小樽殺人事件 感想リストへ 
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薄明の小樽港に女の漂流死体が……。被害者高島勝子は、小樽の旧家小山内家の出で、クラブを経営する“女傑”だった。死体には青酸反応があり、遺品のなかになぜか黒揚羽蝶が……。取材旅行の途次、死体を発見した名探偵浅見光彦は独自に捜査を開始。一方、姉小山内祥江に招かれたOL津田麻衣子は小樽到着早々、高島勝子殺人事件に巻きこまれる……。さらに勝子の妹俊子も自室で首吊り自殺?ここにも黒揚羽蝶が!黒揚羽蝶の謎を追い、浅見は麻衣子とともに信州・安曇野を訪れるが、そこには……?

光文社文庫(本のカバーから引用)

小樽の地名はアイヌ語の「オタルナイ」からきているという。
「小樽殺人事件」(光文社文庫、1994年9月20日 42刷発行より)

P116から引用

 「しかし、もうじき40になろうというオールドミスですからな、人知れぬ悩みを持っていたとしても不思議はないでしょう」

 鳥羽は無意識に喋っているが、浅見はオールドミスという言葉が嫌いだ。男性でも女性でも、結婚しないことについては、それなりの事情や理由があるだろうし、人によっては主義でそうしているケースもあるにちがいない。それなのに、世間は「オールドミス」という、一種、侮蔑的な意味をこめたレッテルを貼ろうとする。

 オールドミスに限らず、そういう、他人のいたみに対する思いやりのない言葉が、浅見は大嫌いなのである。テレビでコメディアンが、他の出演者などに向かって、顔が大きいだの、脚が短いだの、ダサイ服装だのと悪態を吐き、それをギャグ代わりに、お客を笑わせているのを観ると、我慢がならないほど腹が立つ。そういう残酷さが子供たちに影響して、いじめの風潮を助長させているはずなのに、マスコミや教育界が、ほとんどその問題を取り上げようとしないのは、不思議というほかはない。

 鳥羽には悪意はなく、単なる事実として言っているにすぎない。それでもなお耳障りに感じるほどのデリカシィが、浅見にはあるということなのかもしれない。

私は、この本を読むのは2度目なんですが、ここの記述はなんども読み返してしまいました。そう、前回読んだときもそうでした!

これは、浅見光彦を借りての先生の考えなんだと思います。 社会に対する旺盛で健全な批判精神、そして人を見るやさしさを感じます。

こういう面も内田作品の魅力のひとつですね。

1998.8.31  しょう

 
小樽の地名の由来
 作品から引用(光文社文庫1989年9月20日 42刷発行 15ページ)

 「小樽の地名はアイヌ語の「オタルナイ」からきているという。オタルナイは「砂の中を流れる川の意である。小樽と石狩との境に一本の川が流れていて、現在の銭函海水浴場付近の砂浜を蛇行していた。

その川をアイヌの人々はオタルナイと呼んだ。いまから四百年前ほど前、松前藩が河口付近に漁場を開き、オタルナイ場所と名付け、これが小樽の地名の発祥となる。オタルナイ場所はしだいに西に移ったが、その地名は変わらなかった。

以来、オタルナイは尾樽内、小足内、小垂内、小樽内などと、さまざまな文字があてはめられ、現在の「小樽」に統一された。」

「北海道の地名」(山田秀三著、北海道新聞社刊)から引用

小樽市

現在の小樽市は西は蘭島から、東は銭函の先の札幌市境までの東西に長い土地であるが、明治初年の姿でいえば、忍路郡、高島郡、小樽郡に分かれていた地域である。

〜中略〜

小樽市の語意ははっきりしない。従来書かれて来たものの中から代表的なものを年代順に並べると次のようになるのであった。

@ 上原熊次郎地名考は「ヲタルナイ。砂の解ける小川と訳す。此川常に砂の解け流れるゆへ此名ありといふ」と書いた。ota-ru-nai(砂・融ける・川)としたもの。

A 松浦武四郎は西蝦夷日誌や郡名建議書で「ヲタル−ナイ(砂路沢)」と訳した。書けば上原氏と同じ形だが、ota-ru-nai「砂浜の・路・(の処の)・川」ぐらいな意味でかいたものか。ruを路とよんだのであった。

B 永田地名解(明治)は「オタ・ナイ。砂・川。旧地名解沙路の義とあるは非なり」と書いた。どうしてそう解 したかは分からないが、前のころそこの字名は小樽内と書いて、土地の人は「おたね」と呼んでいた。永田氏はそれからota-nai説を出したものか。

C 北海道駅名の起源は、昭和25年版から「オタ・オル・ナイ(砂浜の中の川」から転訛したもので、今のオタルナイ川、またはオタナイ川を指しているのである」と書いた。

銭函

小樽市東端の市街地の名、川名。和人の付けた地名。

小樽内

小樽内川は手稲の裏山から出て日本海に入っていた川で、後志国、石狩国の境であり、その川筋のアイヌを今の小樽のクッタルシ(入船町)に移して、その名を持って行って小樽内場所を称し、それが今の小樽のもとになった。

 1998.9.26 しょう