例えば(主題と変奏に出るような)8分の3拍子のしゃべり方の区別っていうのは、実は音大生なんかでも正確にはほとんどできていない。ヤン・タカタカとか、タカタカ・タンとか、タン・タン・タンとか、タティタティタタとかっていう歌いこなし方の差なんてのは、実はみんな意外とほとんどできていないんですよ。 --音楽教育っていうのは、根本的には何を指して言うんですか。 合:難しいけどね。色んなもの全部指して言うこともありますけどね。だけど、要はまあ表現の仕方とかしゃべり方っていうことなのかもわかんないですけど。だから、言葉はとっても大事。 例えば西洋の言葉っていうのは、どこに重さがあるか、いわゆるアクセントやストレスというものにつながる。言葉の重みが1拍目にあるのか、1拍目と3拍目にあるのか。だけど日本の言葉っていうのは、高低。だから日本チック・東洋チックにやろうと思ったら、ストレスをなくしてティ〜ティ〜ティ〜ティ〜みたいな平坦な感じにやっていくと、意外とアジアンチックな表現になるわけ。例えば、「ドードーソーソーラーラーソーソー」というのが、「ドードッソッソッラーラッソッソッ」とか、「ドッド・ソッソ・ラッラ・ソッソ↑」とか、それが「ド〜ド〜ソ〜ソ〜ラ〜ラ〜ソ〜ソ〜」ってやると、アジアンチックになっていくんです。日本語の区別っていうのは高低でしょう。だから、高低の差によってそういうふうに聞こえる。問題は、西洋のものはどこにストレスがあるか、どこに重さがあるか。だからその辺をちゃんと理解すること。 音楽教育というのが、西洋の音楽の話とすれば、ですよ。 --僕らも、こういう形にはまればこういうふうにできるってのはあると思うんですけど、そういう意識を超えるものとか、今までやったことのないものに出会ったときに、どうしていいかわからなくなってしまうことはあると思うんですね。だから、こういうときにはこうやるっていうような“知識”や“引き出し”というものが足りないのかな、と。 合:今日面白いなと思ったのは、プレリュード2と比羅夫ユーカラは、明らかに日本のものなんですよ。だからあの2曲は、日本語でしゃべって日本語で理解できるんですよ。しかし3つのスペイン風舞曲やミュージック・フォー・プレイなんかやるときには明らかに音の作りとかしゃべり方とかが、朝からパン食ってコーヒー飲まないと、納豆かけご飯なんか食って来れないような感じの曲なんですね。だから、その辺のしゃべり分けをできると面白いなと思います。 だから今日なんかでも、1拍目が重いなんて話をしきりに前野さんがされてたでしょう。あれは言葉というよりも、いわゆる踊りがある文化っていうんじゃないでしょうかね。3拍子の踊りというのは、日本の文化の中にはないんですよ。日本人にとって3拍子を体の中で順繰りに回して、音楽を作っていけるというのは難しいんです。
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