だけど反対に、イタリアとかドイツのオリジナルと呼ばれているものを見てても、 この元の音はもしかしたら別のものを想定しているのかな?っていうのもあるわけですよ。 だから、たしかにマンドリン曲だけど、別の解釈も出来るなと。 例えば、バイオリンなんかでやったらどんなんだろう、とか思ってしまったり。 でも日本人の作曲家っていうのは、比較的そう思わせない。 音楽の作りからしても、これはもうマンドリンを想定して書かれているな、と。 たしかにそうやって書いているわけだから。 だから、「オリジナルと呼ばれてる」と、ボクがそう聞かされている曲の中で、 やっぱりそこの部分でニュアンスが違うかなと。 「オリジナル」という表現って難しいよね。 ♪鈴木静一先生 鈴木静一先生の曲の年代っていうのは古いじゃないですか。 他の日本人の曲っていうのはもう少し最近のものじゃないですか。 それと鈴木静一先生の曲っていうのは、バックボーンが映画音楽であったり、 日本的なものであったりするもんだから、 やっぱり情緒と音が日本のマンドリンオーケストラに合っている。 だから処理しやすいし。 もう少し言えば、ボクたち中央大学の関係者にすれば、 鈴木静一先生の音楽の処理の仕方に慣れているからね。 音楽的な言い方をすれば、『語法』を知っているわけですよ。 ♪語法 『語法』っていうのはどういうことかというと、 例えば昔、田中角栄のマネをするとしてさ、 (鼻にかかった声で)「まぁ〜そのぉ〜」とか言ってた(笑)。 下手でも「まぁ〜そのぉ〜」って言えば、田中角栄に聞こえるとか。 アントニオ猪木の物真似をする人はとりあえず下アゴを出してみせると、 下手でもアントニオ猪木をやろうとしてるのがわかるっていう。 それと同じように、ベートーヴェンやブラームスの語法っていうのがある。 だから、全く鈴木静一先生を知らない人は、あるいは全く別の演奏をするかもわからない。 ボクや中大の人間は特に(鈴木静一先生を)たくさんやってるし、 大分変わってきてはいるかもしれないけども、語り継がれているものがある。 鈴木静一先生の語法っていうのが、たくさん触れていればわかるから。 そういう意味では、鈴木静一先生は(中大の人なんかには)わかりやすいかな。 似たものが出てくれば、どう弾くかっていう処理の仕方がわかるから。
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