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(宮崎県延岡市)民主主義を装う「市民協働のまちづくり」   松下潤治良 - 2011/10/05(Wed) 15:46 No.559

                                         
首藤正治・延岡市長は市民に対し、「市民協働のまちづくり」の重要性を訴え、その上で、「延岡市は他市に比べ、その『市民協働のまちづくり』が格段に進んでいると内外に喧伝する。市HP「職員へのメッセージ」(H22年8月25日)の中でも次のように述べている。「『市民協働のまちづくり』を標榜する市町村は数あれども、実態としてここまで市民活動が活気を帯びている地域はほかにそうないのではないでしょうか。財政的な理由から『市民協働』を謳っている地域もあるでしょう。しかし、延岡市は違います。市民の活力が響きあうこと、そのこと自体が市民の幸せづくりに直結すると私は確信しています。『市民協働』への取り組みは本当に心のこもったものでなくてはなりません」。

このように、首藤市長は「市民協働のまちづくり」という言葉を盛んに口にするが、その言葉の意味を説明はしない。民主的な市政運営を連想させる「市民協働のまちづくり」という言葉を巧みに駆使して、延岡市では市長による民主的な市政運営が行なわれ、理想的なまちづくりが進展しているかのように内外に宣伝・広報しているように映る。本当に民主主義的な市政運営が行なわれているのか。
 延岡市は市長の指導の下で昨年11月、「市民協働のまちづくり指針」を策定している。(市のHP) 
その中で、「行政と市民の活動領域」を次のように区分している。
A:市民が自主的・自発的に行う領域(地区の行事、地区の清掃、ボランティア活動など)
B:市民主体の活動で行政の協力によって行う領域(各種補助事業などを活用した事業など)
C:市民と行政がそれぞれの主体性をもとに連携・協力し行う領域(イベント実行委員会など)
D:行政主体の活動で市民の協力によって行う領域(各種行政計画の策定の市民参加など)
E:行政が自らの責任のもとに行う領域(各種公共事業など)

 そして、「市民協働」の範囲を「B〜D」までと定義し、「市民協働のまちづくり」の範囲はEまで広げ「B〜E」までと定義している。 
「市民協働」=「B、C、D」 「市民協働のまちづくり」=「B、C、D、E」
延岡市は、「B(市による補助金活動)、C(市のイベント活動)、D (市による計画策定へ参加)の領域までは「市民と協働」するが、「E(各種公共事業など。即ち、税金の使い方や各種施策の決定)の領域は「市民と協働」しない」としているのである。「税金の使い方は私が市民の皆様のためになるように決めさせていただきます」。市議会でよく聞く市長の答弁である。E(税金の使い道や施策決定などの市政運営)には市民には口出しさせないとしながら、市長たちは「市民協働のまちづくり」の定義の中に、「市民協働しない」内容も含ませているのである。 延岡市の「市民協働のまちづくり」は聞く人を欺く詐欺的な表現である。「言葉で人々をごまかす」。これが首藤市政のエートスになっている。 

元宮城県知事の浅野司郎氏は「民主主義とは、税金の使われ方に市民が関わるということである。住民が納めた税金が住民の幸せのためにどう使うのか、住民が税金の使われ方を自主的に決めていく仕組みを確立することである」と言う。また、イギリスの政治家ジェームズ・ブライスの「地方自治は民主主義の学校である」との言葉を引用し、住民自らが責任を持って政治に参画することで民主主義を学ぶことができると述べている。さらに、東国原知事はH21.8.20のブログで地域主権とは「税金の使い方を、税の負担者である地域住民が決め、住民行政サービスの受益者である地域住民が、プロセスをチェックすることである」と書いている。

「市民協働」を前面に打ち出しながら、裏で「市民には税金の使われ方に関与させない」と規定する首藤正治市長の本質は、市民を軽視する自己都合のアナクロニズムな政治哲学である。延岡市には民主主義の精神は存在しない。それでも、延岡市長は延岡市の「市民協働のまちづくり」を自慢する。「財界九州(H21年4月号)で次のように述べている。「延岡市は他市と比べても、官民協働のまちづくりが進んでいると考える。毎年10月に開催される『のべおか天下一薪能』や、新人ランナーの登竜門といわれる『延岡西日本マラソン』、国内外のトップアスリートが記録を競う『ゴールデンゲームズinのべおか』など全国に誇れるイベントは、いずれも市民ボランティアの協力なしに運営することはできない」。この文章から分かるように、延岡市長が考える延岡市の「市民協働のまちづくり」の実態は、市長たちとボランティア市民団体などによるイベントの盛り上がりであり、組織に属さない多くの市民はその埒外に置かれている。

 一般的に考えられている「市民協働のまちづくり」とは延岡市長のそれとは異なり、「地域が抱えている課題に対して、ハード・ソフト両面から、その解決に向けて行政と市民が協働する」こととされる。延岡が抱えている課題は山積しているが、その解決すべき課題を脇において、延岡市長は『のべおか天下一薪能』や『延岡西日本マラソン』、『ゴールデンゲームズinのべおか』などにおける市民全体の中ではごく一部の市民ボランティアの頑張りを取り上げて、私が取り組んでいる「市民協働によるまちづくり」が他市よりも進んでいると内外に宣伝・広報する。奇妙な自己宣伝である。

延岡市長は市民にボランティア活動を求める。市民には「汗」を求める。市長は「市民協働まちづくり指針」で「私たち延岡市民がめざす“市民の汗”が輝く延岡市のまちづくりは、私たち自身が創り出していくものである」と述べている。 また、「職員へのメッセージ」(H22年7月5日)の中で「延岡市で進めている『市民協働』は、行政都合ではなく新しいコミュニティを創る試みである。あおい区では『協働共汗』道づくり事業を実施した。側溝作りに住民同士が汗を流し仲良くなった」と述べている。この事業のうたい文句は、「行政と市民が協働して共に汗を流す」ということだが、実態は「行政は工事用機器を貸与するだけで、市民だけが汗を流すのである。自分たちを利するように「言葉でごまかす」。首藤市政の特質である。延岡市の「市民協働」における行政と市民の関係は、マルクスの資本論が言う「資本・資金を所有するブルジョアジィと労働しか持たないプロレアリートの関係」を想起させる。

延岡市長は「官民協働」「官民対等」を掲げるが本心はそうではない。「市民は汗して働くべきだ」とする強いお上意識を持っている。「市長コラム」(市のHP)にその実例を見ることができる。
@新名修さんは自費で公園のトイレを24か所も塗装している。市長室から見える歩道でゴミをいつも拾ってくれる人がいる。延岡はボランティア活動の盛んな所だと誇りに思う。(H20.4.22)
A昨夜、メンズショップサガが営業していたので立ち寄った。夜は10時まで年中無休で店を開けている。「お客さんが来ない時間帯などはつらい気持ちになるが、おかげで若い人たちも割と来てくれる。努力もせんといかん」との話を聞いて、その考え方に敬服し、商売はやる気次第だと実感した。自分たちがこうした努力を積み重ねることでしか商店街は活性化できない。(H19.10.27)
Bタクシー運転手さんとの会話。「景気は悪いけど、人の3倍・30万円は稼いでいる。やり方次第ですよ」。私は質問をしながら、「景気は悪い。良くなってもらわんと」という答を予想していたが違った。環境のせいにするのは簡単だ。大切なのは、その中で自分がどんな努力をすべきか考えることだ。こんな考えの人が増えることが、市民力のアップということなのだろう。(H21.4.30)

市長はコラムを通じて、市民たちに「模範的な事例に習い頑張るように」と求めているのである。市民に対して「市民力」の発揮を要求するが、公僕である自身の「市長力」の発揮については一切言及しない。市長は別格で、市民は延岡を良くするために汗して働く「しもべ」であると考えているようである。市民を「しもべ」と見做すその「お上・選良意識」が、上記@〜Bのような市民への訓示となり、また、「市民協働のまちづくり指針」における「税金の使い道や施策決定などの市政運営については市民に口出しさせない。協働しない」という規定を生む。首藤正治市長はそのように規定する一方で、「市民協働のまちづくり指針」の挨拶文で、「第5次長期計画」が主要課題とする経済活性化や市民生活の向上などの課題達成のために、『市民協働によるまちづくり』を重要な柱の一つとしている」と述べ、また、「第6次延岡市行財政改革」の中でも課題達成のために「市民協働まちづくり」の推進を第3の重要項目に据えている。

