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第21回 合田香氏・前野一隆氏対談
“こだわって”弾くこと

--今まで合田先生と前野さんが中大を教えてきたじゃないですか。で、それぞれの代でカラーがあってレベルがあったと思うんですけど、ポルタビアンカと比較して、ある代と近い色だなとか、これはポルタ独自だなとか感じることはありますか。

前:いや、どうだろうなぁ…。

合:うーん。中大の現役の学生を教えているときの、ひとつのポイントとして考えていることは、いつもある程度のところにしようという心構えであるわけです。もちろん、対象となる学生のレベルとか能力がその時々で違うから、やる曲も違うし、それに対応してやっているのは確かなんですよ。ただね、こちらとしては最初のイメージする、前提とする型にはめようということはあるわけです。その型にはめてある程度、完成品のところまでもってこようと。ただ、持ってくるけどそれぞれの素材が違うから羽振りが違うっていうことはある。

 だけどこの団体はそういうのがないからね、OBならある程度みんな持ってるから。反対にその素材を生かしてどうなるんだろうなっていう楽しみがあるからね。今日は冷蔵庫開けたらこういう素材があるから、こういう料理したらどういう味になるんだろうなっていう、素材から到達するものの楽しみがある。学生の場合はケーキの型みたいのにはめてでも、ある程度のレベルになってほしい。みなさんの場合は、一生通じて楽器を楽しむとか音楽を楽しむとかを、体に馴染んでほしいなって思うのが常にある。

--そういえば合奏中にその、型にはめたような指導がほとんど見られないっていうのは、それは意図的なんですか?

合:そうですね、そんなこともないですけど。それはみなさんが気がついていないだけで(笑)。みなさんもう十分、ポルタビアンカにくる人は僕や前野さんの型に馴れてるわけで、僕がそっちの方に体向けたとたんそっちの顔が上がるし、手を上げたとたん顔が上がるし、ピッて入れたとたんパンと鳴るし、気がつかないだけで、見事なまでに反応しているよね。

--過去の中大の学生と比べて、たとえば僕らが現役だったころと比べて、反応は速いんですか?

本番「シンフォニア」
本番「シンフォニア」

合:あぁ、速いですよ。だってそのときの(所属している)団体の濃淡があるわけじゃないですか。ポルタビアンカの濃淡もあるわけだけど、その色と密度の濃い薄いがあるわけじゃないですか。理解もあるし、演奏の能力もあるし、音楽に携わっている時間もあるし。比較的いろんな面で濃い人が、続けてるわけですよ。なので、学生の団体より全然楽よ。たとえば、僕がやらない前に自分でやってアピールして、そのOKを求めてくるセクションがありますよね。ベースとかね。みんな(合奏を)やってて、ふっとこうやった時に、僕とか前野さんの顔見ながら「これでいいでしょ?」っていう確認をちゃんと求める。

前:そういう意味ではレベル高いよね。…高いんですけど、勘違いしたらいけないのは、合田さんとかにずっと教わってきたそれって、ベーシックな部分なんですよ。そっからもう一歩超えて音楽を表現するとか、楽器を弾くとか、自分の感情を音楽に乗せるっていう、ベーシックなやり方を超えてやるところまではいってない。それをやり始めると、だって、もっと出してる音の一個一個、要するに細かい譜面のこの四分音符一個をどうやって弾くの、みたいな話とか、タイではみ出た四分音符をどうやって処理するのとか、そこで雰囲気が変わって次のところへ移るんですよなんて合田さんが話をするときに、じゃあどうするんだ、どうやって気持ちをもってくるのか、どうやって処理するんだってのを追及できるのに、やらない。それがとっても不安。そのベーシックな部分というのはこの団体やれて当たり前なんで、そっから先にじゃあもっと出来るじゃん、っていうのを自分たちでやらないのが、嫌。探求度が全然足りないと思う。

合:そこの部分だと思うんですよ。大事なのは今のように、演奏面での想いの訓練面の、もっとこうしたいというのや、僕たちが仮に適当に振っていたとしたら「ここはどうするんですか?」っていう自分たちでの探求度だね。それがね、ひょっとしたら学生のうちは時間がたっぷりあったんですよ、みなさん。だから学生でやっているうちに、他のセクションとのコミュニケーションでそれをやっていたんですよ。

