1)「痴呆」を教えてくれた利用者さん。


 その施設への勤務初日。8:30には職場に到着して、着替えて、センター長に挨拶をする。
センター長は小さくて、かわいらしいけど意志のしっかりしていそうな方。とっても目力がある!そして、何人かのスタッフと、わたしのほかに新人職員が一人。彼女は、この春大学院を終了したばかりの、心理職のゆいさん。なんと、わたしの妹1号と同じ学年だった。
期待半分、不安半分のまま朝の申し送りをし、その後センター長によるオリエンテーションを受けている間に、利用者さんたちが次々と到着する。

最初は指示されたことをこなしていれば済んだのだけど、だんだんとその指示も少なくなってくる。わたしにとっての祖父母は、主に母方の祖父母(当時は二人とも健在だった)だったのだけど、家を出てからはあまり彼らと話す機会もなくなってしまった。
どうやって接したらいいのかわからないままに、当たり障りのない話題で、自己紹介をしたり、相手の話を聴いたり。

  3つあるテーブルを回っているうちに、不安そうな、おびえたような表情で過ごしている女性に気がついた。彼女の名は、みとさん。話をしようとするが、なかなかかみ合わない。ほどなく、これこそが痴呆の症状なのだ、と気がついた。

 今まで、痴呆に関する知識は若干なりともあったのだけど、知識として知っていることと、直に触れ合うこととはまったく違うのだ。
やがて、みとさんの傍にいたわたしに、センター長が気づいてわたしにそっと耳打ちする。
「みとさんは、アルツハイマーの痴呆の方です」と。
 そのときですら、「アルツハイマー」という痴呆がどのような症状を伴うものか、すっと頭から出てこなかったくらいにわたしは早くも不安になりはじめていた。痴呆をもったお年寄りと、穏やかに接することができるのだろうかと。

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 しばらくして、朝の会が始まったころだった。みとさんが突然席から立ち上がり、「お手洗いに行きたい」という。足元もおぼつかないので、トイレまでついていくことにした。歩き始めたみとさんからは、ちょっと香ばしい匂いが。大丈夫大丈夫、排泄介助には慣れているはずだから、と言い聞かせながらトイレに向かう。でも内心どきどき。

 (ここから先は、お食事中の方はご遠慮ください)
 みとさんを便器に座らせると、すでにみとさんの紙パンツの中は便にまみれていた。急いでゴム手袋をする。
 あ〜〜!みとさんが自分の便を触っている!早くもパニックに近づきつつあるわたし。

 程なく、センター長がわたしが消えたのに気がついてか声をかけてくれた。このような状況ではわたし一人では着替えもできない。正直助かった。
「あらら、最初から大変ね。大丈夫?」と声をかけてくださるセンター長。
「前のところでもオムツは替えていたから、大丈夫です」と言った わたしの声は、きっとうわずっていたに違いない。
 トイレから戻ってきて、ゆいさんに「どうしたんですか?」と聞かれ一部始終を話したら、彼女はとても驚いていた。
そりゃそうだ、わたしだって正直、驚いたもの。

 そんなこんなで、みとさんとの初日の出来事を、わたしは一生忘れることがないだろう。

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 みとさんの痴呆は、日に日に進んでいった。みとさんは有料ホームにご主人と暮らしていたのだが、ご主人は痴呆はない様子。
いつも連絡帳にはわたしたちへのお詫びの言葉が綴られていた。
 みとさん自身は、といえば、どんどん表情が険しくなり、他の利用者さんに突然絡んだり、怒り出したり、徘徊をはじめたり。
今思えば、典型的なアルツハイマーの中期の症状を呈していた。

 そんなみとさんが突然いらっしゃらなくなったのは、6月の半ばだったように思う。入居しているホームのベッドから落ち、大腿骨頚部骨折で入院されてしまったとのことだ。その後のことは、何も知らない。

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 みとさんと初めてであってから、100人を越える高齢者の方と接してきたけれど、わたしの職場の利用者さんの性質からして、みとさんほど症状の重い方はそれ以来いらしていない。ただ、アルツハイマーの患者さんを見るたびに思うのは、みとさんほどに症状が重くなっても、わたしは穏やかな気持ちでその方に接することができるのだろうか、ということだ。
 それが、自分の愛する人たちであったら、さらにどうなるのだろうかとも。
                                                                         (2003.8.3)


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