「長期計画」や「行財政改革」の課題達成のために「市民協働まちづくり」が重要だ」と言う市長の考えは、自身の詐欺的な思考から生まれたものである。首藤市長は「市民協働のまちづくり指針」の中で、税金の使い道など、行政が自らの責任のもとに行う領域では「市民協働しない」と規定している。実際に、現在首藤市長が進めている「市民協働」もイベント・ボランティア活動などに限定されている。そうだとすれば、行政が自らの責任のもとに行う領域に属する「長期計画」や「行財政改革」の実現にとって、「市民協働」の推進が重要だという市長の「言葉」は市民を欺く悪質な「嘘」である。
「市民協働のまちづくり指針」で市長たちが創り出した『市民協働のまちづくり』の定義を思い出してほしい。市長たちは「市民協働まちづくり」の定義として、行政が自らの責任のもとに行う領域も含むとして定義しているのである。 したがって、「長期計画」や「行財政改革」の実現に向けて、『市民協働のまちづくり』が重要だという「言葉」は法的には正しいことになる。巧妙・狡猾に考えぬかれた詐欺的・詭弁的な延岡市の「市民協働のまちづくり指針」である。

市長は市民と共に進める「市民協働のまちづくり」が重要だと繰り返し、市民の心をそのように誘導する。その上で、首藤正治市長は「長期計画」や「行財政改革」の課題達成のために「市民協働まちづくり」が重要だと言い、市政運営の柱に据える。理由は「進捗しない事態を想定して、責任の半分を市民に負わせようとする思惑もあるだろう。しかし、「市民協働のまちづくり」を重視・継続する最大の理由は別にある。

常に次の選挙を見据えているのである。次の選挙に備えて、「できるだけ多くの市民に接し、できるだけ多く自分を広報する」。これが最高の選挙対策である。市長と市民が触れ合う「市民協働」こそ、最もそれに適う。市長は「第6次延岡市行財政改革」の中でも「市民協働まちづくり」に関連して「まちづくり懇談会」「移動市長室」の実施や広報活動に力を入れると明記している。京大工学部卒で商売人の市長は頭が良く、抜け目がない。首藤市長は、今年1月の市長選に備え昨年1月、「新生のべおかプロジェクト」をマスコミ等を通じて大々的に広報した後、1年間に亘り、市民協働「まちづくり懇談会」などで、市民と触れ合いプロジェクトの説明を続けた。だが、この間、そして今も、プロジェクト活動(実行)はなされていない。実行を伴わない「新生のべおかプロジェクト」はプロジェクトではない。言葉でごまかす、頭の良い首藤市長は詐称プロジェクトで戦略的に選挙対策を行ったのである。

「市民協働」に詳しい松下圭一・法政大名誉教授は、「実際に協働ということばを使っているのは、市民というより行政です。協働といいながらも実際はからめとり、支援、さらには保護・育成となり、協働がいつのまにか、行政による従来型の御用外郭団体の組織化へと逆流する」と述べている。
これに加えて、延岡市の「市民協働のまちづくり」は、現職市長の立場を利用した戦略的な選挙対策の側面が極めて強い。首藤正治市長は地方行政のあるべき姿を勉強し、その優れた頭脳を自身の利益のためでなく、延岡市民の幸せのために役立てるべきである。今のままでは延岡市に明日はないだろう。
Re: (宮崎県延岡市)民主主義を装う「市民協働のまちづくり」   おっちゃん - 2011/10/08(Sat) 07:33 No.561

同感ですね。

役所が担うべき施策をボランティアにゆだねることは、役人利権(公務員利権)の温存と民業圧迫に資するだけです。
また必要以上の「手のさしのべ」は市民のモラルハザード(自助努力からの逃避)をきたすことになります。

ボランティアは突発的事象に見舞われて困窮する人たちに対するやむにやまれぬ国民の善意の発動という形を越えてはなりません。(たとえば地震・津波災害時の被災地ボランティアなど)

わが市のホームページには以下のようなボランティアが記載されています。
市民の善意を自らの利権(自分たちは高給のままで、さらに仕事が楽チンになるように)のために掠め取ろうという発想です。

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ボランティア活動のいろいろ

 学校や職場で・・・
 ●ベルマーク
 ●古切手
 ●募金活動への協力
 ●地域のお年寄り、障害者との交流
 ●町内の清掃
など                   
                         
 子育て支援・・・
 ●出張中の子どもの世話
 ●保育所への送迎
 ●掃除やつくろい物
 ●学用品などの買いもの
など

 青少年に・・・
 ●ゲームソングの指導
 ●野外活動の指導
 ●非行少年のともだち活動
など

 身障者(児)・・・
 ●外出時介助
  (視覚障害者、車椅子の利用者など・・・)
 ●点訳、対面朗読、手話
 ●録音テープ貸し出し
など

 病院や施設で・・・
 ●入院(所)時の身辺世話
 ●食事介助
 ●行事の手伝い
 ●洗濯物をたたむ
 ●一日保母
 ●話し相手など

 ねたきり・ひとり暮らし老人に・・・
 ●介護の介助
 ●話し相手
 ●給食サービス
 ●愛の一声
 ●入浴介助
 ●外出時の留守番
など

 特技を生かして・・・
 ●事業や行事などの応援
 ●奇術、落語、
   浪曲、カラオケ、
   バンド、ダンスの訪問
 ●茶華道、書道の指導
 ●人形劇
など

 技能を生かして・・・
 ●電気器具の修理
 ●車の運転
 ●大工仕事
 ●理・美容
など

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大工仕事や理容美容をボランティアが無料で・・・となると。本職の大工さんや美容師はどうなるのか?(民業圧迫)

(宮崎県延岡市)詭弁で市民をだます「市長コラム」 松下潤治良 - 2011/10/07(Fri) 12:28 No.560

08月25日(木)、首藤正治市長が自身の市政運営を自画自讃する「市長コラム」を書いている。市民を言葉で騙す詭弁的な内容である。その詭弁性を糾したい。
【市長の自画自讃1】「今、延岡市においては数々の大型事業が目白押しだ。『これ以上先送りできない』というものばかりだ。@新火葬場、A新最終処分場、B小中学校の耐震化、C新市庁舎等々。JR延岡駅周辺整備もその中のひとつである」。市民を騙す巧妙な文章である。@からD全てを『これ以上先送りできない』と一くくりにしているが、全てがそうではない。@、Aは確かにその通りだし、Bについても東日本大震災に鑑みて急ぐべきだろう。Dも懸案の事業であり、先送りできないだろう。
しかし、Cの「新市庁舎の建設」はそうとは言えない。市長は先の市長選でマニフェストを発表したが、その中に@ABDは取り上げているが、Cの新市庁舎については全く触れていない。昨年8月31日の「平成22年度施政方針に関する行政報告」(市HP)でも触れていない。これらの事実は新市庁舎建設が『これ以上先送りできない』事業ではないということを示している。4個の真実の中に1個の嘘を混ぜ込み真実に見せかける。詐欺師の常套手段である。詐欺師は嘘ばかりは言わない。「真実の中に狙いを定めた嘘を混ぜて目的を果たす」。首藤市長のこの「詭弁的な説明」は、その典型である。
首藤市長は新市庁舎建設を『これ以上先送りできない』と言うが、延岡市役所より県庁や日向市庁の方が古い。市長は「市民協働」や「市民目線」を標榜するが、「行政目線」で低成長時代・財政難の中、巨額の血税を使い7階〜10階建ての贅沢な庁舎を建設する。これこそ無駄に税金を使う「箱物行政」の典型である。重要な事柄では市民を蚊帳の外に置く。市長の「市民協働」は市長都合の贋物である。
【市長の自画自讃2】「私は『箱物』を作る気はない」「『箱物』というのは、『役立たない施設の作ること』である」。確かに、首藤市長は役立たない施設は作っていない。何故なら、上記の@〜Dをはじめ、首藤市長の事業は施設の「建替え」がほとんどだからである。その事実を逆手にとって、市長は「私は役に立たない『箱物』を作る気はない」と詭弁じみた見得を切る。しかし、上述したように、「建替え」でも巨大な無駄があれば『箱物』とされるべきである。市長が作る「新市庁舎」は無駄な『箱物』ではないか。
ところで、悲しい事実だが、延岡には美術館や大きな公園など必要な『箱物』がない。必要な『箱物』は市民生活を豊かにする。宮崎市や都城市はともかく、日向市にも大型の公園、雨天ドーム、鉄道高架、美しい日向市駅などの『箱物』がある。首藤市長は「『箱物』を作る気はない」と言うが、「必要な『箱物』を作れない」と言うべきである。『箱物』を作るのは市長以下の「行政力」である。市長が掲げる「市民協働」や「市民力」頼りではなく、力強い「リーダーシップ」「市長力」を発揮して、必要な『箱物』を作るべきである。
最後に首藤市長は、「JR延岡駅周辺についても、きれいな建物ができるだけでは意味がない」と言う。日向市駅を意識した「負け惜しみ」だろう。続けて、「どれだけ賑わいの場が作れるかだ。多くの市民にワークショップ等に参加して頂きたい。批評家でなく、まちづくりへの参加者であってほしい。より良い結果を導くために」と結んでいる。市長は「批評しない市民が多く参加すれば良い結果が導かれる」と言う。
本当にそう思っているのだろうか。人一倍頭の良い首藤市長。言葉の裏には必ず戦略的な下心がある。

