Lifetime Respect


     2001年4月から、高齢者を対象とした施設に勤務しています。
     ここでは、職場での出来事や、考えたことを少しずつ綴っていくつもりです。

    <おことわり>
  文中のお名前は、すべて仮名です。
  利用者さんのプライバシー保護のため、家庭環境など一部フィクションにしてありますことをご了承ください。
  また、このコーナーの文章は無断転載・使用を固くお断りさせていただきます。
  リンクの際は必ず事前にご一報ください。


★index★


    序)はじめに

    1) 「痴呆」を教えてくれた方
    2) 「異国の丘」〜高齢者と戦争 その1〜
    3) 忘れな草をあなたに〜高齢者と戦争 その2〜
    4) 木曜倶楽部〜ムードメーカーの存在〜(24 August 2003 up)





はじめに。


わたしが「高齢者」を対象とした施設に転職をしたのは
2001年の春、介護保険が施行されてからちょうど一年経った時だった。
学生時代に臨床心理学を学び、専門学校での勤務を経て
心理や福祉の現場に立ちたいという一心で、4年間続けた
学校を辞め、紆余曲折の果てに、非常勤の保育士として
都立のとある肢体不自由児施設に職を得ることができた。
(その後、異動で同じ施設内の重症心身障害児施設にいくことになる)
悔しいことも沢山あったけど、「現場」のスタートとしては
恵まれすぎているともいえそうな経験をたくさん積ませていただいたし、
目標にしたいような人との出会いも多かった。

しかし、所詮は非常勤職員、契約期間が終了したら
次を探さなければならない宿命。
専門学校にいたときの先輩が、「家の広告に入っていたから」と言って、
今の職場を紹介してくださったのがことの始まり。

すぐに履歴書を送り、面接の連絡が来て
面接を受けた。院長と名乗るその方は、外見も話しっぷりも
全然「医者っぽくない」方。気さくな感じ。
履歴書を見て発した言葉が「A先生って知ってる?」と。
わたしが専門学校にいたときにとてもお世話になった方だ。
ずっとこの先生を「かかりつけ」にしているらしい。
そして、院長がこれから目指すことに、わたしの今までのキャリア(と
呼べるような立派なものではないにも関わらず)は見合っている、と。
そのシーズン初めての転職活動にして、なかなかの好感触。

その数日後、事務長という方から電話がある。
「ぜひ採用したいのだが、条件面接に来てもらえないか」と。
条件面接に行き、いろいろな面で愕然とし、本気で辞退しようとも
考えつつも、あの院長とはぜひ一緒に仕事がしてみたいという
迷いの中で、2泊3日の韓国旅行に出かけていた。

帰国後、待っていたのは事務長からの電話。
事態は好転していた・・・・。とはいえ内容としては
必ずしも満足のいくものでなく、世間一般の「心理職」から
みたら考えられないものだっただけど。
このご時世、資格もなく、ブランクだらけのわたしを
「心理職」として採用してくれるところはきっとない。
それに、あの院長と仕事をしてみたいという思いにかけて、
一週間考えに考えた結果、4月からのわたしを託すことに決めた。

とはいえ、やはり子どもや思春期の臨床に未練はあり、
機会があれば、他の職場にというヨコシマな考えはあった。
しかし、この仕事を追及すればするほど、「高齢者」のもつ
世界の豊かさに驚かされることになる。
最初は腰掛のつもりだったわたしが、
今では自分の天職かもしれない、と思うだけでなく、
わたしの関わった人たちとの間で共有できたすてきな物語を
少しでもたくさんの人たちに伝えたくて、
このようなコンテンツを作るまでになっているのだから。
こんなこと、2年半前のわたしにはまったく想像できなかったよ。

前置きが長くなりました。
これからのStoryは、わたしが関わらせていただいた方達の
たった一つの人生のかけらであり、わたし自身の気持ちの軌跡でもあります。
拙いテキストですが、読んでくださった方々の心の中に、
少しでも何かが残せたら幸いです。

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