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第20回 第5回演奏会企画
「CUMC1972とシルクロードの出会い」その3

演奏開始からおよそ1時間、多数の木管、金管楽器を従えたこのマンドリンオーケストラは聴く人の心を魅了し、 とても合同バンドとは思えないほどの一糸乱れぬ好演に万雷の拍手が送られたことは言うまでも無い。 客席に居られた鈴木先生もステージ上に来られ、頭の上で両手を組み「ブラボー」を我々に何度も何度も 送ってくださいました。
先生はこの後、公会堂近くのホテルでの打ち上げ会にも来てくださいました。

鈴木先生の祝福
鈴木先生の祝福

先生がお帰りになったのが10時30分頃だったでしょうか。それまで静かに飲んでいた学生たちの本格的な 打ち上げ会の盛り上がり様は“半端”なものではありませんでした。 大酒飲みの揃っている関大、ビールが飛ぶように 行き交いアッという間に大騒ぎになってしまいました。果ては指揮者の藤本氏が誰にやられたのか? 頭からビールをかけられ、ずぶ濡れになってフラフラ歩き回る始末。酔えない酒を飲んでいるのは会計の北村氏。 彼はきっと頭の上を飛び交うビールの本数を必死なって数えていたに違いありません。

翌日は後楽園遊園地、新宿御苑、銀座へと関大を案内し1日を楽しく過ごした親睦会でした。合宿から数えて共に過ごした5日間、 関西弁が自然に混じる話し方にも違和感を感じなくなった頃の別れは何とも言えず切ないものでした。 しかしそこはバンカラを看板にする両校のこと、午後8時過ぎ、東京駅新幹線12番ホーム。 関大部長の坂田氏得意の口上が始まり関西大学校歌の荒っぽい歌声が構内に響き渡りました。これに負けじと 中央大学側も高橋氏の口上から校歌へと繋ぎエールの交換、果ては両校の指揮者、部長の胴上げが始まり、 まだ人気の多い午後8時過ぎの東京駅新幹線ホームは大騒ぎになってしまいました。
今ならさしずめ、「妙な形をしたケースを持った学生たちが12番ホームで大騒ぎしています」などと通報されて 駅員が駆けつける騒ぎになっているかも知れません。 昔は良かった!こんなに大騒ぎしていても周りの人は笑顔で 温かく見守っていてくれたのですから。
ここで口上なるものが出てきましたが、これは関大が元祖であり、これを真似て中大も作ろうということになり、 2〜3人が寄り集まっての合作で出来たものです。
なかなかの名作ですのでご披露します。

      花の都は湯島の梅か
      港時雨は深川か
      隅田の流れは葦の葉に
      育み育てられし我らが中大益荒男が
      悲しい時の母となり
      苦しい時の友となる
      さればここ東京駅は新幹線12番ホームより
      はるか遠く駿河台に聳ゆる白亜の殿堂を仰ぎつつ
      いざ歌わんかな叫ばんかな狂わんかな
      されば道行く乙女もしばし歩みと止めて聞き惚れるであろう
      われらが中央大学校歌
      1番から元気よく〜〜〜〜
      あああ〜〜中央〜我らが中央〜〜中央の名よ光あれ〜〜
      草の緑に風薫るーーー

最終「ひかり」の発車を報せるベルが鳴り、別れの時が来た。別に一生の別れになるわけでもないのだが、 ひとつのことを一緒に成し遂げてきた仲間との別れには切ないものがあった。 堅い握手を交わし、赤く腫れ上がったお互いの目を見据えての別れは辛かった。
列車内に乗り込めばもう声は聞こえない。周囲を憚らず大声を出して窓を叩きながら呼びかける部員。 ドアが閉まり列車が動き出した。2〜3人がホームを走った。しかし新幹線は速い。 あっという間に追いつけなくなりそして列車は闇の中に吸い込まれるようにして、すぐに見えなくなった。 我々は静かになったホームに立ち尽くし、見えなくなった列車の方向をじっと見据えたまましばらくの間だれも 動こうとはしなかった。

2006年6月現在、CUMC1972のメンバー25名の中、7名が現在もマンドリンの現役で活躍中、そして他のメンバーも 事あるごとに埼玉・千葉・神奈川はおろか山梨・広島・山口・北海道から、ただ単に昔の仲間と一杯飲みたさに集まってくる。 各々いろいろな人生を背負いながらも、もうあと2〜3年で還暦を迎える。
KUMC1972の諸氏との交流、もちろん現在も続いている。
35年前、一緒に苦労しながら踏破した「シルクロード」の“絆”は堅い。

      「シルクロード」最終楽章 ローマへの帰還

「イタリアの南端に近いブリンジンに上陸した一行は休む間も惜しくローマへ向かう。すべての道はローマへ。 この道こそローマに集中する街道を代表するアッピア街道である。鈍重なラクダに代わった馬の軽快な足取りさえ ももどかしく終結に急ぐまっしぐらの行進。
イタリアも南部ではあの苦しみを重ねた砂漠地帯を回想させる乾いた地帯が続くが、それも北上するにつれて 次第に姿を消し、細やかな緑が地表を覆い始める。 一向は沿道の村人たちの歓呼を浴び帰郷の喜びをかみ締める。 馬の脚ををもってしてもなお数日の旅が続くが、碧空に聳えるモントメタの山影を東に臨むようになるとローマは近い。 一向はついに前方にローマの片影を認め息をつめる。 7つの丘、ローマを囲む赤い城壁、その中に林立する塔、ああ、 ひと際高くサンピエトロ大聖堂も見えてきた。曲はついに爆発する。 ローマの入り口、サンセバスチャンの門を潜る キャラバンの上に鐘がいつまでも鳴り続ける。」

(1972年卒 物井の駒さん 記)


2006年7月26日更新
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