二つの下心があるのではないか。一つ目は、「延岡駅周辺事業」の検討過程に多くの市民を参加させて、市長が掲げる『市民協働』の成功事例として内外にPRするため。さらに、多くの市民との触れ合いが次の選挙にもたらす効果についても十分理解してはずだ。二つ目は、不成功に備えて市民に「自分たちにも責任がある」と自責感を持たせる、即ち責任回避のためである。「駅まち会議」には多くの組織団体が参加し、前東京大学副学長の内藤廣氏が委員長を務めている。「延岡駅周辺事業」の取りまとめの責任者はデザイン監修者の乾久美子氏である。市長の責任は巧みに分散・回避されている。

因みに、このコラムは「16時27分」に書き込まれている。「息つく暇がない(市長メッセージ2011.7.1)」と言うような忙しさの中で職員たちが勤務している時間帯に、市長はパソコンに向かって自己PRのコラムを書き込んでいる。自分だけ優雅に市長職を享受する。「私は武士道精神を信奉して美しい生き方をしている」(職員への市長メッセージH23.2.28)。この市長の言葉に頷く職員はいないだろう。自己を美化し、利己のために「詭弁を弄する」ような人物は、他のために生きる武士道精神の対極にある。 〔以上〕

花王の不買呼びかけと抗議デモ 波方鵜晏 - 2011/10/04(Tue) 23:13 No.557

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花王の不買呼びかけと抗議デモ(9)

 10月21日に決定、正式発表待ち。

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以下より
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/

 スポンサーの締め上げは、マスゴミに対して
抜群の効き目を発揮するでしょう。

売国奴 メディアに鉄槌を 波方鵜晏 - 2011/08/20(Sat) 06:43 No.549




http://www.youtube.com/user/SakuraSoTV


 フジTVだけではなく、TBS.... 〜NHKまで
 売国汚染が酷い。
 ねつ造、歪曲、イメージ操作と問題山積み、
 まぁ自分で自分の首を絞めいるようなもんだろうが。

Re: 売国奴 メディアに鉄槌を 波方鵜晏 - 2011/08/20(Sat) 06:52 No.550



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kow_tar 桜の夢にょっき:フジテレビ、コメント炎上に徹底抗戦の構え。 http://t.co/Zxhiu8J 「異例の50人体制でコメントを削除を行うことに決定。ツイッター、2chなどでも情報操作を展開。」まあ真偽の程は定かではありませんが
11 days ago

smilesaki 【フジテレビ役員の密告】20人体勢でフジテレビYouTubeコメント削除を行っていたが、追いつかないため異例の50人体制でコメント削除。8月7日削除したコメント数29万8992件http://t.co/UGiB2wg
11 days ago

tatsuyakobayash 【フジテレビ役員の密告】20人体勢でフジテレビYouTubeコメント削除を行っていたが、追いつかないため異例の50人体制でコメント削除。8月7日削除したコメント数29万8992件 http://t.co/uayno8C
11 days ago

etc

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さもありなん。
今週の週刊ポストが意味深な記事を 波方鵜晏 - 2011/09/11(Sun) 21:25 <URL> No.554


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新聞記者 民主議員に「小沢って悪いことしてるんでしょ!」
2011.09.11 07:00

 8月29日に行われた民主党の代表選では、新聞とテレビが金科玉条のように使う「世論調査で人気が高い」が幻だったことがバレてしまった。本誌が何度も報じてきたことだが、新聞社の「世論調査」や「アンケート」は、最初から期待する結論が決まっており、それに沿った結果になるよう質問を変え、ひどいケースでは回答者を脅すような手法まで使って答えを誘導する。

 今回の代表選では、議員へのアンケートにまで同じ手を使った。ある若手議員が苦笑をおさえて振り返る。

「A新聞の記者さんから、『代表選で誰に入れるかアンケートに答えてくれ』といわれたので『海江田さんにします』と伝えると、モーレツに“抗議”されましてね。『なんで海江田さんなんですか! あの悪いことをしている小沢が担いでいる人ですよ!』

 相手をするのも嫌でしたが、『そんな聞き方をしたらいかんでしょう。それに、小沢先生は一体どんな悪いことをしたんですか?』と逆に質問したら、『小沢って悪いことしてるんでしょ。えっ、違うんですか?』というんですからね。ちゃんとした記者なのかアルバイトなのかわからないけど、デスクからそうやって取材するように教わっているんでしょうね」

※週刊ポスト2011年9月16・23日号

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  以上はさわりで、「どじょうすくい」なる表現で、
 大手邦字紙を大批判。なかなか面白く読ませてくれます。
 自分たちが国政を左右しているかの驕りが
 見え隠れしています。
  信用喪失、信頼失陥は自業自得以外の何者でもない。
どじょう総理始動開始 Re: 売国奴 メディアに鉄槌を 波方鵜晏 - 2011/09/13(Tue) 21:10 <URL> No.555

http://kawaraban.kantei.go.jp/

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09/12(月曜日)

被災地の視察
 

 国民の皆さん、こんにちは。このたび、内閣総理大臣を拝命しました野田佳彦です。国民の皆さんに、この内閣の仕事ぶりをお伝えするために、歴代の先輩総理にならって、まずはブログを始めてみることにしました。

 

 私の政治活動の原点は、議員になってから四半世紀の間、暑い日も寒い日も、毎日続けてきた駅前での早朝演説です。そして、手作りのビラに毎週の活動報告やメッセージを記し、「かわら版」と称して、選挙区の方々にお配りし続けてきました。

 

 本来であれば、駅前で、皆さんとお顔を合わせながらお話ししたいところですが、とりあえずはこの方法で始めてみます。どれだけの頻度で原稿を書けるのか正直申し上げて自信がありませんが、可能な限り、続けていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。

 

 去る9月2日に就任して以来、私が何よりも優先したのは、大震災や台風12号の災害に見舞われている現地に足を運び、何が必要なのかを自分の目と耳で確かめることです。8日に福島、9日に三重・奈良・和歌山、10日に宮城・岩手の各県を順に訪問させていただきました。

 

