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「みんなの目」第2回は、1stパートtiwaさんにお願いしました。

第2回 6/3 滝野川会館小ホール

『道すがら』

去年放映されていた『新・シルクロード』の第9集は、シルクロードの要衝で民族の十字路とも呼ばれたカシュガルの特集でした。タイトルは『千年の路地に詩(うた)が流れる』。流浪の果てここに辿りついたウイグル民族の現代の姿、土埃が作り上げたかのような古い街で時代に取り残されて、それとも時代におし流されながら貧しい暮らしをしている人々の日常を淡々と描いていました。

以前、瀬戸内寂聴さんが、昔シルクロードを歩いた時、砂の中に人骨があるのをいくつも見かけた、と話していました。それは仏の教えを伝えるという崇高な理念を叶えられず力尽きた僧侶のものかもしれない(法顕や玄奘のように無事に帰ってこれたのはむしろ少数派でした)、故郷から遠く離れた地で行き倒れた商人のものかもしれない、遠くの任地に派遣された兵士のものかもしれない、と。

今では観光地化し、ただの幹線道路のようになっているシルクロードですが、昔の人にとってそれは命がけの旅でしたし、そこにやむなく住んだ人々を待っていたのは砂漠と隣り合せの過酷な生活でした。この回に限らずこの『新・シルクロード』は、古代から現代にいたる、シルクロードに生きたこのような名もない人々の想いを垣間伝えてくれました。

● トレモロについて

『千年の路地に詩が流れる』ではあるウイグル民謡が印象的に何回も流れていました。「Dil kuyi(ディルクィ)」という曲で、“魂の叫び”という意味だそうです。タンブールの素朴な音色でもの悲しくも力強い旋律が奏でられますが、曲が盛り上がった後半、もう耐えられないとでもいった勢いでトレモロが溢れ出てきます。まさに“魂の叫び”を伝えるかのように。

タンブールに限らずアジア系の撥弦楽器にはトレモロが重要な表現手段である例が多くみられます。そしてそれは曲全体ではなく一部分に使われている場合が多いように思います。 それはどういう意味なのでしょうか?あくまで個人的な見解ですが、曲の中でいちばん大切な場面、いちばん想いを伝えたい場面、単音ではもう自分の想いを支えきれなくなった時、トレモロが溢れ出てくるように感じるのです。

鈴木静一がトレモロにそのような意味合いを込めたかは甚だ疑問ですし、長大な曲の全てにそれを用いようとは思いませんが、せっかく「シルクロード」という名のついた曲をやるのですし、場面によってはそのような意味合いを込めたトレモロの表現を組み込んでみるのも面白そうです。どうやったらいつもと違うそのようなトレモロの雰囲気が出せるのでしょうか?

●語法について

今日、合田先生が「この曲はいつもの静一とは違うようにやりましょう。日本から離れた作り方をしましょう」と言いました。確かにこの曲には作曲者が民族音楽の音楽語法を意識的に取り入れたと思われる個所がいくつも見られます。しかしこの曲を聴いた人はこう思うかも知れません。「これのどこがシルクロードなの?いつもの静一と大して変わらないじゃん。」

作曲家にそこまで民族音楽を消化する気がなかった、と言ってしまったらミもフタもありません。これも個人的な見解ですが、これは鈴木静一の内にもともと民族音楽の要素が色濃く流れていたからだと思います。例えばしつこく繰り返される音型、次第に熱を帯びていく表現、打楽器(的な要素)を活かしたリズム、メリスマ的な螺旋模様のような旋律、といった日本を含む世界各地の民謡に多くみられる特徴は、そのまま鈴木静一の曲にも多くみられます。前々からそういう演奏をしてみたい、聴いてみたいと思ってはいましたが、民族音楽の側から洗い直してみた時、鈴木静一の音楽はどのような表情をみせるのでしょうか?

今日、前野さんが「テンポを速くしたら何となく熱っぽく聞こえるし、勢いでごまかせる。遅くしたら全部の音が聞こえちゃうので、ひとつひとつの音を表情にいたるまできっちり弾かなくちゃならない。」と2通りの演奏をした後で独り言のように言いました。どっちにするとははっきり言いませんでしたが、その表情からは、勢いでごまかすのではなくきっちり曲の全てを表現したいという想いがひしひしと伝わってきました。確かに静一の譜面には細かい指示が書き込んでありますし、意識的なのか記譜ミスなのかはっきり分からない部分がたくさんあります。こういった指示をきっちり表現したらどういう効果が生まれるのでしょうか?

場面に応じてそれに相応しいと思う音色や表現の工夫、あえて今までの常識(西洋音楽的な常識)にとらわれない解釈、壮大かつ緻密な演奏が組み合わさった時、もしかしたらこの曲からは、標題にそんな場面はないとはいえ、シルクロードに生きた人々の素朴な、それだけに普遍的な深い想いが滲み出てくるかもしれません。もしかしたら、大音響や荒々しい迫力といった魅力に加えて、鈴木静一の今までみたこともない新しい心象風景が広がってくるかもしれません。

(と、ろくに音取りもしてない人間が勝手なことを書いてみました)

2006年6月7日更新


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