心していること
経営方針とか理念というような高尚なものは持ち得ておりませんが、職人として「無くてはならないもの」「会社の方針としても大きく違えないだろう」として、常日頃から心していることを記します。
・仕事は各々責任をもって完遂させる!
・堂々「私の施工だ」と胸を張れる仕事をする!
・「誰でもミスはする」このことを常に念頭に置く!
・他人任せにしない。しかし仲間は信用する!
・瓦は絶対に落とさない!
・安全性と美観は両立する! 創業以来、伝えられてきたのことの一部抜粋
店主メッセージ
弊社は、埼玉県の行田市で創業したのち、良質の土を求めおよそ140年前に秩父市に移転。店舗を構え、創業以来「約160年間」の長きにわたり県内外の皆様に支えられ営業を重ねてまいりました。
日本の瓦という、近年の住宅事情では用いられることの少なくなってきた、この屋根材の耐久性・防火性・そして正に日本の気候風土に適した素材の良さを皆様に再認識していただき、提供し続けたいと思っております。
また、西洋のような石造りの上に瓦というものではなく、木造に瓦という四季折々に溶けこむ、この組み合わせの妙と外観の美しさを伝えるとともに、守っていくことが私に課せられた責務のように感じてもおります。
皆様には、是非ともご興味をお持ちいただき、未来永劫この日本に残し伝えていくということに、ご共感をいただければ幸いです。
本日は弊社にご来訪いただき、誠に有難うございました。 店 主
店主寄稿 令和5年5月
平素より、株式会社 栗原瓦店にご支援・ご厚情を賜りまして、誠に有難うございます。
さて、私こと「栗原恒明」は、令和五年度春の ”黄綬褒章” を賜ることとなりました。令和三年度の表彰をいただいた折にも申し上げましたが、過分過ぎるご評価に、正直戸惑っているというのが本音です。我が先代はじめ先人方がおられたら、まだまだ
ひよっこが !100年早いわ!! と叱咤されることが目に浮かぶからです。また彼等全員が、そんなもののために(失礼な表現をお許しください)仕事はしていない!
肝は、自分自身のプライドと ご依頼いただいた相手様の評価の言葉だ!! と言われるに決まっているからです。それらのことは、明治期の旧矢尾百貨店様の柱に刻んだ、二代目の筆に表れた強い主張が物語っていると感じております。 昔日は、たかが瓦工だったのでしょう。
とはいえ、ご評価いただきましたことは、とても嬉しく光栄の極みです。そして、それら全ては私個人ではなく栗原瓦店の経験と歴史が賜ったものとして、有り難くお受けしたいと思います。
しかしながら私個人としましては、老い先の短い未熟な飲んべぇ職人でして、高尚な話もできなければ、格調の高い振る舞いもできません(ここ大事です)。ですので、今までどおりの祭り好き秩父人として、変わらぬお付き合いをお願いできれば有り難く存じます。
最後になりましたが、弊社にご依頼いただきました皆様、お付き合いいただきました業者の皆様、同業者の皆様、ご推薦いただきました関係者の皆様、職人仲間・友人・知人の皆さん、そして迷惑をかけっぱなしの家族と、ご評価いただきました全ての皆様に、心から御礼を申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。 店 主
追記で、店主から ”お師匠さん方” へのご報告もありましたので掲載いたします。
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初代、二代目、先々代、そして先代、あなた方の集大成が、令和三年度の
「現代の名工」という名を。 加えて今年度の「黄綬褒章」という、褒美を
賜りました。新聞にも取り上げていただきました。
ひよっこな私がお受けしたことについては、片腹痛く思われていることか
と推察いたしますが、頂戴しましたこと、ここにご報告いたします。
素直に喜ぶ皆さんとは思いませんが、私の未熟さを肴に酒を酌み交わして
いただければ嬉しく思います。 恒 明
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会社沿革
- 江戸末期
- 幕末の万延〜慶応年間に、現埼玉県行田市にて「栗原吉五郎」が、屋根瓦製造・工事業として創業したと伝わる。
- 明治15年頃
(明治21年)
- 秩父市に移転。
- 「次代.栗原定五郎」が、明治21年に「矢尾百貨店様」の屋根工事を担当した、
墨付けされた柱が見つかり確認される。
以降、現在地にて営む。
- 昭和56年 7月
- 株式会社 栗原瓦店 として法人設立。
- 昭和58年 2月
- 埼玉県建設業許可。
- (旧.埼玉県瓦商工業組合会員)
埼玉県瓦工事業組合連合会会員。
- 平成19年
- 埼玉県かわらぶき技能士会会員。
- 令和 3年
- 埼玉県建築士会賛助会員。 現在に至る。