 福島では、福島第一原発の敷地内を視察しました。防護服に着替え、顔全体を覆うマスクを被ると、息苦しく、暑さも並大抵のものではありません。吉田所長以下、緊急時対策室で勤務されている職員や現場の作業を担う方々に御挨拶させていただいてから、原子炉の建屋の周辺をバスで回りました。外観上は水素爆発した当時の姿が残る三号機の崩れた建屋を間近から眺めていると、事故収束のための「戦い」が今もなお「現在進行中」であることを実感しました。現場の方々の献身的な取組がこの国を支えています。そうした感謝の思いを込めて、関係者の方々には精一杯の激励をさせていただいたつもりです。

 

 放射性物質の除染のモデル事業を行っている伊達市の集会所と小学校では、地域の人々が力を合わせて、生活空間の除染に取り組んでおられる様子を拝見しました。放射線の除染に関しては、9日の閣議で、予備費を活用して2200億円の予算を決めたところです。避難指示をした12市町村すべてでモデル事業を立ち上げていくことになっています。引き続き、市町村長と連携し、国としても責任を果たしていきたいと思っています。

 

 福島県庁では、関係大臣・副大臣とともに、佐藤雄平知事、そして県内の市町村長と意見交換をさせていただきました。「福島の再生なくして、元気な日本の再生はない」というこの内閣の考え方を改めてお伝えし、様々なご要望をいただくことができました。有意義な意見交換でした。

 

 9日(金)には、三重、奈良、和歌山の南紀三県で、陸路からとヘリコプターで上空から被災状況を視察しました。台風12号による被害の爪跡の深さ、そして集中豪雨と土砂崩れの恐ろしさを実感しました。私からは、人命救助を第一に、被災者の救出救助を始めとする災害応急対策に全力を尽くすこと、被害状況の迅速・的確な把握に努めること、関係省庁は地元自治体と連携し、緊張感をもって取り組むことを指示しました。土砂崩れで出来た「天然ダム」では、今後雨が降って水位が上がると決壊するおそれがある場所もあります。住民の方々は、自治体からの情報を注視し、くれぐれも警戒を怠らないようにお願いします。

 

 その後、関係自治体の長と意見交換をさせていただきました。その中には、那智勝浦町の寺本町長の姿もありました。結納を控えた娘さんを亡くされ、奥様も行方不明になったままでありながら、必死に住民の救援・救助の陣頭指揮をとっておられる姿に感銘を受けました。

 

 10日(土)には、岩手と宮城の両県を訪問しました。岩手の陸前高田市では、津波によって損壊した市庁舎の無残な姿が残り、大震災による津波の破壊力を見せつけられました。気仙沼市の漁港で水揚げが再開され、随所で復興に向けた息吹を感じることもできました。「この内閣の最重要課題は、原発事故の収束を含む大震災からの復旧・復興である」ということを既に何度か申し上げてきました。この津波の破壊力を上回るエネルギーを被災地に投入しなければなりません。国としてスピード感をもって対応するために、地元のご意見やご要望をきちんとお伺いした上で、三次補正や来年度の予算編成に反映させていきたいとの思いを強くしたところです。

 

 今般、被災者の心情に配慮を欠いた不適切な言動によって辞任した閣僚が出たことは、実に残念です。国民の皆様の信頼を取り戻せるよう、内閣が一丸となって、原発事故の収束と被災者支援に邁進することで、責任を果たしていきたいと思います。

 

 今週、臨時国会が開かれ、13日には、初めての所信表明演説に臨みます。国民の皆さんの温かくも厳しいご指導とご鞭撻をお願い申し上げます。

 

 平成23年9月12日 内閣総理大臣 野田佳彦


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  当初「冷めたピザ」などと揶揄された故小渕恵三総理の
 ように、頑張ってくれるんじゃないかな。
 説法よりも行動を大切にする政治家であると信じたい。

  親父さんが軍人ということから、弛んだ平成の
 世相にカツを入れてくれるのじゃないかと、
 期待したい。


刊行のお知らせ れんだいこ - 2011/08/13(Sat) 19:25 No.545

【「検証学生運動(下巻)―学生運動の再生は可能か?」(社会批評社)発刊の辞】

 ご通知申し上げます。れんだいこの学生運動論シリーズ2冊目の「検証学生運動(下巻)―学生運動の再生は可能か?」(社会批評社)が発刊されました。8.15日前後に書店に並ぶと聞かされております。店頭集結、ネット取り寄せ等果敢な行動お待ちしております。書店になければ弾劾してください。

 処女作の「検証 学生運動(上巻)―戦後史のなかの学生反乱」(社会批評社)が世に出たのは2009年2月でした。2年半経過したことになります。結構な発酵期間になりました。どう書くべきか、どこまで書くべきか、それなりの苦心があった故です。実際には、本書通りの内容になりました。以下、発刊の辞を添えておきます。

 本書刊行の思いは「前書き」、「後書き」に記しているので繰り返しません。改めて伝えたいことは、本書が歴史の風雪に耐える著作足り得ているかどうか自問していることです。著者としては、今後の学生運動論は、この「検証学生運動上下巻」を手にせずんば始まらないとの自負があります。まことかウソか、ぜひご確認をお願いいたします。

 書庫を見れば、その人の器量が分かると云う見立てがあります。昔より「琴棋書画」と云われますが、「書」の内には書庫の意味もあるのではないかと思っております。本書が皆様方の書棚に置かれ、そのことで輝きを増すよう念じております。手元に置いて五年後、十年後にもまた味わってやってください。孫子にも伝えてください。

 れんだいこの執筆デビューは、思えば12年前の1999年4月、当時立ち上がったばかりのネットサイト「さざなみ通信」に、ハンドルネーム「れんだいじ」で「いまおもうこと」と題して投稿したところから始まります。以来、数か所の掲示板に出没し始めました。道中で「れんだいこ」と改名しました。

 その後、「大阪のおじちゃん」にホームページを持つよう誘われ、2000年2月11日、手取り足取りの世話取りして貰いながら「人生学院」、掲示板を立ち上げました。以来十年余経過しております。せっせせっせと書いて参りました。今年2011年、「二八蕎麦」さんの手ほどきでブログとツイッターを開設しました。この両名様に深く感謝申し上げさせていただきます。未だお二人にお会いせぬままですが、機会に恵まれましたら一献傾けさせていただかなければなりません。

 この間、ホームページも掲示板も、今ではブログもツイッターも相当な文量になっています。その時々にれんだいこのアンテナが作動し興味を持ったものを調理しています。手法として、まず閃いたことを書き付けておき、次第にネット等から関連資料を寄せて、追々に構成し直し、最終的にれんだいこ文に整序して行く作法にしております。文を片手間でやる身の者からすれば、それしか方法がないと云うことと、そういう方法が性に合っているのでせう、いつしか身に付けた作法です。そういう意味では、ネット時代が生んだ書き手の一人だと思っております。

 この手法が著作権法に抵触すると云う批判を受け、著作権法とは何ものかの解析にかなり煩わされて参りました。今では、著作権法の説くルールとマナーを遵守し、転載被転載フリーの観点を打ち立てています。戒めとして、著作権法に拠らぬ著作権法以上の規制力で著作権を規制する手合いの文には近寄らないよう心がけています。これで滅法紛争が少なくなりました。現在、面と向かって因縁つけて来る者はいません。過去には次から次と現れ、お陰で論戦力が強くなりました。いつしかいっぱしの著作権論をぶつことができるようになっております。連中が手本にして来た西欧で著作権フリーの動きが強まっているのに、相変わらず著作権槍で森を突いて廻り、自称文明人を嘯いている姿は滑稽です。

 さて、本題です。今のところ2冊の著書でしかありませんが、恐らく今後も刊行が続くと思わます。出版社からのオファーをお待ちしております。何しろ本業が苦しいのと、こっちの方がれんだいこの性に合っており、執筆で飯が食えるなら喰いたいと思っています。テーマは目白押しに控えています。宮顕論から始まり、角栄論、邪馬台国論、中山みき論へと向かい、その後も大東亜戦争論、出雲王朝論、神道論、シオニズム論、イエス論その他その他で優に数百の論考を数えています。その流れは「れんだいこの特選論文集100選」に記しております。