 ここ(ポルタビアンカ)は時間がないから、そしたらやっぱりちゃんとその間に考える。必要なのは、来る前とか来るときとかに、ちょっとだけ譜面を見て、楽器持たなくていいから自分の中でちょっとだけ考えて、こうなんだろうって想ってることなのかもわからない。それがみんな社会人になって大変だから、楽器を弾くこととそこに自分の気持ちを出せることだけで、よそのパートとの差とか全体の作りとか、それがやっぱり先に行けていない。それが出来てないと、つまんない。今回僕は、本当はこうあるべきだなって思ってることを最初に言ったんだけども、それは、音楽とか音に匂いがない、それから音に体温がないということ。それぞれつくりはあるんだけども、今言ったように匂いとか体温とか、味とか色とかを、自分たちでやらなきゃしょうがない。そこの追求の部分が足りないなぁ。

前:指揮者が提示しないと、やらない。やっぱり、自分たちでやらないと。今回僕、楽器を弾くじゃないですか。中に入って弾いてみると、もう本当にそれを感じる。もっとこだわってやれることはたくさんあるのに、トライもしないし議論もしないし。これはとても、不満。出来ると思うんですよ、弾けるとか弾けないとかじゃないんで。こうしたほうがいいとかああしたほうがいいとか、こんな感じだよねとかこんな気持ちだよねっていう議論は、それとは別にできる話なのに。

合:休憩中でギターの大池さんが、なんかの曲のアレグロ弾くときにこう、一発一発もう少し音を入れてった方がいいですねとかいう話をしていて、これっていうのは結局、本当はこうしたいからそしたらそのためにはどういう弾き方が求められるねっていう話なわけ。本当はもっとこうして、頻繁にキャッチボールすべき団体なんだよね。

前:そう、それをもっと細かく、たとえばフレーズをこうつくりましょうとか、大きな枠でAからBまではこんな感じだからこういう風にしましょう、っていうことにはみんな対応できる。でもその中にうにゃうにゃいっぱいあるところの、この一個の音をどうするかとか、この一小節間をどうするかとかのこだわりがない。ただこう、ピュ−って弾いちゃう。

--そういうのが、今まで前野さんが合奏でこういうところはこだわって弾いてって、言い続けていたことの集約ですか?

前:というか、合奏ではまずそこまで到達していない。それ以前の問題。パーツパーツのフレーズとか、誰にでもわかるポイントはこうしてって言っているだけ。でも本当はそこに至るには、その前の音をこう処理しないといけなくて、そのためにはその前のフレーズをこうやって弾かないといけない、っていうのが全部つながっているんだけど、そういうこだわりっていうか気の使われ方が大ざっぱ過ぎる。だから、緊張感が合奏にない。だらだら弾いてるシーンがある。たとえば、ドラやチェロが旋律をやっててマンドリンの人がただ刻むとか、ただ長い音を弾くとか、ただ長い音を弾いてるんだけどどっかでフッて変わってるとかってとこが、もう無造作に1,2,1,2,1,で変わったみたいなそういう弾き方をされちゃう。そっちこそ大事なんだけど、それが足りない。指揮者が振ればやるんだけど、振らないとしない。なんとなくそんな感じなんだけど…ってずーっと弾いてっちゃう。

合:何度も言うけど、振ることによってつくられてくっていうのは、まぁ学生のあいだはいい。でもそれはもう違う、ってこと。音がつくられていくときに、自分の中の気持ちに基づかないと、ちゃんとした音にならない。音が空中に出てから呼びかけてもその色にはならないよ、その形にはならないよ、とか昔よく言ったけど、自分の中に基づいて弾かないとその音にはならない。自分の心の欲するところに、素直に自分の心が欲さなきゃいけないんだけども、そこの部分が足りない。

前:そこはもう、弾けるとか弾けないとかの話じゃないから。ただ、気持ちが足らない。弾けなくてもいいんだよね。汚くてもいいし、トレモロが上手くはまらなくてもいいし、速弾きが弾けなくてもいいんだけど、結果として、そういうトライアルが足りない。

合:だから僕は今日何度か、顔上げて、顔上げてって言ったんだけども。どうしても前に譜面があると、譜面を形にする、具現化することに集中して、要するに楽譜に与えられた情報を楽器で音にすることに集中している。譜面の紙上から見た情報を、大事なのは、心のフィルターにちゃんと通さないといけないの。目のセンサーから得た楽譜にある情報を、まずハートのフィルターに通して、そこで大事な熱とか色とか匂いとかを与えて、それが手の活動源になるわけ。みんな目から直接手にきてる。それが今日あたりの合奏の残念なところ。だからその、顔をあげて空気を見てって言うのは、そういうこと。

2003年11月1日更新
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