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素木庵 近編情報
姫川 吊り橋に民家
清景き流れ姫川 此処は国道148号線にかかる 大出天神橋から大出公園
方面を眺めた景色です。昔から伝えられた話、白馬村神城に一夜山という小高い山に
飯森十朗盛春という城主が居た、今の白馬村集辺{四カ城)を納めてていたという、戦国
の争乱時、武田信玄には従わず越後の(›上杉謙信)と通じて武田軍に応戦したが飯森城
落城、小谷平倉山へで合戦、援軍が目と鼻の先まで来ていたが間に合わず討死 弘治
3年(1557年) 妻の光姫真夜に中馬で平倉山に向かう道中険しい谷底え転落、光姫は帰らぬ
者となり、この川を姫川と言うようになった、説がある。
河童の水神薬
善右衛門の嫁が便所に入るたびに、お尻をなでるヘンテコな手に困り果て」
善右衛門に話ました。そいつはこの辺に住んでいる河童に違いない、良し
俺が懲らしめてやるから お前のきものをかせろ。手拭いでほうかむりし、赤
い着物を着て、便所行ってみた、すると冷たい手がお尻をなでます、良しこ
の手だな 思いきりの力で引っぱった、(ギャ-。)同時に腕がすっぽり取れま
した。 次の朝ごはんを食べていると、裏口から、悲しそうな顔をした河童
が入ってきた。私は姫淵に住む河童です、どうかうでをお返しください。」
善右衛門は、河童にむかって、「お前のために、大出の衆は困っているんだ、
この河童は相当のいたずら者で家畜のしんのこを引っ張り出して殺しまう、かんべん
ならない、返してやらない、とっとと かえれ。」 それから毎晩のようにやって来た
が善右衛門はおなじように追い返した。10日目の朝、うでをお返しください、さもな
ければ、腐ってしまい、繫ぐことができません、あまりにわびるので、ついに
返してやることにしました。ありがとうご座います、御恩かえしに、毎日魚をとって
きてあげます、それに大出には姿を見せません。
朝になると戸口に魚がいっぱい入っていました。姫淵という所はこの写真の川下
200メ-トルにあります。ある日善右衛門が旅に出ました。小谷村来馬の橋を渡ろう
としたとき、例の河童に声をかけられた。私は最近魚を取れなくなてきました。その
代わり傷薬の良いのを教えます、まず ザザムシ ミノムシ トッコムシ アリジゴク
イモムシ イナゴ ホタル 七種類の虫を取り、蒸し焼きにして粉にし まぜあわせ
まるい小さな玉にして、晩酌のとき二粒ほどいっしょに飲む、教えられた、善右衛門は
さっそく この薬つくりました。ある日草刈りに出て鎌で大うけがえおしてしまい、この
薬をさかずきの酒に薬を二粒入れて飲みました、深かった傷は三日たつと、すっかり
治ってしまいました。善右衛門はこの薬を水神薬と名をつけて、松本や越後へ売り歩き
大金持ちになったとさ。
素木庵オ-ナ-の趣味で書いた姫川水墨画 姫淵はこの上流300メ-トルにある