 その論考の一章節で一冊になりそうなものが多く、これを出版するとなると大変なことになります。加えて他にも翻訳あり、書評あり、哲学ノート、随筆もあります。掲示板では「カンテラ時評」が続いています。一体幾らの分量になるのか見当がつきません。れんだいこ脳内では全体が絡んでおり、いわば万華鏡になっています。今後も新たなテーマに取り組み続け、既に書きあげている論考の手直しも続く。そういう流れになっています。この営為は、れんだいこが死ぬまで続くと思われます。

 それらのいずれにも或る特徴があります。後付けで気づいたのですが通説、俗説批判を媒介にしています。これは何も始めから奇をてらって狙ったものではありません。単にれんだいこのアンテナが作動した故に書きつけが始まったに過ぎないのですが、どうやらアンテナの作動具合がそのようになっているように思われます。通説、俗説のデキが良いのであれば何の疑問も湧かさずそのまま学べば良いのですが、実際には違和感を覚える通説、俗説が多過ぎ、これによりれんだいこ文が必要になるようです。そういう風にして紡ぎだされております。その作業は好きこそものの上手なれで、楽しくなければできません。肩が凝るわ目が痛むわを通り越して参りました。

 当然、こたびの「検証学生運動(下巻)―学生運動の再生は可能か?」も然りです。学生運動論に対する新観点からアヌプロ―チしております。下巻では1970年以降の学生運動通史と個々のテーマ解析しています。通史の方では流れのポイントを押さえたつもりです。上巻同様に新旧左翼の両方向の動きに目配りしています。既存のものにはない手法で斬新です。

 個々のテーマ解析では重要事件を俎上に乗せました。従来の論考を踏まえつつ、れんだいこ見解を添えました。それぞれ既成論考の閉塞部分の水路を切り開いているつもりです。全体として、学生運動を検証しながら、単に追憶、批判、礼賛するのではなく、どこで道を間違えたのか、どう立て直すべきか、その為に必要な手当ては何かを意識しながら著述しています。この辺りを堪能していただけば幸いです。

 れんだいこの学生運動考の最後は「学生運動への提言」をもって三部作となり完結します。但し、三冊目は今のところ出版の目鼻を立てていません。折を見て再度推敲し、ネットで読んでもらうか、やはり手に取ることができ線引き自在のブック形式にするのか最終的に判断したいと思っております。れんだいこの気分では、ネットで読める程度のものならネットで読めば良い、どうしても手にして対話しながら読み進めたいとするデキのものをブックにすれば良いとしております。三冊目の発刊は今のところ思案中です。

 何せ今更幾ら提言しようにも、当の学生運動の主体が消えてしまっており、どこに誰に呼びかけて良いものやら見当がつかないからです。もう一つの理由として、我々の頃の学生と今時の学生では社会に対するアンテナが違い過ぎるからです。我々の当時には苦学生も当たり前に居て、社会を良くしようと云うのが生活実感でも有り得たし、革命と云う言葉そのものが魅力的でした。今日びの学生にはこうした政治的センスが全く毀損させられています。代わりに経済的動物に成り下がっており、学生運動の話が遠過ぎます。この時代にどう踏み込むべきか腕組み思案しております。

 それはともかく、れんだいこの学生運動論はひとまずこれにて完とします。ぜひ、れんだいこが他のこれと思う著作に対してするように、手にしてデスクなり寝床なりトイレなり車中なりで読み、周りの者にも読ませ語り合ってほしいと思います。特に1950年、60年、70年世代が世代を継いで繋いできた学生運動の余韻を嗅いでほしいと思います。この世代の皆様方におかれましては郷愁を込めて読んでやってください。

 2011.8.12日 れんだいこ拝

  http://www.marino.ne.jp/~rendaico/jinsei/
Re: 刊行のお知らせ 波方鵜晏 - 2011/08/14(Sun) 06:04 <URL> No.548



http://www.marino.ne.jp/~rendaico/gakuseiundo/

中国空母 試験航行 (大連) 波方鵜晏 - 2011/08/11(Thu) 22:44 No.542


 
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110810/chn11081011460003-n1.htm

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中国空母、濃霧の中でドック離れる 付近では爆竹の音も
2011.8.10 11:41

 一面の深い霧に覆われる中、改修中のウクライナ製空母「ワリヤーグ」が10日午前6時20分(日本時間同7時20分)ごろ、中国・大連港のドックを離れた。

 濃霧のため、港から約5キロの遠方からは出港が確認できなかったが、午前7時ごろ、約3キロの地点まで来ると、うっすらと見えるドックの赤いクレーンの下には、これまで停泊していたワリヤーグの姿が見られなかった。

 港に近いマンションの周辺からは同日午前、市民が初回の試験航行を祝っているのか、爆竹の音も聞かれた。

 中国中央テレビは10日朝から試験航行のニュースを取り上げ、艦の命名や空母の乗組員に必要な能力などについて大きな扱いで報道した。(共同)

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 こいつが、台湾沖、その周辺を遊弋しだしたら、
 どうするんだ?
  左巻きの連中の反応が見物だなぁ?
 築地に要塞風の本社を構える新聞の某論説委員など、
 中華帝国海軍万歳の提灯記事を書くんだろうな。。。

  そして尖閣列島に姿を現したら、如何対処するん
 だろう? 

  新幹線事故みたいなことが、この空母に
 起きれば幸いだが。。。

  しかし、占領基本法・憲法で我が身を
 自縄自縛させられている
 日本国が可哀想!! 

  我々は今次大戦を起こし、亜細亜に
 数々の惨禍をもたらしたことを反省します。
 慰安婦問題も我々の咎、南京事件、
 バターン死の行進など、数々の残虐非道を
 行ってきました。反省します。
 永遠の平和を希求します。

  マッカーサーの亡霊が未だに佇む、暑い夏の
 敗戦日を迎えるか?

  米英側に反省は無いのか!!!

  自分たちが先ず丸腰になって、永久の
 平和を希求するものだろう。この度外れな狡猾さには、
 開いた口が塞がらない。

  核の返礼を受けたくないが為の、平和日本創り
 だろう。

  あと50年〜100年も経てば、彼らの敗戦国
 日本の処理一切が、教科書でどう表現されるかだ!!
 

 
Re: 中国空母 試験航行 (大連) 波方鵜晏 - 2011/08/12(Fri) 23:21 No.543


http://blog.goo.ne.jp/toki_1/e/1fc9e46e4721c2ac6f4821bba5f834f7

 「保守の覚醒」より


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中国、空母も各国技術のパクリ!


   中国 / 2011年08月11日 13時59分12秒


「試験航行に入った中国初の空母。ウクライナ製「ワリャク」の船体を基礎に自主開発を加えたものだが、ロシア製やオランダ製などとそっくりの装備が目立つ。日本の新幹線技術などを導入した高速鉄道の開発と同じ「各国技術の寄せ集め」との指摘も出ている。

甲板中央の艦橋最上部には広域を監視できる対空捜索レーダーが煙突のように突き出ているが、「ロシアのFREGATレーダーの明らかなコピー」(軍事評論家、多田智彦氏)。船の後部に30ミリ機関砲を備えていることが判明したが、中国メディアは「オリジナルはオランダの設計」と伝えている。

左舷にはミサイル発射機が設置されているのが見えたが、これも「米国とドイツの共同開発の近距離ミサイル発射機に似ている」(同氏)。同じ左舷には、艦載機の着陸誘導に不可欠の「光学着艦誘導装置」が設置されていることが確認できたが、米空母ジョージ・ワシントンなどの装置と似ているという。

空母の要となる艦載機は国産の戦闘機「殲15」で、現在遼寧省瀋陽市で開発中だが、この戦闘機はロシア製「スホイ33」とうり二つだ。

空母開発で中国は高速鉄道と同様に、外国の技術をベースに国産化を進めてきた。「スホイ33などあからさまな技術盗用にロシアは激怒し、中国に何度も抗議した」。「高速鉄道と同様に他国の技術をコピーした上、かなり急いで改修したので、ワリャクは今後いろいろなトラブルが起きる可能性がある」(軍事評論家、平可夫氏)と懸念する。(共同)」

