Ampulliglabella arakii
( 初めて採集した三葉虫標本 )

宝鏡寺

【三葉虫】
Ampulliglabella arakii

A.rotunda
Pseudophillipsia spatulifera

気仙沼市新城字田柄宝鏡寺
 時代:ペルム系叶倉統合地沢階/岩井崎階
 岩質:砂質頁岩

 「古刹、宝鏡寺の裏に化石産地がある。」それを師匠・荒木氏から聞いた小学生の私達は
寺のまわりを嗅ぎまわり、小さな露頭を見つけた。そこは多分荒木氏が示唆した場所ではなく、
新産地だったと思われる。小さな山の裾を切って作られた畦に沿う道に化石層が連続していた。
表松川の産地をコンパクトにまとめたような感じで、松葉石帯から、おなじみの化石がツクダニ状に密集する
Pseudophillipsia spatuliferaを産出する層、岩井崎階に相当するだろうAmpulliglabella が産出する層まで
縦に並んでいるのだ。

生まれて初めて三葉虫を採集した日のことは、よく覚えている。
1970年4月8日、小学六年生になった春の気仙沼市宝鏡寺でのことだった。
何時ものように「仮面ライダー」の放送終了後、近所の悪ガキ共に合流し、その露頭の前に立った。

当時、私達にとって「化石」の三種の神器と言えば
「三葉虫」「アンモナイト」「オウムガイ」であり
既に仲間達はそれらを全てモノにしていたが
私だけが何も採ることが出来ず、大きく遅れをとっていた。

宝鏡寺のその露頭は西端にツクダニ状に密集する層と
比較的少ない層がほぼ直立して並んでいた。
私達はツクダニ層を好んで叩いていたが
「今日こそは!」という思いは、その日も空回りし
私一人場所を移して、化石の少ない層を叩き始めた。

露頭から石を剥がそうと、周りのズリや土砂をハンマーで除けていた時のことだった。
不意に私の目に憧れていた三葉虫の姿が飛び込んできた。
僅か1.5cm×1cm程の小片に、今日のアンプリグラベラの尾部があった。
それを慎重に摘み上げると、生まれて初めて味わう言い知れない達成感に心が躍った。

その後切り出した石からは、ほぽ完全なプロピナコセラスとオウムガイの破片が出て来た。
一日にして私は三種の神器全てを手中にしたのだ。
その記念すべき日こそ「三葉虫」にハマっていく旅の始まりと言っていいだろう。

(ツクダニ層はペルム紀叶倉統合地沢階、アンプリグラベラを採集したのは
その上位に当たる岩井崎階だと知ったのは、随分あとのことだった。)

 私達はそこから、三葉虫やアンモナイト、オウムガイをはじめ沢山の化石を採集した。
毎週のように通い詰めて掘りまくり、露頭はどんどん大きくなっていった。小学生とはいえ、
そのパワーに 露頭の上にあった民家の住人は、「このままでは家を崩されてしまう」と畏怖したか、
ついに私達は追い出しを喰らってしまった。その後は たまにゲリラ的に出没することはあったが、
行動範囲が拡がるにつれ足が遠のいていった。

 しかし、その宝鏡寺の産地は今思えば垂涎の化石産地だった。何も知らない小学生でなく せめて
高校生になった私達がそこを攻めることが出来たなら、もっと貴重な化石の数々を掘り出すことが
出来たに違いないのだ。

 宝鏡寺の産地は私が知らないうちに消えた。久しぶりに訪れたその産地は
田圃ごと埋め立てられて露頭も瓦礫の下になっていた。
墓場の造成か住宅地の造成かは知らない、しかし気仙沼はまた一つ貴重な遺産を失ってしまった。
・・・もう何年も前のことである。



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