『再びマンドリン音楽の世界に』
皆さんは総武本線の物井駅をご存知だろうか。
5月、駅を降りると田植えを終えたばかりの田んぼから蛙の大合唱の歓迎を受ける。
7月ともなれば成長した稲が初夏の風に揺れ、広々とした田園風景が小高い丘から見渡せる。
宮城県に住む親戚の子供が来たとき、駅を降りるなり開口一番、
「ウワ〜ッ!!志津川より田舎だ!」佐倉のチベットと言われる所以である。
しかし、私の第二の故郷、私はこの地、この自然をこよなく愛している。
今日は「ワークショップ」とか。10時30分の集合がかかっている。
8時33分発の東京行きの快速電車に飛び乗る。1時間で東京駅に着く。
急な階段を下りながら楽器を水平に持ち替えた時、
不注意にも前を歩くご婦人の肩に楽器が少々強めに当たってしまった。
「イタイッ!」
「アッ!どうもすみません。痛かったですか?申し訳ありません」
電車を降りた後も不注意を謝罪。子供2人、ご主人の家族連れであった。
懸命なる謝罪が通じたのか、笑顔で解決。中央線ホームへと急いだ。
でも、正直なところ、実は楽器を当ててしまった瞬間、ハッとして最初に頭に浮かんだことは
「アッ、(借り物の)楽器が・・・」であった。この歳にして何とも情けない話しであり
恥じ入るばかりである。これでは落語「厩火事」で言う“麹町のサル”になってしまう。
“物”よりも“人”、人間たるもの常に“モロコシ”の精神を持っていたいものである
ワークショップ、研究会?講習会?いったい何をやるんだろう。ひょっとしたら、練習不足の
不謹慎な団員の“吊るし上げの会”?だとしたら私が危ない!!でもまさかそんなこともないだろう。
いや、実際はポルタの宣伝活動だったのですね。団員のマンドリン音楽に対する考え方、姿勢、
またどのような指導者がいて、どのような活動しているかを知ってもらう会だったのですね。
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参加の方々と |
30名ほど集まって頂いた方々の皆さんほとんどが他団体に所属されていて、中には2〜3の団体を
掛け持ちで活躍されている方もいらっしゃいました。そうした方々を交えての午後の合奏では、
ポルタの音楽創りにも参加して頂きました。その時間のなんと短かったことか!
新参者の私自身にとっても大変に有意義な時間であり良い刺激にもなりました。
中央大学音楽研究会マンドリン倶楽部 指揮:飯塚幹夫
鈴木静一/ マンドリン・オーケストラ作品集 「火の山」「細川ガラシャ」
このCDをレコード店でたまたま見つけた時は、正直ビックリしました。
両曲とも現役時代に演奏したことがある曲だったので、さっそく購入。
これが長い長いブランクを経た後、再びマンドリン音楽の世界に歩を踏み入れるきっかけとなって
しまいました。
さっそく現役時代同学年のT氏に頼み、
「雪の造型」「スペイン第二組曲」「シルクロード」などのCDを送ってもらいました。
どの演奏も、私の現役時代とは音質も表現も比べものにならないくらい洗練されていて唖然と
しました。マンドリン音楽は発展途上そのもので、まだまだ良いものを創り出す余地は
十分にある世界だと思いました。演奏技術が高度になればそれだけ、人の心を揺り動かす
マンドリン音楽を創造する可能性が広がる。マンドリンという楽器の特性を生かしつつ、
その表現能力をもっともっと高める方法はきっと存在すると思います。
飯塚幹夫君指揮による「雪の造型」、私はあの演奏を越える「雪の造型」を、
未だ聴いたことがありません。
しかし…、ポルタの団員の皆様は、実に真面目な方ばかりですね。
いつでしたか、合奏が始まる30分前、自分の席に座り練習不足の箇所を練習していると、
はるか後方よりトレモロのロングトーン、続いてスケール練習の音がバチバチ聞こえてきて
ビックリしたことがありました。スケール練習などというものは、現役時代ギターパートから
現パートへ移された時に先輩から教えてもらった、
「ここがド、ここがレ・・・・・・。ハイ、音階やってみろ!」
「ウメェーじゃねぇか」以来やったことがないのです。
なにせ昔は、「地獄の1st」「真面目2nd」「お遊びマンドラ」そして「サボリのチェロ」と
異名をとったパートだったのですよ・・・・・・ねぇ、T君!
2005年8月15日更新