 以上 (中国、空母もパクリ!技術盗用にロシア激怒 夕刊フジ)より。


中国は空母保有は長年の悲願だった。ウクライナが1992年資金不足でワリヤーグの建造を中止、売却を検討した際に中国はすぐに獲得に動いた。しかし米国が軍事技術の流出を懸念して、ウクライナにエンジンなど主たる装備を全て取り外して売却させた。中国は後日、船体構造図などをウクライナから密かに入手し改修を進めたという。

ワリヤーグは試験航行が順調に進めば、来年10月1日の国慶節(建国記念日)に合わせて就役するともいわれている。「コピーが多いのは確か。ただ現段階での技術レベルは低いが、運用しながら近い将来、独自の装備品を開発する可能性がある。次のステップが恐ろしい」と指摘する軍事専門家も多い。


中国海軍は8月10日、中国初の空母が遼寧省大連沖で始めた試験航行について「主な目的はエンジン系統の性能検査で、機器の作動状況を調べる」とし、「出港がきょうになったのは、試験航行海域が台風の影響を受けたため」と当初の予定より出港が遅れたことを認めた。

また遼寧省海事局は試験航行実施のため10日から14日まで黄海北部海域で船舶の航行を制限する通達を出し、10日には大連市内のホテルで空母を撮影するため宿泊していた外国人記者らを中国公安当局が一時的に拘束した。

米国務省のヌランド報道官は、中国が「ワリャク」の試験航行を始めたことに関し、軍事力をめぐる「より高い透明性」が必要との認識を強調。空母について「このような装備を必要としている理由について」公式に説明するよう中国側に求めた。


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以上引用。

延岡市の「移動市長室『こんにちは!市長です』」は、次への選挙活動 松下潤治良 - 2011/08/03(Wed) 12:13 No.536

市長は、その身分を4年間しか保証されない。当然のことだが、ほとんどの市長が次の選挙でも勝利したいと願う。その市長の対応は善悪二つに大別されるだろう。 善い市長は有言実行の「結果」によって勝利する事を願う。一方、悪しき市長は次の選挙を第一に考え、その勝利を「目的」とする市政を行う。その目的のために、選挙の戦略・戦術を市政に組みこむ。具体的には「対話集会」などを盛んにし、選挙人である市民と触れあう。
さらには、自分の名前と顔を市民の脳裏に焼き付けるために、パフォーマンスや「広報活動」に力を入れる。
「最大の目的は、市長の地位を享受すること」であり、市の発展や市民の幸せは二の次、三の次になる。

延岡市北方町で7月26日、首藤正治市長が一日かけて町内を回り、各地で住民と触れあう「移動市長室『こんにちは!市長です』」を行った。町内8ヶ所で対話集会を実施し、「困っている事はないか」と要望を聞いて回り、中央公園では住民たちとグランドゴルフを楽しんだ。首藤市長はこの催しの目的を「住民の声を聞き市政に反映させるため」と言う。真意だろうか。今回の住民の要望「公園に隣接する駐車場を開放して」などは、地元区長や地元議員が要望を把握し、その都度、市の担当課との間で対処されるべきで、「市長さんが要望に応えてくださった」という形にすべきではない。族議員が選挙狙いで地元の要望を受ける図式と同じである。首藤市長が住民たちとグランドゴルフに興じるのも選挙を意識した人気取りだろう。

一方、市の広報担当が市民たちと交わる首藤市長の姿をカメラに収め、HPや広報誌に掲載・広報する。市長を取り囲む住民たちの集合写真が撮られ配布される。市から日程の連絡を受けたメディア・報道機関が、職員たちを従えた市長の町内巡幸を報道する。毎年・終日の市長と住民たちとの対話集会。どれほどのコストパフォーマンスや公益性があるのだろうか。市長が地域の実情把握のために住民と触れあい意見交換する事は必要だろうが、それは必要最小限にすべきである。地域の実情を把握し、市政へ反映させる実務と責任は、市長ではなく担当部局にある。必要以上に多くの住民と触れ合う行為は、次回選挙の対策だと疑われてもしかたがないだろう。「できるだけ多くの市民と触れ合う」。これが選挙必勝の要諦だからである。

首藤市長が創設した「移動市長室『こんにちは!市長です』」は、市民のためではなく、首藤市長の個人的利益、即ち選挙のためものではないか。 結論を言えば、『こんにちは!市長です』は、市政運営の中に混交された「首藤市長の、首藤市長による、首藤市長のため」の選挙運動である。そう断じるのには訳がある。
この「移動市長室」が生まれた経緯を振り返る。首藤市長は平成22年2月に再選を果たした直後、職員に対し「市民の痛み、悲しみ、苦しみを皮膚感覚で感じてほしい」と訴えた。この言葉は、そのために必要な公聴事業『こんにちは!市長です』の創設に狙いを定めた戦略的な布石だった。4月には、「公聴広報係」を新設し、市長自身が公聴広報を行う『こんにちは!市長です』がスタートしたのである。

ところで、首藤市長はこの選挙運動『こんにちは!市長です』を2期目から、合併した旧3町(北方、北浦、北川)を対象に始めたのだが、1期目の選挙運動はどうだったのか。市長選時の宮崎日日新聞記事(H22.1.22)から引用する。「平成18年の『初当選直後』から2期目を見据えていた首藤市長は、合併した3町の祭りや行事に足を運び、各町に後援会支部を設立。ミニ集会や全体集会を開いてきた」。選挙一辺倒の首藤市長の一端を見る。人一倍頭が良い首藤正治市長は従来型の「私」的な選挙活動に加えて、「公」的な公務一体型の『こんにちは!市長です』を創案・創設し、公私二本立ての選挙態勢を確立したのである。

このような事例は他にもある。@市長就任から6年間、今も実施中の「まちづくり懇談会」。これは、市長が各地に建設した「まちづくりセンター」に多くの市民を集めて行う、要望・対話集会である。これも、公務に組みこまれた選挙活動である。A「皆さんと夢を共有したい」とした詐称「新生のべおかプロジェクト」。先の選挙戦では1年間、これを基に市政一体の選挙活動を行った。そして自身の評価を上げるために、職員たちの通常業務の全ての実績を詐称プロジェクトの成果だと偽装・広報した。今も偽装が行われている。(広報のべおか2月号、市のHP)
 http://www.janjanblog.com/archives/26452 

首藤正治市長の悪質性は、個人の時間・個人の資金で賄われるべき選挙活動を、狡猾・巧妙に市政運営の中に混ぜ込み、公的時間・公的資金で賄っている事である。現職の立場を悪用し、「市民協働」などの名の下に、市長と市民が触れ合う事に大義名分を与え、そうした場を数多く作り出している。国会議員は選挙が近くなると、対話集会「国政報告会」を開き、祭りや行事に顔を出す。こうした活動を首藤市長は当選直後から4年間に亘り、広範囲かつエネルギッシュに継続する。

「市民協働」とは「『行政』と市民」の協働を意味するのだが、首藤市長はこれを「『市長』と市民」の協働へと変質させ、市民や報道機関を巻き込んだ「市政一体の選挙活動」を堂々と行っている。引き続き、市長という地位を「享受」するためである。首藤正治延岡市長の言動や施策は、裏側で『選挙対策』という「文脈」で繋がっている。「水を発見したのは魚ではない」と言う。首藤市政の異常さを延岡市民が発見するのは困難なのだろうか。 

【延岡市の地域医療】自己目的化している「地域医療を守る条例」 松下潤治良 - 2011/06/30(Thu) 21:34 No.526

平成21年、県立延岡病院の二つの重要診療科の休診が決定し、延岡市の地域医療体制は崩壊の危機に陥った。
そんな中、延岡市が事態改善の重要課題として掲げたのが、「地域医療を守る条例」である。市のHPで「市民、医療機関、市が総力を結集して地域医療を守っていこうという決意を表すもので、市町村では全国初となる画期的な条例だ」と内外に広報した。条例の中で、(1)市民はコンビニ受診を自粛し・かかりつけ医を持つ・医師に感謝する(2)医療機関は患者との信頼関係を醸成する(3)市は地域医療を守るための施策の推進する−などの努力目標を定めた。

