シーラカンス殺人事件 感想リストへ 
本の紹介リストへ 
学術調査隊が生きたままのシーラカンスを捕獲したというニュースが、正月早々の中央新聞の第1面を飾った。一条記者を現地へ派遣し、隊に資金援助までしてきたライバル社の大東新聞は面子丸つぶれである。だが事の真相を究明しようにも一条記者は姿を消してしまった。そして隊員が1人また1人と死んでゆく。

 

 

講談社文庫(本のカバーから引用)

シーラカンス殺人事件
七千万年前に絶滅したはずの古代魚シーラカンスは生きていた。
 「シーラカンス殺人事件」をはじめて読んだのはいつだったでしょうか。記憶ははっきりしませんが内田作品を読み始めてからまもなくだったと思います。そのころは、西村京太郎の本も読んでいて、どちらもおもしろかったんですが、自分は果たしてどちらの作家が好きなんだろうと自問していた時期でもありました。

 西村京太郎の本が事件の導入部から最後まで、息もつかさず一気に読めるのに対し、内田作品はどちらかというとスローペースなんですよね。

 今回、この本は、一連の「岡部作品」再読の一環で読んだのですけれど、やはりそういう感は拭えませんでした。肝心の岡部警部がなかなか登場しないんです。(^o^)

 しかし、この導入部にこそ「内田作品」のおもしろさがあるのではないでしょうか。シーラカンス捕獲という当時の話題をとりあげミステリーに仕立てるという着想もそうですが、万里子の兄に対する想い、恵木にたいする想いは、思わず万里子に感情移入してしまいます。 

 「倉敷殺人事件」のヒロイン英が事件に関わりたくないと最初はおすおず逃げ腰で、やがて岡部警部に心を開いていくというのもそうなんですが、女性心理を巧みに描いていますよね。

それから「浅見シリーズ」もそうなんですが、居候の光彦に家族は表面的には辛くあたっていますが、その実、光彦のことを信頼し、愛しているというのが分かりますよね。このやさしく人を見る姿勢が先生の本の特徴なんだと感じます。

この本で印象に残ったのは、「岡部の一見頼りなげに見える言動が、じつは鋭い洞察力を包むカムフラージュではないかと思えてきた。少なくとも、自分にはない秀れた知力がこの人物にはあることだけは間違いない、と安部は思った。そして事件の結末には、自分や高辻などが想像もつかないような劇的な幕切れが待ち受ているのではないかという、漠然とした不安を感じるのだった。」

 岡部警部が登場し、その天賦の才ともいうべき奇抜な着想と推理力で次から次へ謎を解き明かしていく、そこらあたりから一気に読める作品です。

1998.8.29 しょう

七千万年前に絶滅したはずの古代魚シーラカンスは生きていた。

1998年9月26日北海道新聞朝刊卓上四季 

 60年前の12月22日、南アフリカ東南部の漁業の街イーストロンドンの港から、見たこともない大きな魚がタクシーに乗せられ街の博物館に運び込まれた。七千万年前に絶滅したはずの古代魚シーラカンスが生きていることは、こうして確認された。

 第1号のシーラカンスは、港に近いカルムナ川の河口沖でトロール漁船の網に入った。魚を運んだのは女性学術員マージョリー・コートネイ=ラティマーさん。「この生きた化石」に与えられた学名ラティメリア・カルムナエは、そこに由来している。

 その後、シーラカンスは200匹以上が捕獲され、研究されてきた。

 卵がソフトボールほど大ほどもあり、雌は、幼魚が体長30センチ以上に成長するまで体内で育ててから産み落とす卵胎生だ、といった生態が、少しずつ解明されてきた。

ただ、南アフリカ沖で捕まった第1号を除くと、その後のシーラカンスは、すべてがコモロ諸島の近海でしか見つかっていない。それが大きななぞのひとつだった。コモロ諸島はイーストロンドンから2800キロも離れている。

そこで、シーラカンスはコモロ近海にしか生息せず、第1号は偶然の迷子と思われてきた。

だが、米国の研究者らが、7月に、コモロから一万キロ離れたインドネシア・スラウェシ島沖でも捕獲したと発表した。ほかの海にも生息している可能性が生まれた。

コモロでは捕獲数が増えたため、四億年を生き延びたシーラカンスも絶滅が心配されていた。新生息地の確認で太古の夢が広がる。

 1998.9.26 しょう