しだという。
当然この麻生発言は曽我さんの目に触れるであろうが、面会場所選定直前の曽我さんの揺れ動いているであろう難しい心の内を考えない、冷え冷えとした的外れの発言だ。

曽我さんの夫ジェンキンスさんは在韓米軍に所属していた65年1月、韓国側から軍事境界線を越えて北朝鮮に入ったとされている。
北朝鮮入国後は反米映画にも出演している。
米国は現在、イラク人虐待事件関連で軍の規律が厳しく問われているなどジェンキンスさんを特別扱いする政治環境にはなっていないというのも現実だ。
恩赦、訴追免除など特別に扱えば、米国にとっては軍の士気が落ちるようなことにもなりかねない、反逆者を許すということになるという考え方と、大統領選挙を11月に控えたブッシュ大統領自身も、今は動きにくいという現実がある。
回転の速い曽我さんのことだから、このような状況判断はすでにできていると思うのだ。
「帰りたくないと(ジェンキンス氏)本人が言っている。連れてくれば、拉致でしょう」などという的外れな発言はいったいどこから出てくるのか考えられないのだ。
実現はしなかったものの、小泉首相は先日の日朝会談で、説得可能だったならばジェンキンス氏をそのまま連れ帰る話し合いをしていたのだが、自民党・総務大臣としてはどう考えているのかを聞きたい。
何もしなかった日本政府の怠慢により、拉致された国で数十年間苦しみ、未だに母親の安否すら全く不明の曽我さんに対して、改めて駄目押し的なとも思えるこの麻生発言は、支持者へ向けた発言か、米国政府に向けたサービス発言か定かではないものの、納得できる発言としては受け取れない。

麻生総務大臣自身の年金未納問題はどう解決するつもりなのか。今回の麻生発言の論理では、気がつかなかった、うっかりしていた、今は納めているなど、反省して謝れば済むということではなくなるはずだ。
逆に自身の問題をどう決着させるつもりなのかを問いただしたいくらいである。
政府関係者の年金未納者は与野党にかかわらず相当数いるということが判明しているし、おとがめなしといった雰囲気を敏感に察し、もう大丈夫だと判断しての今回の強行発言につながるのであろうか。この思考回路が納得いかないのである。
とにかくどうも一貫した政治姿勢というか、筋の通ったというか、信頼して託せる政治家がこれほどまでにいないのが悲しすぎる現実だ。

また、失言を陳謝する構図というものがよくあるが、日常的な考え方にそった発言なのだから、その発言者にとっては「失言」ではないのだ。日頃思っていることを言ってしまったというだけのことだ。その場合も失言後反省し陳謝したとしても、その後また同様の失言を繰り返すことが多いようで、なんともその点では考え方は一貫しているのだ。心から反省などしていなかった、考え方も変わっていなかったということが多いということなのだろう。

曽我ひとみさん家族の一刻も早い再会と平穏な生活がスタートすることを心から望む。



5月31日 (月)  拉致問題5月31日

子供の使いじゃあるまいし、どうして曽我さんの真意を汲取ることができなかったのか、真剣に聞かなかったのか、一度で理解しようとしなかったのかと呆れ果てるばかりで、またなのかという思いだ。

30日に、拉致被害者の曽我ひとみさんと面会した後、杉浦正健官房副長官が記者団に「曽我さんが北京に難色を示しているとのことだが」と質問され、「そんなことはない。(曽我さんは)かえって片言隻句(へんげんせきく)が間違って伝わったと感じているようだ」と話し、曽我さんが北京案を否定しなかったととれる発言をしていた。

この報道を聞いた曽我さんは、かねて中山参与に「(北京は)北朝鮮の影響が非常に強い」などと北京再会案に懸念を示してきたが、こうした思いを改めて公表しなければ、政府が北京での再会に向けた動きを加速しかねないと心配し、31日、「家族との再会場所が北京と報道されていますが、できれば北京以外で再会したいと思います。中山参与には私の真意を伝えてあります」とする談話を新潟県佐渡市を通じて発表した。

政府関係者でも何でもない我々一般市民でさえ、報道を見て聞いていれば、曽我さんが北京での家族との再会には不安を持っているということは既に充分知っている。
曽我さんの真意について、中山参与は31日、記者団に「(曽我さんは事前に私に)北京には不安を感じていますと伝えてきていたので、(30日の面会では)北京という単語を出さなくていいと思っていたかと思う」と説明した。
というのだが、中山参与は杉浦副長官とは事前に打ち合わせなどせずに、曽我さんの真意すら伝えずに出かけて行ったということなのか。
すり合わせすらできていなかったのか。

曽我さんの31日の談話に対し、杉浦副長官は、「曽我さんの気持ちを無視することはないと重ねて申し上げている」と話した。というのだが、結局は政府の方針に一任させたかっただけのことだろう。

勿論、政府としては再会場所は北京にしたいのだろうし、中山参与が曽我さんの希望を伝えていたとしても、聞き入れられなかったのであろう。しかし、政府は曽我さん本人の希望を最優先するような言い方をしていただけに、今ごろ何を言ってるのか、と不誠実な対応に感じられるのだ。

これでは、近頃トーンダウンさせられている家族会の方々はじめ、曽我さん自身の本心を想像すると、自民党政府の拉致問題対策を相変わらず心底信頼できてはいないだろうなと思う。ご家族を思うと大変心配だ。


2004/5
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