例えば「横断歩道の渡りかた」を教える時に、まず信号が変わる。 で、「危ないから、右を見て、左を見て、もういっぺん右を見る。 で、手をあげて渡りましょう。」これが典型です、と。 でもボクは恥ずかしいから手はあげないで渡るよ、と。 急ぐ時は右を見て、左を見て、それで渡ってしまうかもわかんない。 そういう典型と派生をわかって教えるということは必要かもわかんない。 だから、自分の趣味とか自分の理解している部分っていうのが、 みんなに共通できるかとか、その人に合うかどうかっていうのと、 それでもやっぱりこれだけは教えとかなきゃいけないっていう部分がある。 基礎型は覚えとかなきゃいけない。 そこの区別。 その人に合わないって言ったって、後で困るから基礎は覚えましょう、 っていう分別は大事かもしれない。 これは基礎だけど、これはキミには合わないからあっちでもいいよ。 あっちのほうがキミには合うかもしれない。 でもこういう基礎があるっていうことは覚えておこうね。 例えば腕の形とか、ピックの持ち方とか、左手の置き方とか。 それは手の大きさとかでも、あなたは手が大きいからこっちのほうがいいかもしれないね。 でも普通はこうするんだよ、って。 技術的なこともだけど、音楽的なことも。 例えばトレモロなんかでも、「ボクらはトレモロの回数はきっちり決めないよ。」 でも「団体によってはきっちり決めているところもあるんだよ。」とか。 マズイかな?いいよな。(笑) ま、そういうことは理解しながら教えていく。 ♪トレモロの数? 例えば後輩が「ここはどのくらいの長さ(トレモロを)入れるんですか?」 っていう質問があった時に、 「ボクは7回入れてるよ」「7回も入らないんですけど」「そしたらもう少し少なくてもいいよ」と。 「それは(トレモロの回数が)それぞれでもいいんですか?」ってまた質問があった時に、 「ボクたちはある程度、こういうニュアンスが出来たら良しとしてるけど、 回数をしっかり入れることは重要だとする団体もあるし、いろいろだね。」 というようなことはあるかもわからない。 だからそういうようなことも、定型と派生型のニュアンスを教えていくことは大事かもわかんない。 教えるのは、そこが一番大事かな。 そこから先にいった時、典型はこうだけど、ボクはこうしたい、とか。 指揮をしたり、実際に音楽をつくっていく時はそういう教えかたをする。 「普通はこうやるけども、ボクはたっぷりやりたい。」 そういう言い方をする。 個人の趣味と、本来のものの認識と区別する。 音楽をやっていくうえで、そこはすごく大事。
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