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バラバラ死体が発見されたのは、信州の小京都、飯田市郊外の松川ダム。叔父甥間の借金がらみの単純な殺人事件と見た捜査本部は「犯人」の自殺が確認された時点で解散した。だが、この事件の背後に不自然なものを直感した飯田署竹村巡査部長は執拗に事件に喰らいついていく。大型本格社会派のデビュー作。

 

講談社文庫(本のカバーから引用)

内田先生のデビュー作がこの作品であることとこの本を書くに至った動機についてはは折りに触れ書かれています。

それは、将棋仲間の友人との口げんかの際に「書けるものなら推理小説を書いてみろ」と言われたからでした。

友人というのは将棋仲間である中川博之氏(作曲家、「ラブユー東京」、「たそがれの銀座」、「さそり座の女」など)で先生は当時広告物の企画制作会社を経営していました。

それから、忘れてならないのは、この小説にはモデルとなった事件があったことです。

それは、「松川ダムバラバラ殺人事件」で、実際の事件があったのは、昭和52年7月3日のことです。

この作品は、江戸川乱歩賞に応募し、第二次予選ではじかれたそうです。

審査員がよく読んでいなかったんだとしか思えませんね!!

昭和53年の第24回に田内康のペンネームで「霜崩の館」として応募し、そのときの受賞作は栗本薫氏の「ぼくらの時代」でした。(ミステリー紀行番外編1)

落選後、3,000部を自費出版し名刺代わりに配った本が朝日新聞に書評され、衝撃のデビューとなります。

このあたりの詳細は、「浅見光彦のミステリー紀行番外編1」の「死者の木霊」研究で、また、実際の事件の経緯及び顛末は講談社ノベルス版の「自作解説」に詳しく載っています。

死者の木霊
 この本は、内田作品を何冊か読んだ後、ある本のあとがきにセンセの処女作という紹介があって読んだ記憶があります。そのときの印象は「やはり、この作家は凄い!」というものでした。どのように凄かったかは覚えていません。(^o^)

 あらためて読んでみた感想を書き記しておこうと思います。

「そうはいっても、謎めいた事件があったというだけでは、小説づくりにどう活用かればいいのか分からない。事件を丁寧に追うだけでも、それなりにドキュメンタリー・タッチの作品にはなりそうだが、それではただの犯罪捜査記録に毛のはえたものでしかないだろう。

人が人を殺すという究極の選択を行う背景には、それこそ千差万別、いろいろなケースが考えられる。喧嘩、強盗、狂気...こういう短絡的な動機では小説にならない。やはり人間関係のドロドロした怨恨がなければつまらない。かといって、ホラー小説のように、一方的な憎悪や凶悪さだけを書いたのでは索漠として面白くない。そんな小説は僕自身ごめんだ。殺人事件を描きながら、どこかにロマンがあり、優しささえも感じ取れるような物語であってほしい。」(ミステリ紀行番外編1の15ページ)

 ここでは、初めて小説を書こうとしたときの先生の心境を書いたものです。

 う〜ん!内田先生は最初から、この姿勢を貫いているんですね。 

 常々、内田作品での人を見る目の優しさを感じていた私にとって、やはりそうだったんだ!という感慨を新たにした言葉でした。

「天井を見上げ、紫煙がたちのぼるのを目で追っていると、松川ダム以降のさまざまなできごとや、その間に出会った人びとの面影が去来した。室町署の岡部警部をはじめ、三番間館の君江、花嫁姿の理恵、五代通商社長の福島、専務の沢藤の憤った顔、青森駅の工藤−−−そうだ、あの人のいい俳句好きの国鉄職員はどうしているだろう。貝柱の礼状も出さずじまいになっている。いちど俳句でもしたためて送ってみよう−−−。」(講談社文庫256ページ)

 竹村が停職中に鳥羽のホテルで回想しているシーンですが、作中の登場人物が実によく描かれています。忘れてならないのは妻・陽子の明るさですね。

 松川ダムのバラバラ事件、犯人と見られた夫婦の自殺、花嫁姿の理恵の自殺、根岸の不可解な死と、息をつく間もなく事件が起こり、そして、その謎解きに立ち向かう竹村の執念。

 陰惨な事件の中にあって、竹村夫婦のほのぼのとした家庭。岡部警部の友情。

 いつしか、竹村に感情移入している自分に気づきました。

 やはり、この作品は凄い!いつまでも色褪せない名作です。

1998.9.19 しょう

 

[朝日新聞書評]抜粋

 「死者の木霊」は意外性やドンデン返しを期待すると肩すかしをくう。アリバイ・トリックにしても、最も古典的な部類に属するものだが、ケレン味のない書き方が好感を与える作品である。

 かつて社会派推理小説のブーム、といわれた頃の松本清張や水上勉の作品を思い出したが、それらに比べると、加害者側、ことに事件に絡まる女性の人間像が十分書かれていないうらみがある。

けれども、作者のねらいはむしろ探偵側の真相解明へのいちずな執念を描くことにあって、その作者の意図が作品の背景となっていて、一本筋の通った骨太の作品に仕上がっている。

 地道な捜査活動をリアルに描く推理小説のタイプにも、探偵側に比重の置かれたものと犯人側に力点の置かれたものとがある。本書はその前者に属する作品だが、読みながら、クロフツのことが思い出された。

クロフツの長編はおおむね前者のタイプだが、後者の小説を書く場合には「クロイドン発12時30分」などのように倒叙形式を用いている。

 この作家の評価は第二、第三の出来にかかってくると思うが、クロフツの残した足跡が、一つの指針となるのではあるまいか。

「朝日新聞 1981年3月8日朝刊」