「地域医療を守る条例」を推進するため延岡市は、医療関係者、民間団体、地元のマスコミ、区長会など10団体からなる市民協働組織「県北の地域医療を守る会」を結成させた。会長には区長会の会長が就任し、「広報活動」や交流研修、県病院サポート分科会に別れて活動する。啓発や講演会、小地域単位で勉強会を開催する。この下で多くの市民団体が動く。この会の役割は何か。「行政に向かって」意見や諫言を呈する事ではない。「市民に向かって」市民の「役割を守らせること」と「意識を変えること」である。『コンビニ受診を減らせ、医師に感謝せよ』。『医療資源は有限、ないものねだりはよくない』。(県北の地域医療を守る会事務局長)。
この「条例」の理念は市民、医療機関、市が一体となって地域医療体制を立て直すというものだったが、実際は「県北の地域医療を守る会」や市民団体による「市民に役割を守らせる」ための「監視・啓蒙・教育」活動となっている。それはそれとして正しいのだが、それだけで問題が解決する事はないはずだ。現にコンビニ受診は大幅に減少したと言われるが、崩壊している地域医療の実態は変わっていない。

地域医療崩壊の複雑な原因を、市民の意識・行動にあると単純化する理論は分かりやすい。市民の不満を封じるためにも有効だろう。だが、それでは延岡市の地域医療問題は改善しない。また、この「条例」には、「広報・パフォーマンス」的な動きが目立つ。「県北の地域医療を守る会」が掲げている活動の第一は「広報活動」である。そして、市の「地域医療対策室」は、「県北部での医療崩壊のイメージをぬぐい去り、医療や健康長寿を守っていくことを「アピール」して、今後の施策につなげていきたい」としている。機能不全の地域医療を甦らせることより、自分たちの広報・アッピールしか考えていない。どうやらリーダーである首藤正治市長の「心」に問題があるようだ。

市長はこの「条例」に関して次のように本心を吐露している。「広報のべおか」(平成21年12月号)で、「地域医療を守る条例は、『全国の注目を浴び』、延岡がうらやましいと、『県外の医者から反響』があります」と述べ、「広報のべおか」(平成22年9月号)では、「まだ結果は出てないが、『全国の医師から反響』があります。全国でも、市民、医療機関、行政がここまで連携している自治体は他にはないからです」と市民に語り、 市長コラム(H22年3.17)では、「医学部を訪問したら、先生から「地域医療を守る条例」に関して高いご評価を頂いた」と書き込んでいる。(因みに、この日の朝、『延岡病院で医師4名退職、事態は深刻』とのニュースが流れたが、市長はその夕方、上記のコラムを書き込んだ。この件には触れず、最後に「地域医療を守る条例」の市民の役割を果たすよう諭した)

首藤正治市長にとって、「条例」が、「注目を浴びること」と「ほめてもらうこと」が最大の関心事であり、それが嬉しいし、自慢なのだろう。「注目」と「評価」を期待して市長は、全国各地に、『全国初』の「地域医療を守る条例」を配布しているのではないか。医者を大切にする内容の「条例」を医師たちが評価するのは当然である。
いずれにせよ、首藤市長にとって、「地域医療を守る条例」は自身の評価を高めるために必要であり、その存在自体が目的になっている。つまり、首藤市長にとって、「@この条例を作成したことA医療関係者、民間団体、マスコミなどを巻き込んだ活動を展開していることBこれらを広報すること」が、「最終目的」である。市長の心の中では「地域医療を守る条例」が「自己目的化」していて、市民のために「崩壊した地域医療を建て直す」という本来の「目的意識」が薄いのではないか、根源的には「公僕意識」が弱いのではないかと思う。

ここで、延岡市の「地域医療を守る条例」の出自を省みる。兵庫県丹波市の県立病院の小児科が休診になりそうだとの事態に、母親たちが「小児科を守る会」を立ち上げた。そして、自分たちで「@コンビニ受診を控えようAかかりつけ医をもとうB医師に感謝しよう」という三つのスローガンを掲げて実行した。その熱意が通じて、小児科の医師は2人から7人に増えたという。延岡市が『全国初で画期的な条例』と自慢する「地域医療を守る条例」は、丹波市の成功事例を参考にして文章化された。内容は立派である。一方、丹波市の母親たちの動機は純粋で「条文化」や「広報」が目的ではない。「真の目的」を実現するために「自分たち」が掲げるスローガンを「自分たち」が守る。延岡市では、市が掲げるスローガンを市と協働する市民団体が市民に守らせる。延岡市は丹波市(母親たち)の「形」は真似ても、「心」を真似る事はできない。「成果」も真似できないだろう。

「地域医療を守る条例」に見る首藤市政の特徴は、「計画作成」と「広報活動」が「重要な目的」であり、そこにマンパワー、エネルギー、コストが割かれることである。「市民協働」の下に市民団体を巻き込んでの「広報」と「パフォーマンス」。昨年設置された全国初の「延岡市地域医療アドバイザー」、県内初の「地域医療対策室」の設置さえも、そうした文脈に沿っているのではないか。健康長寿室長の「健康長寿の町を内外にアッピールしたい」(宮日新聞H22.4.6)との言葉も、その表れだろう。初登庁に自転車で乗り付ける「パフォーマンス」を見せた市長の影響が庁舎内に及んでいるのではないか。パフォーマンスは「自分のために」する。その蔓延の悪弊は地域医療対策に限らず市政全般に及ぶ。権力が集中している市長の価値観・言動が市政に及ぼす影響は極めて大きい。「県北の地域医療を守る会」の会員には、市民への啓発・教育の前に市長への意見・諫言が求められる。






【延岡市の地域医療】市民と医師の犠牲に甘え続ける「輪番制」 松下潤治良 - 2011/06/30(Thu) 20:49 No.524

 今から2年前の平成21年初め、県立延岡病院の「神経内科」と「消化器内科」が休診になった。これによって、年間250人とも言われる「脳梗塞」患者、および「消化管出血」患者たちの救命救急が不可能になった。 まさに「非常事態」というべき状況に陥った。緊急措置として、延岡市は救急患者を民間病院が輪番で引き受ける「輪番制」を取り入れた。脳疾患の救急患者はまず延岡病院に搬入され、脳梗塞と診断されると、再び救急車で「輪番」の「当番病院」に搬送される。市内の4病院が「輪番」を引き受けているが、うち3病院は脳疾患を専門としない病院である。
この「輪番制度」は、専門外の重篤患者の救命治療に当たる医者たちにさらなる「ストレスと多忙」という犠牲を強いる。そして、何よりも生死の境をさまよう救急患者たちに死活的な犠牲を強いる。さらに問題なのは、市内病院を選択する自由が奪われていることである。延岡病院が駄目ならば、生存の可能性を求めて最善と思う民間病院に救いを求めるのは市民の権利である。しかし、市の「輪番制」によって機械的に行き先を決められてしまう。

延岡病院の重要診療科が機能しない「非常事態」は今も続いている。現在の延岡市民は、以前の延岡市民ように、「神経内科」「消化器内科」の高度な治療や手術によって救命・回復する幸せを得る事はできない。この瞬間にも延岡市民の誰かが、崩壊している地域医療の犠牲になっているかもしれない。この不幸な状況は2年以上も続いている。
そして、緊急措置としては仕方ないにしても、永くは許されるべきではない延岡式「輪番制度」も今では常態化してしまっている。市民(患者・遺族)に不満は残るが、「ないものねだりはするな」という雰囲気の中、黙って耐えるしかない。この「輪番制」は市民の「忍耐」に依存しているとも言える。そのことが、延岡市の3次救急病院が機能不全に陥っているという深刻な問題を外から見え辛くする。行政が、「輪番制」に甘え、対策を先延ばしにすることになっていないだろうか。
市民の命を守るのは行政の最大の使命である。さらに言えば、行政の長たる延岡市長の最大の使命である。全知全能・全身全霊を尽くし、県を巻き込み、延岡市の総力を結集し、休診中の重要診療科の再開を実現する。その上で、問題含みの緊急一時的な「輪番制」を止めなければならない。そのためには、市長はまず、市民(患者・家族)の「痛み・悲しみ・苦しみ」を肌で感じるようにしなければならない。現実を直視する事を心がけ共感力を高めるべきである。しかし、首藤市長の言動からは、そのような気持ちも「輪番制」を止めたいという意志も伝わってこない。首藤市長にとって「輪番制」とは、制度を創出したこと自体に価値があるようで、制度に伴う弊害に対する問題意識も責任意識も薄いように思われる。それは次の事実からも窺える。

