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第26回 合田香氏・前野一隆氏対談
学生とポルタの違い・関係

--ポルタビアンカのひとつのテーマとして、中大の学生に対するエールというものがあるのですが、現在第3回を迎えて、その点は果たしてどのくらい実現できているのでしょうか?現実問題として中大の受け皿じゃ無いけれど中大を卒業した人たちがやれる団体であるべきだし、やりたい団体であるべきだというのがコンセプトの根幹にあったのですが、中大を教えている二人から見て、その点はどうでしょうか?

合:最終的には、僕個人的には、つながりをもう少しちゃんときっちりつけていきたいと思います。具体的に活発な交流をしたほうがいいなとは思います。ポルタビアンカに入ってくるきかたというのは、卒業した人たちにとって一番いいのは、のどの渇きが出てきたときにそれを潤す作用になるといいなと思います。いまの現役はちょっと冷めている気はします。だけどやりたい人たちの受け入れることのできる受け皿があればいいんだと思いますね。大丈夫なんじゃないですか。今現実としてどうだこうだ言わなくてもいいとは思いますけれどね。

--中大を指揮したりコーチしたりするのとポルタビアンカを指揮したりコーチしたりするのは違いますか?

前:違います。今は、できるできないは別として、可能性は学生の方があると思います。ポルタビアンカは形になるのは早いと思いますが、もっといい可能性があるかというと、どうかな…。みんな、持っているエネルギーを、自分の幅の範囲の中ですませようとしている気がします。学生さんは自分の持っているエネルギーがなんだか分かっていないので、ともすると見たことのないやつがボコボコっと出てくる感じがします。ポルタも普通に楽しいとは思うのですが、「とんでもないものができるかもしれない」というワクワク感はあまりない。普通に上手い。普通にエネルギーを出す。それがもう普通のことで、もう一歩先へ行けるとは思うのですが。

打ち上げにて その2
打ち上げにて その2

合:反対に、僕は、ポルタがもう一歩先へいけるかなという気がします。今日も前野さんが指揮していても、ちょっとやったことに対しての汲み取りがあって、言ったことへの理解の度合いも早くて、これだけできるんだったら、前野さんが言った言葉を借りると、みんなを学生だと思って無理にでも作ってみたら意外とその先へいけるのではないかという感じが(前野さんとは)反対に、僕はしています。もっと無理な事をしても、それに応えられることがあるんじゃないかと。そうするともっと面白くなっていくんじゃないかと思います。

 反対に学生の子たちには、やっぱり最初から教えないといけないんだなという感じがします。みなさんぐらいまでいくと、言っている事はわかるし、僕と前野さんが同じこと言ったり違うこと言ったりしてもみんなは理解できるけど、現役の学生たちにはやっぱりひとつひとつ教えないといけないんだな、と思います。最近僕がよくないのはそれをやってないから彼たちはしんどいんだな、と。もっと時間をかけないといけないんだな。

前:触れ幅が広いんだと思います。学生は未知数だから。学生に対しては、可能性が広がる瞬間をたまに垣間見るんですよね。合宿とかで。垣間見るけれど、そのあと普通の練習に戻ると忘れてしまって、あれはなんだったんだろう状態になってしまうというのがある。そのまま本番まで終わって、ずるずるといってしまう。覚えてない。残ってないんですよね。

合:結局、熱さを覚えない。前に立って教えていて、みんなを見ていて、悔しさとか不満とか、僕たちがぼろくそ言ったときのできない悔しさとか、なんでそんなことを言われなくちゃいけないんだとかいう、ちょっと膨れた感じとか、感じられない。もっとやりたいという熱さとかエネルギーを感じない。エネルギーの感じなさが僕はしんどいんだよね。

 たとえば、(山本)まどかさん(97年卒)がコンマスの席できりっとしているその目つきがいまだに忘れられない。(齋藤)真波さん(95年卒)が、ちっこく、でもギターの席で踏ん張っている姿とか、みんなそれぞれあって、それが忘れられない。そういうのが、今の子みんなに少ないかな。

 結局中大を教えに行くって、別に自分の名誉とか収入とかではなくって、どっちかっていうと感じるエネルギーに応えたいというのが一番にあって、いいものにしてあげたいというのがある。向こうからのエネルギーを無駄にしないで、なんとか応えてあげたいというのがあるんですが。

2004年12月23日更新
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