新潟交通電車線について この先、生まれ変われるんだろか |
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ところで、この電車の路線名(東海道本線、みたいなもの)を私は知りません。とりあえず地図にあった「電車線」の呼び名を使っています。 京阪京津線東山越えがなくなった後、どこを回ろうか…と考えました。その時、物心付いた頃から苔むした線路を走る緑と黄色の電車が気になって、この路線を訪問し始めました。 ここに初めて乗ったのは平成2年4月初頭ぐらいでして、この時は新潟市内まで路面電車で白山前まで、もう一端は燕市までのびていました。一応上越新幹線ほぼ1駅分を走っていたんですね。路面を走る写真も2枚ほど撮っています。でも新潟市内をはずれると東側に堤防が延々と続いて景色がブロックされ、あんまり良い印象は残ってなかったです。今もこの堤防はしばしば撮影のネックになっています。 その後、白山前の路面区間がなくなり、知らない間に平成5年に燕−月潟間も人が乗らないと言うことでなくなり、今や新潟の町はずれから出て白根市のはずれ(正確には白根市はかすめているだけで走らない)でいきなり終点という、事情を知らない人には何でこんな所に電車が走っているんだろ?という謎めいた路線になりました。 平成9年11月3日、7年半ぶりに訪問した東関屋駅は、見事な駅に建て直されていました。いきなり違和感バリバリ。電車は新潟駅・市内との間を結ぶバスと連絡していて、そう不便ではなさそうでした。 そしてホームに立ったとき、目の前にあったのは、昔見たときの姿そのままの電車たちでした。小田急から来た2両がそのままの色で車庫で目立っていましたが、そのほかはずっと何も変わりがなかったよという感じでたたずんでいました。 途中の駅も、新しい駅が増える一方、昔ながらの木造駅が沢山残っていました。線路の脇に生える謎の苔(というより、つくしんぼが延びて緑色の線状になったやつ)みたいなのも健在でした。 それから月ほぼ1回のペースで訪問を続け、その時々の季節の移ろいを一緒に写真に収められたら良いな、と思いながら撮り続けるうちに1年が経ちました。 その間お客の減少と老朽化がたたり、廃止か存続かで地元と2転3転した結果、平成11年3月で廃止が決まったそうです。残念なことですが、残された最後の冬の間もうしばらく沿線を追いかけてみたいと思っています。 |
板井−七穂駅間にて |
去冬分はこちらです。 春先分はこちらです。 夏の分はこちらです。 |
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