首藤市長は「輪番制」を導入したその年の「広報のべおか」(12月号)で、「救急体制を実現した」「これは私が進めている『新生のべおかプロジェクト』(注:このプロジェクトは偽者)の成果である」として市民にアッピールしている。そして、今年の「広報のべおか」(2月号)でも、「新生のべおかプロジェクト」の進捗状況の中で、「平成21年3月に脳梗塞の救急患者を受け入れるための『救急体制』を構築した」と制度の構築を自慢し、さらに「輪番制」に対する補助制度の創設にも触れている。緊急避難的な「輪番制」を、2年後の今もPRし、さらにその補助制度に言及する。首藤市長には、「輪番制」を止めるための努力をしようとする意志が見えない。

使命感の強い高齢の医師たちと純朴な延岡市民の犠牲の上に構築されている「輪番制」を固定化し、そこに安住する事は、首藤市長にとっては都合が良い。「輪番」を受け持つ病院を訪ね、「お礼を申し上げます。大変な状況の中で『頑張ってください』とは言いにくいですが、われわれも一生懸命頑張ります」と言い、コラムに「私も各関係大学を訪問するなどの行動を強化している」と書く。口や言葉でその場を凌ぎ問題を先延ばしにする方が、楽である。そして、休診科の再開など地域医療問題の対策と責任は、増員した副市長に特命課題として宛がう。

その一方で、首藤市長は九州横断道路の陳情に励む。進捗があれば、「私の努力の結果だ」と言い、そうでなければ、「努力が足りない」として、苦労を伴うことのない陳情活動を続ければよい。活動の中で、九州横断道路は「命の道だ」と声を高くする。しかし地域医療が崩壊し、延岡市民の命さえ救えない中で、沿線住民の命が救われる道理はない。
「この町では生きていけない」。県北部の延岡から「脱北」したいと言う市民、特に高齢者たちの声を市長はどう受け止めるのだろうか。首藤市長や一部議員は「目の前で溺れている人を助けるのが政治ではない」「溺れる人を作らないのが政治だ」と言う。危険な救命努力よりも、会議を開き条例を作り、それを「広報」する方が「楽」だし「得」をする。

延岡の地域医療は崩壊していると言われる。しかし、崩壊が深刻なのは、目前の救急患者を救う努力を怠り、「輪番制」を「救急体制を実現した」と詐欺師まがいの詭弁を弄しながら、市民や医師の「犠牲」や「忍耐」に甘え続ける首藤市長たちの「心」ではないかと思う。延岡の医師たちは高齢化が進んでいる。「輪番制」に見るような高齢の医師たちの犠牲や使命感頼みの医療行政が続けば、延岡の地域医療体制は壊滅的な崩壊に至るのではないかと危惧する。首藤市長たちは「市民力」「医師会力」に頼るのでなく、「市長力」「行政力」を発揮すべきである。

偽装「新生のべおかプロジェクト」を掲げる延岡市長
http://www.janjanblog.com/archives/26452                         

 

政権No2、家族をシンガポールへ? 波方鵜晏 - 2011/04/17(Sun) 10:10 <URL> No.501


噂だが、政府の謂う、単なる風評かなぁ?
家族が東京の自宅にいる映像を流せば、噂は吹き飛ぶが?

 保身に汲汲とする政権、保身のパーフォーマンスでは国民の
支持を失うだけだ!!

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これが民主党政権の震災1ヶ月間の見事なまでの対応だ!w

蓮舫、襟を立てる
蓮舫、スーパーを視察する
菅直人総理、原発を視察して東電の対応送らせる。
視察後、官邸に戻ってきた菅直人総理が周囲に「原発は爆発しないよ」と名言→原発爆発
菊田まきこ議員、ジャカルタで買い物、スパ、エステ三昧
政府、被災地向け電池190万個を送らず
菅直人総理、震災復興という最も大事な仕事を野党に丸投げ
政府、原発周辺の対応が10キロ→20キロ→20〜30キロと後手後手で住民混乱
政府、原発事故初期段階でのアメリカの支援を拒否→原発爆発
政府、アメリカに続き、フランスからのロボット提供支援も拒否
鳩山由紀夫「海から直接長いホースで海水を原発にかけるべき」と提言
仙谷由人を官房副長官、辻元清美を総理大臣補佐官に任命
姫井由美子議員、自身のブログで非常食や非常用毛布をニコニコ顔で紹介
政府、計画停電の内容を東電に丸投げ、原発の放水方法も現場に丸投げ。
菅直人総理「私は原子力に強いんだ」と発言
菅直人総理「東日本がつぶれることも想定しないといけない」と発言
菅直人総理、自衛隊の派遣人数2万人→5万人→10万人と思いつきで増やし、現場大混乱
蓮舫、計画停電の混乱について「初めてのことなので、、、」と発言
岩手が地元の小沢、衆院本会議を欠席。一週間経ってようやくコメント出す。
災害対策本部、一週間経っても具体案出せず
安住淳国対委員長『学校のプールにガソリンを貯蔵出来ないか」と提案
海江田万里経産相、消防隊員に「速やかにやらなければ処分する」と恫喝し、放水車壊す
経済産業副大臣「最悪の事態は、神のみぞ知るでございます」と発言
北沢俊美防衛相「グローバルホークの映像公開しない」
仙谷が、自民党に谷垣氏を総理に、自身を副総理にして大連立を提案
菅直人総理、初めての被災地視察で被災者に「物資が届かない状況はどうなってますか?」と質問
菅直人総理、児童の大半が亡くなった小学校を視察し、ランドセルを見て、「なんとか直人が送ったのかと思った」と冗談をかます。
政府、世界170の国と地域から支援物資が集まるも、そのうち30カ国しか受け付けず、残りは全て拒否か無回答
菅直人総理「放置したら原子炉が溶解し、アメリカが(原発を)占領しに来るぞ」と周囲に漏らす
政府、気象庁の「放射性物質拡散予測」を非公開にしていた
菅直人総理、「第一義的には東電の責任」と発言
枝野幸男官房長官、家族をシンガポールへ逃がす




なんで、民主党議員は揃いも揃ってクズしか居ないのかな?

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以上 引用の引用 

http://www.nikaidou.com/
Re: 政権No2、家族をシンガポールへ? 波方鵜晏 - 2011/05/06(Fri) 23:23 <URL> No.509


■ 枝野の子供の態度が悪いんだって。

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枝野の子供のくせにSPついてるのかよ。まずそれが無駄だよ。”バナナ屋のパン助”はちゃんと仕分けしろよ!

・・・殺されるかもしれないって思ってるんだな。やましいもんな。隠蔽しすぎて・・・シンガポールの件もあるし。

 で、SPが「ガキが態度悪くて、殴る蹴るされるしうざくてイヤだ」って言ってたぞ。殴っていいよって言っておいたんだけど(笑)。

 テメェの女房や息子の教育もロクにできない極左が、官房長官なんてどだい無理なんだわ。

 枝野とその嫁は、ガキをしっかり叱れよ。叱れないのなら、行儀見習いをきっちり教えてくれるところ紹介するぞ。そこに預ければ、帰ってきたら、「客間の灰皿には常に水入れてその上にティッシュ敷いてある」くらいはできるようにはなるだろう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ http://www.nikaidou.com/ より。

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