初めて接した曲。これはとても印象深い。指揮者とオケとその中にいる自分との完全な創作活動なので、出来上がりは初恋の人に似てなかなか忘れられない。 理屈抜きで最高なんですネ、このプロセスは。これが後々尾を引くんです。 時が過ぎ、忘れた頃に別の指揮者、別のオケに参加してその曲を演奏した時、若かりし頃或いは青臭い頃の“俺”がムクムクと顔をもたげ、楽器が“俺流”で鳴ってしまうんです。 女々しいですか? 悲しいですネ。 社会人オケや学生&OBとの合同合奏などでは、こんな愛すべき“俺流”奏者にお目にかかります。 自分だけではない結構いますヨ。 迷惑するのは指揮者。つまり“俺流”で鳴った時は指揮者はいらないんです。すでに曲への思い入れが強過ぎて、運動神経が管理不能なんです。
2001年9月、鈴木静一生誕100年記念演奏会が開催されました。合計6回の合奏練習が始まりました。曲目は「死者と貴姫」「蝦夷」「失われた都」の3曲。参加者は当然のことながらSSファン。 滅多に演奏される事のない「死者と貴姫」は大方が初めての演奏。 「蝦夷」は少々。 人気曲の「都」はほぼ100%が体験済の代表作です。
技術的に無理のない「貴姫」と「蝦夷」は、6回の合奏を重ねて漸進的に本番までに仕上がりましたが、「都」を振ったA指揮者の心労は、それは計りきれません。その顛末!。 出席率が高い練習とは言え、1日目あるいは2日目までは相当数の“俺流・都”が鳴り響いていました。つまりスコアーには書かれていない、何かドロドロしたものです。指揮棒は単なる目安。奏者は、自分が育った・自分が信じる・・・熱い“俺流・都”に酔いしれました。しかしその幻想に目覚めるとシラケムードが漂う。反動です。緊張感が切れるんです。 奏者には解ってるのですが、とても言葉に出せないほど恥ずかしい・・・この日の練習が早く終わって欲しい・・・その一言です。 A指揮者の調整作業は3日目から始まりました。奏者がどう弾きたいか?はすでに承知していますし、今更自己主張を続け通す厚顔の“俺”はいません。 3〜6日目までは、全てのドロドロをリセットした上でA指揮者との共同作業が始まりました。私はA氏らしい「都」に仕上がったと感じていましたが、本番の「都」は練習とは違う「都」となってしまいました。意外にも野性的でした。散々“俺流・都”を聞かされた仕返しに、A氏が“A流・都”を振ったのか? 又は初恋の人が忘れられない奏者が徒党を組んで“オケ流・都”を弾いたのか? 今となっては謎のままです。
さて分析!
日頃の練習って悪いクセを取ることかな?なんて見栄を張ってみたいのですが・・・ |